Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

希望へ誘うオバマ候補

2008-01-15 | 雑感
先週は、久しぶりに夜更かしをした日があった。ニュー・ハンプシャーでの米大統領予備戦のCNN放送のカウントダウンに引っかかって、開票まで二時間から最後までTVを付け放してしまったからだ。

画面を見ずに殆ど流して、PCに向い画像処理などをしていたので、ちらちらとしか見ていなかったのだが、ヒラリー・クリントンの勝利演説にしろ、バラック・オバマの敗戦の弁にしても、つまらない印象で、まだ始まったばかりとは言え、日本のそれとあまり変わらないような印象すら持った。

その解説を聞く気にもなれずに、また後で政策などを調べる気もなかったのだが、幾つかの新聞記事の中で、オバマのレトリックを取り上げていて、なるほどと思わせた。原文は、ガーディアン紙に掲載したジョナサン・レーべン記事のようだが、オバマの政治的宗教学となっていて興味を引いた。

明らかにヒラリーとは比較にならない、オバマのいつかの立候補演説においてもその演説の心地よさと高揚感は見事だと思ったが、まさにそれを解析している。この筆者は二人の政策上の相違である健康政策と幼児教育へのオバマの思考に、人々は牽き付けられるのではなくて、そのお説教に希望を与えられ魅了されているのだと論評する。

オバマは、二つの機構に属していて、一つは保守法曹界であり、もう一つは過激な黒人教会であると言う。後者のジェレミア・ライト博士のお説教こそが彼の演説の骨子となっているとしている。つまり、教会では白人人種主義者が、政治では経済的ロビイスト、黒人が、ハード・ウァーキング・アメリカンもしくは健康保険の無いアメリカンと替えられる。

しかし、オバマ自身は、ライトの教会への回帰を、「教会共同体への驚愕と、深い縁に一人取り残されないようにとの判断」として、注意深く無信心と信心の中間に立っているようだ。

また、その政策内容自体が先進工業国民にとっては、お馴染みの問題であって、米国のみならず世界中の国民に同時に語りかけているかのようでさえある。

だから、必ずしも救済がこの世に存在しなくとも、もしくはあの世が存在しなくとも、米国人を、世界を、黒人ならず白人までも、民主党支持者ならずも共和党支持者までをも、幸せへの希望を抱かせるのがオバマ候補の演説のレトリックであるようだ。その反面こうしたお説教にへきへきする支持者も少なくないと言う。

ブッシュ・ジュニアの米政界への最大の貢献は、ヒラリー候補がつまらないメディアイメージを振りまこうが、誰もが前任者よりもマシに見えるようにしたその実績であろうか?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お好味のテュルガウ牛 | トップ | 魔物が逃げ隠れるところ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿