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言葉が通じなく文字が読めないと言うことは、かくも大変だとしみじみ噛みしめる旅でした。
若者ならまだしも片言の英語で何とか話は出来るものの、中年以上になると全く意思の疎通が出来なく、身ぶり手振りで情けなくなる始末・・
前回のように国宝級ならいざ知らず地方都市の文化財で探した石仏などはタクシーの運転手に近くまで行って貰って、地元民に聞いてもらっても殆ど見つけられずに涙を呑みました。
おまけに頼りにしていたタブレットPCも田舎じゃ殆どWIFI電波が届かず使用不可・・・・、ハングルが恨めしい、せめて漢字なら何と無くなんだけど・・・・。
この石仏はたまたま前回紹介の磨崖三尊石仏への道筋に在ってラッキーにもすぐに見つける事が出来ました。
正確には忠清南道瑞山市雲山面龍賢里カンデンイ弥勒石仏と言うらしいのですがハングルではどう呼ぶのか ??色々ヤフーコリアで検索しても出てこなかった。
掲示板はハングルと英語だけ何がなにやら??・・・・、英語では、Bowon-sa Tenple totem poleと書かれていました。
高さ2m余りの土饅頭に葺石を敷き詰めその上にトーテムポールのような高さ約2.2mの石仏?を立てている。
日本では見かけない、多分李朝時代のものではないかと思うのですが??
韓国では高麗後期から石仏は多くの場合、(後からも何点か紹介しますが)このような石柱形の巨大な丸彫り石仏(これは小さいですが・・)が多くなるようです。
石仏は弥勒と呼ばれてもおかしく無いような手印、スカートでもはいているような前垂れで足元は葺き石に隠され定かではない。
この石像は、石仏としてより、もっと土俗臭の有るチャンスンとしての性格が強いもののような気がする
石仏としての価値はそれほど無さそうだが、韓国石仏の一種で有ることには違いなく中々味わい深いものがあります。
また何か解ったら書き加えるかもです。
撮影2011.9.28
チャンスン
あるいは
ドルハルバンの
雰囲気が確かにありますね
足元の葺き石は
土台なのか
あるいは
なんらかの信仰の形で
石が集められているんでしょうかね…
なんとしても文字と言葉にはお手上げですが、食べ物には不自由しません。
安いし旨いし・・ちょっと辛いけどね。
この葺石のストゥパーの様なものはあちこちで見かけました。
頂上にはなにやら意味ありげな石が乗っているもんです。
多分ですが、これなどは高麗後期から李氏朝鮮時代のものだと思われます。
この頃には日本文化も確立していて日本には入ってこなかったのかも??
儒教の影響もあったのかもですね??
ドルハルバンは本土の石長柱(チャンスン)が変化したものでしょうか??、反対かも??、いや別もんかな??