大和地域では良く目にする事のできる十王地蔵石仏が此処にもある。
奈良公園、東大寺境内の裏側、北方にあたる一画に建ち並ぶ住宅街が雑司町。
そんな家並みに隠れるようにして、空海が弘仁年代(820年頃)草庵を営んだのが寺の起こりとされる古刹「空海寺」がひっそりと佇んでいる。
山門から境内に入って本堂前に立つと、向かって右手に大きい地蔵石仏が立っている。
舟形状に加工した花崗岩に定形の地蔵菩薩立像を半肉彫りで刻みだし、光背両側には五体づつの十王像が配している。
別石の蓮華座上に立つ、総高1.8m、像高1.33mと堂々とした大きさ・・・、しかし哀しいかな迫力は微塵も感じない。
元、大和郡山の「矢田寺(やたでら)」に有ったものが転々とし、明治初期にこの寺に移されたと言う・・。
本来のあるべき場所を転々とした悲しみを耐えているようにも見える顔つきで??室町時代後期の作造。
本堂右手にも小石仏の集積が有り、ひときわ目を引く地蔵石仏が・・・
大和には多い切れ長の眼を持つ定形地蔵、天正十二年の刻銘を持ち安土桃山時代の1584年の作造。
寺は充分すぎるほど整備され、古刹としての風格には欠けるきらいが感じられる
撮影2011.6.29