旧阿山町、玉瀧神社と境内を一にする普賢院に佇む六地蔵石幢。
伊賀と甲賀を結ぶ街道の要所、その四差路近くに玉瀧神社への参道が伸び突き当りの急な石段を登ると、山腹の玉瀧神社の境内となる。
境内は広く拓け、神社と寺が段違いで同居・・・・・・明治維新の廃仏毀釈の波から難を逃れて旧い姿を彷彿とさせて呉れる
ちょうどその境界辺りには神木の巨杉が鐘楼を従え、そんな事知るもんかと言わんばかりに聳えて居る。
山深い田舎では度々目にする光景・・・・これが明治まで1000年も続いた本来の景観なんだろう。
神社境内から低い石段を登ると目の前に建つのがこの六地蔵石幢・・・・・
龕部六地蔵には小さく真っ赤な涎掛け。
涎掛けはちょっと失礼・・・・、しかしなんだか寸足らず、返り花の基台と受台の間に立つべき竿部が有りません。
どうも、なんだかチンチクリンな気がしたのはそのせい・・・・。
笠部の庇も二箇所で欠落、・・・・しかし幢身六体地蔵は失くした物を補っても余りある見事な彫りで、見る人の目を惹きつける。
厚肉彫りの六地蔵は像容も優れ、頭上には円頭光、像高約30cmばかりで蓮座の上に立って居る。
その様式、像容から室町初期の造立??
ここは古く、東大寺玉瀧杣の旧跡だとされています。
撮影2012.3.25
涎掛けを外そうとしたら、風化して千切れそうだったので断念!
もう新しいのに変わってるかな?
>涎掛けを外そうとしたら、風化して千切れそうだったので断念!
そういうことも良くありますよね。
僕のときはまだ真新しかった様な気がします。