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非国民通信

ノーモア・コイズミ

あれ? 意外に……

2011-07-07 22:59:16 | ニュース

「チームドラゴン」始動 松本復興相が異色会見 「民主も自民も公明も嫌いだ!」(産経新聞)

 松本龍復興対策担当相は28日、就任後初となる記者会見を行った。重責を担い吹っ切れたのか、質疑途中にサングラスをかけ、自ら率いる被災者支援チームを「チーム・ドラゴン(龍)」と命名した。

 松本氏は「ひたすら被災者に歩いていく。復興基本法に魂を入れ、骨や肉をつけていく」と語り、被災地復興に全力を注ぐ覚悟を強調。「3月11日以来、私は民主も自民も公明も嫌いだ。(首相退陣が)7月か8月になるか分からないが、このチームは右顧左眄しない」と述べ、「菅降ろし」に明け暮れる民自公3党に強い不快感を示した。

 「チームが失敗したら責任を取るのが閣僚の役目。私は屋上でたばこを吸っていようかと思う」と断言すると、同席した復興対策本部長補佐に就任した平野達男内閣府副大臣は「松本さんは親分肌だ!」との最大級の賛辞。責任転嫁ばかりする首相はますます見劣りしてしまうのでは-。

 さて、松本復興相がわずか9日で辞任したそうです。幸か不幸か最短記録更新はなりませんでしたが、政権としては末期症状です。安倍内閣末期には8日で辞任した農水相もいましたが、こういう反対派に格好の攻撃材料を提供してしまうタイプの人を起用する辺り、菅内閣もいよいよ以て危険な領域に突入しているのかも知れません。では、この松本「元」復興相、いったいどういう人物だったのでしょうか。

 閣僚起用された時点での報道によると、質疑途中にサングラスをかけ「チーム・ドラゴン」などと名乗りだしたとか。何というか、私はこの時点で麻生太郎を思い出しました。どうも「キャラを作っている」感じがするのです。麻生太郎と言ったら家系をひもとけば皇室にまで連なるやんごとなきお公家様ですが、敢えてべらんめぇ口調を披露することで自分なりにアピールしていたわけです。松本氏の場合も、乱暴っぽい口調に加えてグラサンを持ち出すことでキャラを立てようとしているように思えてなりません。まぁ、その辺は私の感想ですけれど。

 とりあえず、「民主も自民も公明も嫌い」というのは私も同感であります。政治的な方向性に関しては菅内閣と大差ないくせに「菅降ろし」に明け暮れる政党、政治家への不快感も理解できるところで、首相退陣がどの時期になろうと右顧左眄しないという態度は概ね評価できるものです。そして「チームが失敗したら責任を取るのが閣僚の役目。私は屋上でたばこを吸っていようかと思う」と断言したとも伝えられています。

 この辺もまた、今時珍しい奇特な政治家だなと、少なくともこの発言に関しては肯定的に思えた次第です。ある意味、世論が要求するものとは対極にありますから。何かに連れ、世間は首相とか大臣とか、あるいは社長とかを事故や災害の現場に向かわせたがるわけです。で、「おまえも現場で実際に作業してみろ」的なことを叫ぶ人も少なくありません。まぁ、事故を起こした会社なり災害に十分な対応が出来なかった大臣なりに「罰」を与えたがる人も多いのでしょう。あるいは、トップが自ら前線で汗を流す、謂わば自己犠牲的に振る舞うことに道徳的な「正しさ」を感じる人も多いと思います。ただ実際のところ、社長や大臣が現場に出すぎると、はっきり言って邪魔なだけですよね。基本的に現場のことは現場の人間が最もわかっているわけで、社長は後ろに引っ込んで所長に任せた方が、あるいは大臣は後ろに引っ込んでレスキュー隊に任せた方が無難です。

 じゃぁ社長なり大臣なりの役目は何なのかと言えば、最前線で現場作業に従事することではなく、「責任を取ること」であるように思います。そういう点では松本氏の発言は私の理解とも合致するのですが、これが近年では流行から外れているわけです。小泉政権時代からその傾向は芽生えていましたが、とりわけ民主党政権発足後の「政治主導」の元では政治家が現場の細かい部分にまで口出しする一方で、逆に上手く行かなかった場合はスケープゴートとして官僚が「犯人」に祭り上げられる傾向がエスカレートしてはいないでしょうか。松本氏のように「屋上でたばこを吸っていようかと思う」=「現場の細かいことは現場の人間に任せ」、それでいて「失敗したら責任を取る」と語るのは、民主党が掲げてきた政治主導の実践とは180度対極に位置します。そして私は、この現代の政界にあっては絶滅危惧種的な考え方を示す松本氏の発言に、ちょっとだけ好意を抱いたものです。しかるに、その9日後……


「コンセンサス得ろよ」復興相、3日宮城知事に(読売新聞)

 松本復興相と宮城県の村井嘉浩知事が3日午後に会談した際の復興相の主な発言(要旨)

 (復興相が先に宮城県庁の会談会場に入室したが、村井知事が遅れて現れた)

 「先にいるのが筋だろう。お迎えするのがね。分からん。俺、大臣室にいる時は立って(来客を)お迎えするよ。もう俺ずっと3月11日から5月5日に1日だけ休ませてもらったけど、ずっとこの仕事をやっているから、何でも相談には乗る。だから、しっかり政府に対して甘えるところは甘えて、こっちも突き放すところは突き放すから。そのくらいの覚悟でやってください。それぞれの市町村で(復興)構想会議とか、絵を描いていると思う。私の基本的な立場はそれぞれの町で伝統や産業や文化が違うから、それぞれの話を聞いて、我々もしっかり見ながらやる。例えば、水産関係でも、(県内の漁港を)3分の1から5分の1に集約するってと言っているけど、県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々何も知らんぞ。ちゃんとやれ、そういうのは。今、(村井知事が)後から入ってきたけど、お客さんが来る時は自分が入ってからお客さん呼べ。いいか、長幼の序が分かっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。分かった?(報道陣に)今の最後の言葉オフレコです。いいですか?いいですか?はい。書いたら、もうその社は終わりだから」

 その9日後に辞任に至ったのは前述の通りですが、問題となった発言の「要旨」が各紙で掲載されています。まぁ、色々とツッコミどころはあるでしょうか。ここで引用したもの以外にも問題視しようと思えば問題視できるものは多々あるようです。ただ子細に眺めてみると、意外やまともなことも言っているのではないかという気がしてきます。特に引用の真ん中辺り、「それぞれの町で伝統や産業や文化が違うから、それぞれの話を聞いて、我々もしっかり見ながらやる。例えば、水産関係でも、(県内の漁港を)3分の1から5分の1に集約するってと言っているけど、県でコンセンサスを得ろよ。」という行は、やはり今時の政治家には珍しい見識を感じさせるものです。

 言うまでもなく、それぞれの町で伝統や産業や文化が違う、だから政府筋としてはあれこれと介入するよりもまず「聞く」ことが大事です。しかるに世間はリーダーシップ云々と称し、トップがどんどん決断を下していく姿を理想として思い描いてはいないでしょうか。それぞれの町の違いを省みて熟慮や関係者との対話を重ねるより、何の躊躇もなく「こうしなければいけないのだ」と即断即決して一方的に結論を出すタイプの政治家の方が好まれているように思います(橋下とか橋下とか橋下とか)。だからこそ、今回の松本「元」復興相の発言は希少であり、評価にも値するものと感じられるのです。自分が先頭に立ってあれこれと命令していけば世間的にも活躍しているイメージが作れるのでしょうけれど、それはリーダーシップに名を借りた独善に過ぎません。まずは市町村サイドのビジョンに耳を傾けることです。

 残念ながら相手を断罪する音ばかりが好まれ、反対派を「抵抗勢力」なり「利権を守ろうとしている」云々とレッテルを貼っては相手を悪玉扱いし、反対意見を「聞く必要がないもの」として一蹴するのが小泉時代以降に顕著な政治文化でもあります。だから県が漁港を集約するという青写真を描いたとして、当然ながら反対する県民や漁業者も出るでしょうけれど、その場合に最も簡単なのは反対している人々を「利権を守ろうとしている連中だ」として切り捨てることです。たぶん、こういう手法を採っても首長が支持を落とすことはない、むしろリーダーシップを発揮したとして喝采を浴びる可能性の方が高いでしょう。でも、本当に反対派の意見は聞くに値しなかったのか、あるいは県のプラン(漁港の集約等々)によって従来の権益を失ってしまう人のことを蔑ろにして良いのか、その辺は考えられてしかるべきです。反対派を抵抗勢力と位置づけて改革を強行するばかりではなく、事前にコンセンサスを得ておくことも大切なはずです。復興に向けて県が計画を建てる中では諸々の相反する立場の存在が見えてくることと思われますが、ただ反対派を退けようとするばかりではなく合意を取り付けようとする努力も、とりわけ今の時代こそ必要ではないでしょうか。だから「県でコンセンサスを得ろよ」というのも、短いですが重要な指摘なのです。

 そんなわけで、松本氏の発言にはむしろ私の「好み」な部分もあったりします。余計なキャラ作りをしないで必要なことだけ口にするよう努めておけば結果は違ったのではないかと思えないでもありません。まぁ、当人は派手な言動でメディアスターにでもなりたかったのでしょうか。まぁ「今の最後の言葉オフレコです~書いたら、もうその社は終わりだから」みたいな発言も、例によって橋下みたいな人気者がやったのであれば世間的には好意的に受け止められていたのではないかという気もします。暴言を連発することでこそ、「強い姿勢」とばかりに持ち上げられる人もまたいるわけです。大臣に任命されたことで舞い上がってしまったのか、人気者なら許される暴言をジリ貧内閣の一員が真似したが故に今回のような混乱を招いたとも言えます。

 ちなみに「書いたら、もうその社は終わりだから」との大臣発言でしたが、これを報じたどのメディアも「終わり」とはなっていないことは言うまでもありません。むしろオフレコと釘を刺されたにもかかわらず、マスコミ各社が先を争うかの如き勢いで松本発言を報道したことは、現代におけるマスコミの性質を顕著に表しているように思います。結局のところマスコミは滅多なことでは黙らないものであり、ひたすら流行を追いかけるものなのではないでしょうか。マスコミは電力会社に支配されているみたいな陰謀論的世界観が幅を利かせていますけれど、結局のところマスコミを動かしているのは流行です。それが視聴者なり読者にウケが良いとわかればマスコミ各社は遠慮なく報道を過熱させますし、逆に視聴者や読者の関心が薄いとあらば報道も白けたものにしかならない、そういうものなのだと思いますね。

 

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人気商売の人が続々と脱原発を掲げていますが

2011-07-05 23:09:51 | ニュース

ザ・特集:言わせてほしい! 芸能人も「脱原発」続々(毎日新聞)

 福島第1原発事故を契機に、芸能界からも「脱原発」の声が相次いでいる。俳優の菅原文太さん(77)は「原発の是非を問う国民投票を」と発言。反原発を訴えたことでドラマを降板させられたと明かした俳優の山本太郎さん(36)も注目の的になっている。大震災で日本の芸能界も変わりつつある?【大槻英二】
 
 ◇山本太郎さん「仕事への影響は想定内」/菅原文太さん「電力30%減、いいじゃないか」
 
 芸能評論家の肥留間正明さんは「これまで芸能界では(思想的に)右の人も左の人もお客さんなのだから、芸能人はノンポリでいいんだという風潮があった。ところが、原発事故を受けて、変わるかもしれません」と指摘する。

(中略)

 肥留間さんは「山本さんは、今回のことで男を上げたのではないか。むしろ、今は原発推進のCMに出ていた人に風当たりが強くなっている」と指摘する。確かにインターネットなどでは、原発のみならずオール電化住宅のCMの出演者らにも多数の批判が寄せられている。

 さて、芸能人に限らず会社経営者でも何かに連れ目立ちたがる人とか政治家でもポピュリストの類は軒並み「脱原発」を標榜しており、端的に言えば「人気商売」でやっている人が続々と「脱原発」の旗を掲げるようになったというのが実際のところでしょう。今も昔も人気取りに走る連中はいるわけで、中でも芸能人とあればそれが仕事のようなものです。今まで政治的な発言はアンチを増やすだけとして自粛してきた芸能人が、昨今の挙国一致的な脱原発ムードの中で流行に乗り遅れまいとしているだけとも言えます。現に毎日新聞ですら認めざるを得ないように、「干された」と自称する山本太郎のメディアへの露出が飛躍的に増大した一方で、原発のみならずオール電化住宅のCMの出演者らにも多数の批判が寄せられているのが実態です。芸能人は流行に敏感でなくてはならない、そして業界で生き残りたければ流行に靡かなければならない――このことはむしろ、日本の芸能界が震災後も一貫して変わっていないことを明確に示しています。


 一方、仙台出身の菅原さんは今月14日、都内で行われた被災地から他県への移住を支援するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の会見に出席し、「(脱原発を決めたドイツ、イタリアとともに)いい意味での三国同盟を」などと呼びかけた。インタビューを申し込むと、「大事なことですから、お受けします」と、すぐに応じてくれた。

(中略)

 「仮に原発をやめて30%の電力が減ってもいいじゃないか。原発を造り始める40年前までだって、別に餓死者が出たわけじゃないだろ。けつをふくのまで電気を使う生活なんて、おかしな話。俺たちが若かったころは、かまどでご飯をたいて、七輪で魚を焼いていた。そういう暮らしの方が、人間が乾かないで済むよな」

 引用元で名前が挙がっている山本太郎の虚妄ぶりに関しては以前に書いた記事をごらんいただくとして、輪をかけて酷い発言を垂れ流しているのが菅原文太です。何でも日独伊で「三国同盟を」だとか。今度はイタリア抜きでやるべきではないか、と言うのはさておきドイツもイタリアも、正真正銘の原発大国であるフランスからの電力供給に頼っているわけです。自分たちの住む地域の原発を止めて、外の行政区の原発から電気を送ってもらうことで必要な電力を賄う――これは東京電力管内には原発を作らせず福島の原発から電力を送ってもらうという、要するに日本で行われてきたやり方と同じ構図を持っています。考えようによってはドイツとイタリアは、日本の後を追いかけてきているだけなのではないでしょうかね。

 まぁドイツもイタリアも、フランスからの供給という形で必要な電力を確保した上での脱原発なら、取りあえず自国民に電力不足の弊害を押しつけずにやっているということで害は少ないと言えます。しかるに日本は、代替となる電力供給手段の確保に先んじて脱原発に走り出しているわけです。喩えるなら景気の良いときに財政再建を図るのと、不景気の中でも委細構わず増税して財政再建を図るのと同じくらいの違いがあります。国民の生活を犠牲にしない範囲で脱原発の国と、進め一億火の玉だとばかりに脱原発のためなら国民の犠牲を省みない国とでは、「同盟」を結ぼうにも考え方に隔たりが大きすぎるのではないでしょうか。まぁ、これからドイツやイタリアが日本に「追いつく」ことはあるのかも知れませんが……

 菅原文太は「原発を造り始める40年前までだって、別に餓死者が出たわけじゃないだろ」とも語ります。本当に餓死者がいなかったか大いに疑わしいですけれど、それを言うなら福島の原発事故後に放射線の影響によって死んだ人だっていないわけです。菅原理論は普通に原発推進にも使えそうなものですが、まぁ自分にとって不都合なものには目を向けようとしない人なのでしょう。加えて「30%の電力が減ってもいいじゃないか」とのことですが、言うまでもなく電力不足は住民の生活は元より産業ひいては雇用にも深刻な悪影響をもたらします。電力不足の弊害を負わされるのが菅原文太だけなら自業自得ですけれど、実際のところは日本に済んでいれば誰もが巻き込まれざるを得ません。その負の影響に苛まれる人の存在を無視して「いいじゃないか」と言い放つ菅原文太は、まさしく人と呼ばれるべきです。

 実績に乏しい若手芸能人ともなると震災後の自粛ムードの中で仕事が激減して生活が大変だとも聞きますが、こういう状況でも大御所は安泰なのでしょう。菅原文太のような「強者」には、弱者の置かれた立場など永遠に理解できないものなのかも知れません。「俺たちが若かったころは、かまどでご飯をたいて、七輪で魚を焼いていた。そういう暮らしの方が、人間が乾かないで済むよな」などとも宣うわけですけれど、今時そんな手間のかかる生活が可能なのは、例によって菅原文太のような大御所、有閑階級だけです。ブルジョワ趣味丸出しの毎日新聞にはお似合いの主張ではありますが、「人間が乾かないで済む」みたいな理由で電気無しの家事を押しつけられる主婦はどう思うのでしょうか。菅原文太が若かった頃には不可能であったバリアフリー等の生活支援の類だって、電力供給があってこそ可能になっているのです。エネルギーを消費することで自立が可能になった人や、家事の束縛から解放された人だっているわけです。昔は良かったと過去を美化するのは勝手ですが、美化される中で記憶から追いやられている影の部分もまた存在することを忘れるべきではないでしょう。

 

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0でなければ危険というわけではありません、言うまでもなく

2011-07-03 23:32:26 | ニュース

福島・浪江町の住民、異常なし 内部被ばく検査で放医研(北海道新聞)

 福島第1原発事故による内部被ばくを調べる福島県浪江町の住民10人の検査が終了し、放射線医学総合研究所(千葉市)は27日、現時点で異常は認められないとの見方を明らかにした。
 
 放医研によると、検査は1時間半ほどで終了。尿検査のほか、ホールボディーカウンターで体内の放射性物質の量を測定するなどした。今後は検査データを解析し、異常がないかどうか確認する。
 
 検査終了後、住民のうち男女2人が記者会見。両親や祖母らと暮らす女性(35)は「一緒にいた家族も安心できる」と安堵(あんど)の表情を見せたが「もう少し早く検査できればよかった」とも述べた。


福島2町村の15人が内部被ばく 広島、福島の研究者ら検査(北海道新聞)

 広島、福島の放射線研究者らが福島県飯舘村と川俣町の住民計15人の尿を検査したところ、全員から放射性セシウムが検出され、内部被ばくをしたとみられることが26日、分かった。
 
 両町村は福島第1原発から30~40キロの距離。調査した広島大の鎌田七男(かまだ・ななお)名誉教授(放射線生物学)は「今後、汚染された野菜などを食べなければ心配はないが、原発事故が収束しなければこの地区に住み続けるのは難しい」として、これらの地域を計画的避難区域とした政府の方針に理解を示した。

 さて、同じ新聞の同時期の記事なのですが、ほぼ正反対の報道となっています。個人ブロガーが好き勝手に書いているのではないのですから、もうちょっと編集する側には一貫性を求めたくなるところがないでもありません。ともあれ放医研によると「異常は認められない」のに対し、広島と福島の放射線研究者によると「内部被ばくをしたとみられる」そうです。この違いはどこに起因するのでしょうか? おそらく放医研の場合、平常時と比べて明白に高い値でなければ異常とは扱わないのに対し、後者の場合は0でなければすなわち内部被曝として扱っているものと推測されます。小出裕章よろしく針小棒大に語るのであれば、検出された数値が0でなければ危険ということになるのかも知れません。しかるに原発事故以前から大気中には自然の放射性物質が漂っており我々はそれを日常的に吸引していますし、放射性カリウムなどの摂取を通じてやはり体内に放射性物質を取り込んでいるわけです。「広島、福島の放射線研究者」の基準に沿うなら、福島の子供でなくとも地球上に住んでいる人間は誰でも「内部被曝している」との診断結果になりそうな気がします。

 ちなみに広島大の鎌田七男氏によると、「今後、汚染された野菜などを食べなければ心配はない」とのこと。この「汚染」の基準をとんでもなく厳しく見積もりたがる向きも目立ちますが、まぁ市場に流通しているものは問題ないでしょう。それより、日本は食糧自給率が危機的に低いのだ云々と原発事故以前は五月蠅く言われていたもので、本当にそんなに食糧自給率が低いのなら、地元の食材を口にする機会もまた少ないはず、本当に食糧供給を輸入に頼っているのなら、こういう状況ではむしろ安全なんじゃないのかと突っ込みたくもなります。原発事故を契機に食品の産地を期にするようになった人も多いと思いますが、身の回りの食品には国産が多いですか? それとも輸入品ばっかりですか? 畜産飼料を母数に参入し、あくまでカロリーベースで計算すれば日本の食糧自給率は確かに低めに見えますけれど、実際の流通ベースでは随分と異なることもまた判断材料として記憶に止めて欲しいところです。


未成年者の尿検査、全員から放射性物質…福島(読売新聞)

 福島県内の保護者らでつくる市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」(中手聖一代表)などは30日、東京電力福島第一原発事故の影響調査で、福島市内の6~16歳の男女10人の尿を検査した結果、全員から微量の放射性物質が検出されたと発表した。最大値は、放射性セシウム134が8歳女児の尿1リットル当たり1・13ベクレル、同137は7歳男児の同1・30ベクレル。

 中手代表は「通常、子どもの尿に放射性物質は含まれておらず、原発事故の影響は間違いない」としている。尿は5月下旬に採取し、フランスの放射線測定機関が検査した。

 で、今度は市民団体による調査です。曰く「通常、子どもの尿に放射性物質は含まれておらず、原発事故の影響は間違いない」そうで、早くも怪しさ大爆発です。そう言えばダイヤモンドかなんかのコラムで「チェルノブイリでは事故が起こる前、ガンになる人などいなかった」みたいなヨタを見かけたのを思い出します。ともあれ調査によると「最大値」は放射性セシウム134が1・13ベクレル、同137は1・30ベクレルとのこと。では50年ばかり前に行われた調査で尿中から検出された放射性セシウムの濃度はどれほどのものだったでしょうか。

 冷戦下、大気中での核実験が繰り返された時代にも当然ながら放射性物質は世界中を漂っていました。もちろん日本も例外ではありません。結果として尿中の放射性セシウム濃度が急上昇した時代もあったわけで、その値は福島で検出された「最大値」を何倍も上回っています。しかし、半世紀近くを経過した今なお有意な健康被害は確認されていないようです。結局、この程度であれば実質的な影響はないと考えられます。むしろ不健康にならざるを得ない避難生活の方が、よほど深刻でしょう。まぁ影響が小さすぎて確認できる範囲にないとは言っても、「放射線量が少ないに越したことはない」と判断して対策を取るのは間違いではないのかも知れません。ただ児童を強制的に疎開させたり、住民を強制的に退去させるなど当事者にとって極めて負担の重い対策を要求するとしたら、まさしく非人道的な行為として糾弾されるものです。対策はあくまで、住民の生活を害さない範囲で進められるべきであって、放射線を避けるための対策が住民を犠牲にするようなことともなれば、それこそ本末転倒であり、チェルノブイリを人為的に再現しようとする企てとすら言えるのではないでしょうか。

 ちなみに尿中から検出されたことからもわかるように、放射性セシウムもまた徐々に体外へと排出されていきます。半減期が長いからと言って、永遠に体内にとどまるわけではありません。だから過剰に深刻になるのもどうかと思うのですが、人によっては専門家の説明よりも週刊誌的な煽り報道や「市民団体」とか「ジャーナリスト」の脅しを真に受けてパニックに陥る人もいるようです。こういう状況で心配されるのは放射線の影響なんかよりもむしろ、カルトや代替医療の広まりです。そもそも昨今の反原発論がカルト化している云々はさておき、既存の医療への不信から新興宗教やホメオパシーの類にはまる人が今後はますます増えることも懸念されます。冒頭に挙げた放医研の説明よりも、市民団体の言葉を信じたがる人も少なからずいるわけです。元より近年の日本には科学に対して否定的なところがありましたけれど、その傾向が原発事故後はなおさら強まり、反動的に非科学的なものが影響を強めていくことも考えられます。個人として精神論や文明論を称揚するのは勝手ですけれど、親が代替医療に熱を上げて適切な治療を受けられなくなる子供が増えるとしたら、それは間違いなく深刻な事態ですね。

 

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おそらくKDDIに限らない話

2011-07-01 23:07:18 | ニュース

サマータイムは不健康…睡眠学会が反対を提言へ(読売新聞)

 夏季に時計の針を1時間程度進めるサマータイム制度について、「健康への悪影響が大きく、節電効果が乏しい」と反対する提言を、不眠症治療の専門医らでつくる日本睡眠学会が近くまとめる。

 原子力発電所の停止に伴う電力不足で制度導入の動きが出ているが、健康面の悪影響や省エネ効果の乏しさを指摘する論文が国内外で増えており、「弊害の大きさがより鮮明になっている」としている。

 サマータイムは、涼しい朝や明るい時間帯を有効活用する目的で、欧米などの70か国以上が実施している。同学会によると、欧米での調査では、サマータイムによって睡眠時間の短縮、睡眠の質の悪化がみられ、朝起きるのが苦手な夜型人間は4週間たっても生体リズムが同調しなかった。また、帰宅後の冷房使用が増えて節電につながらず、米国では消費電力が1~4%増えた例もあった。

 さて、6月にして都内で猛暑日が観測され東京電力管内は早くも危険な領域に突入するなど暗雲が立ちこめる今日です。こんな状況だけに節電を唄えばそれだけで随分と肯定的に扱われるもので、サマータイム導入論も俄に活気づいているフシがあります。しかるに世界に目を向ければサマータイムを廃止する国もまた少なくなく、加えて節電効果は疑わしいとの調査結果も出ているとのことです。元より健康面への悪影響も懸念されるところですし、こういう時代だからこそ慎重になってほしいと思います。

 しかるに、国単位ではなく、特定の官公庁や特定の企業で独自にサマータイム的な勤務体系を導入し始めたところも既に少なくありません。ただ特定の組織だけで始業時間を前倒ししたところで顧客や利用者、取引先との兼ね合いもありますから始業を早めたところで終業時間も早くなるかというと、そう簡単にはいかないわけです。節電に協力する、省エネに協力するとの美名を掲げつつ、実質的な労働強化に踏み切っているところも少なくないのではないでしょうか。上記引用で指摘されているような問題に加えて、労働時間の増加という問題もまた大いに憂慮されます。

参考、KDDIは電気代を4割節約するようです

 そこで上記エントリの続報です。別にKDDIに恨みがあるわけではありませんし、ましてやKDDIに固有の問題ではなく他の企業にも共通する問題でもありますが(この頃は日本の労働環境における普遍的な搾取の問題を、さも原発に特有の問題であるかのごとく矮小化して語るのが流行りみたいですけれど!)、KDDIとは業務上でそれなりに接点がありますので、今後は具体例として何度か挙げることになると思います。取りあえずKDDIでも部署によって対応は随分と異なるようで、私が関わる部署では大幅に在宅勤務が増えるということもなさそうでした。ただし、勤務時間が1時間繰り上がって8時からの始業になるところが多いようです。そのままフルタイムで17:30まで働く人もいれば(誤植なのかも知れませんけれど、取引先各位へと送付された案内文書を見る限りKDDIでは始業時間が8:00からと早まるにもかかわらず、終業時間は17:30のままなのです)、社内勤務は13時まで、後は在宅勤務という人のシフトもいます。しかるに在宅勤務のシフトの中には不思議なものもあって、普通に家で17時とか18時まで仕事をするのかと思いきや、17時から19時30分までが仕事時間として指定されていたりするのです。

会社での勤務時間が8:00~13:00
在宅での勤務時間が17:00~19:30

 もちろん全員がこういうシフトで働くわけではなさそうですが、なかなか不思議な勤務時間です。指定された勤務時間の合計を見れば帳尻は合うのかも知れませんけれど、こういう働き方をする人の中には負担に感じる人も多いような気がします。電力需要のピークとなる時間を勤務時間から外す意図があるのかとも推測されますが、勤務時間でなくとも普通に生活していれば電気は使いますから、このような半端なシフトが節電に繋がるとは考えにくいところですし。そもそもシフト上は13:00~17:00が勤務時間外となりますけれど、本当に仕事をしない自由な時間として過ごせるものなのでしょうか。取引先企業や通常シフトで勤務する同僚が仕事の電話をしてくる、仕事のメールを送ってくることぐらいは普通にあるはずです(例によって私の勤務先に送られた案内では、誰が在宅勤務なのかまでの詳細は不明です。普通に仕事中だろうと思って電話をかけた相手が、実は勤務シフトの時間外である可能性は少なからず出てくることでしょう)。「今は勤務時間外です」と無視を決め込むようなことが果たして社会的にどれほど許容されるのかも大いに疑わしいわけで、実質的には13:00~17:00もまた仕事の時間になるように思われてなりません。

 そもそも変則的な勤務時間に振り回されるのは、その勤務シフトを導入した企業だけに止まらないはずです。取引先企業の担当者にしても主要顧客の営業時間は考慮せざるを得ないだけに、必然的に取引先のシフトに左右されることとなります。メインの取引先の営業時間中には、いつでも対応できるよう備えておかざるを得ませんし、その一方で自分が勤める会社の勤務時間にも拘束されるわけです。取引先の勤務シフトが早まれば、それに対応できるよう動くしかない、しかし取引先の終業時間が早まったからと言って自分も早く帰るというわけにはいかないのです。あるいはKDDIは部署単位でまとまった日数の夏期休業期間を設けるようで、これまた取引先としては対応が難しい、どの会社もお盆の時期に一斉に休んでいれば問題はないのですが、休業期間がバラバラになった場合はどうなるでしょう? 自社の休業期間中でも主要顧客が営業中とあらば、やはり休んではいられないのが実態でもあります。KDDI担当の営業は「まぁ携帯とノートPCがあれば連絡は取れるから……」と言っていましたけれど、まぁ間違いなく仕事に拘束される時間は増えることでしょう。休業期間のシフトはピークの抑制という面では効果的ですが、少なからず労働強化に繋がる側面を持っています。

 皆で一斉に働き、皆で一斉に休む――こうした社会は、実は電力需給を考えると意外に贅沢なものでもあります。九州では玄海原発に再稼働の目処が立ったようで一時的にでもしのげる地域は出てくるかも知れませんが、それでも深刻な電力不足が見込まれる中では必然的に贅沢が許されなくなっていくわけで、今後は少ない電力を「分かち合う」ことを余儀なくされる場面も増えざるを得ないでしょう。そこで電力を「分かち合う」上で最も有効で現実的なのはピークシフト、つまり「皆で一斉に働く=皆で一斉に電気を使う」ことを止めることです。代わりに、ある人は早朝に働き、エリートは昼間に働き、またある人は深夜に働く、もしくはエリートは平日に働き、そうでない人は土日祝日に働く等々、こうした「分かち合い」が必須となっていくわけです。私なんかは皆で一斉に働き、皆で一斉に休める「贅沢」が可能な社会を目指してほしいと思うのですが、どうも昨今の日本が向かっているのは対極であるように見えます。

 

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あの前原ですら相対的にマトモな部類に見えてしまう

2011-06-29 23:31:26 | ニュース

広がる消灯、障害者不安 車いす利用「エレベーター停止困る」(産経新聞)

 ■バリアフリー両立を

 東日本大震災と福島第1原発事故に伴う電力不足や関西電力の節電要請で、近畿地方の官公庁や企業などで節電の動きが広がるなか、施設の利便性の低下を懸念する身体障害者から困惑の声が上がっている。「車いすを使っているので、エレベーターなどが停止してしまうのは困る」「照明を目印にしていた視覚障害者は、暗い駅などで消灯されると身動きが取れなくなり、大変危険」といった声も多く、施設関係者は「極端な節電に走らず、バリアフリーと両立していく方法を考えてほしい」と訴えている。

 「官公庁やデパートではすでにエスカレーターやエレベーターが止まっている場所が多く、買い物にも行きづらくなってきた」。脳を保護する脳脊髄液が漏れ、歩行困難などの症状が出る「脳脊髄液減少症」のため、約10年前から車いすを使用する大阪市西淀川区のNPO法人理事長、栂(とが)紀久代さん(59)は、急速に広がりつつある“節電ブーム”への不安を口にする。

(中略)

 大阪府視覚障害者福祉協会(大阪市天王寺区)で勤務する全盲の男性職員(33)は、JRや私鉄などが導入を検討している「節電ダイヤ」について、「自分たちは、急にダイヤが変更されても掲示板を確認することができないし、情報を瞬時に把握するのは難しい」と、ため息交じりに話す。

 同協会によると、視覚障害者の半数近くは、わずかに視力が残る弱視者で、弱視者の多くはこれまで、照明の光などを目印に移動などを行っていたが、消灯の動きが広がっていることで、日常生活に影響が出始めているという。

 本来ならば節電の必要がなかったはずの関西圏でも、脱原発ドミノとも言うべき状況の中で俄に節電圧力が強まり続けています。この頃は脱原発自体が人気取りには格好の材料ともなりますし、節電にかこつけて隣人に節制や我慢を強いることを好む首長や市民も少なくない中では、こういった状況への批判はなかなか上がってこないものです。節電にかこつけて利用者や従業員に過剰な不便を強いたり、節電を装いつつ実は電気代を節約しているだけみたいな企業は非難を浴びてしかるべきではないかと思われるのですが、実態はいかがなものでしょう。むしろ便利さの方が過剰な贅沢として忌避され、適度に不便さを装ったぐらいの方が世論のウケは悪くないのかも知れません。しかるに、こうした節電ブームの影で真っ先に困窮するのは、引用元で挙げられたような障害者などの社会的弱者でもあります。


前原前外相「急激な脱原発はポピュリズム」 首相を批判(朝日新聞)

 民主党の前原誠司前外相は26日、神戸市内で講演し、菅直人首相が原発政策見直しに意欲を示していることについて「今の民主党は少しポピュリズム(大衆迎合)に走りすぎている。私も日本が20年先に原発をなくすことは賛成だ。しかし、振り子が急激に脱原発に振れた時、皆さんの生活が一体どうなるか考えるのが本来の政治だ」と批判した。

 首相が主導した中部電力浜岡原発の運転停止についても「止めることの是非と、止め方の是非を後で検証しなければならない」と語った。菅政権が検討する消費増税などについても「日本がかかっているデフレという病気を脱却し、安定した経済成長に移るまでは増税すべきではない」と慎重な考えを示した。

 この頃は産経新聞の方が他紙より弱者目線の記事を載せる頻度が高いのではないかというフシがあったり(反対に弱者の立場を無視したブルジョワ趣味丸出しの論調が目立つのは毎日新聞ですね)、あるいは今回の前原が随分とマトモなことを口にしたりと、まぁ天変地異を思わせる状況が続いています(もっとも橋下とかダイヤモンドの類は原発事故後も一貫してぶれることなくトンデモですが)。もちろん民主党がポピュリズムに走るのが今に始まったことではないのは言うまでもなく、前原発言に関しては「今の民主党も相変わらずポピュリズムに走りすぎている」と訂正したくなるところもありますが、その先はどうでしょうか。

 20年先に原発をなくすというのは難しいのではないか、例によって原発を一括りするのは乱暴で、老朽化の度合いや設計の新旧を鑑みて個別にリスク評価すべきではないか等々ツッコミどころはありますけれど、「皆さんの生活が一体どうなるか」というのは反原発の盛り上がりの中で忘れられがちなテーマだけに、これを持ち出しただけでも評価したいところです。そもそも東京電力管内は致し方ないところがあるにせよ、西日本は今まで通りの電力需給と生活を継続することが可能だったはず、しかるに「振り子が急激に脱原発に振れた」結果として、冒頭で引用したように弱者から真っ先に忍従を強いられる状況ができあがっているわけです(もちろん労働や雇用環境にも影響は及びます、まずは不安定な立場にいる人から……)。いったい何を今の政治は目的としているのか、住民の生活が第一ではないのか、それとも脱原発が第一なのか、有権者からの支持を集めることが目的であれば後者を選ぶのが合理的なのかも知れませんが、それを本来の政治とは認めたくはないです。

 消費税に関しては「安定した経済成長に移るまでは増税すべきではない」とのことで、まぁ景気が回復しても消費税より先に累進課税を機能させるのが先ではないかと言いたくもなりますが、これでも今時はマトモな方に見えてくるのですから困ったものです。かつては不況であるにもかかわらず財政再建を優先しようとする「財政再建が第一」な人も少なくなく、不況時にやるべきことか?と疑問を呈しただけでも財政再建に反対しているかのごとく扱われたわけですが、今は「脱原発が第一」の人が跋扈していて、代わりの発電手段を確保できない内にやることか?と問いかけただけでも原発推進派扱いされる有様です。自説を押し通そうとするだけではなく、適切な状況かどうかを考えようとする姿勢を持っているだけでも、今時は貴重なんじゃないかという気がしてきますね。とりわけ政治家となればなおさらです。状況によっては前原がマトモな部類に入るほど、今日の政治を巡る言論は激しい速度で劣化を続けているようです。

 

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せめて筋は通したい

2011-06-27 23:10:04 | ニュース

原発是非問う国民投票、日本でも…市民団体結成(読売新聞)

 イタリアが国民投票で「脱原発」を決めたことなどを受け、日本でも原子力発電の是非を問う国民投票の実現を目指す市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」の結成総会が25日、東京都中央区の公民館で開かれた。

 今後、国会議員に対し、議員立法による「原発国民投票法」の提出を働きかけ、今年12月の法案成立、来年3月25日投票を目指すという。

 この日は、約70人が参加。国民投票について、アンケート形式で〈1〉原発の新規建設を認めるかどうか〈2〉既存の原発の稼働を認めるか、段階的に閉鎖するか――を問う案が公表された。同団体の構想では、諮問型の国民投票を想定、投票結果に法的拘束力はないが、国会で事前に「結果を尊重する」などと取り決めることで、国民の意思を反映させたいとしている。

 なにやら国民投票をやりたがっている人々がいるそうです。一瞬、安倍晋三が作った法案がついに使われる時が来たのかと思いましたが、どうやら「原発国民投票法」ということで個別に法案を設けようとしているみたいです。安倍晋三の国民投票法に関しては「国民投票による意思表示の機会を憲法改正への同意に限定するのはおかしい」なんて批判もあったようですけれど、こちらの原発限定の国民投票法案はいかがなものでしょうか。

 それよりも疑問に感じるのは、今は国民に意見を問うべき時なのか、今は未来を決めるべき時として適切なのかということです。少し前にも書いたことですが、例えば北朝鮮がミサイル実験を強行した直後に「ミサイル防衛計画を強化すべきか」とか、周辺国で武力衝突が起こったタイミングで「日米同盟を強化すべきか」と問いかけ、国民投票に踏み切るとしたらどうでしょう? 私はどちらも適切な時期ではない、国民に意見を問うならせめて素面の時にすべきではないかと考えるわけですが、人によっては片方に賛成し、片方に反対するダブスタぶりを躊躇なく発揮してしまうものなのかも知れません。つまり、国際的な緊張が高まった時期に軍備や軍事同盟強化の是非を問うような手口には反対する一方で、原発事故が起これば今こそ好機とばかりに国民投票に持ち込もうとする、そういう人も少なくないように思います。自説に都合の良いタイミングで勝負を仕掛けたい気持ちはわからないでもありませんが……

・・・・・

 自分が共感できる対象の人権だけを尊重し、気に入らない相手の人権は否定するとしたら、その人は人権派とは呼べません。いかに「無辜の民」の人権を重んじていたとしても、世間的にバッシングの対象となるような、例えば凶悪犯罪の加害者などの人権は全否定するようであれば、決して人権派とは言えないはずです。犯罪者であろうとも、受けるべき罰もあれば守られねばならない人間としての権利はあるわけで、そういう嫌われ者の権利を尊重できるかどうかで、本当の意味での人権派か、それとも単に「正義」を振りかざしているだけなのかが分かれるでしょう。

 上で挙げたような凶悪犯罪もそうですし、あるいは北朝鮮の拉致被害でもそうですが、被害者意識を無尽蔵に拡大させ、社会全体を巻き込んだ憎悪を駆り立てようとする人もいます。逆に凶悪犯罪や拉致被害の「小ささ」を鑑みて、そのために国民への監視を強めたり国際関係にヒビを入れたりするのはどうかと考える人もいます。不運にして当事者となってしまった個人にとっては重大な悲劇でも、やはり社会全体へ制限をかけねばならないものではないだろう、と。概ね右派は前者が、左派は後者の立場がそれぞれ強いわけで、犯罪被害者や拉致被害者に対する左派の態度は右派にしてみれば冷淡なものに見えるようです。しかるに原発に関してはどうでしょうか、果たして日本中に電力不足の危機を招き国民に不自由を強いてまで稼働停止を急がねばならないほどなのか大いに首を傾げるところですけれど、こと原発が絡むと左派も右派と似たようなロジックを披露する人が多いのか、原発事故に対して冷静でいることを許さない気運は高まりつつあります。


東電、人員削減に初めて言及 年末までに規模詰める(朝日新聞)

 東京電力は24日、福島第一原発事故の損害賠償に充てる資金をまかなうため、グループ全体で約5万2千人いる従業員の削減を検討することを明らかにした。事故の収束や賠償の事務を担う社員の確保を前提に、年末までに削減規模を詰める。

 同日あった「東電に関する経営・財務調査委員会」(委員長・下河辺和彦弁護士)の聞き取り調査に出席した勝俣恒久会長が、合理化策として示した。一般社員の年収20%削減や役員報酬返上などで年約540億円の人件費削減は5月に公表したが、24日の説明資料では、「人員削減の実施も検討(年内に詳細公表)」などと初めて言及した。

 また、委員から見直しの声が出ている企業年金について、勝俣会長は委員会の終了後、記者団の質問に対し、「年金は法律で守られているが、(運用の)利率をどうするかなど、委員会の意見を十分に受け止めたい」と述べ、制度見直しに踏み切る考えも示した。

 労働者の権利を守るべしと言いつつも電力会社社員だけは例外として扱うとしたら、それは犯罪者の人権は認めないと豪語しているような輩と変わらないことを示すのみです。加害者なり被告人にも人権はあるように、電力会社社員にも労働者としての権利は当然あります。こちらでも触れたことですけれど、安易に人員削減や賃下げ、年給の減額など労働条件の不利益変更が認められていいのか、それを迫られているのが嫌われ者であるからこそ疑問の一つも投げかけるべきなのです。犯罪者は罵倒して置いた方が世間的にはウケが良いように、電力会社社員に対しても同様、リストラを「当然だ!」とでも評して置いた方が無難な時代ではあるのでしょう。ですが、ここで安易に労働条件の不利益変更を認めてしまったら、もう労働者の権利を語る資格などありません。

 

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悲しき亜熱帯

2011-06-25 22:52:21 | ニュース

埼玉・熊谷市で39.8度 6月の最高気温記録を更新(朝日新聞)

 梅雨の晴れ間が続く関東地方では24日、埼玉県熊谷市で39.8度を観測するなど、内陸部を中心に記録的な猛暑となった。気象庁によると、埼玉県鳩山、寄居両町、群馬県高崎、館林両市などの5地点で39度以上となり、国内での6月の最高気温を20年ぶりに更新した。これまでの最高は1991年6月に静岡市で観測された38.3度。記録的猛暑だった昨夏でも、最高気温は岐阜県多治見市の39.4度(7月)だった。

 35度以上の猛暑日は全国で53地点、30度以上の真夏日は442地点でいずれも今年最多。関東の内陸部は今年初の猛暑日となった22日から高温が続き、24日は太平洋高気圧に沿うように西からの暖かく乾いた空気が吹き込んだため、高温に拍車がかかった。各地で、熱中症によって病院に搬送される人が相次いだ。


熱中症で搬送、すでに685人…沖縄では死者も(読売新聞)

 熱中症で救急搬送された人は19日までの3週間に全国で685人にのぼり、うち沖縄県の女性1人が死亡したことが、総務省消防庁の調査(速報値)でわかった。

 九州・山口地方の今夏の気温は平年並みか、平年より高くなる見込み。節電のためエアコンの使用を控える家庭も多くなりそうで、関係者はこまめな水分補給などを呼びかけている。

 都道府県別の搬送者数は沖縄の67人が最多。愛知64人、大阪37人と続いた。このほか、福岡19人、大分12人、山口4人などとなっている。沖縄は昨年6月の1か月間(37人)を上回った。年齢層別で見ると、65歳以上が40・3%を占めた。

 死亡した沖縄県うるま市の女性は70歳代。沖縄地方が梅雨明けし、真夏日となった9日の夕方、自宅で就寝中に家族が異変に気づいた。救急隊員が駆けつけた際、室内は高温多湿の状態で、女性の体温は40度近く、汗をかいていなかった。

 さて、木曜金曜と恐ろしく暑い日が続きました。まだ暑さがそれほどでもなかった19日までの速報値ですら既に熱中症による死者が出ていることが伝えられていますけれど、今後はますます酷いことになりそうです。広瀬隆の占いによれば「今年の夏が昨年のように猛暑になることはまずあり得ない」とのことですが、占いをアテにして対策を怠れば大惨事を招くことでしょう。取りあえず以前にも書いたことですけれど、熱中症になりやすい、特に生命の危険にさらされるほど症状を悪化させてしまうのは、暑がりの人ではなく「暑さを自覚できない人」です。やはり高齢の人が多いわけですが、暑さを自覚できない、すなわち暑いのに「まだまだ平気」だと錯覚してしまう人も少なくなく、結果として救急車で搬送されることになります。死にたくなければ早めに冷房を入れた方が良いでしょうし、周りがそれを促すことも必要です。


エアコン停止作戦で会見ボードも新調…橋下知事(読売新聞)

 停電危機の際の「エアコン停止作戦」を打ち出した大阪府の橋下徹知事は22日午前、「エアコン切れば原発止まる」と書かれたボードを背に、報道陣の取材に応じた。

 ポロシャツ姿で「夏場の使用電力のほとんどはエアコン。一人ひとりの行動で、原発依存度は下げられる」と呼びかけた。

 橋下知事は、関西電力の八木誠社長と21日行った会談で、電力不足で大規模停電の危険性がある場合は、関西の府県民に「エアコン停止要請をする」と提案。この日朝、府庁で行う記者会見用のボードの模様替えも指示した。

 新調されたボードを背に橋下知事は「常に(エアコンを)切れと言っているわけではない。いざという時に一斉に行動してほしい」と理解を求めた。

 で、昨今の脱原発論の最大公約数的な姿を体現している橋下がこのように宣うわけです。「エアコン切れば原発止まる」なんてボードを掲げたそうですが、これから夏に向けてエアコンを切れば、先に誰かの心臓が止まります。脱原発のためなら罪なき民間人が死んでも構わないと思っているのでしょうか。まぁ、橋下が「尊い犠牲」を産むことに躊躇いなど感じないであろうことは想像に難くありません。「いざという時に一斉に行動してほしい」とも述べていますけれど、こういう危機に前にして大同団結、挙国一致的なムード作りも橋下は大いに好むところでしょう。例によって橋下には反対しているつもりの人も、こと原発が絡むと実質的に同じことを主張しているフシがあるだけに色々と危ういです。

 なお橋下によると「夏場の使用電力のほとんどはエアコン」だそうです。この辺は財政難の原因は公務員の人件費云々と似たような理屈で、不都合の原因を何か気に入らないものへ押しつけているに過ぎません。エアコンの電力消費は決して小さいものではないにせよ、家庭レベルで見てさえ冷蔵庫や照明、テレビやPC等々、負けず劣らず電気を消耗するものはいくらでもありますし、幾ら家庭レベルで節電に努めたところで産業用途だって抑えていかないと電力は絶対的に足りないわけです。もっとも産業用途を抑制すれば、それは第一に職場の空調など従業員の労働環境に関わる部分を削ったり、勤務時間を夜間や休日にシフトさせるなどの動きにしか繋がらないだけに、どのみち痛い目を見る人は変わらないとも考えられますが。

 橋下はポロシャツ姿で会見に臨んだそうです。どんなに暑くともスーツにネクタイで仕事に当たるべきという日本的な価値観が必然的に弱められようとしているのは、電力不足が迫る中では唯一の肯定的に評価できる点とも言えますが、ただ従業員なり職員なりが「自主的な」判断でポロシャツを着てきたらどうなるんだろうと思わないでもありません。知事なり会社上層部なりの号令で軽装が呼びかけられる中で、そのガイドラインに従った服装で出勤するのであれば橋下も咎め立てはしないでしょう。ただし橋下が「クールビズで」みたいな号令をかけるのに先立って、府の職員が自らの判断に基づきポロシャツでの勤務を始めたとしたら、それこそ非難囂々だったはずです。少なくとも風通しが良くなることはなさそうだな、という気もしますね。

 ちなみに私の子供の頃は、扇風機の風に当たり続けると死ぬと教えられてきました。出来るだけ扇風機の風に当たらないようにしろ、絶対に直接風に当たってはならないと口を酸っぱくして言われたものです。皆様の幼少時はいかがなものでしたか? まだエアコンがそれほど普及していなかった時代、悪玉はエアコンではなく扇風機だったのです。かつては読書や野球が悪癖として論難されていたのが、いつの間にかゲームや携帯電話が悪徳として批判の対象となったように、道徳が敵視する対象は時代と共に移り変わります。いずれにせよ「快適」をもたらすものは道徳的に断罪されやすく、その「快適」さを抑えこもうとする主張は左右問わず根強い支持を得ているのではないでしょうか。だから夏場に向けて快適さの象徴たるエアコンが悪玉としてあげられ、それを使わない節制が是とされるわけです。

 「誰もが何一つ不自由なく快適に暮らせる社会を目指します」なんてのより、「豊かさばかりを追わずにもっと慎ましく生きよう」みたいなことを説く輩の方が絶対的に賛同を集めるようになって久しいですが、こうした傾向が輪をかけて強まろうとしているのは頭の痛い話です。原発推進とか言っていた石原慎太郎にしてさえ節電を求めることに関しては妙に乗り気で、では石原に反対しているつもりの人はどうかと言えば、やはり「これからは低エネルギー社会だ、低消費社会だ」と方向性としては石原なり橋下なりと変わらない人が目立ちます。まぁ他人の欲望を抑え込みたがる、他人に我慢をさせたがる、それが日本人のアイデンティティになってしまったのかも知れません。

 

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乾物くんは乾物ランドのプリンスです

2011-06-22 22:59:44 | ニュース

 さて皆様、カルシウムの多い食品を挙げよと問われたら、何を真っ先に思い浮かべますでしょうか? 王道としては、やっぱり牛乳が出てきますかね。カルシウムと言ったら牛乳です。ただし牛乳よりカルシウム含有量多い食品は色々とあります。例えばチーズとか、脱脂粉乳とか。でも、「脱脂粉乳の方が牛乳よりカルシウムが多い!」とか主張する人がいるとしたら、それはちょっと奇妙に聞こえると思います。元は牛乳でしょ?と。他にはまぁ、干しエビとか煮干しとかも、あるいはヒジキとか青ノリなんかも牛乳よりカルシウムが多いです。そんなわけで、この手の乾物類は時に「100g辺りのカルシウムが牛乳の○○倍」みたいな健康食品としてアピールされることもあります。だけど牛乳と同じ分量の青ノリを摂取しようなんて、どう考えたって馬鹿げた話ですよね……


仏で静岡茶「規制値超え」 川勝知事「調査急ぐ」(中日新聞)

 空輸された静岡県産の緑茶の葉から欧州連合(EU)の許容基準を超える放射性セシウムが検出されたとフランス当局が発表した問題で、川勝平太知事は18日、三島市内で取材に応じ「非常に驚いている。誤解を招かないように早速調査に入りたい」と事実確認を急ぐ考えを示した。

 川勝知事は、3月に「静岡県産」と誤表記されたコマツナから放射性物質が検出され、シンガポールへの県内産農産物が一時輸入停止されたことに言及。今回の問題にも「シンガポールでの例もあり、しっかりと確かめる必要がある」と冷静な反応を見せた。

 検出されたとされる1キログラムあたり1038ベクレルの数値には「飲用の茶では10ベクレル程度になるだろう。全く心配ない」と強調。「恒常的な経口摂取でどれだけ影響が出るのかが重要。フランスでは茶を食べる習慣はなく、(規制値の)500ベクレルという数字が独り歩きしている」と述べた。

 静岡県などによると、EUの規制値は大震災を受けて4月に、それまでの1250ベクレルから日本の規制値である500ベクレルに引き下げられ厳しくなった。

 さて、こんな報道もありました。川勝知事の発言は方々で批判されているみたいですが、同情の余地がないでもありません。「静岡県などによると~」と、中日新聞の報道は妙に頼りないのですけれど、元々EUのセシウム規制値は飲料や乳製品を除いて1250ベクレルだったはず、つまり原発事故以前であれば、ここで取り沙汰されている茶葉も規制値以内と判断され普通に輸入されていたことになります。今まで普通にOKだったものを急に基準を厳しくされてダメ出しされた側とすれば、恨み言や言い訳の一つも出てくるものなのでしょう。ここは対外的に厳しく基準を管理する姿勢を見せないと評判を落とすところでもあり(生産者側でも身の潔白を証明しようという意図なのか検査を受けることに肯定的な立場が多いとも聞きます)、その点で川勝発言はクレバーではないのかも知れませんが……

 ちなみに「飲用の茶では10ベクレル程度になるだろう」と知事が述べています。この発言は甘い想定に基づいたものである可能性を考慮し、ちょっと厳し目に100ベクレルぐらいまでにしか下がらないとしましょう。そこで1キログラムあたり100ベクレルの緑茶飲料をペットボトルに詰めて輸出した場合を考えてください。たしかEUのセシウム規制値は元が1000ベクレルで、原発事故後は200に引き下げられました。200ベクレル以下なら新基準に照らしても規制値未満です。問題の静岡産茶葉も、飲用のお茶にしてボトルに詰めて輸出すれば、特に問題視されることはなかったものと推測されます。そもそも輸出したのは乾燥茶葉でしょうから、青々とした生の葉っぱの状態であっても単位辺りの放射線量は相当に下がったはずです。サラダにしても食べられそうな瑞々しい状態で出荷しておけば500ベクレルぐらいは容易にクリアできたような気がします。

 まぁ、この手の検査は杓子定規な基準にならざるを得ないものなのかも知れません。あまり個別の例に対応しすぎると、今度は抜け穴が出来てしまうこともあったり、不適正な基準が新たにできあがってしまう場合もあるのでしょう。ただまぁ、乾物の類に対してグラム辺りの含有量を考えるときは実際に摂取する分量を考慮しないと、実態からかけ離れたイメージが一人歩きしてしまいます。5倍濃縮のめんつゆは食塩が多すぎて不健康だけれど、2倍濃縮のめんつゆはその限りではない――なんてことはないわけです。基準値超え云々と聞かされるとなにやら身構えてしまう人も多いと思いますが、乾物は何でも濃縮されていますので、その辺は割り引いて受け止めるべきでしょう。心配しなければならないのは、風評に振り回される生産者の人と、後は乾燥茶葉を丼に入れてバリバリ食べるような人だけです(そんな偏った食生活では放射線云々以前の問題で健康を損ねること間違いなしですが……)。取りあえず対外的には厳しく輸出基準を管理する姿勢を見せねばならないところもあるでしょうけれど、国内に住む消費者は、あまり過剰に受け止めないことが大事だと思います。

 

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「廃炉推進」82%?

2011-06-20 23:36:26 | ニュース

「廃炉推進」82% 「不安感じる」倍増 原発世論調査(中日新聞)

 本社加盟の日本世論調査会が今月11、12日に実施した全国世論調査によると、国内に現在54基ある原発を「直ちに全て廃炉にする」「定期検査に入ったものから廃炉にする」「電力需給に応じて廃炉を進める」とした人が合わせて82%に上り、「現状維持」の14%を大きく上回った。福島第1原発事故が収束せず、その後の対応をめぐる政府、東京電力の不手際が指摘される中、国が推進してきた原発政策への不信感の強さが浮き彫りになった。

 事故前後での原発への不安を聞いたところ、事故前に「大いに不安を感じていた」「ある程度感じていた」は計43%だったのに、事故後は計94%と倍増。今回の事故が与えた心理的変化の大きさを裏付けている。

 こういう時期の世論調査は何かとバイアスが掛かりやすいだけに慎重に見る必要があると思います。例えば周辺国で軍事衝突が発生している最中に「日米同盟を強化すべきか」「ミサイル防衛計画を推進すべきか」みたいなアンケート、あるいは国民投票なんかが行われるとしたら、国民に意思を問う時期として不適切と感じる人も多いはずです。しかるに世論調査によると「電力需給に応じて廃炉を進める」と回答した人が53.7%との結果が出ています。とかく先鋭化しがちなネット世論にはともすると惑わされがちですが(現職の政治家だって惑わされていますから)、ネットの外の世論調査であればこんなところなのでしょうか。「直ちに全て廃炉にする」「定期検査に入ったものから廃炉にする」みたいな急進派は幸いにして多数派とはなっていないようです。「電力需給に応じて廃炉を進める」と言うことは要するに、電力不足に陥ろうとお構いなしに原発は潰すべしみたいな「脱原発が第一」な人々とは相応の距離があるわけで、この辺は胸をなで下ろすところです。しかるに記事の見出しは「廃炉推進」82%となっています。引用元の本文でも「直ちに全て廃炉にする」「定期検査に入ったものから廃炉にする」「電力需給に応じて廃炉を進める」とした人が合わせて82%と書かれており、その内訳はグラフに記されるのみとなっていますが……

 この辺、消費税増税を巡る世論調査なんかを思い出すところでしょうか。「消費税増税賛成が過半数」みたいな見出しで、さも世論が消費税増税を容認しているかの如き印象を与えておきながら、いざ内訳を見てみると「財政状況によっては増税もやむを得ない」みたいな消極的な回答が多数を占めていたりするわけです。その辺の曖昧な部分や消極的回答を恣意的に振り分けることで、あたかも賛成が多数派、あるいは反対が多数派であるかの如き見出しを掲げる――まぁ、よくあることです。そもそも「電力需給に応じて廃炉を進める」と言うことは、すなわち電力不足であれば原発の稼働を認めることを暗に意味しているはずで、むしろ「直ちに全て廃炉にする」みたいな回答をした急診派とは相容れないような気がしますが、本当に「廃炉推進」82%と一括りにしていいのでしょうか?

 だいたい、電力が余っても尚ムダに発電所を稼働させようなんて物好きも滅多にいないわけです(そこで働いている人の新たな雇用を確保するのが先だ、ぐらいに言ってもいいですけれど)。電力供給に余裕のある状態で敢えて発電所を稼働させ続けようなんて酔狂な人でもなければ、「電力需給に応じて」という回答に落ち着くのが自然です。これを「直ちに全て廃炉にする」みたいな回答と一緒くたにするのは無理があります。元より先の統一地方選では、原発周辺地域の首長候補が「原発推進派」「反原発派」などと二元論的な色分けをされて報道されることも多かったはず、しかるに当時の色分けの基準はどうだったでしょう? 「直ちに全て廃炉にする」的な急進派が「反原発派」とされ、状況を見て判断する、今のところは現状を維持するみたいな立場は軒並み「原発推進派」として括られていたように思います。「電力需給に応じて」的な穏健派は、その時々のノリ次第で原発推進派に組み込まれたり、あるいは廃炉推進派に組み込まれたりと、とかくメディアの扱いは恣意的です。

 まぁ反原発論ってのは、財政再建論と似たようなノリがあるのかも知れません。別に財政再建そのものに反対してはいないけれど、不況下で財政再建を優先することには異議アリみたいな立場でも、財政再建派にしてみれば「財政がどうなってもいいのか!子孫にツケを残すな!」と憤りの対象になっているものではないでしょうか。原発を巡る言論も同様、電力供給に余裕がない状況での急進的な反原発論には首を傾げる人々に対して、脱原発が第一な人々が向けるものは財政再建至上主義者のそれと酷似しています。いずれにせよ、あまり健全とは言えませんね。

 ちなみに山本太郎とか村上春樹とか、その他諸々に言わせればメディアは電力会社によって支配されているとのことですが、しかるに自称全国紙の産経新聞より発行部数の多い大メディアでも「廃炉推進」82%などと廃炉推進派が多数であるかのごとく見せかけようと露骨な印象操作に走っているわけです(同じ調査を引き合いに出したAFPの見出しも「82%が原発廃炉を希望、世論調査」となっており、何だかなぁと思います)。電力会社がメディアを買収し~みたいな陰謀論的世界観は、いい加減に捨てたらどうかと思いますね。本当に電力会社がメディアを支配しているのなら、もうちょっと上手くやるはず、そうでなくとも「電力需給に応じて」という回答を「直ちに全て廃炉にする」と同じ枠に組み込んでまで廃炉推進派を多数派に見せかけるような姑息な真似はしないでしょう。


 政府がエネルギー基本計画で掲げていた「2030年までに原発14基以上を新増設する」との方針には、67%が「新設、増設するべきではない」と回答。「14基より減らすべきだ」は22%で、「方針通り進めるべきだ」は6%だった。

 現在運転中の原発の安全対策では「運転を続けて定期検査で対応するべきだ」が54%で「直ちに止めて対応するべきだ」の38%を上回り、政府の要請で運転停止した浜岡原発のような異例の措置よりも、日常生活への影響も踏まえた現実的な措置を求める声が強かった。

 また、今後重点的に取り組むべきエネルギー分野(2つまで回答)では、太陽光や風力などの再生可能エネルギーが84%でもっとも多く、次いで水力45%、天然ガス31%と続いた。原子力は7%で、石油、石炭(各4%)を上回った。

 なお「今後重点的に取り組むべきエネルギー分野」に関しては、いわゆる再生可能エネルギーが84%と最多を占めました。ただ太陽光や風力には問題も多く、原発の代わりとなるには程遠いのが実態です。いずれ諸々の欠点も解消されることはあるのかも知れませんが、いつになるかわからない技術革新を夢見て現行の発電所を引っ張り続けるのは言うまでもなく高リスクです。もうちょっと、今できる範囲での「中継ぎ」を考えた方がいいのではないでしょうか。どうしても原子力が嫌なら、火力発電をもうちょっと増やしてくれないと間に合いません。一足飛びに理想に飛びつくのも結構ですが、遠い未来だけではなく近い未来のことも考えるべきでしょう。

 そもそも発電設備のカテゴリ単位で野蛮に色分けされることが多いですけれど、一口に火力と言っても施設によって効率は雲泥の差がありますし、原発も同様で老朽化が著しいものもあればそうでないものもある、設計元のアメリカ仕様そのままのものもあれば、日本向けに最適化が図られているものもある、旧世代の設計のものもあれば電源が喪失しても冷却能力を維持できる機構を備えたものもあります。そこでレイシズムの論理とかですと、外国人(あるいは中国人、韓国人)はカテゴリ単位で色分けされがちで、個々人には目を向けたがらず、全てを一緒くたにして否定したがる、そしてカテゴリの中の誰かが悪さをすれば、そのカテゴリに属する全てを悪者扱いするわけです。では原発に対する世間の認識はどうでしょうか? 個々の原発単位でのリスク評価を避け、原発というカテゴリに属するものを一纏めに危険視している人は、あまり考え方の筋が良くないと思います。嫌悪する対象が違うえば、それが是とされるものではありません。

 ともあれ原発を「増設」と言われると否定的な声の方が大きいようですけれど、ただ安定的に大量の電気を供給できる施設を新たに設けないことには、古い発電所を退役させることも出来ないわけです。電力不足で何が起ころうがお構いなく「直ちに全て廃炉にする」派の人であれば、その辺は考える気にすらならないのかも知れません。ただ「電力需給に応じて」という立場からすれば、相対的にリスクの高い古い原発を廃炉にするためには、先に代替となるべきものを作らなければならないはずです。脱原発のために国民の生活や産業ひいては雇用を破壊してしまっては最悪ですから。ならば相対的に安全性の高い原発で老朽化著しい旧世代型の原発を置き換えていくのもリスク低減策としては有効であるように思われますが、「(原発を)新設、増設するべきではない」という世論が強いと、それも難しくなることでしょう。

 

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まぁ傍目に「クリーン」なデモってのも机上の空論に過ぎないとは思う

2011-06-18 21:39:41 | ニュース

三宅雪子が原発反対デモの暴動を望む発言「いかにデモを暴動に発展させるか」→「イイネ!」(ロケットニュース24)

2011年6月11日に東京・新宿で行われた原子力発電所に対する反対デモ。多くの人たちがデモ隊となって新宿を行進し、原発反対をうったえた。そんなデモ隊の暴動・暴徒化を望む発言をしたとして、民主党衆議院議員の三宅雪子さんの公式Twitterが大炎上している。

Twitterユーザーが「いかにして、デモを暴動に発展させるのか、というのが僕の目下の課題です」と発言をしたところ、三宅議員が「イイネ!」と返答したのである。確かに、これは暴動を望んでいるように思える発言である。いや、明らかに暴動を望んでいるといえる。
 
・Twitterによる問題発言までの流れ
ユーザー  いかにして、デモを暴動に発展させるのか、というのが僕の目下の課題です。611に参加する人は、そういう人も来るのだということを前提にして参加するかどうか決めたらどうでしょう? 警察とフレンドリーな勢力は、警察よりも先に殲滅すべきと思います。
三宅議員  イイネ!
 
この発言に対して国民が大激怒。「おいおい! 国会議員がこの発言にイイネ! ってどういうことだ!?」や「いいねってどういうことだよ」、「デモの暴動化を企図することがイイネだと?」、「デモの暴動化にイイネ! って、三宅雪子センセイ何考えてるの」、「与党議員が暴動予告ツイートにイイネ! って正気ですか?」、「なにこれこわい。どうしてこんな人が国会議員やってるの?」などの意見や感想を書き込みしている。

議員とはいえ個人でもあり、さまざまな意見があるだろう。しかし、立場を考えればさすがにこれはナンセンスな発言である。どのようなデモであれ、デモ隊の暴動や暴徒化は望んではいけないし、あってはならないことである。平和的に国民の意思を伝えるのが「デモ」のはずなのだが、三宅議員は暴力で解決したいのだろうか?

 さて6月11日には結構な規模のデモが行われたそうですが、色々とネタを提供している人もいるようです。まず先鋒として三宅幸子議員の発言があります。「いかにして、デモを暴動に発展させるのか~」と書き込んだユーザーに対して「イイネ!」と返答したとかで、それなりに反発も買っているみたいです。まぁ引用元でも書かれているように、国会議員という立場からすれば不適切な発言の部類には入るでしょう。私のようなおっさんが床屋かブログかなんかでクダを巻いているのと、国会議員が口にするのとでは全く意味が違いますから(しかも与党の人ですし)。その辺を鑑みるに本来ならば重責を担うはずの政治家という立場への自覚に乏しいと言えますが、まぁ慎重な人よりも威勢良く何かを断罪するタイプの政治家の方が人気があるものなんですよね。その結果がどうなろうとお構いなしです。

 なお記事には「平和的に国民の意思を伝えるのが『デモ』のはず」なんてことも書かれていますが、これは正しくないでしょう。当初は平和的なデモでも軍事独裁政権なんかの弾圧に抵抗する内に必然的に血で血を洗う争いに発展することもありますし、昔年の社会主義革命やいわゆる新左翼運動の類では元から暴力的な手段による目的達成を是とするところもあるわけで、デモはその初期段階に過ぎません。で、ここで「いかにして、デモを暴動に発展させるのか~」と語った人ですが、元より手法として意図的に極論を持ち出してみる人でして、日頃の言動を知っていればむしろ既成の「デモ」=「平和的に~」という固定観念に挑戦しているのではないかという気がしないでもありません。ただそこに、軽佻浮薄な議員がロクに考えもせずに「イイネ!」と返しただけのことです。反原発系の言動であれば手当たり次第に賞賛の言葉を贈る人が議席を有している人の中にも少なくない、その一人が三宅雪子だったに過ぎません。

 ちなみに発端となった書き込みの中には「警察とフレンドリーな勢力は、警察よりも先に殲滅すべきと思います。」なんてのもあったわけです。私にしても警察にいいイメージはありませんけれど、状況によりけりですね。関東大震災の時であれば、暴徒化した民衆よりも鎮圧に当たった官憲の側(全ての官憲ではなく、あくまで鎮圧に当たった側)に私は付きたいですから。まぁ、ン十年前の左翼運動が華やかなりし頃の風潮を戯画化した発言とすれば、なんとなく理解できるような気はします。そして至り着く先も見えてくるような気がしないでもありませんが、渦中にいる人には想像できないものなのでしょう。

参考、4月10日の高円寺反原発デモで友人が暴行を受けたそうです

 さて「いかにして、デモを暴動に発展させるのか~」と発言した人は、かつて在特会のデモに抗議して暴行を受けたそうですが、反原発デモに近寄って暴行を受けた人もいるようです。まぁ人が増えれば不心得者も増えるという点もありますし、「自分は正しい」と信じ切っている人からすれば、その熱狂に付き合わない人は打倒すべき異教徒に見えるものなのでしょう。ただ訴える内容が外国人差別なら悪いデモ/暴力で、反原発なら良いデモ/暴力ということもないはずです。むしろ私にはどちらも大差ないように思えますが、その辺は特定の立場によって共感できる人とそうでない人に別れるものなのかも知れません。

 この6月11日のデモでは、右翼団体の登壇を巡って随分と揉めたとも聞きます。この辺は右翼を排除するのか云々と言う声もあれば、反原発にかこつけて排外主義の主張を許すべきではないみたいな見解もあるわけです。ただ実際のところ反原発のムーブメントはどうなのでしょうか。橋下を初めとした明確に「右」に位置する政治家もまた反原発の流行に乗っていますし、世論上も反原発は決して左派の見解とは言えなくなっているはずです。原発事故以前から反原発だった人からすれば「サヨク=反原発」的な固定観念ができあがっているのかも知れませんが、今や反原発論は良くも悪くも左右が寄り集まっている、原発なり電力会社なりといった「敵」を同じくすることで挙国一致的に左右が結びついているところは否定できないと思います。もう反原発は左翼の手から離れている、今さら右翼を排除しようとしても、もう遅いのではないですかね。猛々しく反原発を叫ぶ「同志」の中には、登壇しようとした右翼団体に共感するタイプの人も少なくないことでしょう。

 それ以前に、右翼団体さえ遠ざけておけばいいのか、という気もします。こちらでも触れたことですけれど、関東大震災で暴徒化した「善良な市民」は単にレイシストと見なして済むものではありません。人種や国籍を理由とした排除はもちろん問題ですが、それさえ排せば後は万事解決かと言えば、そう都合良くはいかないものです。週刊誌の煽り報道を真に受けてデマを撒き散らし福島近辺の住民を脅しつける人々や、あたかも福島周辺の農産物が基準値をクリアしたものでさえ実は汚染されており有害であるかのごとく語り風評被害を広める人々、科学的知見に沿って事態を語る人を御用学者だの買収されているだのと罵倒して憚らない人々、こういう人々もまた右翼団体と同様に遠ざけることが出来なければ、昨今の反原発運動の「質」は推して知るべしです。右翼団体にはご退場願った、だけどヘイトスピーチにはご退場願ったのかな?と首を傾げないでもありません。ヘイトスピーチもまた、単にレイシズムを指すのではないのですから。

 反原発が広範な支持を集めているのは、それが誰にも利益をもたらさないからとも言えます(橋下が著書の中で説いたような「仮想の利益」――まず相手の不利益を強調し、次に不利益をなくすという利益を与えるというもの――はあるのかも知れませんが!)。石原慎太郎も石原に反対しているつもりの人の多くもそうであるように、とかく「利己(我欲)」的なものは嫌われがち、目の敵にされがちです。誰かの利益、とりわけ自分たちの利益のために声を上げるような運動が近年の日本で支持を集めることがなかったのは、このゆえではないでしょうか。逆に好まれるのは「利己」ならぬ「他罰」とでも言うべきものです。何か「悪い奴」をやっつけよう、そういう主張が幅広く支持を集めてきた、何かを罰することの方にこそ国民は情熱を傾けてきたわけです。

 相手が何であれ、憎悪や嫌悪に基づいた主張や行動には賛同できないのですが、憎悪を向ける対象次第の人もいるのでしょう。外国人への憎悪に駆られた運動には賛成しない、公務員への憎悪に駆られた主張には同調しない、しかし原発への憎悪に駆られた運動には共感している人が少なくありません。その手の人が外国人さえ排除すれば、あるいは公務員の人件費さえカットすれば何でも好転するかのごとく信じているように、原発さえ潰せば世の中が良くなるかのごとく語る人も目立ちますけれど、魔王を倒せば世界が救われるなんてことはないわけです。にも関わらず、突如として脚光を浴びるようになった「国民共通の敵」を前に世論は沸騰しているというのが実態ではないでしょうか。むしろこういう盛り上がりの方にこそ、私は危ういものを感じます。

 

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