岩船寺へ続くバス道を、当尾小学校を越えてすぐ、勝風口のバス停を左手山の方へ入っていく細い道を暫く進むと 勝風の集落が見えてくるが、道なりに進むとやがて杉木立の中に入る。
杉木立の中、右頭上に小さな青地蔵の表示板が見える、ただし余程注意深く見ていないと見過ごしてしまいます。
地蔵自身も杉木立の下草に隠れるように立っています。
なぜ「青地蔵」なのかは一目見るなり解ります、青っぽい石の地蔵です。
地元では「北向き地蔵」と呼ばれているそうで室町期の像立、仏像が北向き立っていることはひじょうに珍しい事だそうです。
この先を少しそのまま進むと左手の小さな広場らしき奥のほうに赤地蔵と呼ぶ地蔵石仏が立っています。
ここは勝風墓地への入り口にあたる場所で、この地蔵石仏は赤っぽい花崗岩で、永禄八年(一五六五)像立、どちらが先に色の名前で呼び始められたのだろうか??
この先左手の勝風墓地には「迎え地蔵」元亀二年(一五七一)が、半分草むらの中にうずもれて立っています。
赤地蔵の作者と同じなのか瓜二つの顔をしています、もう忘れ去られたような風情ですが??.
墓地から戻って道なりに進み、つぎの三差路を左手に進んで行くと大畑の集落に入る。
集落は道路の下手に肩を寄せ合うように建ち並んでいるが、左手山手に集落の会所と、白山神社の小さな祠が有る。
この入り口に地蔵堂が建っていて大きな地蔵石仏が祀られている。
細長い舟形光背を背おうが、自然石の形をそのまま使っているのか?妙な形に削れているのがちょっと不思議な気がします。
見た通りのペンシル型地蔵石仏で室町中期の永享十三年(一四四一)の像立、像高約2mとスマートな姿をしています。
撮影2006.12.01