Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

投資家の手に落ちる報道

2007-06-01 | マスメディア批評
去る5月26日、ハムバッハー175年祭の記念に、キリスト教民主同盟のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領が当地で演説した。ワイン街道のノイシュタットには、この期間一万一千人の人が集ったと言う。州首長で社会民主党のクルト・ベック党首がこの主賓を迎えて開会された。

各報道は、G8サミットを控えた現在進行形の話として、中欧自由民主主義のメッカであるハムバッハ城での演説を伝える。

175年後の今、ハムバッハー祭りは、私達とどうした繋がりがあるのでしょう?多くのドイツ人にとって、フランクフルト国民議会は栄光ある歴史の一瞬となっているにも係わらず、当時はバイエルンであったラインプファルツのハムバッハでのドイツ史上唯一無二の市民的行動は、未だに殆ど知られずにいるのです、と演説を始める。そしてそれを迎える歴史的な背景が語られる。

世はナポレオン戦争終結を受けて、1815年のヴィーン会議で革命以前の状態に戻されることとなったが、既にプロイセンは革命の影響を受けたシュタイン・ハルデンベルク改革を終えていて、ナポレオンへの戦いの敗北を通して封建制から近代へと進んでいた。その反ナポレオン支配への戦いにおける憲章がそのまま生きていたと言う。しかし、新秩序体制におけるメッターニッヒの指導に、市民と王権が大きく別け隔てられる。

そしてその復古体制への反感からパリで1830年7月革命が勃発してオルレアン候が権力を握り、ポ-ランドの蜂起へと移り、特にドイツ人を刺激した。それは、ベルギーの独立へ、スイスのカントーンの憲法改正、英国の選挙法改正へなどと飛び火して行く。

そのような状況下にノイシュタットに集った出版人、役人、自由学生連合、学生、職人、農民など三万人が、ノイシュタットの町広場からハムバッハ城へと、自由、人民主権、選挙の自由、出版の自由、集会・発言の自由、男女同権を求めて行進した。

ヘーゲルの言葉、「フランス人は物事を行って、我々ドイツ人は哲学する」が覆される。

しかしその後、ハムバッハの雰囲気と維新への逆風が吹き、フランクフルトの国民議会がプロイセン軍に制圧されていく。

その過程をフォン・ヴァイツゼッカーは、今日の問題として発言する。つまり、この維新の火付け役であった出版者は、革命的な民主主義者であり、出版とジャーナリズムへの使命を持って、「検閲こそは出版の自由の死であり、憲法はこれを以って朽ちる」と反発する。印刷機が政府によって封印されたとき、パン焼き窯を封印されるのと同じで、これらは、民主主義にとって、出版の自由と日々の生活には欠かせない物だと訴える。

私達は、今日に至るまでこの契機と蜂起をメディアの自由としてなぞらなければいけないと語る。私達が、この機にメディアの自由を呼び起こすとき、今でもこの自由こそが必要な諸外国があり、自由な発言や情報、特に出版に圧力がかかる時、私達は真剣にそれに立ち向かうのです。そのような今日の例を誰もがご存知です。

私達自身のことを振り返れば、ハムバッハー当時の政府の干渉や拘束のその事情とは異なりますが、それでも今また、商業における資本主義が出版に重く圧し掛かって来ているのです。

私達が必要とする情報や真面目なコメントは、どぎついエンターテーメントが正面に押し出される時、いったいどこに残っているのでしょうか?視聴率や出版部数が追い求められ、利潤がジャーナリスムを席巻する時、その出版の自由の質はどうしたものでしょうか?「悪いニュースは良いニュース」はいったい誰のため?

メディアへの需要は、私達にとって消費に違いありません、しかしです、その核は民主主義の力ではありませんか。新聞社が投資家の手に落ちた時、たちまちその目標は利潤となり、容易に売れるポピュリズムの影響下に公益が曝されるのです。

私達は皆、生涯を通して学習と情報を、信用おける情報と注意深い論評に頼っているのです。出版の質は、民主主義に欠かせない公益なのです。しかし、その道は細く容易ではありません。

市民の正当な要求として、市民の私生活にメディアのスポットライトが当てられるとき、そこではプライヴァシーが暴かれ報道され、商業的な成功が残るだけなのでしょうか?他方、ジャーナリズムの調査や追跡は、先頃の憲法裁判所のチチェロ判決で新たに強化されて、取材元の守秘義務としてジャーナリストは法的に護られることになっています。ジャーナリストの好奇心溢れる正当な調査活動は、それがセンセイショナルな一方的な成功が目されない限りにおいて、受容出来ると言うよりもむしろ理解されるものなのです。

ですからこの地で当時演説されたその主要テーマは、私達の今日の自らの民主主義においても重要な意味を引き継いでいるのです。(続く



参照:
SWRラジオ
演説から中継抜粋

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