Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

掻き回されている言語脳

2010-05-08 | アウトドーア・環境
先週までは独日友好関係に従事していたが、来週は独仏友好である。前者に比べると後者で個人的に貢献出来る事は限られているのだが、それでもフランス語が使えれば使えるほど重要さが増す立場にあるので、これまたなんとかしたいのである。

リフレッシュ半ば、定着半ばで、なんども挑戦しながらの今までのフランス語学習状態の域を出ていない。何処まで有効的に使いこなせるかというと甚だ心もと無い進展具合なのだ。まだまだ直前まで、それどころかフランスへの車中でも勉強して行き、向こうでも使いながら少々習ってやろうとは思っているのだが、過去の記憶が掻き回された状態であるので、おかしな感覚を得ている。

例えば単語などは、同じ意味の言葉があったとしてもドイツ語との使い方が少なからず異なる場合があって、不思議な感覚を齎している。それはかなり感覚的なものであって、あまり語学的な感じがしない。要するに言葉が一対一で対応している限り、その思考法においては、あくまでも言語的な脳を活かせば良いのだが、それとは異なる具体的感覚が伴う言葉使いがあるように感じるのである。これは、ある意味ドイツ語の勉強にもなる感覚であって、大変興味を持っている。

いづれにしても、言語能力の脳の容量増強が出来るような新鮮な脳とは異なっているようで、本当にこうした語学勉強が定着して身につくのかどうかは皆目判らない。現時点で最も興味深く感じる事は、たとえ未だにその語彙は限られるとしてもどのようにしてドイツ語の単語を定着させてきたかという方法なのである。その方法自体に上の感覚が絡んでいるから不思議な感じに思えるのだ。

実はそこまで考えると思い出すのが、ドイツ語の学習において出来る限り日本語の単語と一対一の関係を使わずに身につけようとしていた時のことであり、それが未だにある種の名詞を中心にドイツ語語彙の不足の結果となっているのだが、奇しくも同じような感覚をドイツ語とフランス語の間の感覚で再会するとは思わなかった。

なるほど、冒頭に語ったように必ずしもそうした対応させた語彙の修得だけでは、一対複数の関係になり、つまり今度は逆事象への対応が困難となる恐れもある。また反対に、日本語と欧州語との関係とは異なり、欧州語間でのそれは熟語等を駆使することで可能とはなるのには違い無いだろ。

それならば英語についてはどうかというと、フランス語を学ぶと英語のラテン語流れの言葉の裏打ちというか舞台裏が見えるようで受験勉強以来永らく忘れていたような単語を思い出して面白かった。これなどは殆どフラッシュバック効果のようなもので、脳のどこかにひっそりと納められていたかと思うと、まるで片付けもの中に古い写真に思いがけず再会した以上に感動する。

こうした効果を含めてまるで言語を司る脳が掻き回されたような状態となっている。

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2 コメント

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何ヶ国語? (ロードスター)
2010-05-08 09:51:50
pfaelzerweinさんの脳はどんな構造になっているのかといつも感心しています。私はあれだけ習ってきた英語ですらまだ片言でしか話せません。それに比べるとpfaelzerweinは一体何ヶ国語をお話になれますか?
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語学の理解とか修得 (pfaelzerwein)
2010-05-08 15:50:21
語学の理解とか修得とかはとても興味深い話です。先の話題の「若さ」も大きな要素ですが、思考ということではそれだけでは無いようです。

欧州語の中ではそれほど発想の転換や発音についでの注意がそれほど必要無いのは、日本人が韓国語を短期にものに出来るのと似ています。

話すのは日本語も大変危ないですから、まともなのは一つもないでしょう。但しその言語で夢を見るだけなら魘されるも含めて、数はまだ増えるかもしれません。
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