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非国民通信

ノーモア・コイズミ

批判はタブー?

2008-08-31 22:56:01 | 編集雑記・小ネタ

 今夜は別のネタを用意していたのですが、ちょっと触発されるところがあったので急遽予定を変更です。こっちの事情など知ったことではないかとも思いますが。

あるカテゴリーに属する個人を罵倒することと、あるカテゴリー全体を差別することは、イコールではない(かめ?)

 詳細はリンク先をお読みいただければ幸いですが、まず発端としてブログ主のgegengaさんが「貧すれば鈍する」という言葉を使ったところ、某氏が「貧乏人への差別発言だ!」と噛みついてきたわけです。ふ~む、私も貧乏人ですが、その発想はなかったですね。

障害がある。
エイズである。
そういった理由で「批判されない」というのは、おかしい。
どんなカテゴリーに属した人間でも
批判すべきは批判する。

あなたは、そういった姿勢の方だと思っていました。

それが、あなた「個人」が罵倒されると
「貧乏人」「派遣社員」
という「カテゴリー」に逃げ込むのですか?

 で、触発されたのはこの辺り、一部だけの引用ではニュアンスが伝わりにくいかも知れませんが、まぁ某氏が貧乏人である自分への批判は貧乏人への差別だと、そう読み替えたことへの批判です。なるほど、こういう傾向は批判の対象となった某氏ならずとも、しばしばありますね……

 例えばほら、「若者無謬論」とでも言うべきものがあるとは思いませんか? まず一方で、隆盛を極める俗流若者論があります。その大半は謂われなき誹謗中傷であり、若者はこの謂われなき誹謗中傷に絶えず晒されています。ところが若者の側に批判されるべきものが皆無かと言えば、当然そういうことはないわけです。中には正当な批判もある。しかるに俗流若者論による不当な非難を退けるその余勢を駆って、真っ当な批判をも一緒くたに退けてしまう、そんなケースも珍しくないような気がします。

 若者が不当な非難に晒されている、これは事実としても「不当な非難に晒されている」=「自分達への批判は全て不当である」ということには、勿論ならないわけです。ところが若者叩きの大半を占める俗流若者論の荒唐無稽ぶりを良いことに、いかに真摯な批判が向けられようと、俗流若者論と同様の「無理解と差別心に基づいた我々への攻撃だ」と、被害妄想に浸るばかりで批判に向き合おうとしない、そうした若者の姿もまた認めざるを得ないところがあるのではないでしょうか。

 そしてgegengaさんと某氏の「貧乏人」を巡る問題もそうですね。低賃金層、非正規雇用層、貧乏人への差別的言論は至る所に蔓延しています。自己責任論などに代表される責任転嫁も全く途絶える気配がありません。貧乏人は常に不当な非難にされされているわけです、ですが……上で述べたように「貧乏人が不当な非難にされされている」=「自分達への批判は全て不当である」というわけではないはずです。

 そこでgegengaさんから某氏個人への批判がありまして、それを某氏が「貧乏人への差別発言」と言い出したわけです。そりゃ、貧乏人への差別発言は世の中に渦巻いていますが、貧乏人である自分への批判は全て「貧乏人への差別発言」として相手に押し黙ることを要求するとしたらどうなのでしょう? 自分達への批判はタブー、ある意味ではエセ行為みたいなものなのでしょうかね。少なからず残念な発言でもあります。

 

 まぁ俗流若者論にせよ自己責任論にせよ、中身は酷いものです。それが自分に関わりなくとも、その内容のアホアホしさに気付けるようであればいいのですが、往々にして自分が非難の対象にならないと理解できない人もいます。俗流若者論の戯言ぶりに辟易しているはずの若年層にしたところで、給食費の未納や救急車のタクシー利用だの、同レベルに荒唐無稽な「日本人のモラルが低下」論を鵜呑みにしていたり、あるいは貧乏人として自己責任論に抗弁しながら凶悪犯罪、外国人犯罪の増加など「治安の悪化」という神話を大真面目に信じていたり、どうも自分が咎められない限りは根拠に乏しい愚劣なデマでも気にしない人が多いようです。

 いわゆるロスジェネ層は、まだ若者と目されているからこそ若者叩きに反論もするでしょうけれど、彼らが齢を重ねて若者ではなくなったとき、彼らは自分の次の世代となる若者をどう語るでしょうか? 「自分達の世代は大変だった」「今の若者は恵まれている」、そう語るようになるのではないでしょうか? 現に一部では、既にそのような傾向が見え隠れしています。ロスジェネなんて大層な名前を頂戴したところで、俗流若者論は脈々と受け継がれる、そんな辺りに嫌気がしてなりません。

 

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Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-21 14:11:50
>mashさん

 これはまた筋金入りの若者無謬論ですね。エセ的脅迫に近い。相対的に強者であるならば、弱者への批判はすべからく差別的であるとして退け、沈黙を要求する。タブーを作ることで逆に自分達を神聖化し、不可侵なものにしようとする、何とも卑劣な発想です。弱者であることを正当化の口実として利用しているかぎり、支配する側との共犯関係は消すことが出来ないのに、そこに安住しようとする、変化を拒む発想でもあるでしょう。その強弱関係の解消を考える身としては、そうした立場には賛同できるはずがありません。

 後半部ですが、曲解にも程があります。本文を読めば明らかなように、自分達を「絶対的な被害者」として位置づけ、批判を封じ込めようとする意図の自家撞着ぶりを論じているのに、奇妙な相対論に話をすり替えようとしている、これはせいぜい、被害妄想の域を出ていません。

 >管理人氏自身は「そのような傾向」とはいたって無縁なのでしょうか

 少なくともその傾向に関しては全く無縁ですね。
ご再考をお願いします (mash)
2008-09-21 12:42:42
初カキコです。
今回発端となったトラブルそのものについては、なんともコメントのしようがないんですが、管理人さんの若者観にはいささか疑問を感じたので、コメントさせていただきました。

>俗流若者論の荒唐無稽ぶりを良いことに、いかに真摯な批判が向けられようと俗流若者論と同様の「無理解と差別心に基づいた我々への攻撃だ」と、被害妄想に浸るばかりで批判に向き合おうとしない

この「真摯な批判」とやらが果たして何なのか、内容がよく分からないのですが、一般的に若者は「社会的弱者」のカテゴリーに属するわけです。それがどんなに「真摯な批判」であると自分では思ってても、その批判する側が相対的に強者だったとすればどうでしょうか?そこにはどうやっても、弱者の側に対する蔑視、憎悪、差別意識を孕んだものになります。管理人氏はご自分はそういった意識からバリューフリーであるとお思いなのでしょうか?だいたい「真摯な批判」という表現からして「オレ様はこんなに貴様のことを批判してやってるんだぞ、ありがたく思え」という(それこそ別エントリでご自分でおっしゃってるような)「上から目線」のニュアンスを大いに感じるのですが。

>彼らが齢を重ねて若者ではなくなったとき、彼らは自分の次の世代となる若者をどう語るでしょうか? 

これに関しては失礼ながらほとんど嫌がらせとしか思えません。「絶対的な被害者」なるものは(いわゆる若者に限らず)存在しないとおっしゃりたいのは分かりますが、しかし「加齢現象」という不可避的な問題を理由に、若者の「いま・ここ」の問題までをも隠蔽するのはいかがなものでしょうか?というかこれこそは「被害者でなければ加害者だ」という二元的な問題に還元してるのではないでしょうか?
加害と被害の関係は、二元的に分かれるものではなく、極めて入り組んだものです。だからといって、片方で加害の恐れがあることを理由に、被害の事実まで隠蔽することはそれ自体暴力的です。また

>現に一部では、既にそのような傾向が見え隠れしています

とおっしゃってますが、これも管理人氏自身は「そのような傾向」とはいたって無縁なのでしょうか?

以上長々と取りとめもないことを書きましたが、ぜひご再考いただければ幸いです。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-05 23:06:49
>でもかばさん

 そうでしょうか? 仮に「貧すれば鈍す」という慣用句が貧乏人への差別と解釈することが可能であると仮定しても(私はその解釈には無理があると思いますが)、今回の用例が無神経であるとは考えにくいです。(慣用句中の「貧」とは一概に経済的貧困を指すものではありませんが)まず第一に、gegengaさんは経済的な貧困層に対して差別的な態度をとったことはありません。その一方で死ぬのはやつらださんは自己正当化のために経済的貧困を「活用」しています。人が触れて欲しくないと思っている点を突くとしたら無神経ですが、その人が自ら前面に押し出しているもの、それに触れることは禁忌ですか?
言葉の難しさ (でもかば)
2008-09-05 04:24:12
管理人様。
 先日の自立支援の記事へは名前を書かずにすいませんでした。うつ病の者です。
 リンク先のブログを見ましたが、途中まで読んで断念しました。精神的に負担が重かったようです。
 軽い言葉の使われ方についてだけ、思うところを述べさせて下さい。
 自分が弱い立場にいるから批判は赦されないなどという事は、あなたがいうとおり通らないでしょう。
 しかし、どんな無礼な相手であったとしても、相手の立場、発言の場を十分考えもせずに言葉を発したならば、その発言について批判されても、受けとめ責任を負わねばならないとも思います。そうでなければ、人同士の対話が成り立ちません。
 自分は貧乏人であるという意識を持っている人に対して、親しくも無い人が貧すれば鈍するというたとえをつかうのは、控えめにみても無神経なことです。
 私は、軽々しく言葉を使っては、誤解から相手を怒らせたり、醜い本音や無知が丸出しになって恥をかいたりしていますが、それを自分や他人への免罪符にしようとは思えません。

 


 
Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-04 23:40:59
>GXさん

 とりわけ当事者にとって、批判と反論は色々と難しいですね。他人の批判を傍観していて、自分から気付くことの方が多いかなぁ、と。それはさておき、やっぱり自分より若い世代への非難・偏見は永遠ですね。他人ですから何事も思い通りにはならない、これは同年代、上の年代にも共通するはずですが、より立場の弱い世代だと叩きやすいのもあるでしょうかね。
Unknown (GX)
2008-09-04 20:18:38
 正当な批判といわれましても、むずかしいですね。何が正当かは本人の主観によって変わってしまうこともありますし。私の場合、納得がいかないことがあってそれに反論すると、その行為が批判を受け入れない人間とみなされ顰蹙をかったり、逆に自分の意見が通っても、自分の勝手な考えを押し付けただけではないかと悩んだりします。今は批判されても善し悪しを考えずとりあえずうなずいていますが、これが成長したのか、だめになったのかはわかりません。
 ちなみに直接の批判ではありませんが、非国民さんのエントリーを読んだ時、それが自分にも当てはまった場合は反省しなくてはと思うことがよくあります。

 あと、「ゆとり」呼ばわりをする若者。これらの行為は批判されなければなりませんね。この若者自身も同じような目で見られているにもかかわらず、このようなことを平然と言うことを。
 正直に告白しますと、実は私も心の表側ではこう思ってしまいます。(思ってしまうことは認めるが、心の底から思っていることだとは認めない。むしろ、そうだと信じたい。)しかし、なんとか「それは違う。」と自分に言い聞かせています。言われるだけだった頃は「絶対に言わない。」と誓ったのに・・・。この考え方は古代エジプトから続いている上に批判している私自身すらたまに思ってしまうのですから、履がえすのは難しいでしょうね。今日もボランティア先の人が、以前お話した「雀の学校」の話や「だめな子どもたち(ちなみに外国人も)によって治安が悪化している。」というような話をしていて、自分のことは棚上げしながらうんざりしていました。何とか自分だけでもと上記に加え、口に出さないこと、非国民さんたちと意見交換するなどしてまず自分からこの考えを追い出そうとしているのですが、今日のこの話を聞いて「自分は間違ってるのではないか」と不安になってしまいます。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-03 23:41:13
>死ぬのはやつらださん

 私も、死ぬのはやつらださんがこのような言辞を弄するのを見て少なからず失望しておりますよ。

 そりゃ、経団連や御用学者と同じ様なことを主張してきた誰かさんと馴れ合っている人に、労働者として期待を抱くことはありませんけれどね、やつらださんはもうちょっと話の通じる人だと思っていましたよ。どんな事情があるのかは知りませんが、ただ相手を罵倒するだけの今のやつらださんの姿は、傍目にはその辺のネトウヨと変わりありません。意味の通じないジャーゴンを得意気に使う辺りもそう、騎士団とは何ですかね? うさちゃん騎士団なら馳せ参じたいところですが、他の騎士団に心当たりはありません。

 まぁ、パンクとメタルは仲が悪いと言いますからねぇ……
絶望 (死ぬのはやつらだ)
2008-09-03 19:01:01
正直、残念ですね。あなたが「騎士団」擁護に回ったのは。

あなたは、いままでの騒動を知らないからなのかもしれませんな。

それと、オレのブログに赤木さんがちょくちょくコメントしていることも気にいらないのでしょうね。

まあ、これはケンカですので、あまり真剣に考えない方が良いと思いますよ。

これからは「騎士団」へ入団なさって、スバラシイ人生を送ってください。

ありがとうございました。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-02 23:29:55
>ノエルザブレイヴさん

 確かに、各紙が足並みを揃えて家族会にコメントを取りに行く光景には不気味なものを感じますね。果たしてそれほどの政治的重要性が、というより首相辞任との関連性がどこまであるのか疑問なのですが、家族会の支持不支持が大きなファクターになっているのでしょうか。ある意味で偶像化とも言えますね……

>aliceさん

 そうですかね? 死ぬのはやつらださんが自身の「貧しさ」を事故正当化の基盤としている以上、この「貧」に触れずに死ぬのはやつらださんを批判するならば、それこそ的外れになってしまうのではないでしょうか。

>gegengaさん

 こちらこそ、示唆に富むエントリを読ませていただきありがとうございました。某「弱者男性」氏はともかくとして、死ぬのはやつらださんはこういう人じゃないと思っていたのですが、まぁどうしてしまったのか……

 本文ではエセを例にしましたが、弱者であることを脅迫材料にして横暴に振る舞うようになると、その武器=「弱者であること」を与えてくれる側との共存関係が出来上がってしまう気がします。そうなると尚更、問題解決から遠のくような、そんな雰囲気も感じてしまいますね。
Unknown (gegenga)
2008-09-02 14:33:04
エントリーをご紹介いただいて、ありがとうございます。

同じようなことを「弱者男性」問題の時にもやってグダグダになった記憶があるのですが、懲りずにまたやっちまいました。

ワーキングプアは深刻な社会問題であり、社会全体で改善していく努力が必要なのは、いうまでもありません。
しかし一方で、「貧乏人は何をしても許される」わけではないのも、いうまでもないことです。
そのへんをゴッチャにしてしまうと、「安易な自己責任論者」につけ込む隙を与えてしまうのではないかと、危惧しています。
一箇所訂正 (alice)
2008-09-02 13:37:11
少々恥ずかしい間違いをしてしまいました。
(誤)「私のブログを拝見された」→(正)「私のブログをごらんになった」
と修正してお読み下さい。
ご説明 (alice)
2008-09-02 13:27:42
非国民通信さま

はじめまして、aliceと申します。
死ぬのはやつらだ氏が、「貧すれば鈍す」を差別的表現ととらえたのは、私のブログを拝見されたためではないかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/alice-2008/20080822/1219375912

「貧すれば鈍す」の使い方が一般的には自戒目的であったり、政治や企業の状況を揶揄する目的(つまり精神的な貧の意味)で使われる場合が多いとは理解していて、その場合は何ら差別的表現ではないと考えます。

ただgegenga氏が発言された状況は、死ぬのはやつらだ氏を罵倒するためでした。(死ぬのはやつらだ氏には罵倒される理由があるのでしょうが、それはここでは置いておきます)

別に貧乏自体を揶揄したいわけではなかったと言うなら、他に罵倒の言葉はいくらでもあるわけです。死ぬのはやつらだ氏は自らをワープアと言い、ワープアの問題を社会問題として考えている方ですが、そういう人物に向かって「貧すれば鈍す」と罵るのは、gegenga氏の言葉の感覚に問題を感じると思った次第です。
自らを貧しいと考えている者が、他人から「貧すれば鈍すだね」と言われたら、良い気分はしないでしょう。事実、このことわざが嫌いだと言う人もいます。

個人に向けた言葉に、あるカテゴリへの差別感や偏見を感ることはあります。たとえば男性が、部下の若い独身女性に「きみ、いつ結婚するの?」と聞いたら、この男性は「女性は皆結婚する」という偏見を持っているのだと感じるでしょう。

私が自ブログでこの言葉を差別的表現ととらえた理由は以上です。
おそらくここで話題にされている観点とはずれていると思いますが、元々の発言者として説明する必要があると感じましたので、コメントさせていただきました。

以上です。
Bill McCrearyさんへの補足? (ノエルザブレイヴ)
2008-09-02 12:00:53
署名忘れ二回目というのは冴えないので、今度こそ気をつけたいと思います。

さて、福田首相が辞めてしまいました。それについての個人的感想は避けますが、各紙家族会にまるで「お伺い」を立てているような記事を載せているのはちょっと解せないです。

拉致問題が重要であることは分かっていますし彼らも気の毒だとは思いますが、彼らのみを中心として政治が回っているわけではなく、彼らの威名を持ち出せば何でも許されるわけではないぞ、と。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-01 22:54:08
>Bill McCrearyさん

 まぁ善悪二元論的な考え方が好まれるのか、「善」の側に位置づけられれば、その人のいうことは全て正しい、その人への批判は許されない、そういう扱いになりがちですね。そうした扱いが祭り上げられる立場の人の目をも濁らせている気がしてなりませんが、批判の許されないところに自浄能力が期待できるはずもなく……

>ペトログラードさん

 そう、今のロスジェネ層は従来の左翼に否定的な人が多いわけですが、その割に昔年の左翼の轍を踏みそうな印象を受けるのです。「ワープア無罪」とばかりに批判は受け付けない、自分達への批判は全て俗流若者論のごとき不当な攻撃であるとして退ける、こうやって自浄能力を失った排他的で内向きの集団が出来上がると、その行き着く先は過去に例のあるとおり……

>tatu99さん

 ちょっと物事の順序を混同されている気がします。皆が裕福になったから大学進学率がアップしたのであって、そこから脱落する人が増えたから翳りが見え始めているのですよ。

>いるか缶さん

 若者がダメになったと、文明の誕生から言い続けてきたのでしょうね、きっと。俗流若者論に反発している世代も、いざ自分より下の世代に目を向けると?

 一方で俗流若者論などを真に受けている若年層も、確かに少なからずいますね。自分のことなのだから、その誤りに気付いて欲しいところでもありますが、信じやすい性質なのでしょうか。純真な若者に虚偽を吹き込む輩に、いいように振り回されているのかも知れません。

>イシイさん

 若者叩きは人類普遍の伝統でもありますね。色々と伝統が過去に遡って捏造されているわけですが、本当に変わることなく受け継がれてきた伝統がこの若者叩きなのかも知れません。なるほど、保守的な人が次の世代に厳しいのは、この伝統を受け継ぐためと考えるとしっくり来ますね。
Unknown (イシイ)
2008-09-01 14:19:44
「最近の若者は・・・(以下省略)」とぼやく方は古代エジプトにも居たようです。江戸時代の書物にも、昭和初期の新聞の投書欄にも、若者へのぼやきが書かれていたそうです。
些細なことにつける難癖から、世間話に咲くあだ花まで、若者に対する批判は何千年もの間続けられてきたのでしょう。
これはいわば世界の伝統、人類の歴史、いや先祖から受け継いだ記憶の遺伝子ではないかと思います。

「伝統守る」と口にする保守的な方がいますが、えてしてその手の方々は若者への評価も辛い気がします
きっと何千年も続いている「若者非難の伝統」を後世へ受け継ごうと努力されているのだと思われます
もう若くない大人から大人げない非難を受ける若者もいるでしょうが、大人の対応で受け流してもらいたいものです。
どこの国だか忘れたのですが (いるか缶)
2008-09-01 10:27:03
 いつも興味深いエントリーありがとうございございます

 外国の調査で「あらゆる世代で、多くの人が自分の一つ下の世代からダメになっていったと考えている」という結果が出たとラジオで昔言っていました(なので調査の妥当性は不明ですが…)。なんとなくこの話を思い出しました。かといって、私たちはこの傾向を甘受するわけにはいかないと思います。


>俗流若者論の戯言ぶりに辟易しているはずの若年層にしたところで、給食費の未納や救急車のタクシー利用だの、同レベルに荒唐無稽な「日本人のモラルが低下」論を鵜呑みにしていたり、あるいは貧乏人として自己責任論に抗弁しながら凶悪犯罪、外国人犯罪の増加など「治安の悪化」という神話を大真面目に信じていたり、どうも自分が咎められない限りは根拠に乏しい愚劣なデマでも気にしない人が多い

 多いのかどうかは知りませんが(むしろそんなに多くはないだろうと考えています。あ、blogとかで意見述べている人になら多いかもしれないですね。)間違いなくいますね。他の「カテゴリー」を叩くことで自分の「カテゴリー」が優遇されることを狙っているのかもしれませんが、そんなモグラたたき合戦で何かがよくなるとは思えません。
 でも同時に、俗流若者論や自己責任論を真に受けて苦しんでいる若者もいるわけで、一応それは付記しておきたいです。
差別だいすき (tatu99)
2008-09-01 09:25:51
しばらくROMに徹していたのですが、つい突っ込みたくなる面白さを感じましたので、
だんだんと貧乏を固定的に考える時代に進化してきたのかと、かつては貧乏に生まれても某大学卒業で一発逆転の道もあったようです、みんなが裕福になる幻想で大学進学率アップで結果は大部分が貧乏に、労働者階級の利益のために雇用の安定などを謳った結果、一部の公務員などが死ぬまで雇用安泰の反面、不安定な低賃金労働者から抜けられない層が拡大して逆転の夢もない。
たとえ貧乏人であっても女性ならシンデレラへの夢、貧乏人だろうとブス・ブサイクな金持ちよりマシだ、
の逆差別が良い。
仰ることは重要で (ペトログラード)
2008-09-01 07:15:51
 このことは重要だと思います、特にワーキングプア問題などに取り組んでいる自称ロスジェネのかたがた(雨宮さんなど)にとって示唆に富んでいると言えそうです。

 ワーキングプア問題というのは、これは実際に存在し、この問題を若者の資質の問題として片付けようとする論へ反論しようという意識は理解できるのですが、じゃあ若者一般の資質が非の打ち所がなく完璧かというとそんなわけはないですよね、だのに彼らは往々にして若者に対する批判の全てを「それは社会の構造的問題で、若者に非はないのだ」と片付けてしまい勝ちです、これは美味しくありません。雇用格差の問題に対して若者の資質の問題を持ち出す老人は確かに相当頭が悪いですが、非の打ち所のない人間など当然いないのですから、そういった老人による若者批判にだって一理はあるでしょう。

 例えばよくあるパターンとして、「ワーキングプアの若者は自助努力が足りない、勉強して資格を取るべきだ」という批判に対し「彼らは雇用機会を奪われることで社会における教育の機会を失っているから勉強できない、それに勉強に費やすような余分な資金は一銭だってないのだ」などと反論したって返ってくる答えは「そんなものは自分たちの時だってなかった、今の若者は甘えている」ぐらいが関の山でしょう。若者に対する批判の全てをワーキングプアのという一言でかわそうとするのは無理というものです。管理人さんも仰るように若者を無謬に持ち込むことが目的ではないのですから、批判は批判として受け止め、しかし雇用が細ったという事実は事実として提示し、その原因を若者の資質の問題として片付けようとしているというその一点のみで反論すれば良いのです。そういうことを考えないで「ワープア無罪」みたいなことを言ってると昔の左翼みたいになっちゃうよ、って思うんですけどね。
同感です (Bill McCreary)
2008-09-01 06:31:33
実は私も同じようなことを考えていました。

たとえば、最近、どうも犯罪被害者家族にたいする批判がタブー視されているところがあります。北朝鮮拉致被害者家族然り、光市の事件での男性然り。

彼(女)らが非常に気の毒な立場であることを認めるのは当然ですが、しかし彼(女)らが常に正しいことを言っているわけではありません。横田さんの奥さんや増元照明氏が叫んでいることなんて、申し訳ありませんが私にはあまり支持はできません。

私はこの人たちの発言も適宜批判していくつもりですが、なんか世間の人たちは異常に批判をタブー視しているのですよね。でも、それって最終的には損をするのは私たちですよね。

被害者家族たちも、マスコミからちやほやされて少し勘違いしているところもあるんじゃないかなと思います。国政選挙の自民党候補の応援に、光市の事件の家族が出たとか何とかということがありました。それなんか、その一例でしょう。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-08-31 23:54:45
>Unknownさん(ハンドルネームは忘れずご記入下さい)

 そう、俗流若者論による謂われなき非難に晒されてきた世代が、自分達よりも若い世代を「ゆとり」などと非難する、俗流若者論の再生産も既に珍しくなくなっているところもあります。自分は被害者といいながら、実は加害者サイドに回ろうとする、うまくないなぁ、と。

>kurosukeさん

 日頃の行動は何かと鈍くさい私ですが、まぁこの先どうなることでしょうか。「貧すれば鈍する」と言われても私自身はピンと来ないところではありますが……
貧と鈍 (kurosuke)
2008-08-31 23:37:46
貧だけれども鈍にはなっていない。まだ・・・・
そう思っているうちは「貧すれば鈍する」という言葉に過剰反応はしないでしょう。
私もいつまで持つかはわかりませんが。(笑
ただただ耳の痛い話 (Unknown)
2008-08-31 23:07:36
私としましてはタイトルが感想の全てを語っていますね。
特に「若者が不当な非難に晒されている~そうした若者の姿もまた認めざるを得ないところがあるのではないでしょうか。」、この辺は陥りやすい罠です。注意せねばなりません。

ただ、私の目から見てよろしくないと思うことは、若い者がもっと若い者を「ゆとり」と非難することですね。自分の受けた苦しみを他の人にするのはよくないことです。

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