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非国民通信

ノーモア・コイズミ

都市部に建てる必要のないもの

2011-06-16 23:34:07 | ニュース

※一部、勘違いがあったので該当箇所を訂正しました。大阪には火力発電所はあります。
 反原発に好都合なウソやデマなら積極的に広めようとしたり容認したりする人を釣ってみた……わけではなく、単に私が寝ボケていただけです。失礼いたしました。

原発、本当に必要なら大阪に…橋下知事(読売新聞)

 原子力発電所の新規建設を中止する「脱原発」構想を打ち出している大阪府の橋下徹知事は13日、「もし原発が本当に必要なら、電力消費地の大阪に造るという話にして、(建設の是非を)府民に問いかけるしかない」と述べ、電力消費地の都市部がリスクを引き受けるべきだとの考えを示した。

 府庁で報道陣に話した。
 
 橋下知事は、大阪から遠い福井県に原発が集中していることから、「府民は原発を自分のこととして考えていない」と指摘。生活の快適性とリスクを比較して住民が判断するべきだとし、「原発が必要だと府民が決めて大阪湾に造るなら、それなりのリスクは覚悟しないといけない。(造る地域は)神戸とか京都でもいい」と述べた。
 
 一方、府は、福井県敦賀市の河瀬一治市長から「脱原発」構想の真意をただす公開質問状が届いた、として、13日付で橋下知事名で回答したことを発表した。原発が立地地域の活性化や雇用につながっているとの河瀬市長の主張に対し、回答書は「そのために原発を維持するというのは本末転倒の議論」としている。

 まぁ何でしょうか、原発が必要だというのなら東京に原発を建ててみろとか白面で言う人がいるわけです。馬鹿馬鹿しくて相手にする気にもなれませんが、今度は似たようなことを橋下が口にしています。こと「欲」に関しては石原慎太郎と同様の価値観を持つ人が石原に反対しているつもりの人に中にも目立つ昨今ですが、原発に対する捉え方は橋下と同レベルの人が、これまた橋下に反対しているつもりの人の中にも多いのではないでしょうかね。「(原発が)必要なら大阪に(or東京に)」云々に関しては、ガキの喧嘩みたいな理屈をいい年した大人が持ち出して恥ずかしくないのかと思わないでもありません。

 確かに大阪に原発はありません。ですが、よく考えてください。必然的に大規模にならざるを得ない発電所を、大阪のような人口密集地に建てるのは安全性云々の問題を度外視したとしても合理的なのでしょうか。都市部から遠く離れた場所に集中しているのは、別に原発だけではないのです。火力発電所だって風力発電所だって、必要とする規模が大きくなればなるほど、土地に余裕がある場所(他の土地需要と競合しにくい場所)に建てられるものなのです。だいたい人が密集する都市部には、都市部である必然性を要するもの(商業施設や、そこで働く人の住居など)が優先的に建てられるのが当たり前の話で、逆に都市のど真ん中に建てる必然性のないもの(すなわち発電所など)を都市部に建てようなんてのは、安全性云々とは関係なく狂気の沙汰と言えます。その土地を利用したいという人が逼迫しているエリア(=都市部)に敢えて発電所を建てるのか、それとも土地に余裕があり、建設が地域のメリットとなる場所へ発電所を建てるのか、マトモな人間ならどちらを選ぶかは考えるまでもないでしょう。都市部は金を動かし、産業の乏しい地域は空いた土地を活用する、持ちつ持たれつでいいのです。

 ちなみに自分の住んでいる地域では原発を動かさず、遠く離れた行政区に存在する原発から電気を送ってもらうというやり方は、実はドイツのそれと似たところがありますね。東京電力管内ではなく福島に原発を置いたり、関西電力管内ではなく福井に原発を置いたりするのは、フランスの原発に頼る脱原発先進国のドイツ方式に近いところもあるはずです。まぁ、別に自給自足を掲げて自家発電に励む必要はありません。持ちつ持たれつで構わないと思います。ただ隣の原発大国からの送電によって自国民に不自由を強いることなく脱原発を進めてきたドイツに対し、日本の場合はどうでしょうか? 敢えて震災後の電力供給に不安のある時期を狙っての脱原発は、まさしく痛みを伴う何とやらと化しています。

 この「痛み」に対して鈍感であるからこそ橋下が思い切った脱原発論へと舵を切れる側面もあるとは先日述べたところですけれど、痛みを被る側の府民はどうなのでしょう。原発がもたらす地域の活性化や雇用(言うまでもなく、これは火力発電所や補助金漬けの風力発電所の場合にも発生しうることです)は府民には無関係なのかも知れませんが、発電所を止めた結果としての電力不足は府民にも否応なく襲いかかってくるわけです。生活や産業などあらゆる方面に関わる社会インフラとしての電力供給を、より安全で安定したものにすべく最良の方式を模索していこうというのなら理解できますけれど、脱原発のために住民の生活が犠牲になっても構わないというのであれば、それこそ本末転倒のはずです。大阪に限らずどこの有権者も「悪者」を叩くのに熱心な政治家が大好きなようですが、もうちょっと考えるべきことがあるのではないでしょうかね。

 

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 ちなみに橋下に関しては、下記の思いつきをぶち上げたりもしていたようです。菅の方針にも沿うとのことですが、「平均約200万円の設置費用は自己負担」とは自宅を新築しようとする人にとっても決して安い金額ではないでしょう。そもそも家庭向けの太陽光発電なんてのは、訪問販売がらみが少なくないにせよ「話が違う」と国民生活センター等へ苦情が続出した代物でもあります。売り込みを図る側の想定通りに発電してくれるかなんてのは運任せ、現時点では「エコに努めてます」みたいなアピールにはなっても経済性は甚だ微妙な代物です。それでも未来への投資として太陽光パネルの設置に補助金を出すというのなら一概に否定はしませんが、義務化というのは論外です。まぁ、何でも強制が好きな知事ですし、国旗/国歌がらみの強制には否定的でも原発関係なら強制的措置を取るべしと叫ぶ人も少なくないご時世ですから……

橋下知事、新築住宅に太陽光パネル義務化検討(読売新聞)

 大阪府の橋下徹知事は26日、新築住宅の購入世帯に対し、太陽光パネル設置を義務づける制度の創設を検討する考えを示した。

 原子力発電に代わる自然エネルギーの普及が狙い。全国にも例がなく、実現すれば菅首相が25日夕(日本時間26日未明)、経済協力開発機構(OECD、本部・パリ)での演説で表明した「日本中の約1000万戸の屋根に太陽光パネル設置を目指す」との方針にも沿うことになる。
 
 関西広域連合の会合で表明した。知事の構想では、新築住宅の屋根に太陽光パネルを取り付けることを条例で義務化し、平均約200万円の設置費用は自己負担とする。十分な面積のパネル設置が難しいマンションの購入者に対しては、代わりに負担金を徴収し、既存住宅のパネル設置を促すための補助金財源に充てることも検討する。

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「影」の部分も考えよう

2011-06-14 22:48:17 | ニュース

東日本大震災3カ月 生産復旧 電力の壁 関電節電、西日本に停滞波及(産経新聞)

 全国規模で広がる電力不足が、東日本大震災から3カ月を迎える日本経済の重い足かせとなっている。10日には関西電力が15%の節電を要請し、東日本から西日本への生産などのシフトを進めてきた企業を直撃した。震災被害や電力不足で停滞する東日本をカバーし、牽引(けんいん)役を期待されていた西日本の生産活動も縮小すれば、復興も停滞しかねない。企業の海外移転による空洞化が加速する懸念もある。

                   ◇

 「今後、影響を精査してこのまま計画を進めるか修正するかを決めたい」。富士通では、関電の節電要請に困惑の色を隠さない。

 同社では、東京電力管内の電力不足に対応し、東京・蒲田と川崎市のシステム開発拠点にあるサーバー約1万台のうち最大3600台を6月末までに兵庫県と富山県のデータセンターに移す作業の真っ最中。「移転先でも十分な電力を確保できるのか」。今後の対応の検討に追われている。

 サーバーを保管するデータセンターは機器の過熱を防ぐ冷房に大量の電力を消費する。停電でデータが消失するリスクを回避するため、西日本のセンターに管理を委託する動きが広がっているが、「節電要請が全国に広がれば海外に移すしかなくなる」(IT大手)と苦慮している。

 生産シフトを進めていたメーカー各社も、計画の修正を余儀なくされる恐れがある。

 伊藤ハムでは、主力の西宮工場(兵庫県)など関電管内の3工場に東日本から一部生産を移す予定だった。夜間や日曜の工場稼働など新たな節電対策の検討を始めたが、「生産移転は白紙になる可能性もある」(同社)と頭を抱える。

 資生堂は、7~9月に東電管内の鎌倉工場(神奈川県)と久喜工場(埼玉県)から一部品目を移管する予定だった大阪工場(大阪市)について、節電対応の調査に着手。兵庫県に製鉄所が集中する神戸製鋼所は、夜間への生産シフトの検討を始めた。

 さて、必然的な動きが出ています。当初、電力不足が見込まれるのは東日本だけでしたが、しかるに西日本でも電力不足となるのが必至、東京一極集中から西日本への分散化という対策を立てた企業も計画変更を余儀なくされているようです。こうなると土日祝日や夜間へのシフト、そして海外移転を加速させるという結果にならざるを得ません。ただでさえ海外移転が進んでいる中で、新たに電力事情が企業の背中を後押しするような状況ともなれば、今まで水漏れのようなものであった雇用の流出が今度は堤防が決壊したかの如き勢いへと変わることもあり得るでしょう。そして労働者は深夜労働や休日労働へと駆り出されたり、最悪の場合は失職したりするわけです。自分が職を失う可能性など考えたこともない驕れる中産階級や、あるいは不都合なことは何でも中国人や韓国人原発や電力会社のせいにしてしまえば納得できる人も少なくないのかも知れませんが、現実問題として割を食わされる人も少なくない、こういう部分が蔑ろにされるようなことはあって欲しくないと思います。

 電力は足りる、と机上の空論を振りかざす人もいます。その中身はと言えば、あまりにも甘すぎる想定に基づいた代物でしかなかったりしますが、まぁ何であれ売り込みを図る側は自説に好都合な部分しか見せようとしないものです。この辺の売り文句を鵜呑みにして失敗する人もいて、それが後から訴訟沙汰になったりすることもあるのは先日のエントリで取り上げたところでもあります。とはいえ訴訟に勝っても失敗が挽回できるはずもない、だから「そう都合良くはいかないだろう」と自主的にリスクを勘案して「備え」を取るところもあるわけです。上で名前の挙がった企業はこのパターン、「電力は足りる」という威勢のいい言葉を鵜呑みにはせず、足りない場合をも想定して対策を練らざるを得ないのでしょう。こと世論上は、対策を取るより失敗という結果を目にしてから「そら見たことか、やっぱりダメだったじゃないか」と後ろ向きの予言に走る人が多いですけれど、こんな真似をしていては組織が潰れますから。

 ちなみに電力需給に関する見解は、おおよそ3パターンに分けられると思います。「元から(原発がなくとも)電力は足りてるよ派」と「節電すれば足りるよ派」、「節電したって危ないよ派」ですかね。そこで「節電すれば足りるよ派」の場合、節電に励む企業には割と肯定的だったりします。節電と称して電気代を節約しているだけだったり(参考)、利用者(とりわけ弱者)に不便を強いたり(参考)、労働環境を著しく悪化させたり、あるいは自前の設備で発電した電気を顧客や自社従業員のためには使わず売却に回すという飢餓輸出に走ったり等々(参考)困った企業は後を絶ちませんが、節電に協力的な企業は脱原発にも協力的と期待してしまうのか、決して否定的な目を向けてはいないようです(道徳家にとっては人々に忍耐を強いることではなく、儲けることこそが「悪」なのでしょう)。しかるに「元から電力は足りてるよ派」が、この節電に励む企業をどう評するのかは興味深いところです。節電に励むことはすなわち、節電しないと電力が不足するという現状認識を如実に示すものでもあります。節電にいそしむ人々の存在は「原発がなくとも元から電力は足りている」という彼らの世界観を覆すものでもあるはずですが――


[CML 009327] 共産党 原発政策を転換か? 共産党のこれまでの主張と吉田万三さんの「脱原発」宣言

私の知っている東京在住のある共産党員の若手弁護士は先にあった東京都知事選と関連させて共産党の原発政策のあいまいさについて次のような感想を述べています。

「小池さんの選挙で歯がゆかったのは、すっりと脱原発と言い切っているようには聞こえないことです。安全神話問題から始まり、最後の方になってようやく、自然エネルギーへの転換が出てきます。これでは現代人のペース・理解力には合わないのではないでしょうか。新聞報道では、ワタミの人の方が反原発論者で、小池さんの言っていることは要約されるとよく分かりません。/また、東京では連日のように反原発のデモ・行動が行われていますが、赤旗では報道されません。今の反原発の波に乗れなかったことが、敗因の一つではないでしょうか。/ドイツの緑の党の躍進と対照的ですね。」

この若手弁護士は、共産党が「反原発」政策を明確に述べなかったことが都知事選「敗因の一つ」ではなかったかと分析しています。比喩的に言えば共産党が「反原発」政策を明確に述べなかったことが「東京都民の半数近くを敵に回す」ことになった、と同若手弁護士は分析しているということです。○○さんの分析とはまったく逆の分析ということになりますね。

 某所でこのような書き込みがあったわけで、まぁ今となっては共産党も世論の熱狂に引きずられているフシも少なからず見受けられるのですけれど、人によっては共産党の原発に対する姿勢が生ぬるいと不満を持っているようです。まぁ、うちの選挙区の共産党議員でも若い人は割と猛々しく原発を非難していますけれど、配っているビラに書いてあった放射線量は随分と大人しいものでした。「放射能汚染」と銘打った割には自然放射線量を差し引けば「気にするほどの放射線量は検出されていない」と判断できそうな代物です。もちろん0でなければ「汚染されている!」と大騒ぎする人もいるのでしょうけれど、どこで計ったのか条件は元より真偽すらも不確かな放射線量を引き合いに出すような週刊誌報道と比べれば物足りないと感じる人も多いのかも知れません。もっと公務員の人件費を高く算出してほしい放射線量を高く発表してほしいと願う人からすれば、共産党の姿勢を歯がゆく思うものなのでしょう。

 さて「あいまい」とされた共産党候補の小池氏に対し、引き合いに出されたのは民主党が推したワタミの社長で、そっちの方が明確な反原発論者だったと評されています。まぁ「脱原発が第一」の人からすれば、そういうものなのでしょう。ならば、どうしてワタミの社長が小池氏とは違って明確な反原発論者となれたのか、その辺は考えてみる余地があると思います。

 ヒントになるのは、ワタミの社長と同様に威勢の良い反原発論者である大阪の橋下の存在です。橋下もまた、小池晃よりも立場は明確と言えます。なぜでしょうか。それはつまり、昨今の反原発論の煽りを食らう人々への配慮の有無が違いを産んでいるようにも思います。ワタミの社長も橋下も、自らの政策のウケの良さは気にしますけれど、その人気政策が実行される影で切り捨てられる人の「痛み」など省みようともしないわけです。だからこそ、思い切ったことが言えるのです。昨今の流行の中で脱原発を叫ぶのは簡単ですが、それを実現に移したときの犠牲は決して小さいものではありません。この小さなくない「痛み」を住民に強いることに躊躇いを感じる人であれば、必然的に慎重な態度に終始せざるを得ないでしょう。一方で「痛み」を「耐えよ」とばかりに一蹴してしまうような人物であれば、自らの政策の「影」になる部分など考えません。反原発を叫ぶときの思い切りの良さは、政治家あるいは政党としての責任感の欠如の度合いに比例します。そして責任感に欠ける政治家を台頭させようとする気運は、左右問わず広がりつつあります。

 

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明日は明日の風が吹く

2011-06-12 22:30:34 | ニュース

国内最大の新出雲風力発電所再開へ 事故乗り越え(朝日新聞)

 島根半島に直径90メートルの巨大な風車を林立させる新出雲風力発電所(島根県出雲市小津町)は、国内最大の出力7万8千キロワット(3千キロワットが計26基)を誇る。東日本大震災による福島第一原発の事故で、自然エネルギーに期待が集まるが、事故が相次いで思うような成果が上がっていない。

 発電所は2009年4月に営業運転を始めた。最初の事故は、半年後の10月8日。台風に伴う強風で1基の装置に不具合が起き、羽根(ブレード)を破損した。さらに1基が落雷を受け、別の1基も風車を支えるタワーにブレードが接触して破損した。

 11月4日にも1基のブレードがタワーに接触、26基すべての運転を停止した。

 10年7月から順次、運転を再開したが、12月27日には、以前に事故を起こした2基のブレードがタワーに接触、再び全基を停止した。

 発電所を運営するユーラスエナジージャパン工務部の長谷川幸司・島根事業所長によると、地形の影響で、乱れた風を受けたのが事故の原因という。風車の上部よりも強い風を下部に受け、ブレードが大きくたわんでタワーに接触したと分析している。


「回らない風車」訴訟、早大への賠償命令確定 最高裁(朝日新聞)

 小中学校に設置された発電用の風車が計画通りに回らなかったとして、茨城県つくば市が風車を設計した早稲田大学などに設置費用約3億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は、つくば市と早大の双方の上告を退ける決定をした。9日付。約9千万円を支払うよう早大に命じた二審・東京高裁判決が確定した。

 二審判決によると、同市は風車の電力を売って地域の活性化につなげようと計画。ところが肝心の風車が回らず、発電量が計画を大きく下回った。同市は環境省からの交付金1億8500万円を返還したうえで、早大と風車メーカー(大阪市)を訴えていた。

 二審判決は「つくば市への説明を怠った」として早大の過失を3割認めた一方、同市についても「計画通りに実現するか容易に疑問を抱けた」と7割の過失を認定していた。メーカーの賠償責任は認めず、最高裁も同市の上告を退けた。

 さて、いわゆる再生可能エネルギーに分類されるものでは現時点で最も採算性が高いと言われる風力発電ですが、その稼働率は甚だ微妙なところです。落雷や台風が多く風量の変動も激しい日本の場合、他所の国よりも風力発電はハードルが高いのではないでしょうかね。ともあれ発電設備に限らず何であれ売り込みを図る側は、往々にして自分に都合の良いことしか言わないもので、「これでばっちりですよ」という売り文句を真に受けて契約を結べば後から後悔することは必至です。だから営業が語りたがらないデメリットの部分も勘案しながら、良い面と悪い面を総合的に鑑みた上で導入を検討しなければならないように思えるのですが、実態はどれほどのものでしょう。最高裁第一小法廷は説明を怠ったとして早大の過失を認める一方で、つくば市に対しても「計画通りに実現するか容易に疑問を抱けた」と指摘しています。風力発電なんですから文字通り風任せ、設計者の思惑通りに動作してくれるかなんて空に聞くしかない代物です。そこは思惑通りに風が吹かなかった事態を導入する自治体の側も想定すべきだったと判断されたようです。

 まぁ、風車がガンガン回れば回ったで、これまた設計側の想定を超えた騒音被害が頻発しているのもまた風力発電です(洋上に置けば万事解決みたいに語る人もいますが、そうしたら今度はコストやメンテナンスの問題、漁業や船舶への影響など新たな問題も出てきます)。つくば市の風車が想定通りに回ったら、今度は風車からの低周波で健康を害する児童が続出していた可能性もあります。とかくクリーンなイメージの強い風力発電ですけれど、課題は山積みなのです。しかるにクリーンなイメージが強いだけに、反対の声も上げづらいのが実態ではないでしょうか。まれに風力発電による健康被害の訴えを取り上げた記事もあったわけですが(参考)、こういう訴えを「再生可能エネルギーに冷水を浴びせるような記事」と切り捨て、挙げ句の果てに広告主の企業のご機嫌を取るためだ得意の陰謀論に結びつける輩もいるのですから救いようがありません。風車を企業ではなく市民団体が設置しているとでも思っているのか?とでもツッコミを入れたくなるところですが、まぁ原発「以外」の発電手段に対する批判的な見解は今後ますます、隅に追いやられていくことでしょう。そのような状況こそ私が最も嫌悪するところですが、脱原発という大義名分の中では風車の騒音被害に苦しむ人などは小異として黙殺されていくものなのかも知れません。


ザ・特集:悩む原子力専攻学生(毎日新聞)

 原子力に未来はあるのか--。福島第1原発で起きた最悪の事故は、この国の原子力産業の先行きに暗い影を落としている。そうしたなか、この国の未来を切り開くエネルギーであると信じて、原子力を専攻する学生たちの目に、今回の事故はどう映っているのか。若き原子力エリートの悩める心に迫った。

(中略)

 福島問題の関心の高さを示すように、この日のフォーラムでは活発な質疑応答が繰り広げられた。その多くは、放射線量の単位など専門的な知見に関するものだった。そして、最後に4列目に座っていた横浜市の会社員(49)が質問に立ち、こう切り出した。「原子力は長期的に日本のためになるかどうか。ご意見をお持ちであればお聞かせ願いたい」。空気の流れが少し変わった。
 
 壇上の学生たちが顔を見合わせる。押し出されるようにしてマイクを握った杉山さんは「私が大事だと思っているのは、0か100か、という強い議論に押されることなく、総合的に今後のあり方を考えていくことです」と答えた。緊張した様子が見て取れた。これで時間切れだった。

(中略)

 「それでも」と寺井教授は言葉を継いだ。「5年ほど前から、世界的なエコエネルギーの潮流に乗って原子力が見直され始め、『原子力ルネサンス』なんて呼ばれていたのですよ。やっと風向きが変わってきたと思っていたところに、今回の福島の事故が水を差してしまった。主に米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第1原発は津波の想定が甘かったのです。女川原発は被災した住民が避難してきたというのに……」と悔やむ。言葉の端々から、米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた。

 まぁ、「今」の時点で風力発電が使い物にならないとしても、将来的には諸々の課題が克服されて安全で安定したものになることもあるでしょう(残念ながら近い未来ではないと思いますが)。ただ、現時点で抱えている課題が克服される可能性があるのは別に風力や太陽光発電に限ったことではありません。火力などの化石燃料発電でも効率は上がっていますし、それは原子力に関しても同様です。現に電源を喪失した場合でも原子炉を冷却できるような機構は既にできあがっており、福島第一原発で起こったような事態を防ぐことは難しくないわけです。今までの常識を覆すような画期的に安全で安定した風力発電の方法が生み出されることもあれば、やはり従来とは比べものにならない画期的に安全で高効率の原子力発電手段が実用化されることも将来的にはあり得る、その中で最も状況に適したものを選ぶべきだと思うのですが――しかるに原子力研究が、あたかも「敵性学問」みたいに扱われがちな辺り、薄ら寒いものを感じます。

 中頃に登場する横浜市の会社員(49)は、いかにも自分に酔っている様子で山本太郎と似たような気持ち悪さを感じさせます。引用記事自体が「原子力に未来はあるのか--」という問いかけならぬ反語で始まっている辺り、ブルジョワ新聞の記者としては「我が意を得たり」といったところだったのかも知れません。正直、答える必要のない問いであるようにも思います。原子力に未来はあるのか、日本のためになるのか、そこに急いで結論を下し、研究することにさえも否定的な目を向けようとすることこそ野蛮と言われるべきではないでしょうか。ちょっと風向きが悪くなれば全否定して葬り去ろうとする、そういう態度が新しい技術の誕生を阻害するものです。確実に成果が出るとわかっている研究しか認められないのであれば、それこそ風力だって太陽光だって怪しい代物になってしまうのですから。

 ちなみにサラッと触れられている女川原発、指定の避難場所ではないにも関わらず、少なからぬ被災者が避難しています。そりゃまぁ周りの他の施設に比べれば災害への備えが厳重に決まっていますから、他所にいるよりも原発の施設内にいた方が安全だったということでしょう。ことによると浜岡原発を止めろと騒いでいた人が最も恐れるのは、浜岡が福島第一のようになることではなく、この女川のようになることだったのではないかという気がしないでもありません。まぁ、運が良かったところもあると思います。ただ、福島第一のような事態を防ぐことは不可能ではないということも意識はすべきでしょう。取材を受けた寺井教授は「米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第一原発は津波の想定が甘かった」と述べ、これを毎日新聞は「米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた」と評していますけれど、いうまでもなく事実を語っているのは寺井氏の方です。福島第一原発建設当時は国内メーカーにノウハウがなく、米GEの言うがままに作っただけ、日本の事情に合わせた変更を利かせるだけの技術の蓄積がなかったわけです。たぶん、福島第一原発はもっと早い段階で廃炉とし、新しい原発に置き換えられるべきだったのではないかという気がしますね。原発の一切合切を含めて全否定するのではなく、古い原発、それもアメリカ仕様そのままの原発を引っ張り続けたことの方が(こうなった理由は電力会社のみに帰せられるものではないはずです)、本当は批判されるべきなのではないでしょうか。

参考、「地下に非常電源」米設計裏目に ハリケーン対策だった(朝日新聞)

 

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権力の側だけが変わるのではないと思うのだ

2011-06-10 23:47:29 | ニュース

権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験(WIRED VISION)

権力者が正しくない行動をするというニュースは大量にある。彼らが、自分より地位が下にある者に対して横暴にふるまい、権力をかさにとった性的行動をとったりすることは、気が重くなることではあるが、驚くことではまったくない。問題は、このようなひどい行ないはなぜ起こるのかということだ。権力はなぜ堕落するのだろう?

心理学者たちによると、権力者の問題のひとつは、他者の状況や感情に対する共感性が低くなることだという。いくつかの研究によれば、権力的な地位にある人は、ほかの人を判断する際に、ステレオタイプ的な判断を行ないやすく、一般化しやすいという。

(中略)

人間は大抵の場合、正しい行ないは何か(ズルは悪だということ)を知っているが、自分が権力を手にしていると感じると、倫理的な過ちを正当化しやすくなる。例えば、約束の時間に遅れてスピード違反をする行為について、両グループの被験者に評価をさせたところ、権力を想起したグループは、その行為をする当事者が自分ではなく他人であった場合に、より厳しい評価を下す傾向を一貫して示した。つまり、ほかの者は法律に従うべきだが、自分は重要な人物であり重要な行動をしているので、スピード違反にも適切な理由がある、と感じやすいというのだ。

 まぁ、とかく勧善懲悪的な世界観への傾倒を深める昨今の世論を鑑みれば、ここで引用したような類の説明は受け入れられやすいのではないでしょうか。これもバーナム効果の一つなのかも知れませんが、当てはまりそうな事例は容易に思い浮かびます。単純に権力「者」という個人の場合もさることながら、自分が権力者になったような気分、自分が多数派である、自分が世間の支持を得ていると感じている人々にもまた、「堕落する権力者」的なものは備わっている気がします。典型的なのが脱原発/反原発論の盛り上がりに乗っている人々で、そのデマゴーグぶりや独善家ぶりには呆れるほかありませんが、かつてはもうちょっと分別があってメインストリームから外れた部分にも配慮できる人々ではなかったかと私には思われるのです。多数派の傲り、ヒステリーと憎悪、十字軍的あるいはボリシェヴィキ的な正義感や陰謀論に占領された脱原発論を前にすると私は、そこに堕落する権力を見いださざるを得ません。

 でも、少し考え直してみましょう。本当に権力(もしくは多数派的な地位を占めるに到ったムーブメント)は堕落したのでしょうか。権力を得るに到った人が変わってしまったのではなく、それを評価する我々の目線が変わった可能性もあるはずです。例えば農水相に任命された途端、金銭問題を蒸し返されてわずか8日で辞任に到った人がいます。彼が大臣の座についた、すなわち権力を手にしたゆえに堕落したと考えるのは、かなり無理があるはずです。ただヒラ議員のしょっぱい金銭疑惑などニュースバリューがないけれど大臣となると話は別だと、そう周りが判断した結果として彼の醜い部分が大きく取り沙汰されるようになっただけのことでしょう。小沢一郎の政治資金問題も然り、自民党が盤石であった時代、氏の献金問題を追及してきたのは共産党だけ、至ってローカルな話だったわけです。しかるに次の選挙で民主党が勝つのが確実、すなわち小沢がトップに立つのが確実な情勢となるや、小沢の政治資金が持つニュースバリューは飛躍的に跳ね上がりました。小沢が急に金に汚い政治家になったのではなく、周りの注目度が上がった、そうすることで醜い部分にも光が当てられるようになった、そしてあたかも堕落したかの如き印象を与える結果になったのだと言えます。

 「堕落する権力者」のイメージは、周囲の勝手な期待と現実との落差によって生み出されるのかも知れません。往々にして世論は政府与党の悪い部分に関心を払っても、追求する側の人間の汚い部分にはあまり関心を持たないものです(まぁ肝心なのは与党であって野党はあくまで野党ですから、与党に注視するのは間違っていません)。だから意気揚々と政府与党を追求している限り、与党議員とは違ってクリーンな人だと、そう批判する側の人間に世間は期待をかけるわけです。ところが批判する側の人間も、いざ自らが責任を負うべき側に立つとなると物事は簡単には進みません。気楽な野党時代とは比べものにならない注目と、「結果」への要求が突きつけられます。そうなると野党時代には自分の良いところだけアピールしていれば済んだものが、与党(=権力)になると悪いところまでを世間に晒すことになる、この結果として権力を得たが故に堕落したかの如き錯覚が生まれるのではないでしょうか。

 民主党に裏切られたと感じている人は、とりわけネット上で政治を語る人の中には多いと思います。ただ民主党が政権交代後に変節したか、堕落したかと問われれば、それは違うと断言できます。民主党とは、元からこういう政党だったのだ、と。ただ周りが政権交代への熱狂に駆られて、民主党を頭の中で勝手に美化していっただけ、それが与党となった民主党の一挙一動が注目されるとなるや、否応なしに民主党が出した「結果」に向き合わざるを得なくなり、頭の中で作られた理想の民主党像と現実の民主党の中の食い違いが大きくなる、ゆえに裏切られた、堕落した、変節したと感じてしまうものなのではないでしょうか。民主党が有権者を騙したのではない、周りが勝手に民主党を信じたのだと、私はそう思うのです。

 だから私も反省しています。もちろん民主党は一度たりとも支持したことがありませんが(だって私の住む自治体では一貫して自民党と組んでる万年与党ですし)、その他の面では勝手に期待をかけ、勝手に信じてきた部分もありますから。たとえばJALのリストラに反対の声を上げてきた人なら労働者の権利をわかってくれるだろうと勝手に期待していたものですが、東電を初めとした電力会社に突きつけられたリストラ要求を前には沈黙を続ける人が大半です。あるいは公務員叩きのトリックを見抜ける人にも私は勝手に期待していたものですが、放射線濃度や影響の度合いを高く見せかけるトリックには乗る人の方が多いようです。それからネットのコピペには乗らず真偽を確認できるような人にも勝手に期待していたものですが、しかるに「原発がどんなものか知ってほしい」みたいな怪文書を自ら広めようとしていたり。他にも人権意識が高い人と思いきや、反原発や節電の煽りを受ける弱者の立場はまるで無視、国旗国歌の強制には反対しながら原発周辺域からの強制移住や強制疎開を主張していたり等々(それがどれほど住民にとって重い負担かを考えたことはあるのでしょうか)。片方の手で脅威を煽っておきながら、もう片方の手で救いを差し出しているかのごとく装う、典型的なマッチポンプとして振る舞う人の姿を見ることも多くなり、私は大いに失望しているところです。自分が嫌悪する対象を貶めるためなら平気で嘘を吐く、それでは在特会レベルと何が違うのか―― でもそれは私が相手の勝手なイメージを抱いていただけの話です。原発事故後に私が信頼していた人が堕落したわけでなく、事故以前の私の思い込みが間違っていたのでしょう。その辺り、私は大いに反省しています。

 さて、この「勝手な期待」と現実との落差で、今後は評価を落とすであろうものの一つとして、いわゆる再生可能エネルギーが挙げられると思います。原発に対する否定的な評価への反動として風力や太陽光、地熱といった再生可能エネルギーの類が過剰に持ち上げられているわけですけれど、反原発論者が示唆するように原発さえ潰せば再生可能エネルギーが伸びてくると言うものではありません。上で触れたように期待と現実の落差が世論を反動化させる可能性は高い、いずれは今の民主党に対して世間が抱いているような失望感が再生可能エネルギーに対しても向けられることになるのではないでしょうか。そうなることは再生可能エネルギーにとっても不幸なことです。

 再生可能エネルギーの実現や効率の上昇に向けて日夜研究が続けられていく中で、あたかもそれが簡単に出来る、もうできあがっていることであるかのごとくに語る輩もいます。それは新技術の実用化に向けて頑張っている人をバカにした話であるようにも思われるのですが、その筋の人の頭の中ではそういうことになっているのでしょう。ただ技術的な問題は「いつか」解消するとしても(少なくともそれは今から新しく作った原発が寿命を迎えるくらいの時間は要することでしょうけれど)、お金が動く限り絶対に「利権」が発生することだけは間違いのないところです。原発だから利権が発生する、他は道徳的にクリーンな発電方法である、なんてことはあり得ません。「稼働率が上がれば地元経済への波及効果があるだろう」として火力発電所の稼働率アップを要求し続けてきた自治体首長もいますし、風力発電所だってガンガン補助金が投入されているわけです。お金が動く限り、そこで「おいしい思い」をする人は絶対に出てくるものなのです。そして何かと原発の「粗」が探される昨今ですけれど、それは政府与党の「粗」が探されるのと同じです。かつてはクリーンであると思い込まれていた野党が、いざ与党となってみると汚い部分が次々と明るみに出ていくように、原発「以外」の発電手段であっても必然的なこととして、その注目が高まるほどダメな部分へと光が当てられることになるでしょう。そこで「堕落した」かの如き評価をされ、道徳的に断罪されたり事業仕分の対象にされるようであれば、現行の発電手段に代わる新たなものは永遠に生まれてこないと言えます。

 

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KDDIは電気代を4割節約するようです

2011-06-06 22:44:01 | ニュース

社員の4割、午後は在宅勤務 KDDI、節電対策で今夏(朝日新聞)

 KDDIは7月から9月にかけ、夏の節電対策として、早朝から半日は職場で働き、午後は在宅勤務とする独自のサマータイム制を導入する。終日在宅の勤務も併用し、国内約1万2千人の社員のうち、4割が午後は在宅勤務をする。昨夏のピーク時に比べ本社ビルの消費電力の約4割削減を見込む。

 午前9時からの始業時間を早めて、「午前7時から正午」と「午前8時から午後1時」の2通りの勤務を設け、午後は2時間半の在宅勤務にする。打ち合わせなどが多い職場には午前に出社して午後は在宅勤務、研究や企画部門などには終日の在宅勤務を勧める。

 一部の職場では通常勤務を続けるが、気温が高く空調使用が増えがちな午後は、全体の4割の社員が在宅で働く。

 杓子定規に職歴を履歴書に書き込むと行数が足りなくなる私ですが、昨年暮れより職を転々とすること十数年にして初めて労組の存在する会社で働くことになりました。正社員として働いたブラック企業に労組がないのは普通のこととして、非正規で働いた中には大企業もあったわけですけれど、大企業と言っても労組があるとは限りません。これだけ職場を渡り歩いているのに一度も労組を目にしたことがないとなると「労組なんて都市伝説なんじゃないか?」とすら思えてきたものですが、ようやく労組の実在を確認することが出来ました。とは言っても、私が働く営業部門には労組が存在せず、工場部門にのみ限定された小さな組合があるだけみたいなのですが。まぁいつの日か、直に目にすることが出来たらいいなと思います。

 それはさておき営業部門では節電のため空調が切られるなど、それなりに不快な職場環境が構築されている昨今です。ただ営業部門、というよりホワイトカラーの部門はマシな方なのかも知れません。都心から離れた工場の全てが自前の発電装置を完備しているはずもなく、必然的に計画停電なり電力不足の影響を深刻に受けました。生産部門が止まると営業部門も当然ながらピンチなのですが、ともあれ平日昼間に操業できなかった分を工場によっては残業や休日出勤で補う動きもあったわけです。今のところは小康状態ですけれど、夏場に向けてはどうでしょうか。製造業を中心に各地でピークシフトの動きが進んでいるようですが、これは私にとっても他人事では済まされません。ピークシフトで休日労働や深夜労働に駆り出され、真っ先に割を食うのは工場部門ですけれど、こっちだっていつまでホワイトカラーでいられるかわかったものではありませんし、営業部門だって製造部門との連携は必須ですから。

 さてKDDIもまた始業時間を早めたり午後は在宅勤務をさせるなどの節電策を採るそうです。KDDIとは職務上で多少の接点もありますので、そのうち実体験に基づいたレポでも書ければと思いますが、ともあれKDDIでは出社時間が早朝にずれ込むようです。そうなると取引先各社もKDDIの勤務時間に合わせることが求められて、結果的に幅広い事業者を巻き込んだ労働時間の延長が懸念されます。まぁ、出社が早まった分だけ午後は在宅勤務ということで退社は早まるようですが、実質的な終業時間はどうなのでしょう。KDDI社員は始業が2時間早まった分だけ、2時間早めに仕事を切り上げたいところかも知れません。しかし、KDDIの取引先企業はその限りではないわけです。取引先企業の就業時間を過ぎるまでは、遠慮なく仕事の電話が飛んでくることでしょう。日本全体でサマータイムを導入した場合でさえ労働(拘束)時間の実質的な延長が懸念されていたものですし、小規模な実験でもその懸念を裏付ける結果が相次いだはずです。これを個別の企業が独自に行うとなれば結果は言うまでもありません。出社の時間は早まるけれど、仕事が終わる時間は変わらない……

 在宅勤務となると、それに伴って必要となる道具や環境はどうなるのでしょうか、つまり会社とやりとりをするための通信装置やPC、各種備品類ですね。元よりKDDIであれば私が職務上で関わりうる範囲の人は例外なく携帯電話を会社から支給されているので、この辺はたぶん問題なさそうですし、業務用のPCもさすがに支給されるでしょう。そうしないとセキュリティ上、甚だしく問題がありますから。でも通信回線は? それから書類を印刷するプリンタや用紙、筆記具などの事務用品はどうでしょう。在宅勤務に伴い、社員が自前で用意せざるをえない部分も多少は出てくるような気がします。KDDIならその辺の負担分は実費で支給してくれるのかも知れません。しかしただ一つだけ、絶対にKDDIが負担しないであろうものがあります。

 在宅勤務のために必要な用具や設備は、とりあえずKDDIなら9割方は会社が支給してくれるでしょう。ただし、これだけは在宅勤務となった従業員が自前で負担するに違いないと思えるものがあります。それは「電気代」です。在宅勤務の社員はKDDIから支給された携帯電話とKDDIから支給されたPCで仕事をするにしても、仕事を持ち込んだ自宅の電気代――すなわちPCなり照明なり空調なりに費やされる電気代は、個人が支払うことになるのではないでしょうか。KDDIは「昨夏のピーク時に比べ本社ビルの消費電力の約4割削減を見込む」そうで、どうにも仕事を家に持ち帰った社員が自宅で消費する電力を勘定に含めているとはとうてい考えられません。特定の部署を空にしてしまえば空調や照明を切れる、それで節電できると思い込みがちですけれど、仕事と一緒に家に帰された従業員は代わりに自宅で電気を使うのです。KDDIが消費する電力量は確実に減るのでしょう。ただし、KDDI社員が自宅で消費する電力量は増えます。合計してみると???

 節電にかこつけて、実は電気代や各種経費の節約などコストカットに走っている企業も多いような気がします。うちの地元の銀行は長らくATMを全面停止していまして、最近になってようやく「昼間のピーク時間帯に限定して」稼働させています。まぁ引き出しはコンビニでも出来るので問題ないにせよ通帳記入ができないのが困りものです。これが都市銀行ならATMが使えずとも勤務先周辺の支店で通帳記入できるのですが、地銀の悲しさ、家の近所にしか支店はなく、家の近くに戻る頃となると銀行支店もATMもとっくに閉まっているわけです。利用者としては弱ったものですが、銀行側からすれば格好のコスト削減が出来ている側面もあるでしょう。他にも節電にかこつけて空調を止めたり減便を推し進めている電鉄会社なんかも、それなりにコスト削減へと繋がっているはずです。本来こういうことをすれば銀行なり電鉄会社なりに不満の声が向かうものですが、しかるに節電のためと語ることで利用者の不満は抑え込まれ、あろうことか会社側が賞賛されがちだったりします。そして利用者だけではなく、従業員にも忍耐を求めるケースは当然ながら多い、節電のためとして空調を切ったり勤務時間を動かしたり等々、今回取り上げたKDDIもその一つとして該当しそうです。その実は利用者や労働者に我慢を強いておきながら、対外的にはさも「節電に協力しています、社会貢献しています」みたいな顔をしている企業には、ちょっと疑いの目を向けて見ることも必要ではないでしょうかね。

 

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こんな調子で人員削減が進められてはたまらない

2011-06-04 23:02:42 | ニュース

「中電のリストラでやって」 岡田氏、燃料費増加分負担を拒否(中日新聞)

 中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の全面停止を受け、夏場の電力不足が心配される愛知県の大村秀章知事ら中電管内5県の幹部が31日、衆議院本館に民主党の岡田克也幹事長らを訪ね、電力の安定供給の確保をあらためて要請した。電気料金値上げにつながる懸念から、火力発電への切り替えに伴う中電の燃料コスト増加分を国が負担するよう求めたが、岡田幹事長は「中電のリストラでやってほしい」と拒否した。

 停止した原発分を火力発電で補うと中電の燃料コストは2500億円増加するとされる。大村知事は「浜岡は法律に基づかない国の要請による停止。そのコスト上昇分を中部の産業界などがかぶるのはいかがなものか」と反論したが、岡田幹事長は「党として(国の)負担は認めない」などと話したという。大村知事は今後、民主党へ再検討を要請する考え。要請に訪れたのは、長野県の和田恭良副知事と岐阜、三重、静岡各県の東京事務所長。

 原発は実は高いのだと主張するのが昨今では流行りでもありますが、取りあえず当座の運転に必要な電力会社が負担する燃料代は、ロクな準備期間もなく迫られた浜岡原発停止によって増大せざるを得ないのでしょう。日本を筆頭に外国でも発作的な反原発に傾くところもあって発電目的での燃料需要が急増しているようですが、これは必然的に価格高騰の要因ともなります。電力会社も燃料サーチャージの導入を検討するなんてこともあるかも知れませんね。

 東京電力のケースでもわかるように、世論は税負担での電力会社支援を好みません。そうなると電力会社は電気料金を値上げする形で埋め合わせすることになりますから、概ね税金による損失補填を行った場合よりも逆進的な形で国民が負担を強いられる形になるわけです。そういう「結果」までを考えるのなら、税金による穴埋めの方が弱者に優しいと言えますが、まぁ普通の人はそこまで考えないのでしょう。かつては弱者を慮る風を装っていた人でも、最近はすっかり頭がメルトダウンしている人が多いようですし。

 というより、いかに重く「罰する」か、それこそ世論が追求しているものであるようにも思われます。そのためなら後先考えず、とにかく電力会社及びそこに所属する人々にとって最も「損」になる決定を期待している人が多いのではないでしょうか。だから公的な支援などもってのほか、従業員のリストラや賃下げを歓迎する気運も高まるばかりです。ましてや重大事故を起こした東京電力の煽りを受けて、電力会社と言うだけで悪者にされがちな時代でもあります(九州電力の営業所には火炎瓶が投げ込まれたとか)。東京電力がJAL化しそうだと以前に書いたものですが、どうも中部電力までJAL化させようと政府与党の幹事長が煽り立てているようです。

 しかるに、人件費を削って得られるものなどたかが知れています。先日の公務員を対象とした給与削減の場合でも触れたことですが(参考)、人件費削減で捻出できる額など組織全体から見れば微々たるもの、にも関わらずそこで働く人の生活には深刻な影響を及ぼすわけで、まぁ本来であれば避けるべき事態です。だからこそ「本来であれば」リストラは最後の手段であるはずなのですが、実際はどうでしょうか。どうにも売上を伸ばすことよりコストカットの方を目的としているかの如き経営も目立ちますし、公務員なりJALなり電力会社なり「嫌われ者」の賃下げや人員削減には世論も快哉を叫ぶばかりです。まぁ世論に歓迎されているという意味では国民の「心」を満たす行為ですらあるのかも知れませんが、いうまでもなく国民の財布は満たされません。

 増加する燃料コストをどこがどういう形で負担するかには議論の余地があるのかも知れませんが、「リストラで」というのが最低最悪の方法であることだけは間違いないと言いたいです。それが世論の支持を得やすいものであるとしても、やはり労働者としての権利が侵害されようとしている、それを政府が推奨しようとしていることには断固として立ち向かうべきです。善良な市民が電力会社を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は電力会社の社員ではなかったから―― そう悠長に構えていると、いずれは労働者全体に災禍が及ぶことでしょう。今の政治家に利害調整なんて望むべくもないのは諦めるほかないとしても、労働者なりその他の「嫌われ者」にツケを押しつけることで自己の正当化を図るような輩をのさばらせるようなことだけは、あって欲しくないものです。

 

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山本太郎に共感している人は頭を冷やすべきだと思う

2011-05-30 22:51:44 | ニュース

学者は「ゼロではない」よく使う…班目委員長(読売新聞)

 東京電力福島第一原子力発電所1号機で、東日本大震災発生翌日に冷却用の海水注入が一時中断した問題で、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長(元東大教授)は25日、「再臨界の可能性はゼロではない」という自らの発言に関し、「学者は、可能性が全くない時以外は『ゼロではない』という表現はよく使う」と述べた。

 同日の委員会後の記者会見で答えた。一方、「ゼロではない」という発言を、その場で聞いた人たちが驚いたとされることについては、「周りが大変驚かれたという印象は全然もってない」と、再臨界を巡る解釈に温度差があったことを認めた。

 何でもこの班目氏が「(海水注入による)再臨界の可能性はゼロではない」と発言したために福島第一原発への海水注入が一時停止と判断されたとかで、色々と取り沙汰されています。まぁ、その可能性がいかに低かろうとも0ではないという意味で「ゼロではない」と述べるのは誤ってはいないのでしょう。あなたが明日、隕石に当たって死ぬ確率だって0ではありません、極限まで0に近い確率であろうとも、決して0ではないのです。60億を超える地球人の中には隕石に当たって死ぬ人だっています。だからといってヘルメットを常備して外出しなければならないとしたら馬鹿げた話ですが、しかるに班目氏の「ゼロではない」発言を耳にした政府関係者は「再臨界する!」と解釈してしまったようです。

 概ね日本では曖昧さは嫌われます。常に二元論に沿って行動しながら、まだまだ日本人は曖昧だから良くない、と自らを戒め続けてきた文化なのです。「ゼロではない」とか「直ちに影響はない」みたいな曖昧さを残した説明は、それが実態を正確に伝えるものであったとしても日本社会では受け入れられません。日本人にとっては「ある」のか「ない」のか、あるいは「危険」なのか「安全」なのか、その二者択一しかないのでしょう。だから「ゼロではない」などと語ろうものなら、班目氏の発言がそう解釈されたように、直ちに危険があるかのごとく受け止められてしまうわけです。こういう社会では「絶対に安全」と言い切るか、「絶対に危険」と叫ぶか、そのどちらかを選ぶしかなさそうです。


山本太郎、出演予定のドラマ降板に 反原発発言が原因か ツイッターで大反響(シネマトゥデイ)

 原発問題に関する発言を問題視され、決まっていたドラマを降板させられたことを自身のツイッターで告白した山本太郎に、心配の声が寄せられている。

 25日夜、山本は自身のツイッターに、「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」とツイート。山本は23日に、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちと共に文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたばかり。わずか2日後のことだった。

(中略)

 23日、シネマトゥデイの取材に応えた山本は、「電力会社はメディアの最大のスポンサーですし、さまざまな事情はあります」と言っていたが、言葉どおりの現実が彼を待ち構えていた。たったひとりで立ち上がり、デモにも堂々と参加を続けてきた山本に、ネット上では、「やっぱり干されてしまった!」「ひどすぎる!」「これが現実かよ……」と、同情の声が次々に上がっている。心配するフォロワーたちに向け、山本は「抗議するからTV局、プロデューサー教えて、などなど励まし有難う! 外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない。一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と、今後も変わらず、声を上げ続けていく覚悟を伝えている。

 …で、こういう人もいるようです。山本太郎は行動に先だって「芸能界で仕事干される」などと宣言していたそうで、まぁブログをやっているとよく見かけるタイプですかね。「どうせ消されるんだろうけれど」とか「どうせ公開されないんだろうけど」とか前置きしてコメントを書き込むタイプと同じ匂いがします。それはさておくにせよ、山本が要求しているという「20mSV撤回、子供達の疎開」なんかはいかがでしょうか。どうも20mSVという数値に反応している人の大半は、これが「夏までの暫定基準」でしかないことを無視している気がします。ましてや全地域で基準上最大の放射線量が観測されるわけでもなし、実際に浴びる放射線量は20mSVを格段に下回ることでしょう。そうでなくとも、単に20mSVという基準を撤回するなり引き下げるなりすることに意味があるのかを問いたいところです。

 飲酒や喫煙、睡眠不足に運動不足、偏った食生活や肥満に過労等々、生活習慣に起因する健康リスクは20mSV程度の放射線の影響なんかとは比べものにならないほど大きいわけです。だからといって、政府が国民に「健康で規則正しい生活」を強制するとしたら、それは大きなお世話ではないでしょうか。それで寿命が延びるとしても、国民の自由への干渉は極力避けてしかるべきです。政府なり自治体が定める「正しさ」を押しつけられる謂われはありません。退去や疎開が当事者にとってどれだけ重い負担であるかも少しは考えてほしいものですし、ましてやそれが強制的に行われるとあらば、これこそ声を上げて反対すべきところでしょう。自らの意志で避難したい住民を支援しようというのなら理解できる範囲ですけれど、住民の意思を無視して「ここは危険だから早く立ち退け」と自らの信じる善意を押しつけ強要するような振る舞いは、まさしく橋下や石原が好む国旗/国歌の強制と何ら変わるものではありません。世の中には自分の気に入らないものが強制されれば反対する一方で、自分が共感するものが強制されようとしているときにはそれを賛美する人もいます。でも私は、公権力を個人の領域に踏み込ませようとする動きそのものこそ危惧すべきだと思うのです。

 山本太郎の主張するところでは、反原発発言が問題となってドラマを降板させられたそうです。へー。ちなみに「外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない」とか。「現場には迷惑掛けられないから言えない」ではなく、ドラマを降板させられたというエピソードが捏造だから言えない、じゃなくて? だってテレビを点けてみれば、盛んに電波芸者が公務員叩きと同じようなノリで原発叩き、東電叩きに明け暮れているわけです。橋下を筆頭とする機を見るに敏な若く軽薄なポピュリスト達は挙って反原発の旗を掲げるようにもなりました。お笑いダイヤモンドや毎日ブルジョワ新聞などのメディアも反原発一色、今や反原発は「乗るしかない このビックウエーブに」と言った風情です。似たような立場を取る他の電波芸者が喝采を浴びる中、あくまで流行に沿っている言動を取った山本だけが外されるなんて、とても考えられません。

 ちなみに山本太郎によると「電力会社はメディアの最大のスポンサー」なのだそうです。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー だけど電力会社のCMって、そんなに目にしますかね? 最大のスポンサーならCMの流れる頻度も最大であってしかるべきですが、実際はどれほどのものでしょう。ましてや電力会社のCMといったら「電気を大切にね」みたいな営利目的の広告というより啓発活動みたいな代物が大半です。原発の安全性を主張するCMなんて、それこそ地元住民に向けたものを別とすれば、よほどの物好きが自分から探しに行かないとお目にかかれるものではなかったはずです。電力会社のCMが流れる番組なんてたかが知れているのに、「電力会社はメディアの最大のスポンサー」みたいなネット上で流れたヨタを真に受けている人は反省した方がいいと思います。寧ろオーナーが脱原発に熱心な、被災地で最も繋がらなかった携帯電話の会社の方が、そのCM頻度からして間違いなくスポンサーとして多額の金をつぎ込んでいることでしょうに。

 かつて「ソ連政府に睨まれる」ということこそロシア人にとって最高の国際的ステータスだった時代がありました。「ソ連政府の弾圧を受けた」という肩書きがあれば、どう見ても三流としか思えない学者でも結構な評価を受けたものです。中には狙ってその地位を手に入れたと思われる人もいて、当初は反体制的な詩で国際的な名声を高め、しかる後に転向してソビエト連邦国家賞を受賞したエフトゥシェンコなんて詩人もいます。山本太郎も、寧ろこの一件で知名度上昇、将来的には売れるのではないでしょうか。当人は「圧力にも屈せず巨悪に立ち向かう俺カコイイ」と自分に酔いしれているだけではないかという気もしますが、周りのマネージャーなりはある程度、狙っているようにも思います。山本太郎の「痛さ」もさることながら、それを賞賛する人々にも私は肩をすくめずにはいられません。

 

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労働者の権利

2011-05-28 22:58:17 | ニュース

国家公務員給与削減、連合系労組が合意 5~10%案に(朝日新聞)

 東日本大震災の復興財源を確保するため、菅政権と連合系の公務員労働組合連絡会(連絡会)は23日、国家公務員給与の削減幅について合意した。課長以上の幹部を10%▽課長補佐・係長を8%▽係員を5%それぞれ削減する。ボーナスは一律10%減らす。給与法の改正後に適用し、2013年度末まで実施する。

 菅政権は当初一律10%減で3千億~4千億円の確保を目指したが、削減幅で譲歩した。片山善博総務相と連絡会が同日協議し合意した。政権は労働基本権を拡大する国家公務員制度改革関連法案とともに、給与法改正案を6月3日に閣議決定したい考え。法案が成立すれば人事院勧告を経ない削減は初めて。

 元より公務員の給与カットを「目的」としてきた現内閣ですけれど、震災という「追い風」を得て勢いづいたのか、ついに人事院勧告を経ない給与削減に踏み込んだことが伝えられています。こういう労組側が反対しにくい状況での断行は卑怯ですね。元より給与カットで確保される財源は一律10%減で3千億~4千億円とのことですから、係員を5%の削減に止めたとなると2千億円強という辺りになるでしょうか、90兆円を超える歳出から見れば微々たる数値でもあります。歳出から見れば0.2%程度、この辺は景気の動向次第で簡単に飲み込まれてしまうレベルです。売上アップではなくコストカットで利益を確保することを是とする日本的経営感覚からすれば好ましい政策に見えるのかも知れませんが、給与所得者の生活に与える影響の大きさに比した予算の捻出効果は大いに疑わしいところです。まぁ、叩けば叩いた分だけ支持が得られるのが公務員というものですから、政府の人気取りとしては悪い策ではないのでしょう。

 さて「公務員労働組合連絡会」が削減幅について合意したことが伝えられていますが、別に公務員全体や、全ての組合が同意したというわけではありません。日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)や国家公務員一般労働組合(国公一般)は今回の削減案に反対しているようです。

根拠なしルール無視の国家公務員賃下げ強要は認められない-改めて大臣による説明求める(国公労連)

625万人の「国民生活を第一」に破壊する国家公務員給与10%カット-人間と経済つぶす悪循環(国公一般)

 国公一般に関しては原発がらみで俗論の垂れ流しに終始する姿勢を露わにしたばかりでもあるだけに、給与カットに関する分析でも自説に都合良く物事を歪曲していないか疑わしく思わざるを得ないところもあるのですが、ただ論拠の公平性はさておき直接の利害関係者として自身の権利、自身の取り分や地位を守るために声を上げる資格はあると思います。部外者から見れば利権の類であろうとも、自己犠牲を強要される謂われはありません。労働者として、あらかじめ定められた賃金を受け取る権利は誰にでもある、労働条件の不利益変更を迫られたときに抵抗する権利は必ずあるはずです。非常事態にかこつけた強引な賃下げには労働者として断固、立ち向かうべきです。

 一方、東京電力に関しても給与カットや人員整理、年金の減額などが迫られています。労働者として、この事態にどう向き合うべきでしょうか。


東電社員がテロ予告?原発を盾に恫喝発言連発(探偵ファイル)

「ああそうそう、なんでウチの社員に給与出すんだなんて言ってる人たちがいるけど、ウチの社員結構現金な人多いから、給与カットした瞬間に仕事しなくなるよ。福島も柏崎も同時にメルトダウンするし関東も大停電して復旧しない。 それでもいい?ww」

「ちなみに冗談のように聞こえるけど、働いてる社員がやる気なくして全員帰ったらメルトダウンだって普通になるし、首都大停電も普通に起きる。これは紛れもない事実。」

 出所が出所なので真偽の程は怪しいものですが、上記引用は東京電力社員を自称する人の書き込みとされるものです。いうまでもなく激しいバッシングにあったようですけれど、言い回しはさておき東京電力同様に人件費削減を迫られたJALの場合はどうだったでしょう。強引なリストラに空の安全を危惧する人も多数派ではないながらも存在しましたし、年金受給権に関しても理解を持った人はいたわけです。しかるに東京電力の場合は? 私は労働者として、企業の責任とは別に労働者の権利は守られるべきだと思いますし、社会インフラを運用する上での安全面もまた考慮されなければならないと思います。事故を起こした企業の責任は問われるとしても、過度なバッシングによって本来業務を滞らせインフラを危うくするようなことがあっては社会全体にとってもマイナスになりますし、そこで働く労働者には自身を守る権利があるはずです。東京電力の労働者が自身を守るために声を上げるなら、私も労働者の一員としてそれを応援するつもりです。

 しかるに上述した国公一般なんかは東京電力に対する社会的憎悪を煽る側に立ってきたわけです。まぁ、このご時世ですから東京電力を叩く側に立っていた方が幅広い支持を得やすい、得策であることには違いないのでしょう。でも東京電力で働く労働者の立場に対してはどうなのかな、と首を傾げずにはいられません。敢えて世間を敵に回すこととなろうとも、労働者の権利を守るという立場から東京電力社員の権利をも守ろうとするのなら尊敬に値することですが、東京電力という嫌われ者を罵る一方で自身の労働者としての権利を守ろうとするのなら、これまたムシのいい話でもありますよね。まぁ自分を守ろうとするのを否定はしませんが、同じ立場に置かれた人を守る意識も持つべきではないでしょうか。どのみち公務員も東京電力社員も、世論上はどっちも「敵」であり、世間の認識上はどっちも高給取り、似たもの同士なんですから!

 

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 本文とはあまり関係がありませんが、今後は不適切な測定が流行りそうな気がします。例えば公務員給与の場合、ホワイトカラーの正規職員の平均給与と、パートタイムまで含めた全職種の労働者の平均給与を並べて論じるのが一般的です。これは条件が全く異なりますので比較対象としては甚だ不適切ですが、公務員叩きに好都合であるためによく用いられてきました。そして今後は、「地面に擦りつけて放射線濃度を測定」みたいな誤った測り方が一般化するのではないでしょうか。これまた特定の目的以外には不適切なものであろうとも、東電叩きや反原発論には好都合ということで頻繁に行われるものと予測されます。どうにも不合理な叩き方が許される社会の「共通敵」が新たに増えたのだと、そう私には思われてなりません。

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ムシのいい話

2011-05-26 23:03:51 | ニュース

未払い賃金の支払いを 元中国人実習生が労基署に申し立て(中日新聞)

 福井市の縫製会社トーエツで働いていた中国人実習生、孔小玲さん(21)が、正当な給料をもらえないまま解雇されたとして17日、会社に未払い賃金を支払うよう、福井労働基準監督署に申し立てた。同署は近くトーエツを調査する。

 福井市役所で同日、孔さんと市民団体「外国人研修生権利ネットワーク福井」の高原一郎事務局長らが会見した。高原事務局長によると、孔さんは2010年3月に来日し、研修生として半年、衣服のアイロンがけや裁断に従事。同年9月から実習生として働き、今月10日に突然解雇された。実習8カ月間のうち4月分を除く7カ月間は、研修手当とほぼ同額で、正規の半額ほどの月約6万円しか払われなかったという。

(中略)

 昨年3月、3年の予定で来日。研修生として働き、実習生となったら月収は2倍の約12万円に増えるはずだったが、実際に支払われたのは研修生時代とほぼ同額の6万1000円~6万4000円。残業は1カ月で約200時間に上り、時給100~200円の「内職」もさせられ、15時間ミシンをかけ続けたこともあったという。「解雇や帰国をちらつかされ不満を言い出せなかった」と孔さん。会社では現在も12人の外国人実習生が働いているという。


中国、食品輸入規制緩和の方針 温首相、宮城で言及(朝日新聞)

 来日した中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は19日、東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪れ、福島第一原発の事故を受けた日本産食品の輸入規制について、「安全を確保できる条件の中で、農産品などの輸入規制を緩和させていきたい」と報道陣に語った。復興視察団や貿易投資促進を目的とする代表団を日本に派遣するほか、観光客の回復などに努める考えも示した。

 被災地を目にした温首相は「悲しい気持ちで心がいっぱいだ。中国政府と国民を代表し、心からお見舞いを申し上げる」と述べた。「日本の皆さんは自らの努力で、また国際社会の支援の下で、必ずや困難を克服し、家々を再建できると信じている」とも話した。

 中国では、宮城県女川町で中国人研修生20人を避難させ、自らは命を落とした日本人の行動が感動を呼んだ。温首相は「災難を前にして、どこの国の人とかを考えなかった。みんな友人、親戚だという考えだった。高く称賛したい。日本の皆さんの中国人民への友好感情を感じることができた」とたたえた。

 最初に引用したニュースに関しては、今さら何かを言うまでもないでしょう。日本ではよくあることです。典型的な外国人研修生の話でしかありません。そもそも募集時点で明示された待遇や業務内容が実際と異なるのは日本人向けの求人であっても当たり前、例外的に勤務先が原発であった場合に限って国内世論や行政府は怒りを露わにするようですが、それ以外の点で応募者を欺いても慣例として黙認されてきたのが日本です。ましてや日本人がやりたがらない仕事を日本人より安い給料でやらせるためにブローカーに金を払って「買ってきた」外国人研修生の扱いがどうなるかなど火を見るより明らかですから。

 ……で、「中国では、宮城県女川町で中国人研修生20人を避難させ、自らは命を落とした日本人の行動が感動を呼んだ」と伝えられています。温家宝首相も「高く称賛したい」などと述べたそうです。だけどここで言及された「中国人研修生」の給料は、果たしていくらだったのでしょうね。ことによると冒頭の福井の事例よりはマシであったのかも知れません。でも中国人研修生20人を避難させたのは、自身の大切な財産である奴隷を守ろうとしていただけではないかという気もします。あたかも美談のごとくに伝えられているようですが、中国では外国人研修生とはどういうものなのか知られているのでしょうか。もし遍く知られているのなら、日本に研修生として働きに来る人なんていないですよね。今回のエピソードを契機に外国人研修生というものが両国政府黙認の人身売買であることが幅広く知られるようになれば、感動を呼ぶどころか怒りを買うことともなりそうです。少なくとも温家宝首相は実態を知っているはずですが、敢えて目をつぶり美談として受け止める世論に調子をあわせたのでしょう。


風評被害防止で協力=農水産品「科学的証拠で対応」―日中韓首脳(朝日新聞)

 菅直人首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領の3首脳は22日午前、東京・元赤坂の迎賓館で会談し、福島第1原発の放射能漏れ事故に伴う日本の農水産品や工業製品をめぐる風評被害の防止に向けて協力することで一致した。日本の要請が受け入れられた形で、政府は海外の輸入規制に歯止めがかかると期待しており、他国にも働き掛けを強める方針だ。

 3首脳は会談終了後、共同記者会見に臨み、首脳宣言を発表。菅首相は中韓首脳の福島訪問に改めて謝意を示し、「日本の食べ物を含めた安全性を世界にアピールする最も効果的な役割を担ってもらい、大変大きな助けになった」と述べた。

 さて首脳陣は宮城を訪問した後に福島を経由して東京で締めるという形になったようです。「風評被害の防止に向けて協力することで一致した」そうですが、だからといって日本政府が事態の好転を期待していい状況かどうかは定かでありません。両国首脳に福島を訪問してもらって「日本の食べ物を含めた安全性を世界にアピールする最も効果的な役割を担ってもらい、大変大きな助けになった」と菅は語ります。ただ、「世界」の視点はどうなのでしょう。国内レベルで見れば概ね「県」という行政区を基準とした差別や風評被害が広められているわけで、これに対する措置として要人の福島訪問は一定の意味があるのかも知れませんけれど、日本以外の国に住んでいる人は福島が日本のどこにあるかなんて考えてもいないような気がします。この十数年来、日本の外交とは常に国内に向けたパフォーマンスであって、今回もその延長と考えれば納得できないでもありませんが……

 例えばBSE騒動の時など、日本側はどう反応していたでしょうか。日本人の9割以上はアメリカのどこの州で問題が発生したかなど全く気にしていなかったはずです。アメリカの州と言ったら時に日本全土よりも広かったりもするのですが、そんな広大な州という区切りさえ輸出側から見た「外国人」である日本人にとっては意味をなしていませんでした。その国の「外」に住んでいる人にとっては県や州などの行政区単位での区切りなど関係ない、どこかの「国」で問題が発生すれば、その「国」から輸出されるもの全体が危険視されてきた、少なくとも日本の世論は「国」単位で危険視してきた、日本の政府も世論に追従して「国」単位でブロックを掛けてきたわけです。だからまぁ、日本人からすれば原発事故とは全く無関係に見える地域の産品までもが輸入規制の対象にされたり海外の消費者から敬遠されたりするのも、ある意味では因果応報なのかも知れません。

 もっとも因果応報だからと言って済むものでもないですから、生産者なり行政なりは何とかしなければならないところです。そこで問われるのは、国単位という大雑把で野蛮ですらある区切り方や、科学的根拠に乏しい偏見や怪情報に振り回されないだけの理性です。ただ日本国内に住む人ですらデマやトンデモの類にすがりつき、政府は(東電は)嘘を吐いている、本当はもっと汚染されているのだと公言して憚らない人がウジャウジャいるのですから(放射線量なんて市販の装置でも計れるのですから自分で計ってみたらどうでしょう、市場に流通している食品の放射線量が基準値以下であると証明してしまうことを恐れているのでなければ!)、隣人にばかり冷静さを求めるのは贅沢に思えてしまいますね。

 

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カルトJ

2011-05-24 23:23:41 | ニュース

君が代不起立「実名公表」 橋下知事、検討の意向(朝日新聞)

 「大阪維新の会」の大阪府議団が5月府議会で成立をめざす、君が代斉唱時の教員の起立義務化条例案について、維新の会代表の橋下徹知事は18日の記者会見で、不起立を繰り返した教員の学校名と実名の公表を検討する考えを示した。

 府は現在、懲戒処分した職員の実名を原則として公表していない。橋下氏は会見で「職務命令違反を繰り返す教員の名前は保護者も知りたいと思う。府民の総意をもとに実名公表の基準を考える」などと述べた。


君が代条例他会派そっぽ 過半数の維新押し切るか(朝日新聞)

 しかし、自民側は20日の会派間協議で、一本化には応じないと伝えた。同党議員の中にも斉唱時の起立徹底には前向きな意見も多いが、条例化には慎重な立場だ。花谷充愉(みつ・よし)幹事長は「府教委が起立を指示しており、条例化は不要。国を愛する意識の高揚などをめざす我々の条例案と理念が違う」。

 公明府議団も条例に反対する方針だ。清水義人幹事長は「条例で縛るのは反対だ。府教委が現場で丁寧に指導すべきだ」との考えを示した。民主府議団の幹部も「(校長が職務命令を出す)ルールがあるのに、なぜ条例化が必要なのか」と反対の構え。維新側が9月議会で提出を検討する不起立教員の処分を明文化する条例案についても「強権政治だという意見が多い」と否定的な立場だ。

 この手の条例に関しては語り尽くした感もありますが、しかるに自民党を含めた既成政党が幾分か慎重な態度を取っているのは興味深いところです。何かに連れ新興の政党ほど、そして若い政治家ほど世論の期待を集めがちな時代ではありますけれど、やはり昔からある政党や古株の政治家の方が良識や自らの負う責任への自覚を備えているものなのかも知れません。もちろん全てが全てとは言いませんけれど、若い政治家には小泉以降の政治文化が色濃く染みついていると言いますか、とかく「敵」を見つけ出しては攻撃を加えるばかりで、その結果として引き起こされるものに対する責任感が欠如しているように思います。こと政治の世界に関しては老害ならぬ「若害」とでも言うべきものが深刻なのではないでしょうかね。


義援金出さなかった生徒の名前、黒板に貼り出す(読売新聞)

 秋田県大館市の同市立第一中学2年の2学級で、それぞれの担任教諭が、生徒会が企画した東日本大震災の義援金集めで寄付をしなかった生徒計約20人の名前を教室の黒板に掲示していたことが20日、わかった。

 同校では保護者からの苦情で取り外した。

 同校によると、義援金集めは被災地を支援しようと生徒会が企画した。全生徒に募金を呼びかけるチラシを配り、11日から17日まで1人200円以上を納めるよう呼びかけた。

 受け付けは17日朝までだったが、同日の帰りの会で担任教諭2人が、納めていない生徒計約20人の名前を紙に書いて黒板に貼って寄付を促した。担任は納付した生徒の名前をチェックしており、約15人の生徒が掲示後に寄付したという。

 同校の菊地俊策校長は読売新聞の取材に対し、「生徒全員が全会一致で決めたので任意の募金ではないと考えていた。宿題を忘れた人への注意喚起と同じ感覚だったが、保護者や生徒に不安を与えたなら責任を感じる」と話している。

 ……で、この記事です。2学級同時に発生したと言うからには、担任教師の独断ではなく学校ぐるみで行われたと見るべきでしょうか。取材を受けた校長も「宿題を忘れた人への注意喚起と同じ感覚だった」と述べている辺り、学校全体の方針として寄付を「しなかった」生徒の吊し上げが行われたものと推測されます(教員の独断であった場合、一般に校長は監督責任から頭を下げるものですが、今回は違うわけです)。そして君が代斉唱時に起立しなかった教員の実名を公表しようと訴える知事が人気を集め、義援金集めで寄付をしなかった生徒を晒し上げる学校まで出てきた、これは例外的な事件ではなく、世相を如実に反映した現象であるように思われます。

 結局のところ、自分の属するコミュニティの中の「正義」が絶対のものとして幅を利かせていると言えます。国家斉唱時には起立するのが当たり前、上の命令には従うのが当たり前、義援金集めには協力するのが当たり前、学校で決めたことには従うのが当たり前――そういう「当たり前」が誰にでも共有されているものだと信じ切っているのでしょう。だからこの「当たり前」に同調しない人が異常な存在にしか見えないわけです。実際のところ、ある人が「当たり前」だと思い込んでいるものも、その実は外から冷めた目で眺めている人にとっては拘る方が馬鹿馬鹿しいような事柄であったりします。ただ自分の周りにいる人々、自分の付き合っている人々、自分が支持している人あるいは自分を支持してくれる人々、こうした人の間でのみ共有されている「当たり前」が、あたかも普遍的なものであるかのごとく勘違いしている人が増えているのではないでしょうか。

 特定のコミュニティの中で「正義」として共有されているものの「中身」を、自分の頭で考えることなく、ただ盲目的に信奉し、歪んだ正義感から周りの人間もまたそうあるべきだと思い込む、その結果として全体主義的な「正しさ」の押しつけが繰り返されるわけです。すなわち国歌を起立して声に出して唄うことだったり、被災地に寄付をすることだったり、そして電力会社を罵り原発を全否定することだったり、こういう流れに同調しようとしなければ、異端分子として社会的制裁や「矯正」の対象と見なされるのでしょう。君が代を歌うくらいはどうということもない、寄付だって別に悪いことではないとも言えますが、そうではなく特定の人々が信奉しているだけのカルト的な「正しさ」の強要に危ういところはないのか、それこそ問われるべきものです。

 こうした「正しさ」への信奉の中では、しばしば当初の目的は消え失せてしまうものでもあります。大阪では自民党の幹事長が「国を愛する意識の高揚などをめざす我々の条例案と理念が違う」と橋下に異を唱えました。少なくとも「起立させること」を最初から追っていた人は滅多にいないでしょう。起立させることが目的化した橋下条例案には、マトモな保守であれば本末転倒を感じるはずです。秋田の中学校の場合だって、全員に寄付をさせるのが目的であるかのごとき様相を呈していますけれど、果たして被災地支援の在り方としてそれはどうなのでしょうか。被災地のためを考えるなら金額の多寡の方が重要ですし、善意を問うなら強制など論外です。そして昨今の脱原発論となるや、安全で安定したインフラを提供するという発想などどこへやら、ひたすら原発潰しだけが目的化してデマの拡散に邁進、その過程で生まれる電力不足などの弊害は黙殺され、恐怖を煽っては福島在住者に対する諸々の差別的扱いを助長するばかり(挙げ句に「ネット上で探したけど証拠が見つからなかった」などと歴史修正主義者の如き論法でなかったことにしようとする輩も出る始末です)、とどめに「(農産物などが)汚染されている、政府は情報を隠しているんだ!」と言い張って風評被害を広める等々、まぁ酷い有様です。それでもやはり、彼らの頭の中ではそれが「正しい」ことなのでしょう。そしてこの「正しさ」を共有する人々は頑迷さの度合いを深めるばかり、自分たちの「正しさ」を疑うこともなく、「正しさ」に同調しない人を敵視する、そうした傾向が強まっていると言えます。

 

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