Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

一体、何時のことだったろうか?

2010-11-15 | 生活
今日は何曜日だろうと何度ともなく繰り返した。月曜日だと分かって何度も得したような気持ちになった。朝六時前から十時までに殆どの用事が済んでしまった。昨金曜日に出来なかったことが、夕方までに全て済んだ。

足の痛みに、最後に走ったのは何時だろうと考えても昨日日曜日の朝だったのだが、随分と月日が経ったな気さえする。日曜日の朝から飛ばし過ぎたのか、月曜日の朝から飛ばしたのかは分からないが、これでジックリと週を過せそうである。

オールインワンのファックス機を今晩にでも注文出来るだろうか。キャノンのプリクスマシリーズだけでも色々とあってなかなか情報が纏まらない。それでも何とかなりそうである。気になったのはその動作音についての様々な見解とキャノン商法のカートリッジの価格の問題だろう。

千枚単位の手紙や資料を制作するならインクジェットでは駄目だろう。カラーを入れ替えないと、黒も印字出来なくなるとかあるが、結局はあまりカラーを使わないものにとってはインクだけを入れとけば固まるまでは使えそうである。カラーをあまり使わないものにとっては色素ごとの入れ替えも面倒そうである。結局こうした点から徐々に購入機器が決ってくる。
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夜中の知らぬ間に停電

2010-11-14 | 雑感
昨晩停電があったようだ。理由も知らなければ、何時頃のことかも分からない。朝、点滅している電動タイマーを見て気がついた。そういえば何かの点滅音を聞いた気もしないではない。

予想通りファックスの電源が入らなくなった。コンデンサーの不調だとは思っているので、だましだまし使ってきたが、いよいよ駄目かもしれない。ファックスなど過去の遺物で使いたいとも思わないのだがそれでも使いたがる人は少なくない。PCからの発信も出来るがISDNの時分使っていたがそれも中途半端である。

オールインワンの器械を購入して場所を節約しようかと思う。HPも悪くはないのだろうが印時機を使ってその出来の良さも悪さも確認した。今でもスキャナーを使っている。場所も取ればプラスティックの加工も悪い、典型的なアメリカ商品である。その経営形態には文句もあるがキャノンのプリンターは気に入っているので、今回もキャノンが中心の選択となろう。

今朝は11分間最初の坂を歩き、体があたたまたっ処でゆっくりとした上りをジョギング、24分過ぎに峠に到着、休みなしに駆け下りてくる。回送車のように、ゆっくり降りてくると息も上がらずに車に戻ってくると38分経過していた。五千八百歩五キロは早くはなかったが、疲れもそれ程ではなかった。しかし、午後になって時間が経つほどに、足腰に徐々に堪えてきた。
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腕やら足やら口周りの筋力の疲れ

2010-11-13 | 生活
疲れた。昨夜から二十四時間内で全く違う活動をした。先ずは、今冬シーズン最初の室内クライミングで、二時間半登った。嘗てなら不可能な運動量であるが、それが出来るようになっただけ、昨冬シーズン終わりの三月終わりの状態と比べて進化している。

二年ぶりになるフランケンタールのホールの手掛かりの設計が全て変わっていて驚いた。前よりも遥かに難しくなっていて、四級とされるものでも下手をすると落ちるかもしれない。六級まで試したが、細かな動きを追うそれだけの気力がなかった。手掛かりの構成が高度になった分、結構気を使って登らなければいけないのが厄介だ。もう一つのルートヴィッヒスハーフェンの方は、単純であるが国際試合も開かれるだけあって難しい。ここは技術的なトリックを要求するので神経が疲れる。次回は慣れてくるだろうが、上手になるためには靴も早めに買わないといけないだろう。

十時半頃に帰って来て、埃臭い汗を流しシャンプーをして、汁そばを食べる。そして、零時には床に入った。翌朝は五時半過ぎには目が覚め、六時にはシャワーを浴びていた。七時過ぎには肉を買いに行き、八時前には朝食を終えた。九時半過ぎにルートヴィヒスハーフェンへと行き、十時過ぎには開会の挨拶をしなければいけなかったからである。

そこで、ドイツ少年少女、女性将棋チャンピオン大会を見学して、帰ってきたのであった。TVや新聞の入っている中でのご挨拶がとても気疲れした。こうした名誉職のヴォランティア業務は好きでないと出来ない。体験の積み重ねは色々と勉強にもなるが、まるで受験の日ような圧迫感もあった。そもそも演説したがりならば全く異なった仕事をしていたのは確実なので、元々好きではなかったのだろう。

そしてなによりも昨晩から床の上の立ち尽くしで腰が疲れた。以下に普段固い床には立っていないかということでもある。
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解明されたロールスロイスの不都合

2010-11-12 | 雑感
ルフトハンザの代表にA380の不時着事故に関してインタヴューしている。同社は同型のエンジンを積んだ同機を三機所有しているからだ。完全に安全な乗り物などはないとしながらも他の乗り物よりは遥かに安全性が高く、不調予知機能がここに来て大分進化してきているので、自社自慢の衛星網を駆使したシステムで予め対応出来るとしている。しかし、三機のうちの一機はメーカーの勧めに応じて他の機種で代行運行をさせて運行中止にして、そのエンジンをロールスロイス社に提出していると言う。南アフリカ路線であるから、東京に飛ぶそれなのだろう。それとも週三回しか飛ばせていない北京行きなのか?北京の空港当局がA380を毎日飛ばすにはケータリングなどに不安を持っていると説明されているが、実際は中国産の飛行機の販促との兼ね合いもあるのだろう。

ルフトハンザにおける席当たりの売り上げは上昇しており、空席率も一桁となっているので、商業的には既に成功の道にあると説明される。納期の遅れや空港の拡張整備の問題など万難を越えてのスタートであったので、今回の事故は注目されているが、エンジンをGEやプレット・ウィットニー社のそれに取り替える心算は無いと言うのが現在のルフトハンザの判断のようだ。

同時に、競争相手のボーイング社のドリームライナーのテスト飛行で飛行機火事の至る可能性のある事故を起こしたことから、更に納期が遅れるということでEADS社の株価の低下を支える要因になるのだろう。同じロールスロイス社のトレント900や1000の納期なども問題となっているのは良く似た事情である。

車中のラジオで原因究明がなされて過熱の原因となった部品の交換がトレント900の全機種でなされると言う。それ程簡単な問題ならばなぜテストで発覚しなかったのだろう。カンタス航空機の事故は予想以上にエンジンが破壊されていて、燃料系を含む多くの回線が破断されていたというから大事故に繋がる故障だったようだ。
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エアーフォースワンを待ちながら

2010-11-11 | 生活
先週窓から見慣れぬ機影を見かけた。カメラが手許になかったので写せなかったがブルーの大きな機体は確認できた。このあたりでは、ファントム以外では対潜哨戒機P-3Cのような低速の飛行機は見かけるが、明らかにそれとは違うものであった。

新聞の裏に小さな囲み記事が出ていて、ワシントンからインドに立ち寄るときにオバマ大統領が給油に立ち寄ったようだ。なぜ、ハイデルベルク方面から着陸導入してきたかは知らないが、恐らく大型機の着陸滑走路の方向は定まっているのだろう。いずれにしても東海方面から侵入してくる筈だから、フランクフルト上空からハイデルベルクのパトリック・ヘンリー基地の上空まで来て、そこから一直線に機体を落としてくるに違いない。

なるほどあの着陸コースならば丁度バート・デュルクハイムとダイデスハイムの中間をいつも走っている谷峠をかすめて、ラムシュタイン基地へと高度を落としていくに違いない。そうなると、普段はセスナ機以外では戦闘機の訓練が時々あるだけのこの空域を米軍は必ず使うことになる。イラクへと戦闘へ出かけるにも、ワシントンからアジアの旅に出かけるときにもこの飛行場と空域を使うわけである。

実は本日も帰りの飛行で、今度は公式に着陸することが朝のラジオで報じられていた。ドイツからは国会議長が戦没者慰霊に合わせて出迎えると言うことである。しかし、カメラを用意して待っていたのだが今日は残念ながらあの機影は見かけなかった。それにしても、前回も護衛の戦闘機の姿などは見えなかったが、基地周辺の飛行は基地から直接管理援護が出来ているのだろうか。

今朝は川沿いを往復した。挨拶の原稿を口の中で繰りながら、最初から歩調を落としていたので折り返しでも歩調を落とさずそのまま戻ってきた。走行時間としては二十九分と前回よりもゆっくりとなったが、足は十分過ぎるほどに酷使した。車に戻る前に、先日後ろから追いかけてきた高齢のご婦人のすれ違った。前回はノルディック・ウォーキングをしていたのだが、今度はこちらに負けずにジョギングである。年齢からすると七十代であろうが、その体のこなしは嘗て運動を本格的にしていたような感じがする。その証拠が、坂で後ろから追い抜かれただけでストックを手に持って走って追いかけてきる負けず嫌いである。一体あのご婦人は何を目指しているのだ?
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資料で読む官僚組織活動の歴史

2010-11-10 | 歴史・時事
日本では一人の航海士の問題で政権まで揺れているようだ。しかし、政府の高官が情報を流通したのでなければ大きな問題では全くないだろう。警官が強盗をしたほどの意味もない。

フィッシャー元外相が外務省内のパーティーで館内を移動している時に、偶々階段の裏の資料室でナチス時代のリッペントロップ外相の写真などを見つけた。そして、これを切っ掛けとしてアーカーヴの調査が依頼され、今回その結果報告書が大きな話題となっている。高級エリート官僚と時の政府との関係でもあり、ナチスドイツの積極的協力者としての外務省の姿に歴史の光が当てられた ― これは先ほどワシントンのドイツ大使館でも披露されて、イラク戦争時代の合衆国官僚への指針となるとされている。

ナチス政権も、たとえ暴力テロや強引な手法を駆使したとしても、現在の日本の民主党政権のように合法的な政権であり、超リベラルなヴァイマール憲章の元での国民の自由な意思でもあった筈だ。そのような視点からはエリート官僚もその国民の意思に沿って任務を遂行するのは当然の行いであったと、簡略すればそうなる。

そして、役人の理想として中立性が要求されれば、ナチスのユダヤ人迫害を事務的に淡々と推し進め、終戦と共に今度は戦後の民主的なドイツ連邦共和国でその任務を同じように果たすことなるのである。ここまでは必要悪の機能として暗黙の了解となっていたのだが、日本においても岸らが首相になったり中曽根のように戦後に政治の舞台で頂点に立った官僚も少なくはない。

しかし今回話題となっているのは、そうしたニュルンベルク裁判や東京裁判などの「勝者の裁く戦犯への厳しい評価」や、68年の扮装時に敗戦国のドイツや日本、イタリアで戦後の理不尽として真摯な若者に映ったイデオロギーの色に染まった一種の世代間闘争での「作られた悪の像」ではなく、歴史の中での各省庁における官僚の果たした積極的なユダヤ人迫害と最終計画が省庁の記録として整理された内容である。

所謂、必要悪の組織の中での中立的な役人の活動とは一線を隔したエリート官僚における人道的な犯罪行為である。その中で最も矢面に立たされたのが元大統領の父親であり外務長官であったエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーである。この19世紀からの名門の外交官である超エリートの氏がニュルンベルク裁判に係り、次男である若きリヒャルトが弁護を勤め、パリにおけるフランスのユダヤ人の「最終処理への輸送」の責任を問われ有罪となった事件は良く知られている。さらにトーマス・マンの扱いを巡って、当時ベルン在中のこの外交官が画策した件も知られている。

これを受けてリヒャルト元大統領はインタヴューに答えて、あの外交官象は「祖国の平和」をモットーとした父親のそれではないとして、人道的に多くのユダヤ人から感謝されたことにも触れられていないと批判しているが、こうした調査での歴史化の意味は評価しているようだ。また、有名な「荒野」演説のなかの赦しには父親へのそれも含まれているかの問いかけに対しては否定している。

またアーカイヴと言うものが「書き手の目を通した只の一次資料」でしかないと言う見解はまさにその通りなのだが、こうしたエリート官僚のナチ政権での活躍として、省庁でも詳しくは知られてはなかったアウシュヴィッツの殺人工場には一切触れられていないが、ナチス政権樹立後には外務省に新たなユダヤ人処理問題が新たな課題として任務となり、若い高級官僚が1936年後受けた教育にはダッハウの強制収容所のあり方などが含まれていると認定された。

そしてそうした風潮はナチス政権の12年間に留まらずそれ以前から軍国主義的な社会であり、そうした教育を受けていたからこそ戦後の左翼的グループであるグループ47の面々ですら終戦二三年前まではナチスの勝利を疑う者は殆どいなかったのである。さらに保守的な国軍がユダヤ人虐殺に手を汚さなかったことは知られているが、国粋的なユダヤ人差別とは別に、ドイツのエリート保守層におけるアンチセミティズムも明らかにある。

そうした状況下の1938年11月、エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーがパリでスイス人の特使に、外務省官僚も臨席した直前のヴァンゼーでのゲーリングのユダヤ人最終処理への決定を受けて、「 こ れ で 、ユダヤ人はドイツを離れない限り遅かれ早かれ完全に抹殺される」とする外交発言が、警告に当たるのか、警鐘に当たるのか?まさにこの判断が歴史化の道であろう。

要するに特に1910年生まれのこれらの高級官僚にとっては、たとえヴァイツゼッカーに代表されるようなエリートの保守的家庭の出身であろうとも、ユダヤ人問題は現実の業務課題であったとなる。例えば満州国駐在のドイツ大使はベルリンにドイツのパスを所持しているユダヤ人の見分けがつかなく困っているとして「J」を表紙に大きく記させたことも一つの始まりとされていて面白い。国外への出国もその後禁止されるのは周知の通りである。

冷戦下の68年の左右のイデオロギー対決から放たれて、上のようなエリート官僚が戦後の連邦共和国の発展に大きく寄与して、敗戦国の左翼過激派が同じように凶暴化した時代も歴史化されていく、そうした中でフィッシャー外相が受け取った手紙から外務省の高級官僚の死亡を切っ掛けとした「ナチ協力者への追悼の禁止」が数年前に話題となった ― 日本の戦争犯罪者の合祀問題はどうなっているのだ。丁度そのときには、既にフィッシャー外相は偽ヴィザの発効問題で外務省から追われるスキャンダルに瀕していたのであった。

インドへと飛んだオバマ大統領が国連でのインドの常任理事入り支持を表したが、日本のそれのときと同じように予めドイツの当局にそれが知らされていたことから、ドイツのそれを支持することも定まっていると言われるが、ドイツの官僚組織を代表とする政府組織とその社会における歴史化の前に、日本のそれはまだまだそこへと至っていないことが比較できる。もし今回の一連の漏洩事件において実際はそうした官僚組織であり一部エリート社会が組織防衛を最重要課題として画策しているとすれば、政権交代以上にそうした社会や政治手法の改革が必要なのは言うまでもない。



参照:
Das Auswärtige Amt und das Dritte Reich, FAZ
投資家の手に落ちる報道 2007-06-01 | マスメディア批評
素朴に宿る内面の浄化 2007-08-11 | 文学・思想
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事
素朴さ炸裂のトムちゃん 2009-01-25 | マスメディア批評
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濡れた丸太に滑り打っ飛ぶ

2010-11-09 | 生活
終にというか、はじめて転倒した。下りに全てをかけて飛ばせていたので、記録を狙ってしまった。濡れた丸太を乗り越えなければいけないところで、十分に飛んでいると思ったのだが、掛けた右足が右へと滑り、先ずは左の膝の下を丸太で打ち、右掌で上体を受け止めた。

足が縺れて転倒したのではなかったのでショックは少なかったが、そのあとは少し左足を引き摺るような感じになって、大きな記録は出なかった。それでも、新しい靴でも十分に走り下れることが分かった。

但し、そのためには今まで以上に状態を使わなければいけないので、全身疲労が激しい。掌や膝に刺さった棘は致し方ないが、この運動は毎日続けるには負荷が大きすぎる。一体、この運動を毎日問題なく出来るようになるためにはどれぐらいの体力がつかなければいけないのだろう。

兎に角、摂氏八度以下でも四十分までの運動が終わると汗ビッショリになる。それだけならば良いが、足ががくがくになった。更に腕の振りが強いので、そこの筋肉痛だけでなく、肘の関節にも堪える。病気になったかと思うほどで、関節でなく筋力にきているので不健康な運動ではない筈だが、全身に疲労感は広がる。

十代のときも高度差八百メートル以上を一気に駆け下りたものだが、それでもそれ程頻繁に遣り続けていたわけではない。そもそも過剰な負荷は疲労感が取れないので、頻繁に繰り返せないのである。最も適当なのは毎日無理なく繰り返せる運動量であるが、どうもその基準が掴め難くなっている。本日も雨上がりの間隙を縫った訳で、明日も天候は不安定である。

雨が降れば散歩するのも億劫であり、どうしても運動不足となる。鍛えるのは今しかないのである。新春までである。
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スポック副船長が楽を奏でると

2010-11-08 | 
金曜日の音楽界のことを未だに書いていない。特に難しいことを書こうとは思わないのだが、色々と忙しく、少し余韻にも浸っていたかったのである。しかし何時までおいて措いても、熟成の山も表れそうに無いので、少しだけ触れておく。

お目当ては引退したピアニストアルフレード・ブレンデルが音楽的なパトロンとなっているアジア系の少年ピアニストであり、ブレンデルは彼に惚れ込んでいるのを最近の新聞のインタヴューで読んでいたからである。ブレンデルの紹介でフランクフルトの我々の会でのデビューとなった。

正直な所、大変憎たらしい若者であった。師匠の好みと言うよりも惚れ込んでしまうのも理解できた。ヴァルター・レヴィンと若い音楽家との関係は直接に立ち会ったこともあるが、それとこのピアニストは後進の指導と言うことで自らの現在の活動を比較している。要するの正しい道を歩むように影から支えてやると言うようなパトロン根性なのである。

なるほどこのキット・アームストロングの指は遥かに師匠のそれを超えているだけでなく、まさに物理的に理に適っているのである。バッハのニ長調BWV1055とト短調1058で示したそれは、そのカフェーの楽団のために付け刃で納入したイタリアのコンチェルトの先駆者たちを参考にしたトッティとソロの掛け合いだけでなく、まるで通奏低音を補強するような左手の響かせ方には非凡以上の音楽性を示した。そのビロードのような肌理細やかなタッチで楽器を鳴らす中華人ぐらいは幾らでもいるが、それらと一線を隔していたのはまさにこの和声感覚であり、それに見合ったリズムと、レトリックである。殆ど、生では聴いたことのないグレン・グールドを髣髴させた。残念ながらドイツのマルティン・シュタットフェルトではこうはいかない。

更に唸らせたのがこの十代の彼に当会より委託作曲された曲の初演である。「クラリネットと管弦楽のトッカータ曲」の依頼を木管楽器のディアローグから始めて、その構造を多声でも和声でもなく全くシェーンベルクやノーノをあってこその曲想としているのには、アイブスの独自性やヴァレーズの発想のようなコロンブスの卵的な仕事振りである。器楽演奏家や高名な指揮者が遣るお座敷芸とは全く異なり、上のバッハの解釈を作曲面で演奏行為以上に語るものであり、演奏以上に芸術的な意味合いを提議していた。この日本にもシャイーとゲヴァントハウス管弦楽団で既に公演していると言うが、この若者が今後も主に商業的な興行で活きていくとは考えられない。なるほど、これならば完全に現在の非西洋から西洋音楽への視線を向けた現代の作曲となっている、そういう創作行為なのである。まさにそこにあるのは、殆ど楽器や機会の枠を超えた音楽表現のあり方であり、スタートレックのスポック副船長などが演奏する音楽そのものであろう。

正直、こうした足がかりや視線に気がつくと、我々が如何に西洋の凝り固まった世界観の中にいるのかを突きつけられているようだ。まさにそこにあるのは、一部の新世界人が試みたのとはまた異なる、物理現象を司る一種の宇宙の摂理のようなものである。それがとても、若々しい瑞々しさに溢れているのである。
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精神活動こそが精力絶倫の素

2010-11-07 | 生活
結局、朝まで降り続いた。八時には出かけれる準備をしていたのだが、計画表を見ると八時過ぎの列車に乗らなければいけなかった。そんなに早くから雨が上がるとは思っていなかったので、仕方ない。それもフランス国境まで行くと雨が上がるのも遅い。断念してから暫くするとこのあたりの雨は止んだ。

疲れが残っていただけではなくて、心理的にも安定していなかったので、急ぎの用を何とか片付けた。

また週初めから急がしそうなので、何とか日曜日を有効に過ごせた。挨拶の原稿で父親のことに触れた。丁度、自分の今の年齢のときのことを思い出した。どうもその頃とその後の感じが違っているなと認識した。なにがどう違うかと言うと、精神的な活動の張りが矢張りその当時には感じられて、それ以降はかなり低下していたような印象がある。恐らく職業的にも頂点から落ちていっていたのではないかと想像する。

最も顕著なのは、その後にゴルフなどの中途半端な運動をしてお茶を汚す反面、精神的低下しかなかったのだろう。なんとなく中高年のその精力減退のようなものは分からないでもないが、体力以前に精神的な張りが先に落ちていくと言うのが高齢化なのではないかと考える。

しかし、ある年齢以上の者はどちらかと言えば健康とか何とか言いながら体力増強をしか話題としないが、実際は運動をしても気力が増す訳でもなくて、むしろ運動疲れのようなものが精力減退に繋がるのではないかと思われる。

体を使う時間があるぐらいならば、やはり脳を使う方が人類のとって遥かに大切であると思い直す一日であった。夕方になってまた雨が降り出した。
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炎がむらむらと燃える思愁期

2010-11-06 | 
今時珍しい雨が降っている。暖かった日も終わり、また冬型である。北から帯状の冷たい大気の前線が南下してきたようだ。そこの境界で雨を降らしている。それでも強い雨でなくて、弱い雨が比較的長く降っている。スカンジナヴィア上空の低気圧が東へと抜けているので、徐々に温度が下がっている。こうした寒冷前線は中高山では雪を齎すようだが、この辺りでは雨になるのだ。シュヴァルツヴァルトは今晩は雪のようだ。

昨晩は月例会があって出かけた。いつも以上に多くの顔ぶれが集まっていて賑やかであったが、こちらは既に来年に向けてトレーニングを開始しているので、疲れもあり、更にどうしても来年への展望へと興味が向かう。来月はクリスマス会でメニューの食事会となる。

先ずは冬の期間の室内トレーニングの日程を決めさせた。来週にした。要するに毎月第二週の金曜日の19時に集まることに決めたのである。一旦決めれば参加する者は徐々に増えるだろう。まるで、小沢なき後の仙石のようになってしまったが、まあ、それで良いだろう。

しかし、暫く顔を見ないと思った者が出てきたかと思うと、昔話のような感じで話し出したので、一寸驚いた。なるほどご本人は未だ四十台であるが何か老けた感じを最近与えているのだ。まさにその風采通りに気持ちまで老けてきたのだろうか?その昔話の登場人物の一人が肺に腫瘍を抱えたままで、噂になるのも当然であるが、話者までが同じようになるのは解せない。あのときに同じように活動していた一人が余命のカウントダウンを始めているとなるとどうしてもそのような気持ちになるのだろう。「青年の死」とは異なる「中年の死」の受け止め方がそこにはあるのだろう。

十一月に待降節の前夜祭に、ドイツ高級ワイン協会の百周年祭のフィナーレとして醸造蔵解放の日が予定されている。既に先月から声を掛けて若い山仲間も誘っていたのだが、やっとここに来て詳細が定まってきて、訪問醸造所を本日最終決定した。選定基準は、連れて行く人に飲ませて見せたい醸造所であり、そして普段では自分自身も体験できないイヴェントへの参加であるが、顧客からも一銭でも金を取るところには行かない。

それでも素晴らしいプログラムが用意されていて、三件を一晩のうちに訪れるだけでも大変である。地元のいつもの醸造所に行って、客人のヴィットマンやその他の醸造所のワインを無料で試飲出来るとなると、こちらの血も騒ぐ。未だ醸造蔵を見学したことのない醸造所からもクーポン券で招待状が来ていたが、残念ながら当日に訪れる時間的余裕はないのである。だから、興味のありそうな仲間に行かないかと尋ねている。

それだけでなく、来週には室内でクライミング約束をした最近老けた連中をも一部の試飲会に誘って、勝手に飲んで帰ってくれればそれでも良い思っている。先ずは室内で一緒に汗を流してみて、その衰え振りを自覚して貰わなければいけないだろう。もちろんこちらが若い仲間の尻を叩いて十年計画でスポーツ能力強化を図っているのと丁度正反対となるので、どうしても通常の加齢が、こちらの目には激しく映るのかも知れない。

今年の十一月は今までに経験したことのない月である。通常は、日が短くなって、夏時間が終わり、そのまま徐々に冬眠状態へと向っていくのであるが、今年に限ってはその時差ぼけは今までに無く激しかったようだが、精神以上に肉体の高ぶりが激しく、肉体と精神の落ち込みが激しいこの月に、強い炎が胸にむらむらと燃え上がるのである。精神と肉体の不一致のようなものが恐ろしい思愁期の今日この頃である。

さて明日起きて、雨が小降りになっているだろうか。一日中ハイキングに出かけるつもりなのだ。
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次に緑が来るまでになすこと

2010-11-05 | マスメディア批評
早朝のラジオに緑の党のロート代表が電話インタヴューに答えていた。昨日の世論調査で二十二パーセントの支持率で大台に乗せた事に関してである。シュツッツガルト21の駅周辺整備に係わる住民運動とその成り行きも政府や行政と釈然としない市民との対話の欠損が感じられ、調停役に登山家でワイン農家でもある引退したキリスト教民主同盟の長老ガイスラー氏が骨を折っていることでもそれが証明されている。要するに緑の党に求められているのは、現代社会の代議員制度の政治体制だけでは事足らない市民運動に立脚した市民の開かれた議論とその民主的な政体のあり方であると思われる。

左右の国民政党が凋落傾向にあり、その間隙を縫った自由党が政権に参画後にそれへの支持を激減させている一方、政権参画後にその左翼的な運動方針から転換を余儀無くされ、当然ながら支持層の分裂を招いたが、第三の道を求めた運動が漸く果実してきたと言えるだろうか。国政のみならず地方に置いても州知事の独自擁立も時間の問題と言われ、社会民主党がその地位にあるベルリンの長にも次回「トヨタ車に乗れ」の名言でも有名なキューナス女史が立候補すると言うことで、大変有力である。

最近の話題にナチスドイツを 積 極 的 に支えた官僚や役人の問題が浮上してきたが、この問題は改めて考えるとして、ある種の自由主義思想がファシズムの温床であったことは定説となっていて、これは上の緑の党の予想される躍進が必ずしも「リベラリスム」を体現するものだけであるべきでないことをも示唆していないだろうか。やはり、市民の教養や教育程度に見合った活発な議論こそが求まられているに違いないのである。社会主義的な政策自体などよりもそうした政治形態のあり方の方が遥かに大切であって、もはや数のために手段を選ばないような政治屋の出る幕ではない。

個人的にはオバマ大統領の保険制度改革に元々反対であり、ヒラリー女史のそれを支持していたが、大統領のカリスマ性とそうしたかなりな社会主義的思想と結びついていたのは間違いなく、まさに合衆国にはこうした政治改革がその社会の文化的基盤と共に欠けているように思われる。実際はどうなのだろうか?

トルコ政府のYOUTUBE検閲遮断問題では、BLOGが大きな声となって、民主化への議論が進んでいると昨晩のラジオは伝えていた。こうしたところからネットを通じて新たな政治形態へと議論の道筋が定まって行くのかもしれないい。

フランクフルトから帰宅後、夜食を済ませ、25時頃になってやっと床についたが、今朝は六時半過ぎには目が覚めた。急いでパンを購入しに行って、一走りした。今朝は昨夜からの強風で殆どの紅葉が足元を埋めていて気持ちよかった。新しい靴になってはじめてのコース取りで、下りに力点を置いた心算なのだが、時間も無く、焦って上りに走り出してしまった。登りの距離の約半分で、水平道に近い部分をジョギングで走り通した。それでも時間短縮は六分ほどで大したことはなかった。案の定、その分下りに疲れが出てきて、予期していたものは達成できなかったが、このコース約五キロを三十六分ならば、今までで一番早い走破となった。

ここ暫くは摂氏十度の後半まで温度計が上がる暖かい日が続いていて、昼は窓を開けれる生活となっている。それでもこの時期汗ビッショリで、上着が濡れないようにそれを脱いでTシャツでうろうろしているのは矢張り尋常ではない。上りを走る意欲が湧いてきてついつい遣ってしまい、それに対応出来る心肺機能の強化は確認されるのだが、短時間集中とは言いながら可也密度の高い強化トレーニング内容となっていて、流石に毎日繰り返すだけの体つくりが未だ出来ていないのがなによりもの問題である。下肢だけでなく、膝の上の筋肉も、下腕や肘にも疲れが来ている。
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声高に発言して巧妙に攻撃する

2010-11-04 | マスメディア批評
フランクフルトへの車の中でラジオを聴いた。先日世界的な話題となったチューリンゲン地方での大陥没クレーター騒ぎに関してである。どうも地下には至る所玄武岩の洞穴があるようで、安全は確保されていないらしい。それでも大量の砂を入れて埋めているようだ。東ドイツには露天掘りか鉱山跡か、原子力発電の死の灰の埋め立てか何か分からないような巨大な穴や池が多いが、それとは別にもともとそうした地層が存在するのだろう。

新興住宅地の開発許可が出ていたところでああした事件が起こったので、地域の被災者の家庭には仮住居の家賃などが自治体から支給されていて、復興までの約半年間はそうした生活を迫られるようだ。しかし元々そうした地形の所の土地ならば財産価値など全く無いであろう。

ロシア大統領の北方領土訪問の件で日本が過剰反応をしていると言うので、ロシアでは「日本特有の国内政治問題」なのだろうと訝しく思っているとFAZ新聞には紹介されている。そもそもヴィザ無し訪問も、どうでもよい墓参りとかなどが話題に上るだけで、十分に利用されていないようで、更にヴィザをとっての日本人の旅行も日本の外務省は出来るだけ抑えようとしているらしい。ドイツなどでも千島列島への旅行団を日本専門旅行会社が扱っているぐらいであるから、タブー化されている北方四島旅行は日本にとって北朝鮮のようなものなのだろう。

冷戦時代を含めての保守党のおかしな外交が招いた歪な世界観による、世論抜きの外交の後遺症が、今の新政府を激しく襲っているようである。センゴクさんという人が尖閣列島事件のヴィデオをYOUTUBEに流したようで、これが当の官房長官の仕業なら天晴れと言うしかない新型のネット外交である。突っ込みの前原外相のように世界への発言を声高に叫ぶのだけではなく、このように惚けを巧妙に遣って貰いたいものである。もっとも中共はネット攻撃の先進国であり、その予算規模にはなかなか追いつかないだろう。

EUはネット攻撃に弱いと今日のラジオが伝えていた。トルコでは、YOUTUBEが遮断されていて、検閲と人権問題となっているが、インターネットはそうした弊害を幾らでも抜ける手段があるのがよい。



参照:
辺境のとても小さな人々 2007-04-11 | マスメディア批評
取違た偽物に身を任かす 2007-06-25 | 女
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万人だけでなく通をも唸らせる

2010-11-03 | 試飲百景
2007年産リースリングシリーズ第二段である。グランクリュワインを試した。文字通り醸造所で試した。自分の蔵に同じルパーツベルク産「ガイスビュール」がないことはないのだが、プレゼント用に買うので、自分それを開けるのではなく、試飲するのである。自分の一本は情報を収集してベストと定めたときに開けるのである。

良年2007年産であるから試飲出来るとは思っていなかった。そもそも2009年産のカルクオーフェンをクリスマス用にお届け物とすることを考えていたからである。しかし、地元割引があるのを思い出して、2009年産のガイスビュールが未だに閉じているなら、2008年産はどうかとなって、予想外に2007年産が同じ割引価格で譲ってもらえるとなったのだ。更に試飲してみて、これは間違いないと思った。

間違いないとは、見ず知らずのワインに興味があるなしに、これならば間違いなく唸らせることが出来ると言うリースリングである。実際、ガイスビュールは2003年産も格安にご進物にしたこともあり、今回もそれになったのだが、まさか2007年産が安く買えるとは思わなかった。

コルクを抜いた当初だけガソリン臭さが漂ったが、とても新鮮な、芯の通った燐としたものであった。恐らく安売りでなくてもこれを購入したと思うが、三割引となると、もう声が出ないのである。そして、これを進物として受け取る人は、一寸熟成しているとエチケットから感じる2007年産を、躊躇無く今年のクリスマスシーズンに開けれるのだ。

要するに安心料もそこに含まれていて、その安心は貰い手だけでなくて送り手にも支払われる。なるほどこのグランクリュは五年先にも新鮮に飲めるのだが、その間には少しは谷と山があるのだ。一度ご進物にした物には何もコメントできない。だからこそ、安定していて今楽しめるものを選ぶべきなのである。

正直な話、自分では殆どあけることが無い地所のワインであるが、今日試飲してみて、コリアンダーのような裏の隠し味もあり、この良年のそれは通をも唸らせるそれだと確信したのである。なるほどアジア料理にも推奨してあるのはよく理解できる。
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神戸のサッカー小僧の順応性

2010-11-02 | 雑感
サッカーの話題である。ブンデスリーガーで今最も注目されている選手が神戸出身の香川真司と言う日本の第二リーグ出身の選手らしい。ドルトムントの躍進を支えているこの二十一歳の若い選手は既に、同チーム最高のスター選手トーマス・ロシキィ-と比較されているのみならず、世界のサッカー選手に既にノミネートされていると言うから、歴代日本サッカー選手の最高位に既にあるのだろうか?

スポーツの話題となると香川真司の活躍ばかりが報道されているが同僚のセバスチァン・ケールなどと強力な牽引力となっているのは間違いないようだ。日本の報道を見るとモスクワの本田選手ばかりがスター扱いされているが、僅か四千万円で引き抜かれた飛び抜けて元気な選手本人が語るように、未だ十試合程度のことでこれからまだまだ話題となりそうである。

インタヴューで語る。日本のサッカーシーンは四五年経つと大きく変わると。つまり自分自身のように、野球が盛んな日本でも子供のときからの町のサッカー小僧が育ってくると言う意味らしい。ワールドカップには選ばれなかったらしいが、なるほど四年の経験でも第二部に在籍した伸び盛りだから仕方ないのだろう。

ドルトムントの関係はトーマス・クロートのサッカーが気に入っていたと言うが特に無く、請われてやって来たものの、直ぐに馴染んだようである。特に同僚とのオープンなコミュニケーション大切にしようとする姿勢は素晴らしく、親切で暖かく熱心なファンに交じり合う市内にアパートを構えたというのも天晴れである。

サッカー選手に要求される状況判断と自身の立ち位置を丁寧に測るようなインタヴューの姿勢は、そのプレーを見なくとも十分に期待させてくれる選手に違いない。



参照:
"Ich träume von der größten Bühne", Interview mit Shinji Kagawa, FAZ vom 31.10.10
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難攻不落の重量級の強い意志

2010-11-01 | 
パン屋に行く早朝の車のラジオで、バッハ作曲のルターによる「堅牢な城は我々の神」カンタータが流れていた。今日はルターの宗教改革の日である。実はこのバッハのカンタータよりメンデルスゾーンの交響曲を思い浮かべた。第五交響曲のそのもの「宗教改革」と呼ばれる曲である。この曲には、このルターのメロディーだけでなく、ドレスデナーアーメンと呼ばれる舞台神聖劇「パルシファル」でも使われた聖歌が含まれている。バッハのカンタータだけでなく、ヘンデルの曲にも使われているのは知らなかったが、マイヤーベーアーの「ユグノー教徒」のそれは聞き覚えがある。

さてこの交響曲であるが、オスマントルコへの抵抗歌ではないかとも言われるこの元唱を「宗教改革のラマルセーユ」と表したハイネによって、この交響作家のその信仰性に疑問が投げかけれれているが、こうしてその堂々としたフガートの賛歌や、織り込まれるこれらのメロディーの使い方をみると、これはなかなか上手にそのプロテスタンティズムの本質が、いかにも複雑なユダヤ人のしたたかな視線で表現されていると思わずにはいられない。

乾いた連休が予想されていたが、冬時間に戻り、雨が降った。回復傾向にあったが、どうせ行く予定もなかった岩場は濡れたままであったろう。ケーキを受け取って、そのまま何時もの駐車場へと向った。昨日の疲れが残っていたので若干迷いはあったが、ゆっくりと川沿いを走り出した。

美しく黄色く色づいた林道を行くが足が前に出ないどころか、直ぐに息苦しくなる。それでも川沿いの終着点には十二分後に到着しており、昨日に続いて全く歩調が遅くなっている様子は無い。さて、そこからが山登りであるが、息を絶え絶えに歩いているうちに、駆けて上がりたくなった、少し試してみると、足元が滑らない分、靴を前に出してやるだけで、上体が上へ上へと自然に上がる。まるでアプト式の機関車のようである。流石に休んだり駆けたりで、五分も走ったぐらいであったが、上に着いた時は、通常よりも早かった。いづれは走って上がり通せる見込みがついた。この道をはじめて歩いたときには息絶え絶えで上に着いたことを考えれば大変な進歩である。

そこから重い足を引き摺りながら、最後の下りの上へとやって来た。新しい靴でのはじめての本格的な下りである。案の定、軽快感は皆無で、足が前に出ない。なるほどごつごつした場所へと突っ込んでも足や膝には堪えないが、強引に捌ける強さは自分の足には全く残っていない。これは結構時間が掛かったかなと思ったが、実際は少々の遅れで、全体では八キロを一時間以内で今までよりも十分近くの短縮が出来ていた。不思議なことに新しい重めの靴を履いたことで下りよりも上りで走行速度が増している。

プロの一流選手ではないが、時間を競うことは全く関係なくとも、A地点からB地点へと早く移動が出来る限り、この靴は競技用として間違いなく優れているのである。つまり、こちらの肉体への負荷が高まり、体力を必要とすると言っても、それは体力強化で補うべきことなのである。日本のスキージャンパーの「技」や日本車の軽量化が所詮欧州の一流選手やドイツ車に及ばないのと極似している。

我が身にそれを当てはめれば、なるほどこの重めの靴を履きこなせる様に上体を強化して、上背がない分は一メートル以上に発達させた胸囲で補うことも出来るだろうと考える。スキーで言えば、滑降の高速カーヴィングの回転における遠心力との戦いにも似ていて、横からつつかれてもビクともしないような軸の定まりが要求される。



参照:
われらが神はかたき砦 2005-03-04 | 文学・思想
養成ギブスのように体を使う 2010-10-30 | 生活
トレイルランニングに使える靴 2010-10-29 | アウトドーア・環境
ゆっくり出来なかった昼休み 2010-10-28 | アウトドーア・環境
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