Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2018年6月

2018-06-30 | Weblog-Index


十七時間後に帰宅 2018-06-30 | 生活
緑の原をミストリウムへ 2018-06-29 | 音
期待に膨らむ初日 2018-06-28 | 文化一般
既に遅しとならないように 2018-06-27 | 雑感
危うく逆走運転手指揮 2018-06-26 | 音
いざカウンター攻撃 018-06-25 | ワールドカップ06・10・14
「プロシア的」の情けなさ 2018-06-24 | 文化一般
配券された初めてのもの 2018-06-23 | 生活
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
叶わなかった十八番 2018-06-21 | 文化一般
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そのものと見かけの緊張 2018-06-19 | 女
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権威の向こう側 2018-06-14 | 文化一般
Don't we trust him? 2018-06-13 | アウトドーア・環境
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またまたオタクな生活 2018-06-11 | 暦
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プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
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大蝦米とは何のこと? 2018-06-05 | 雑感
非パトス化の演奏実践 2018-06-04 | 文化一般
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マイクロフォンセッティング 2018-06-02 | 生活
エルブのバーンスタイン 2018-06-01 | マスメディア批評
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十七時間後に帰宅

2018-06-30 | 生活
ミュンヘンから帰宅の途で一時間ほど仮眠した。戻ってきたら目が醒めた。仮眠から起きても身体がふわふわした感じで車の運転が怖かった。真夜中の運転は厳しい。そのためかところどころにパトカーが追走するような体制で配置されていた。前回宿泊したのは、「神々の黄昏」と長尺だったのと、今回の舞台美術を掌るバゼリッツ氏の小展示観覧を組み合わせたからだった。そして今回のパルシファルは通常以上にサクサクと進んだのだが、それでも引けて車に乗って走りだすと21時20分を超えていた。時刻的には問題が無かったが、朝から眠く、車を入れたのは13時半過ぎ、自宅を出たのが9時過ぎ、帰宅が翌2時半だったので、流石に堪えた。

それ程時間を取った訳ではないが、軽くサーモン入りのサラダで昼飯をいつものようにとって、いつもならばお土産で買う肉類を断念した ― 駐車料金は25ユーロになった、因みに入場料は半額売りで42ユーロ、昼食30ユーロである。一つは暑さと、一つは通常に肉屋が並んでいたからだ。その分、カフェーで試したトルテと異なるものを二つ購入した。いつも欲しいと思っていたがお持ち帰りは難しいと思っていた。車の走行時間を聞かれて、アイスボックスを持参していると言うことで、一つづつ小箱に入れて呉れた。今見ると無事だったようだ。

カフェで隣のおばさんがベリーの乗っているカシス味のそれを注文するのを見て、同じものを頼んだので、その人がトリアーから旅行に来ていたのを知った。マルクス像の話しやギュンター・ヤウフの話しやワイン、そしてオペラフェストの話しやルクセムブルクのフィルハーモニーのことなどを話した。興味深いのは、土地柄産業構造が弱いことを自覚していて、私が指摘したようにシナ人観光客を拒否するというような東独の考えは全く浮かばず、それ以外の様々な議論がされたという事だった。

生録音は上手く行っていたようだ。ダイナミックスの上限超えクリップしてなければ大丈夫だろう。敢えて大きめの入力にしたのだ ― 要するに今回は想定外の鳴らし方をしていた。前回の「三部作」などでは放送のダイナミックスレンジが足りなかったからだ。今回は前奏曲で完全にゼロラインまで上がっているので、一部はサチッているかもしれない。一般的にはライヴは音量が上がっていくものだが、今回は一幕からして完全に鳴っていた。恐らくキリル・ペトレンコ指揮公演では最もダイナミックレンジが上に触れたものだったと思う。それほどピニッシモからフォルティッシモの差が大きかった。そもそもこの舞台神聖劇はクナッパーツブッシュなどの演奏を待つまでも無く、テムポを落としてじくじくと鳴らしていくのが抹香臭くて喜ばれるのであるが、前奏曲だけで完全に非パトスに成功していた。

ラトルであろうともネゼセガンであろうともここまで徹底している人は居ない。それどころかピエール・ブーレーズのバイロイトでの演奏が如何に中庸であるかに気が付くだろう。それ故にペトレンコの演奏に激しいブーイングが起きないのが分からない。詳しくは改めるとしても、如何にヴァークナー協会などに加盟している人の耳が節穴かというのを示している。私のような人間でさえラトルのその優しく豊かな響きが恋しくなるようなペトレンコのザッハリッヒな姿勢は、冬期の「指輪」上演で嫌と言うほど経験している。ペトレンコを評価する者としては、やはり歌芝居などで才能を浪費しないで欲しいと思う。なるほど電光石火の対応やパルス状の音出し、そしてきっちりと歌に寄り添う指揮は、恐らく歴史上嘗てなかったほどのオペラ指揮者である事は間違いないのだ。メモを見て確認しながら録音を聴くと書くことが限りなくありそうだ。
PARSIFAL: Trailer | Kirill Petrenko conducting

"Parsifal" bei den Münchner Opernfestspielen - KlickKlack - BR-KLASSIK


録音から気が付いたのは前奏曲でマイクロフォン回線でプチプチ音のようなものが入っていて少し残念だ。センターマイクは天井から吊るしてあって、いつもあんな高いところから収録しているのを知った。恐らく一番、声と管弦楽がバランスの取れる場所なのだろう。私の後ろで鳴った携帯の音などがどれほど入っているかもチェックしたい。兎に角、ここの劇場オペラライヴとしては最も迫力のある放送となっている。可成り放送局側の力が入っていたようだ。



参照:
山場を越えた安堵感 2018-02-13 | 雑感
論評できない異次元 2018-02-12 | マスメディア批評
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