愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

安積親王の和束墓

2006年02月08日 | 風物:陵墓
天平16年閏1月11日、難波宮に出発しましたが、途中安積親王(あさかのみこ)が「脚病」を発して桜井頓宮より恭仁京に帰還し、2日後に急死.

親王は当時17歳、在世する唯一の聖武天皇皇子であり、母は諸兄と縁戚のある県犬養氏の出身でした。

聖武天皇の恭仁京はこの和束より南へやま一つ越えたところにある。

また、橘諸兄もこの山城の地に居していた。

親王の死は、一説に恭仁京の留守官をしていた藤原仲麻呂による謀殺とされています。真相は闇の中ですが、いずれにしても、光明皇后と皇太子阿倍内親王を推し立てる藤原氏にとっては、最も大きな障害が取り除かれたことになる。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。