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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暑気の隙間に感傷旅行

2005-07-03 | 歴史・時事
RSS READERに興味があって一度インストールを試みたが、OSが独版XPなので字化けして使えなかった。再度挑戦してみると、今回は上手く行った。これで、より多くのBLOGサイトを観覧出来そうである。RSSサイトとして引き続き過去に遡っても登録して行くので、暫くご無沙汰していたBLOGに再会出来るのも楽しみである。

ネットの世界は、広いようで狭いと感じた。嘗てリンクを勝手(教育研究機関などの公共のサイトの場合は断りをいれていない)に張らして頂いていた記事が知らぬ間に消えていて、思いがけなく今度はいつも拝見しているサイトに「遠い夏の日」として加筆転載されていた。なるほど同じような話題に関心があるとこうして思わぬところで再会出来るらしい。人と人の出会いとは元来そういったものなのだろうが、ネットでは、物理的距離がサイバー上で解決されるので尚一層この傾向が顕著になる。

夏の暑さの一休みの涼しい日々に、センチメンタルジャーニー宜しく近過去からのメッセージに耳を傾けて、いつも変わらぬ摂理のようなものに思いを馳せてみよう。ここ二日ほどで、いつしか虫の音に心削がれるような晩になった。


マレーネ・ディトリッヒの「花は何処へ行った」
2004 02/26 編集

劇映画やドキュメンタリーで知られているように、20世紀で最も有名なドイツ女性。ハインリッヒ・マン原作「デァ・ブラウエ・エンゲル/嘆きの天使」は、最初期の映画出演。主役のラート教授役のEmil Jannings(以後この役のイメージに俳優生命をつぶされたという)とともに彼女の存在感は、スクリーンに永遠に記される。原作者自身もプロデューサー然として撮影に立ち会っていたようだ。彼女が映画でもみせるシルクハット姿などの男装は、従来持っていた個性という。ディトリッヒはその後ハリウッドでのキャリアーを積み、ドイツ第三帝国からの協力依頼を断り、反旗を翻す。マンも日本を経由してアメリカへと亡命する。アメリカ軍の慰安部隊として戦地に赴き、且つ「リリー・マルレーン」の歌は両陣営へと流された。ピアフとの出会いなどから歌手としても本格的に活動を始めた。戦後、裏切り者としての刻印を押されながらも、スターであり続けた。アメリカのフォークの祖とされるピート・シーガーの曲「花は何処へ行った」を聞いた祖国にいる彼女の娘の勧めで歌ったのがSag mir, wo die Blumen sind だ。60年代初頭に、それぞれの言語でフランスパテからHMVそしてエレクトローラへと録音をした。特に自叙伝的に企画された母国語版アルバムは、現在もCDとしてそのメッセージを生き生きと伝える。61年、ベルリンが閉鎖される。この歌は、壁の双方で愛唱された。またもや東西陣営は、宣伝ビラなどで彼女の歌を利用し続けた。

プロシア的に強固で主導的なドイツ女性像を現代に示したのが彼女である。同じカバーバージョンをジョーン・バエズが歌うと言語を越えて曲本来パシフィズム「非暴力和平主義」の理想が伝わる。冷戦からベトナム戦争へと60年代へとかけて、学生紛争が世界中に飛び火し、マンの映画の「権威の束縛からの開放」が実現した。欧州統合もパシフィズムの限定的具体化に他ならない。

世界が変わり新しい歴史を刻み、願わくば理想が少しづつ実現しても、翻弄し同時に翻弄され続ける - 1929年の「ローラとラート教授」- この二人だけはいつまでも変わるまい。


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コメント (13)
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