非国民通信

ノーモア・コイズミ

台湾にも言うべきことは言わなきゃダメよ

2013-11-25 22:52:39 | 政治・国際

日本、台湾漁船に打つ手なし 漁業協定で合意急いだツケ(朝日新聞)

 【台北=冨名腰隆】5月の日台漁業委員会で、日本側が、双方の操業を認める一方で日本による取り締まり権限を放棄していない「特別協力水域」で、具体的なルールがないままに操業する台湾漁船の拿捕(だほ)などを明言していた。協定締結後、台湾漁船が自由に操業する状態が続いており、日本が有効な対抗策を打てない現実が改めて浮き彫りになった。

 日本政府は、中国と対立する尖閣諸島問題で優位に立つため、同諸島の領有権を主張する台湾に接近、大幅譲歩する形で漁業協定を結んだ。首相官邸主導で合意を急いだことが、現場の混乱を招いた。沖縄県の漁業関係者は反発している。

(中略)

 協定締結で、尖閣諸島周辺で抗議活動する台湾漁船には一定の制約ができた。だが、操業ルールが置き去りにされ、沖縄漁船が尖閣周辺へ漁に出ることはより難しくなっている。

 沖縄県与那国町漁業協同組合の中島勝治組合長は「船の数や大きさも違えば、網の入れ方も違う。トラブルを嫌がって誰も行きたがらない」と語る。9月には協定で合意した水域内で、初めて日台漁船同士の衝突事故も起きた。

 

 尖閣諸島周辺海域で台湾との衝突が絶えないのは以前からのことですけれど、国有化だの何だので火に油を注いだバカ政権が終わっても事態はなかなか好転しないようです。中国への対抗上という建前で台湾には譲渡したとのこと、むしろ中国の建前としては「台湾のものは俺のもの」なんじゃないかという気がしないでもありませんが、とりあえず日本政府は台湾と手を組んだつもりでも実際はご覧の有様というわけです。時に外交では譲渡することも必要ですけれど、お互いの利益を最大化するための「手打ち」と、特定の国に対して意地を張った結果として第三国に足下を見られるのとでは全く別ですよね。

参考、Japan is Dreaming

 しばしば、どこの「国」に属しているかで反応は大きく異なります。単に日本と「外国」で扱いを隔てるばかりではなく、ある「外国」と別の「外国」とで全く受け止め方が違ってくるわけです。例えばアメリカの軍隊が日本国内を闊歩していても何ら意に介さない一方で、隣国の軍隊が国境付近に近寄っただけで大騒ぎする人もいる等々。今回の尖閣諸島を巡る問題でもそう、中国への譲歩は絶対に受け入れられないとする一方で「台湾なら良いか」と安易に考える人が政府筋にもまたいたのではないでしょうか。もっとも、それは「中央」においてのみ通用する話で、現地の人にとっては全く異なる、アメリカ軍が駐屯しても中央の人間は気にしないけれど地元住民は違ったり、台湾への大幅譲渡を中央の人間は軽く見ていても現地の漁業関係者はやはり――なんてことは珍しくありません。

 先のIOC総会で日本のプレゼンテーションを担当した芸能人が、珍妙なアクセントで「オモテナシ」と称しては、合掌してお辞儀するという、これまた日本に育った人間からすると奇妙なパフォーマンスで好評を博しました。ハリウッド映画に出てくるようなエセ日本人の真似でもしているつもりだったのかも知れません。どうせなら、中国あたりの映画に出てくる日本人の真似をしたパフォーマンスでも良かった、日本人とフランス人のハーフではなく日本人と韓国人のハーフを代表として出席させても良かったのではと私などは思うところですが、そうではなかったのはなぜなのでしょうか。

参考、蝶々夫人と日本人

 プッチーニという作曲家がいまして、代表曲の中に日本を舞台とした「蝶々夫人」や中国を舞台にした「トゥランドット」などがあります。どちらも筋金入りの「ヨーロッパから好奇の目で見たアジア」色が濃厚であり、曲のすばらしさとは裏腹にリアリティもなければ舞台となる世界(つまり日本及び中国)への敬意など微塵もないのですけれど、日本人は「蝶々夫人」をありがたがって好んで演奏してきました。一方で中国は、西洋人による典型的なアジア人蔑視の作品だとして「トゥランドット」を長らく演奏禁止としてきたわけです。

 中国の対応は野暮とも言えますが、そっちの方が「普通かな」と思わないでもありません。自国を馬鹿にした筋書きのオペラをありがたがるより、程度はあるにせよ反発の一つもあった方が自然でしょう。ところが日本の場合、「西洋」からのカリカチュア化をむしろ喜ぶという不思議な文化があるように思います。蝶々夫人の需要がそうであるように、名誉白人の国として、白人から戯画化されることを歓迎してきた歴史があるわけです。なかなか人の良い話ではありますけれど、しかるに同じことをアジアの隣人からされた場合に日本はどう反応してきたでしょうか?

 IOCの総会に出席した「日本代表」が日本人と中国人もしくは韓国人あるいは朝鮮籍とのハーフで、それが日本語とは明らかに異なったアクセントでしゃべる、日本では見られない仕草でカリカチュア化された日本人像を披露したなら、世間の反応はどうであったか興味深いところです。日本人は、どこの国に対してでも等しく接することができたでしょうか? 特定の国には媚びへつらい、特定の国には安易に譲渡し、特定の国には過去の歴史的経緯を都合良く忘れ去る、特定の国には差別的措置を取る――国によって対応に違いがありすぎると、国際的な信頼を損ねることにもなるでしょうし、色々とつけ込まれることもあるのではないかと思いますね。

 

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コメント (2)
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