Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖金曜日からの不信感

2024-03-31 | 
新制作「エレクトラ」である。後にも先にもここで準備しておかないと万事休すとなる。まだ何が出来ていないか?問題点のある所の楽譜を点検することもあるが、それは指揮者をはじめ映像制作プロデューサーらに指摘されて修正される。客席で確認することはそこではない。

音楽的に確認しておくことは、最初のモノローグ、妹とのデュオ、母親との絡み、オレストの死、オレストの登場、オレストとエレクトラの絡みの音楽的内容をもう一度確認したい。

一週間経って流石に疲れたので、先ずはゆっくり食事をしてぐっすりと眠って当日の朝からにしたい。夏時間で一時間損をするわけだが、重要なのは深い眠りだ。実は聖金曜日から土曜日にかけてあまりいい気持にならなかった。ちょっとした不信感とかそういう否定的な気持ちが強かった。朝も雨が降っていて天気が回復して初めて10時頃に走れた。それで復活祭明けまでのノルマを果たしたので、あとはゆったりした気持ちでとなる。

例年ならば復活祭で衣装も変わる所なのだが日曜日は摂氏20度ほどになるとしても翌月曜はまた冷えそうなので、其の儘誤魔化そうかとも思う。次回のハイデルベルク訪問にはまだ一週間以上あってそこも考えものである。

最大の問題は日曜日に21時頃に帰宅して最終日は11時始まりなので、遅くとも10時に入る為には9時に出かけなければいけない事である。適当に夜食で早寝しなければいけない。要するに最終日に準備する時間が車中しかない。車中は耳しか働かせない。

両日ともに最終日に席替えをしようかとも思うのだが、これという潜り込みやすい席が空いていない。結構売れているということでもある。初日だけは空きがあったが、その後は移動するほどの余地は全くなかった。

ベルリンなどでも既にコロナ前に戻っているということで、確かにバーデンバーデンでも幅広い聴衆が戻ってきているという印象はある。そして来年でベルリナーフィルハーモニカーは最後となるのだが、最初は指揮者ペトレンコとフィルハーモニカーがラトル時代同様に半々ぐらいの喝采を受けていたのが今は完全にペトレンコへの喝采に変わってきている。ある意味、エンゲル指揮の管弦楽団と同様に指揮者の方が喝采を受けるというのは当然なのかもしれないがラトル指揮時代は一度もそうはならなかった。実力通りということになる。一般聴衆というのは決して馬鹿ではないのだ。

そういえば「エレクトラ」のプログラムもまだ目を通していない。何故だかはよく分からないが、結構忙しかったからだ。そういうのは旅行で完全にヴァカンスになっているとそういうことにはならないのだが、自宅との間を通うと往復に二時間、そして平素の時間で結構きつきつになる。これももうあと一年のみだ。燃料も二往復分は入れた。現金も必要な分は下した。あとは二日分のお勉強をなんとか敢行するのみである。



参照:
日常茶飯に出合う芸術祭 2022-04-17 | 文化一般
似た様な感覚の人々 2018-04-02 | 暦

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