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一方、蛭谷から筒井峠方面には行かず、御池川を更に遡ること約3km余り、君ヶ畑という集落があって「木地師の里」という看板も建っている。
君ヶ畑は蛭谷と二分する木地師の古里として知られた集落、やっぱり惟喬親王に纏わる遺跡や神社がある古い集落です。
人里遥か離れた幽玄の里に今でも50軒ばかしが軒を並べているが・・・・。
やっぱり集落内を歩くと空家、廃家が目立って多いのが解る。
赤錆びた萱葺き屋根のトタン覆い・・・・
人の温もりの無い廃家はやがて朽ち果て・・・
崩れかけた土蔵の板壁にはなんとも白々しい政治ポスター・・・
此処はまだ人が居なくなって真新しいのか??
この萱葺き屋根も4~5年前にはこれほどひどくなかった。
殆ど村人に出会うことも無く・・・・・しかし水は豊富で共同水場は何時も水が溢れていた。
集落入り口辺りの高台には太皇器地祖(おおきみきじそ)神社と言う立派な神社があって祭神は惟喬親王・・
小さな集落にしては余りに森厳すぎる境内と荘厳過ぎる社・・・
参道脇の集落を少し歩けば惟喬親王廟・・・傍らに建つ石柱には「日本國中木地屋氏神惟喬法親王御廟所」とある。
石段を登った上には菊花紋入りの廟・・・背後の築山が墓所だと言うのか??
横手には高松御所蔵王山金竜寺
此処が惟喬親王幽棲の地だという・・・・もちろん今は無住寺
それより進むと君ヶ畑の分校跡地・・・・因みに閉校は22年前。
跡地脇にはお決まりの二ノ宮金次郎・・。
集落はずれには小さな墓地。
此処君ヶ畑を本籍とする木地師は往時一万人に達したと云うが。
鈴鹿山中の山間集落にもう子供の声がこだまする日々は帰ってこないかも・・・。
撮影2011.6.24