Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

公共堆肥から養分摂取

2005-01-11 | 
クリスマス前になるがボン劇場で舞踏劇のプリミエーがあったことを文化欄で知る。三年前にプァルツの自宅で自害した、疑惑の渦中にいた前首相の夫人をタイトルロールにしたものであった。この期間とその政治家の存在を考えると時期尚早ではないかと感じたが、「伝記的な内容に新しいも古いもない」とこの有名な振り付け師ヨハン・クレスニックは言う。ナチスの両親の下に1933年にベルリンに生まれたこの政治家夫人をその死まで描く。彼女は、ハイデルベルク大出身のカトリック青年政治家が統一の首相となり政治権力の頂点に君臨して臆することのない政治手法への傾倒と数々の腐敗にまみれて頂点から転落するまで、この老政治家の夫人として公的生活を送る。プロテスタントの彼女の告別式は、カトリックのカイザードームで盛大に行われた。その露出度から公的ではない私生活面でも興味を持たれその最後が大きな関心を呼び、今回も遠方から大勢が公演に駆けつけている。

この政治家が在任中は、重要な世界の首長が全てプァルツの休日に招待された。そのコースも、ボンからズパイーヤーの空港に着陸してカイザードームを見学して、ハムバッハー城で記帳して、昼はダイデスハイムで名物料理を食べ、それから自宅へ招いて寛いでから、宗教会議で有名な荘園ヴァルムスの空港からボンへ帰って行った。その行程をこの政治家夫人はいつも卒なく付き添った。この期間、名物料理ザウマーゲンは必ずお昼に出されて世界の指導者の胃袋に納まった。一時は「ザウマーゲンを知らぬものは世界の権力者にあらず。」であった。このソーセージの腸の代わりに胃袋を使ったジャガイモ入りの豚ハンバーグは当時首相ステーキと呼ばれた。この政治家が黒い森から呼び寄せたコックは、一時は錚々たる来賓だけでなく英国女王のザクセン旅行にも帯同した。今は場所を変えて他所で営業をしているこのコックの許へ自害した夫人は、死の直前までワイン街道を訪れていた。

プァルツからバーデンさらにフランス国境のザールランドでは、ジャガイモをクロンベーア(CRUMBEERE)という。標準語はカルトッフェルなので、この方言は辞書には載らない。直訳するとフランス語のpomme de terreに似ている。地面とか堆肥の果物とか葡萄とか林檎とか云う意味である。16世紀の半ばに南米から輸入されてやって来たこの植物も、時を隔てて大地に根付いた。18世紀初頭の食糧危機を救い、1756年にはプロイセンのフリードリッヒ大王によってジャガイモの耕作が命じられた。

さて上の公演だが、批評はスキャンダラスなシーンや前宣伝法に関わらず概ね好評である。「事実の再構築における分析力の欠如」との批判に対して、クレスニック氏は「芝居だから当然」と答える。何よりも挑発的な内容ながら、上演を可能としたのはその事件に迫り抽象化出来る能力と自らが批判するモデルに対する十分な配慮であろう。しかし政治家の政治母体は政治キャンペーンとして受け取り、これを批判している。それにしても今や小さな都市ボンでこのようなものを上演出来る事に驚く。「誰も語らなくなったからこそ、こうしたものは価値が有る。」という観衆。長期にわたる首相在任期間の業績は、大地に根付いて、幾つかは地縁となっている。誰もが関心を持っていてもあまり報道されなかったり、事柄が報道し難いこともあるようだ。こうしてスキャンダラスに舞台化されることでタブー化を防ぎ、事件を対象化するために十分に機能するだろう。学力低下を防ぐために学校からの劇場訪問を義務付ける動きがある。このような劇場活動ならば、あたかも公共の堆肥のように公的資金で援助しても社会に還元されるものは大きい。大地は絶えず耕さなければならない。

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