Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

再びあの座席の幸福

2018-07-20 | 生活
楽劇「ジークフリート」公演の席を取った。「王のロージェ」のオファーはぐっと我慢したが、「プロシェニウムロージェ」となると我慢ならない。その前に出ていたのがどうも「神々の黄昏」の同じところだっただろうから、少しだけ気になっていた。歌手は「ジークフリート」の方がヴォルガンク・コッホが登場するだけキャンセルした二月の雪辱となる。要するにコッホのデアヴァンダラーを2014年以来再び聞くことになる。二月の「ジークフリート」では北欧勢の歌に不満が残った。

「ジークフリート」は楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の中で最も美しい作品には違いがないが、なぜかもう一つ人気がないようだ。理由はやはり室内楽的な要素と合唱などスペクタクルなところが少ないためかもしれない。個人的にはとても好きな作品であるが、最近は特に同じ制作を二度三度行くとなると歌手とかのキャスティングをどうしても考える。それでも193ユーロの「ロージェ」をパスしたのは、その価値があるかどうかだけである。同じ額ならばコンサートでももう少しいい席を選べる。そもそもその価値が無いから適当な価格のものを購入する。それ故に二列三列目のそれは高く感じて、恐らく出ていたらしい「神々の黄昏」の213ユーロは幸か不幸か出遅れた。それは上の理由で高いと思ったのだが、「ジークフリート」は168ユーロで、45ユーロ安い。先週の「三部作」が142ユーロで、その差は71ユーロだ。

私があのロージュが好きなのは浴びるような音を聞くのが目的ではないので、この差は合点が行かない。勿論舞台や歌手に興味があるならば、二月に私が座った13ユーロの席でもそれほど不満は無かった。プロシェニウムロージェはなによりも死角があって広い舞台を一望できない。それは構わないのだが、あそこで「神々の黄昏」は結構厳しいかとも思う。細かなところを聞き分けられるか少し自信が無い。指揮台よりはましかもしれないが、少し経験が要りそうだ。先ずは、「ジークフリート」で試してみようと思う。

「ジークフリート」に関して自身で書いたものを読み直した。するとベートーヴェンの七番が言及されていた。自身書いていることだから、八月の演奏会を意識しているのだろうが、もう一度調べてみる必要がありそうだ。不満は管弦楽団にもあったのだが、その点は今回もそれほど期待していない。そもそもペトレンコ指揮でも必ずしも前回より良い演奏をする保証は無い、だから期待してはいけない。それでもあの席からだと何が上手く行ったのか行かなかったのかが指揮者と同じぐらい判る。それがいい。

そのあともう一つの同クラスの席が出ていた。平土間の後方真ん中周辺だった。それほど悪くは無いのだろう。そもそも私は平土間の音響を知らない。歌手は前から見聞き出来るので良いのだろうが、管弦楽の方を細かく聞きたい人にとってはどうだろう。直接音が聞こえないのはバイロイトだけでいいような気がするのだ。但しどのように声楽と管弦楽がミックスされるかはとても重要で、その仕事ぶりをつぶさに観察出来るのが嬉しくてたまらない。

今後もヴァークナーの楽劇をそこで聞くチャンスはあるかもしれないが、毎年七月に時間を空けておくことなどは不可能なので、少なくとも「ジークフリート」は、将来バーデンバーデンでもあの位置からの鑑賞は不可能なので、最後の機会かもしれない。既に頭の中に「ジークフリート」の音符が飛び始めた。週末は「パルシファル」の録音を忘れない範囲で準備をしなければいけない。少々興奮状態で仕事が手につかなかった。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
五十歳での主夫見習い 2018-07-18 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
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