Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

世俗の権力構造と自治

2006-08-09 | 歴史・時事
教皇ベネディクト十六世が里帰りするとして、それを前にミュンヘンとフライシングの大司教区の記録・調査所がご本人のヒトラーユーゲント歴の調査発表をしている。

例えは悪いが、共産党員が過去に粛清で人を殺めたとかの誹謗にも似ていて、スキャンダラスな大きな見出しが実際の状況の説明よりも政敵には重要で、事の次第は二の次となることが多い典型的な事例である。

その点からすれば、新聞を読むとこの報告はヨゼフ・ラッツィンガー氏のヒトラーユーゲント(HJ)としての在籍の書類上の証明は出来ないものの、その所属を当然のこととして明白にしていて面白い。

もともと、1927年生まれの警察官の次男として、カトリックの子息として1939年に全寮制のセミナーに入る。其処では将来の神父への教育がなされるが、午前中は通常のギムナジウムに通い、午後は音楽やスポーツ、宗教教育がなされた。

第三帝国の初期においては、其処にいた172人の少年はナチズムの影響からは逃れていたとある。バイエルン協定と帝国協定によって、自治が守られていたからのようである。しかし圧力は忍び寄り、1934年にはナチの人種主義を批判した市の神父シュテルツが、逮捕され二週間近くも拘束されている。その頃公立のギムナジウムでは、ナチ教育が施されて、校長もカトリック者からナチ党員となっていく。

ギムナジウムにおいてはHJが差別を受けたからとして、逆に教師を追放するなど、全体主義の中でのテロのあり方や方法は、TVや映画で良く我々も知るところである。1935年に兄のゲオルクは、既にセミナーに在籍していた。1938年にはヒトラー親派である文化大臣アドルフ・ヴァーグナーは、経済的圧力をかけだす。つまりHJに対してだけ経済的援助をするというのである。

しかし1939年当初の時点では、セミナーの中にHJは存在しなかった。しかし、3月に予備ヒットラーユーゲント組織が正式に出来た事で状況は変わってきた。つまり14歳までに予備隊にいなければ、一年の年季を必要とする正HJになるのを不可能にして、更にそれは奨学金の給与を不可能にする事を意味した。組織的な圧力は、1940年の4月以来、退職者で経済的弱者の倅ヨゼフ・ラッチンガー少年は当然のことながらヒットラーユーゲントとなった事情を十分に説明している。

その後1941年9月からはドイツは総力戦となると、セミナーの建物は徴収されて、高射砲の手伝いに買い出された生徒たちは家庭へと戻る。本人もセミナーを離れてからは一度もHJの集会には参加していないし、学費のために参加していたと叙述している。

これ以上書き加えることは無いが、宗教的な権勢も世俗的な権力構造の前では役立たずで、如何に世俗的に自治を保つことが難しいかと言う好例である。ここでは、そうした権力構造を利用しようとする市井の人々のエゴイズムには触れまい。



参照:正当化の独逸的悔悟 [ 文学・思想 ] / 2006-08-12

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2 コメント

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過去ねぇ~ (はっちー&ハリー)
2006-08-09 18:08:29
彼は心から望んでナチに関わった訳では無いはず・・皆、理解していると思ってた。



通らなければならない過程でしょうか?
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仕様がないな~ (pfaelzerwein)
2006-08-09 19:58:30
なかなかそうはいかんのですな。教皇だけに免罪符が下される訳でないから。それに腕白少年としての「前歴」がある。



私の周りでも「仕様がないな」は聞こえますから。結局、英国からの第一報は事実関係として概ね正しかった事になっています。
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