Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

期待に膨らむ初日

2018-06-28 | 文化一般
承前)「パルシファル」二幕である。バーデンバーデンでの公演と異なるのは主役のパルシファルがスケルトンが歌っていて、なんといってもクンドリーをニーナ・シュテムメが歌っていることだ。前者は思った以上にここで検討している。しかし何といってもシュテムメのクンドリ―には最初の叫びからして驚かされた。これだけでも勝てる者はいないと思った。自ら声を痛める可能性が高いがと話していた。最新のインタヴューによるとこの叫びは殆ど動物的であって、そもそもクンドリーが三幕では女であるというよりも人間になるという読み方をしている。そこでMeTooの話しに繋がって、それは男女問題であるよりもパワーハラスメントとして捉えていて、それでもこの歌手は今日的な女性像とこの神聖劇での奉仕のそのギャップを話していて、なるほどプロテスタント的な強い意志を持っている女性像が読み取れる。流石に声や技術だけでなく超一流の音楽家だとそこから分かる。そしてドイツ語を可成り身に着けているようだ。

バーデンバーデンでは思いがけずドノーゼが歌い熟していて皆を驚かせたのだが、これを聞くと世界が違った。シュテムメの歌はブリュンヒルデで聞いて、言葉の特に母音がスェーデン訛りの感じで抜けが悪く聞き難いと思ったが、その音域も合うのか若しくはコンサートで調子が良かったのが想定以上の歌唱を披露している。四時間を超えるコンサートを我慢していてもここだけでも聞ければ満足だったろう。ミュンヘンではそこにヨーナス・カウフマンが絡むと考えただけで、その公演がオペラ愛好家にとってはプラチナものであることは間違いない。正直こうしてその歌を聞いて想定外のそれに気が付いた。

そのカウフマンが、折からヴィーンツアーを一緒に行うラインプファルツ州立管弦楽団との稽古にルートヴィッヒスハーフェンに来ていて、そこにマンハイマーモルゲン新聞が訪ねて、インタヴューをしている。

キリル・ペトレンコとの共演は容易ですかそれとも難しい?

「それはハッキリ、とても要求されますよ、しかしそれはポジティヴな意味でね。彼のように異常に綿密に、正確無比に自身の想いを分っていて、稽古して、練習して止まないのは、更に細かい要求があるからで、同時にですね、演奏の時には嬉しくて、それを放つような指揮者はそんなにいませんよ。それは、本当に本当に素晴らしい。私もどこか完璧主義者なところがありますよ、そしてそのような指揮者もいますがね、直ぐに適当なところで満足してしまう。そうしたところに身を投げてしまうと、自身の向上というのは難しいです。そしてまた完璧主義者の指揮者らもいますが、稽古でそうで本番では殆ど凝り固まって失敗は許せずなんです。残念なのは本番では意欲を以って、そこからエネルギーが生じて霊感が働くのですが。長話になりましたが、端的に、キリル・ペトレンコは素晴らしい指揮者です。」

ベルリンでは管弦楽の方は最初の序奏でも舞台の上で弾くにしては粗く、なによりも指揮者がテムポだけを保持する一方、十分に呼吸が出来ていないために早いだけで我武者羅に音符を追うような塩梅になっている。ここがペトレンコとの大きな差であろう。ペトレンコが遅めのテムポで弾かせることは無いとしても遥かに風通しが良くなって、それなりに座付き管弦楽団が弾き込んで来ることとの差が大きい。

クリングゾールのニキティンは、バーデンバーデンでは高みで歌わされた分、ここではとても落ち着いた声質で素晴らしい歌声を披露していて聞き違えるほどだ。それにしてもこのデュオの部分の書法は楽匠が行き着いた頂点のような音楽で、まさかこれをして枯れた筆などと言う者はいまい。もう少しここは詳しく調べたい。圧巻であり、ラトル指揮のフィルハーモニカーの演奏も掛け替えない。動機の扱いも魔法の動機の派生のみならず、少し調べてみなけらば分からないものが重要な指示をしている。是非この二幕の演奏はDLして資料として手元に置いておきたい。(続く)



参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
初物スカンポケーキ 2018-03-13 | 暦 
御奉仕が座右の銘の女 [ 女 ] / 2005-07-26

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