地球温暖化の影響か、このごろの気象は異常続きである。日本海側では豪雨があったり、並行して6月なのに東京で35度を越えるというのは、尋常ではない。こうした時はなかなか予定の仕事もはかどらない。身体を動かすこともかねて、山積みになった書籍などの整理を始める。といっても、なつかしい表題の本などが出てくると、思わず見入ってしまうので、目指した成果は上がったことがない。表題を目にすると、さまざまな思いにとらわれるので、目を瞑って古書店に部屋中の書籍を引き取ってもらったことも一度や二度ではない。しかし、前回のフランソワーズ・デポルト『中世のパン』のように、忘れていたなつかしいものに出会うこともあるので、かなり決断がいる。
ジョン・バエスのLP
あまり聴くことがなくなり処分を考えたレコード、CDの中に、ジョン・バエスのLP盤レコードがあった。といっても、今の若い人たちで彼女の名を知る人や弾き語りに接した人はきわめて少ないのではないだろうか。かつて、フォークの女王と言われ、一世を風靡した歌手である。(今でも多くのCDが出てはいるが。)ジョン・バエスというと、すぐに、「ドンナ・ドンナ」、「雨を汚したのは誰」、「勝利を我らに」など懐かしい歌の数々が思い浮かぶ。
私がジョン・バエスの歌を聴くようになったのは、1960年代後半であり、ヴェトナム戦争最中の頃であった。当時高まりつつあった反戦運動の中で、彼女のギターと歌は、強い哀愁の感とともに圧倒的な迫力があった。ニューポート・フォーク・フェスティバルでデビュー したのは、多分20歳代初めの頃であったろうか。メキシコ系で長い髪の毛をトレードマークとした彼女が颯爽と現れると、どこも熱狂的な歓迎の嵐であった。60年代のヴァンガード時代は、プロテスト・ソングは少なく、フォークの中でも比較的新しい曲を歌っていた。野性的で力強さがある魅力的な歌手であった。
ヴェトナム戦争の影
アメリカにとってヴェトナム戦争がもはや正義の戦争でないことが分かり始めた60年代後半、キャンパスでも徴兵カードを燃やしたり、カナダへ脱出する学生が話題になっていた。成績が悪いと退学、徴兵が待っているので、学生たちも必死に勉強した。その合間に学生が歌い、聞いていたのは圧倒的にフォークであった。労働歌もよく歌われていた。日本では、ほとんど知られていないが、「ジョー・ヒル」は1930年代の労働運動のヒーローを歌ったもので、映画化もされた。
この当時は、黒人運動もピークを迎えていた。「熱い夏」と呼ばれた1967年だったろうか、ニュージャージー州ニューワークでは大きな黒人暴動があり、戦車が出動して鎮圧した。後日、現地を訪れた時、町の大きな一角がまったくなくなってしまっていた。州兵の戦車が砲撃で破壊してしまったのである。黒人運動の集会では必ず「勝利を我らに」We shall overcomeが力強く歌われていた。内容からすれば、「おれたちはきっと勝つ」とでも訳した方がよいだろう。
遠い夏の日
こうした環境で、バエズは反戦運動の活動家デイヴィッド・ハリスと結婚したり、離婚したり、空爆下の北ヴェトナムを訪れたり、反戦歌手としてさまざまな活動をしていた。ジョン・バエズのレコード、CDともに持っているが、聞いてみて迫力のあるのは、ヴァンガード時代のレコードである。70年代にA&Mに移籍しているが、その後のCDは同じ歌でもなんとなく訴えるものが少なくなっている。声質も変わったようだ。60年代は彼女にとってもピークの時だったのだろう。
この時代を境に、アメリカ社会は大きく変わった。ヴェトナム戦争が与えた影響は実に大きかった。さまざまな光景が思い浮かぶ。志願兵となった友人、ヴェテラン(復員軍人)として大学院に戻ったが、戦場の幻影にいつも悩まされていたルームメート、学業を続ける気力を失い退学をしていった学生・・・・。アメリカ社会は大きく揺れ動いていた。暑い夏の午後、耳を澄ますと、どこからかあのWe shall over come, we shall overcome, we shall overcome someday………の力強い歌声が聞こえるような気がする。
Joan Baezにさらに関心ある人は、次のサイトをご覧ください。
http://baez.woz.org/jbchron.html
http://baez.woz.org/index.html
旧HPから加筆の上、転載(2005年6月29日記)
WE SHALL OVERCOME SOME DAY
(Horton, Hamilton, Carawan, Seeger)
We shall overcome, we shall overcome,
we shall overcome, some day
Oh, deep in my heart I do believe
That we shall overcome someday.
We'll walk hand in hand, we'll walk hand in hand,
We'll walk hand in hand, some day.
Oh, deep in my heart I do believe
That we shall over come some day.
(Additional verses)
We shall overcome, etc.
We shall live in peace......
The truth will make us free...
We shall brothers be...
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そしてこちらで同じ記事に再会いたしまして、その偶然に驚いております。更にこうしてコメントさせて頂けるのはなんと喜ばしい事でしょう。色々と問題も有るのでしょうがBLOGの素晴らしさをこうしてひしひしと感じております。
ジョン・バエズの「全盛期」をリアルタイムの経験として語っておられるサイトは意外と無いようです。貴重なお話として再度リンクを貼らせて頂き、更にTBをさせて頂きます。
ブログというメディアを知り、思い切ってHPを閉鎖し、自由度の高い、そしてなによりも私でも操作が可能なブログに切り替えました。その時に、心の底に残っていたいくつかのトピックスを加筆・掲載したところ、再びお目にとまったということで、世界が小さくなったことを実感しております。
若い学生諸君と話しをしても、Joan Baezは知る人が少なくなり、残念に思っておりました。世界には彼女の持っていたインパクトを実感しておられる方がいることを知り、大変嬉しく思いました。Sag mir, wo die Blumen sind は私も大変好きで暗唱しています。
行方定まらないブログを読んでいただき、恐縮しております。今後ともどうぞよろしく。