Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヘテロセクシャルな胸声

2015-11-22 | 
フランクフルトで鈴の音を聞いた。サハリン出身のユリア・レジェネーヴァのコロラトューラソプラノリサイタルである。伴奏はコンツェルト・ケルンが付けていた。ケルンの名の付く楽団はアンティーカケルンが有名でだが、こちらの方はルネ・ヤコブスとの録音で有名だ。

コロラトュ―ラソプラノとは、文字通り色のついたソプラノで、装飾で色つけられたパッセージを鈴を転がすように歌うソプラノである。それに加えて、ヘンデルのサルヴァ・レジーナに代表されるカソリックの曲はもちろんカストラールによって歌われた曲も歌う ― 少年合唱によって歌われるようになったレパートリーとも重なる。音曲禁止の教皇の時世に留学中のプロテスタントの作曲家によって作曲されたものである。それ以外にヘンデルのロンドン時代の商売敵であるカストラール歌劇団でファリネリなどの多くの弟子を育てたポルポーラの歌劇「シファーツェ」の曲などは、完全なカストラールの声を生で聴けるのである。

今回から会員向きに始まった演奏会前のオリエンティーリングでは、最後のカストラールアッレサンドロ・モレーシの録音などが流されたが、まさしく胸に響く胸声から上に抜ける時の醍醐味こそが一時代を風靡した声であったことを十分に想像させた。

それがこの地質学者の両親を持ち、モスクワで教育を受け、十八歳からロンドンのギルドホール音楽院で学んだまだ25歳の小柄の女性から響くのだった。なるほど男性のそれが一種のヘテロセクシャルな一瞬の変身にバロック的陶酔があり、なぜあの当時そこまで皆が熱狂したかの答えがそこにある。そしていま今度はその胸声が小柄な丸顔のスラヴ女性から発せられるときに、ある種宝塚的な、それなりの驚愕があるのだ。

その鈴の鳴るような軽やかで切れの良い歌声は、本人が語るように子供の時からの天与であって、練習で勝ち得たものではない。一般の音楽ファンには「魔笛」の夜の女王や「ナクソス」のツェリビネッタの歌声がこの種の例である。そして、それらは力強く歌われることで拍手喝采を浴びた。しかし、この若い歌手の持ち味は全くそのようなところにはなかった。

なるほど細かなトレモロの音型やリズムの正確さは決してコロラトュ―ラを決して際物にしない。しかし、それだけでなくてこの歌手の持ち味は弱音でのさざめく様な発声の歌声であって、リリックなのである。三大テノールやその他の見世物にはならないところにこの女流の声楽のなによりもの良さがある。

声帯の慣性力が小さいというか動きが軽ければ、強いコロラテューラのような大きくドラマティックな歌声とはならない。またその意味からは、やはりカストラールのレパートリーを網羅できるわけではない。それでも必要十分なレパートリーはあると考えたからデッカ・レーベルが専属契約を結んだのだろう。但しこうした声の軽さから年齢を重ねて重くなってきたときに、どのようなところに落としていくのかは想像がつかない。

伴奏のケルンのアンサムブルは、ルネ・ヤコブ指揮の録音の時代とはメムバ―も殆ど変わっていて、シュヴェツィンゲンの音楽祭でモンテヴェルディを演奏した時とは別のアンサムブルになっているようだ。日本の奏者もそれもヴィーン訛りの人たちが率いているように、トヨタかどこかの会社がスポンサーになっているのだろうか。この手のアンサムブルとしては殆ど注目すべき特性は見つからなかった。それでも、エコーフルーテと称する二つのリコーダーを二つ並べた楽器で、ブランデンブルク協奏曲が演奏された。音のダイナミックスに寄与するとされているが、殆どその効果は感じられず、音色も取り立てて言うほどのことはなかった。



参照:
辺境のとても小さな人々 2007-04-11 | マスメディア批評
ブレーキの効く両輪に身を任せよう 2010-03-16 | 雑感
ヘンデルの収支決算 2005-03-20 | 歴史・時事
バロックオペラのジェンダー 2005-02-20 | 音

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 維新への建前と本音の諦観 | トップ | 処女雪の山を走り廻る »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿