Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

憑かれた様にケーテンへ

2024-01-29 | 雑感
ベルリンのパンコウのアパートメントを10時30分に出た。ワイン街道の自宅に戻ってきたのが17時30分過ぎで、8時間掛からなかった。日曜日で渋滞がなかったのが大きいだろう。

前夜にフィルハーモニーからの帰りに20リットル入れて、帰宅途上で一番安そうなポツダムのアウトバーンを下りたところで満タンにしたので効率がよく、まだ大分残っている。満タンにすればドイツの一番遠いところまで走れるぐらいにはなっている。電気自動車が500kmというのは現状ではどうしようもない。

復路は最も早い経路を取ったが、往路は途上で一泊して寄り道して、それでも満タンの燃料で十分だった。旅にはハプニングが付き物なのだが、復路はトイレに一回以外は、二三回車を停めて目を瞑った。それでも合わせても経緯時間は30分ぐらいだったか。兎も角天気が良かったので、運転していてもぽかぽかと気持ちがよくなって、睡魔に襲われた。また南西に向かって走るので太陽が眼に入って眩しかった。昨9月も日曜日にミュンヘンに向かったので、快適に飛ばせたのを思い出す。

前回とは異なって厳寒なので、食料を運ぶのも難しくなく、前日に宿泊して観光としたのがとても価値があった。そのお陰で結構不幸が続いたのだが、一寸憑かれたような感じもあった。

途上で泊まったニエンブルクの宿の隣がお城で、なんとそこはケーテン候レオポルドが参加した結婚式に来ていた大バッハと出逢った所というのである。まさかそのようなところで一夜を明かすとは思ってもいなかった。全く知らなかったのだが、なんとなくの感じがあって、ネットで見つけて吃驚した。

抑々そこに来たのはブロッケン現象などで有名なハルツ地方を近くで感じたかったからだが、谷に入るのにナヴィが動かなくなって余分に走った。結局ザルツギッターから戻ってくる感じになって大回りとなった。魔法使いの意匠が道標にも使われていた。気候現象と同じく、山は霧に包まれていて東西に尾根が伸びている様だ。ゲーテが「ファウスト」で「ヴァルプルギスの火祭り」としても描いていてとても有名である。


そうなると全く予定に入っていなかったケーテン訪問を外せなかった。そこからの街道が一部閉鎖になっていて、迂回路を走っていて間違って、脇道を突き当りまで走って仕舞った。道脇のあざを使って転回しようと思うと泥濘に落ちた。結局予定していたケーテンの街でのブランチとコーヒーを断念することになった。

結局自動車クラブをを呼んだり近所の人が警察を呼んだりで、若い警官三人の男女で押してくれたが、数十分間レッカー車が来るのを待つことになった。普通は起きないことであるが、それでもケーテンを通るので一時間程街を見学することになった。すると今度はベルリンのパンコウの宿には到底14時には着かないことになった。



参照:
小夜曲と火祭りの喧噪 2022-11-24 | 文化一般
火曜の夜の乱痴気 2007-02-21 | 暦

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