Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

五十歳での主夫見習い

2018-07-18 | 雑感
先週は殆ど運動できなかった。週初めに頂上往復コースを走っただけだった。だから急に腹回りがだぶついて来て、体の切れが悪くなった感じで気持ち悪かった。前夜からジャガイモを食して備えた。そして朝から銀行に立ち寄ったので、閉まっているパン屋を素通りして、久しぶりにいつもの森へ向かった。気温は既に上昇していたので頂上コースは困難だと分かっていたからだ。だから夏場は殆ど走らない、冬場でもあまリ走らないコースを取った。何時もの沢沿いから、枝谷を詰めてまで上がるコースだ。あまりにも急な登山路なので走るには向かない。一番身近でアルプスのアプローチを思わせるぐらい厳しい。

久しぶりなので森の伐採の様子を知らなかった。いつもは茂っていて薄暗いのだが、大分間引きをしていた。それをしておかないと木も朽ちて、谷筋であるから止水効果も無くなる。環境を荒らさないためにも人手が必要なのである。だから道は落ち葉が無く少し走り易くなった感じはするが、陽射しが南から差し込んでいた。これが厳しかった。冬でも歩くだけで息が上がるのに、格好だけでも走っているとやはり厳しかった。距離は頂上コースよりも短いのだが急峻だ。這う這うの体で上に着いて、歩調を整えながら降りてきた。頑張ってツイストしたので少しは腹廻りに良いことをしたと思う。太ると着れなくなる服もあるので要注意である。

現存する最も古いドイツ語紙ノイエズルヒャー新聞が自国のスター音楽家エマヌエル・パユにインタヴューをしている。興味深かったのは、先日もここでも話題にしたベルリンに関してのことだ。先ずは2020年1月27日のモーツァルトの日のザルツブルクで演奏して、区切りをつけるらしい。二人の息子も大きくなったので、料理を習って材料を買う練習をするらしい。私のような主夫の道である。そこでフィルハーモニカーへの想いが語られて、その時50歳になれば以前には無かったような技術的な問題が出て来て、より準備に時間を掛けれるようになるので自分で時間を設定するという事らしい。

「管弦楽の中でどのような立場になるのか、新しいシェフのペトレンコとを考えて、思いめぐらしているんです:今まで何をなしたか、まだ何が出来るか?」と答えている。

キリル・ペトレンコが振る時は進んで乗っている当代の名奏者であるから、その管弦楽団の進む方向にも我々以上に関心があるに違いない。辞めて仕舞えばそれで終わるのだが、やはりとても大きな期待とその新しいフィルハーモニカー形成の中で何か役に立ちことがあるのかと思いを巡らしているのだろう。一奏者であるが、やはりこの人の音楽的な影響力は間違いなくあると思う。
Pahud on TV (in Japan)

Mozart: Symphony No. 35 “Haffner” / Petrenko · Berliner Philharmoniker

Prokofiev: Piano Concerto No. 3 / Petrenko · Wang · Berliner Philharmoniker


来週の「ジークフリート」の残券が数枚出ていた。王のロージェの御付き用の二列目と三列目である。「ヴァルキューレ」ならばお手付きしたが、若しくは先日と同じサイドならば買ったかも、若しくは一列目なら試したかもしれないが、歌手もキャンセルしたコッホのさまよい人が違うぐらいであとは変わらない。また主役のヴィーンケにも個人的に出会うチャンスも逃したので、ぐっと我慢してパスした。「パルシファル」最終回は出ることは無いと思うが、300ユーロも出すぐらいなら二年ほど先の再演の方に期待したい。誰が歌っても190ユーロ位の価値は十分にあるからだ。



参照:
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
写真を撮り撮られする 2018-07-15 | 文化一般
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女

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