Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

年の瀬はロココ劇場へ

2017-12-13 | 文化一般
年の瀬にシュヴェツィンゲンのロココ劇場に出かけることにした。春の音楽祭や昔日系のジュン・メルケルがマンハイムで振っていた時に出かけたりしたが、真冬に入るのは初めてかもしれない。その庭も寒い時に出かけた覚えはあまりない。

機会を与えてくれたのは、我がツイッターの9人目のフォローワーであるカウンターテナーのレイ・チェネスだ。カウンターテナーと言えばショル氏などには仕事の関係で挨拶したことがあるが、それ以外ではリサイタルでのルネ・ヤコブスなどが印象に残っている。そのほかバロックオペラでのそれだが、アンドレアス・ショルなどと比較して印象に残る歌手は記憶にない。だからあまり期待していない。

それでも今回出かけようと思ったのは、ポルポーラ作曲「ミトリダーテ」がハイデルベルク市劇場の出し物として演奏されるからである。ハイデルベルクの劇場では瀬戸内寂聴原作、三木稔作曲のオペラ「愛怨」を独日協会関係で出かけたぐらいで、これまた期待しないのだが、ラシーヌの原作となると、芝居を見に行くつもりで出かけても悪くはない。なんといってもポルポーラが作曲した作品なので聞いておきたい。

ポルポーラは、彼のナポリ楽派のファルネリなどとの絡みでも有名だが、なによりもロンドンではヘンデルなどの商売敵であって、調べるとダルムシュタットの楽長として出始めたのは知らなかった。人気のユリア・レジェネーヴァなどもレパートリ-にしているが、オペラの歴史をこの作曲家無しには語れないのではなかろうか。また久しぶりに行くロココ劇場も楽しみだ。そこでスヴェトラノフ・リヒテルを聞いた時も、椅子のギシギシ音が気になったが、もう一度、今の耳でその音響を確認したい。

来週のミュンヘン行きの準備も整えている。ミュンヘンの名門山道具屋シュスターに電話した。スキーを前回の訪問時に預けていたからだ。10月10日の日本からの凱旋コンサートに出掛けた時だ。電話で聞くと、「修理の輪っかの入手に時間が掛かり」ということだったが、直ぐに送るというので、来週取りに行くことにした。どうせクリスマスの買い物もあることだから、早めに出かけて一日掛かりのミュンヘン行にしよう。これで漸く前シーズンに壊れたツアースキー道具が元通りになる。

新聞にエルブフィルハーモニ交響楽団を辞任する指揮者ヘンゲルブロックの話しが短報として載っていた。ヴェルト紙での「曖昧なインターヴュー記事」からの話しである。2019年までを一年早めて辞任したのは、後任者アラン・ギルバートが一週間も経たないうちに発表されたことなどの不愉快な出来事をとぶつくさと語っているらしい。そもそもエンゲルブロック自体が我々の会の公演で育ったような指揮者で、バロックの一部の合唱レパートリーに強みを発揮していて、とってもヴァークナーや通常の大管弦楽団でのレパートリーに強みを発揮するような指揮者ではなかった。それは既にモーツァルトの「レクイエム」でも大した演奏でなかったことから証明されていた。バッハでも名演奏を繰りひろげた印象が無い。だから最初のうちは彼の指揮する定期の券を捨てていた。それでもドイツ語の合唱に強みがあったのだが、バイロイトまで出演するとなって明らかに勘違いしていると思っていた。

そもそもNDRの交響楽団自体がそれほど魅力のある楽団ではないところに、凡庸な指揮者が振っていたのだから上手く行く筈がない。後任者の方が適任かもしれないが、こうした放送交響楽団の首席指揮者の人選などを見ていると如何にも役人的なそれで、シュトッツガルトがとても危ない川を渡るぐらいで、如何にも凡庸な指揮者ばかりが顔を揃えている。SWFのロートなどはまだよい方だった。

そのような人に身近に接して、如何にも好きな芸事で生活しているのは羨ましいと思いながらも、同じ舞台で一方には現人神のような人がいてとなるとどうしても考えてしまう。皆才能に恵まれて、必要な教育を受ける機会があって、更に人並みならぬ努力をしても歴然とした差が存在している世界である。皆同僚とはいいながらその芸術的な評価などからあまりにもの格差は致し方ない。



参照:
ヘテロセクシャルな胸声 2015-11-22 | 女
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
クリスマスの第一祝日 2012-12-25 | 暦

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