Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「世界十傑の美しさ」の街

2024-01-30 | アウトドーア・環境
火曜日以来久しぶりに走った。これだけ休むのは何年振りか。パンコウの宿の鏡が下からの光で目の下の隈が見えなかったのだが、帰宅後にも若干変わっていると思った。隈自体はあるのだが、肌の感じや色合いが改善している。走り続けることでストレスが溜まっていた可能性もある。眼鏡の問題は改善された筈だがそれでも目の疲れはある。しかし今回の旅行でなにか変わった感じがするが具体的にはよく分からない — モニターを観ている時間は少ない。

一つは走らないで運転時間や座っている時間が長くて腹の辺りが張って来ていた。しかし体重は心配していた様に増えてはいない。理由は外食が一回だけで、夜食にはなったが、食事量が増えた訳ではないからだろう。決して体調によくはない生活だったが、久しぶりに走ってみるとそれなりに体調は悪くないと感じた。

ニエンブルクへのアプローチでは、予てからでかけてみたいと思っていたユネスコの街クヴェドリンブルクに立ち寄った。その東フランク帝国の城としての建造された威容を誇る聳え立つ城とその街は日本では世界の美しい街10傑に選ばれている様だ。そしてローマドイツ帝国時代に市として成立しているのはワイン街道の我が市と似ている。そして王の居城として中世の発達規模も大きい。それはスパイヤーの為のワインを作る街との差は大きい。東フランク帝国が如何なる力を持っていたかがよく分かる。

最近はドイツ国内に限らず、車で行けるような欧州はどこに行ってもそれほど旅ごごちはしないのだが、このハルツ山脈の北側は初めての地でありこんなところにこんなものがまだという驚きがあった。

南側のアイゼナッハからエアフルト、ヴァイマール、ライプチッヒだけでは中央ドイツと言われてもそれほどの中心だと思わせることがなかったのだが、やはりこうしてフランク帝国の権勢を見せられるとなるほどと感じた。やはりプロテストタント文明だけではケチ臭いということになる。

この辺りは街から街へと面白い。ケーテンではインフォメーションで街も綺麗で次の機会に見学だけでなくて宿泊してもいいかなと語ってきたのだが、宿泊した街もそのアプローチが赤塗りの塗装とぼこぼこ石畳の嘗ての東独其の儘で朽ちている分味わいが深かった。

東独自体の観光はどの程度の規模で為されているのかは知らないのだが、今でも手つかずのところと可也整備されているところがあって、優先順が低いところは可也残されているという印象がある。

こうした文化財を見るにつけ、長く支払わされている東独支援の税金はいつかは観光でも取り返せるという認識に至った。地域でも様々な運動もあるようで、合理的な形で維持されたりしているようなので、おかしな投資で一挙に取り返すというような感じがないのがよい。それでも可能な限りの小さな投資が成果を上げてきているのは、ニエンブルクの宿でも分かった。現金しか受け取らなかったことに気が付かなかったので、鍵を貰う時に電話で話すとあとで送金して貰えばよいとなった。帰宅後に送金するということで請求書を送って貰った。



参照:
憑かれた様にケーテンへ 2024-01-29 | 雑感
母体より出でて死に始める芸術 2017-05-30 | 音

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