自転車壊され、「死ね」と罵声浴び…風評被害に苦しむ生徒たち 桜宮体罰問題(産経新聞)
1月上旬に大阪市教委が公表した市立桜宮高校の体罰問題は、体育系2科の入試募集中止などをめぐって物議を醸したが、2月に入り停止していた全部活動の再開が決まるなど事態は平常化に向かいつつある。
ただ、その中で気がかりなことがある。在校生への嫌がらせだ。複数の在校生によると、同校のステッカーがはられた自転車が壊されたり、登下校時に見知らぬ人から「死ね」などの罵声を浴びせられたりしたという。運動部をめぐっても、別の高校との合同練習を断られたケースがあるといい、「(体罰があった)桜宮の運動部を応援する気にはなれない」と嫌悪感を口にする別の高校の保護者もいるほどだ。
こうした“風評被害”にさらされる環境に、3年の女子生徒は取材に対しこうつぶやいた。「人目を避けるように、校名が入った通学用かばんを裏返しにしたり、別のかばんを持って登校したりする後輩もいる。このまま安穏と卒業を迎えることはできない」。後輩たちが不憫でならないといった先輩の思いやりが伝わってきた。
体罰問題で世間を騒がせた大阪の桜宮高校ですが、何でも在校生への嫌がらせや、合同練習を断られるなど他校から敬遠される動きがあるようです。この辺の動機は、どんなところにあるのやら。悪評への「穢れ」意識みたいなものもあるのでしょうか。まぁ似たような例がないわけでもないのかも知れません。原発事故後に福島ナンバーお断りと掲げたガソリンスタンドがあったとか、福島出身者が入店を拒否されたとか色々と聞きますし、日本生態系協会の会長が「福島の人とは結婚しない方がいい」などと言明したり、あるいは福島から非難してきた児童の入園が断られたり、「放射線があるから近よらないで」などと言われて福島から来た子が学校でいじめられるなどのニュースも何度となく目にしたものです。
他にも福島はおろか東北全域の農産物、あろうことが岩手の松や青森の雪すら「放射能が心配~」と言って排除の対象にしようとした人もいました。福島第一原発からは大きく距離の離れた被災地のガレキをも放射性物質が拡散する云々とデマを振りまいてはガレキ処理を妨害し、被災地復興を阻もうとした人もいるわけです。なんとも度しがたい悪意であり、このような人々の存在は同じ日本に住む一員として大いに恥ずかしく思うところですけれど、被災地の住民や産物を排除の対象とし、差別を煽っていた人は専ら自らを正義と考えていたところに、さらなる愚かさがあると言えるでしょうか。
たぶん、ここで桜宮高校の生徒までをも巻き込んで排除の対象にしようとしている人もまた、「脱原発」の人と同じような考え方の持ち主なのかも知れません。傍目には悪意を以て被災者なり(体罰とメディアスクラムの)被害者なりを叩いているだけであっても、加害者である彼らには自分たちの行為を正当化するための理由が用意されているものと思われます。それはカルトの教義よろしく部外者には理解しがたいものではある一方、本人にしてみれば普遍の真理であり共感しない人の方がおかしい、ということになっているわけです。そして自らの「正しさ」を疑わないまま、害を――しばしば困窮している人に対してこそ害をもたらすと言えます。
原発に反対していると称しつつ、その実は実態とは大きく異なる誇張どころでは済まない大嘘を垂れ流し、福島はおろか原発事故とは無関係な東北被災地全域に深刻な風評被害をもたらしてきた人もまた残念ながら少なくありません。こうした暴挙に批判的な声を上げる人もいたわけですけれど、カルト化した脱原発サークルの人間に言わせれば、「第一に責任があるのは行政と東電であり、第二に責任があるのは原発推進に加担した人々」とのことで、要するに「悪いのはアイツら」、デマを撒き散らし被災地に仇なす自分たちは悪くないと考えているようです。そうなのでしょうか? まぁ歴史的な大災害の中で事故を防げなかった電力会社等にももちろん責任はありますし民主党政府の対応も最悪に近いものでしたが、だからといって原発事故がもたらした被害とは別の被害を新たに創り出してきた人が免責されるはずがありません。福島の居住者や生産者に苦痛と損害を与えることがわかりきった行為を、悪いのは東電なのだからと言って正当化する、これが唾棄すべき振る舞いでなくて何なのか。「責任があるのは行政と東電」などとの言い分は、まさしく加害者サイドの逆ギレでしかないでしょう。
そして桜宮高校(生徒)を排除の対象にしようとしている人々もまた、似た風に考えているのだと思います。つまり、「第一に責任があるのは体罰教師と学校運営側であり、第二に責任があるのは放置してきた市政」みたいなことになっているのではないでしょうか。もちろん学校側の教育方針は見直されなければならないもの、学校教育から体罰は排されるべきものですけれど、そうした「悪」を学校が抱えていたからと言って、これを批判する過程で生徒までをも巻き込んで良いのかは問われるべきです。この辺は橋下による一方的な入試の中止命令も然りで、体罰指導を問題視する風を装いながら、実際には生徒と受験者を追い詰めただけでした。原発や電力会社を批判する旗を掲げておきながら東北の広い範囲に風評被害を振りまいた人と全く同じと言えますが、でも本人は自己正当化の論理を考えるばかりで、自分の振るまいが無辜の人に被害を与えていることなんて気にしないものなのかも知れません。
この、逼迫したまでの他罰渇望は、それだけ社会全体が余裕が無く、ストレスに晒されていて、誰かを攻撃したいという欲求が現れた結果だとすれば、末期的社会です。
管理人さんが仰る通り、自己の振る舞いがもたらす被害に無頓着はなはだしいです。あるいは恐ろしいのは、被害が出ることを分かっていながら、一時的にでも責められる相手を探すことに血道を上げている人々もいるのではないか、ということです。
リストラよろしく、組織や自己の成長や問題解決より、手っ取り早い切り捨てが最善であり、切り捨てられる側には何を言っても・しても構わない、という、今の社会の縮図を見るようでもあります。
それが一部の悪意ある人の仕業であるのならいいですが、残念ながらそうではないですからね。咎められる対象次第ではバッシングへの荷担を戒めるような人であっても、別の何か(例えば電力会社)が非難の対象であれば手段を問わないバッシングに嬉々として参加する等々、非常に好ましからぬものが根付いているなと感じるところです。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130220/dms1302201219011-n1.htm
高校無償化対象外だけでも論外なのに、北朝鮮バッシングに乗じてこういう人間(それも公人)が堂々と出てくることが日本の本当に恥ずかしい部分なのですが、これも有権者が支持するからなんでしょうね。
なんかもう、己の意に従う行動以外の事をする他人は認めないといわんばかりの方が増えている気がします。
そんなことをしないと自己が保てない位、生活が荒れている人間が増えていることの証左なのでしょうが、それならまさに、自身を苦しめている問題に向き合えばいいのに、それをしないで、一時の快楽を求めて自分に全く関係ない他罰を望む。
なぜここまで公の意識が育まれなかったのかが不思議でなりませんし、どんな罪人(しかも脳内設定上の)よりも、そちらの方がはるかに危険な気がするのですが。
世間からの受けが悪い人々を原則論(例えば「まぁ歴史的な大災害の中で事故を防げなかった電力会社等にももちろん責任はありますし民主党政府の対応も最悪に近いものでしたが、だからといって原発事故がもたらした被害とは別の被害を新たに創り出してきた人が免責されるはずがありません。」という部分ですね)でかばうと「お前は悪に加担するのか」と言われてしまう。それが怖くて叩く側に回ってしまうという感じです。
でもそれはまさしくいじめの構図と一緒の気が…。とはいえ勇気を出すことが難しいのもまたいじめの構図で見られることなわけですが。
「公」の意識が云々と喧しい人が目立つにも関わらず、その実は世間を渦巻く憎悪のままに拳を振り上げているだけ、そんな人が政治家から有権者まで、多数を占めてしまっているのですよね。有権者がダメな政治家を育て、政治家が有権者に媚を売る、負のサイクルです。
>ノエルザブレイヴさん
読者に「ウケのいい」ものも割れば「ウケの悪い」ものもありますからね。我こそは正義あるいは人権派とばかりに振る舞っていても、対象が世間の批判の的とあらばヘイトスピーチをも辞さない、そういう人も多いわけで、これもある種の「お客様重視」なのかも知れませんが……