橋本屋吉次郎電子日誌

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出石城

2021-12-05 | お城巡り(続日本100名城)
1604(慶長9)年、小出吉英は、有子山城の山上の丸および天守部分が廃し、山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けました。
同時に、城下町も整備され、現在に至る出石の町並みが形成されました。

江戸時代は、出石藩の藩庁となり、1706(宝永3)年以降廃藩置県まで、仙石氏の居城でした。

大手門跡に建つ辰鼓楼(しんころう)




1871(明治4)年設立、1881(明治14)年に時を告げていた太鼓から時計に付け替えられました。
札幌の時計台の27日後に立てられた日本国内で二番目に古い時計台です。


三の丸
出石城の御殿は、もともと本丸にありましたが、1702(元禄15)年に藩主に着任した松平忠総は、この場所に対面所を建てて移り住みました。
以後の藩主もここに居住し,政務を執りました。
これは、出石城がすぐ南側に山を背負い、陰湿であったためだといわれています。


登城橋


堀のようす


登城門


登城門くぐると西の曲輪
一段高いところが二の丸、さらにその上の櫓があるところが本丸です。


西隅櫓


二の丸

出かけたのは平日でしたが、大変な人手に驚きました。
実は、出石は紅葉の名所でもあったのです。







有子橋から登城すると


二の丸下曲輪


多くの鳥居がある石段を登ることになります。


鮮やかな朱色が美しい。

以前訪れた際は、各鳥居に風鈴が吊してありました。
今回は紅葉とのコラボです。


山里丸
二の丸の東に位置します。




庭園の跡でしょうか?


本丸




東隅櫓




西隅櫓
表から見ると立派ですが、裏から見るとそうでないのは、お城あるあるです。


土塀


感応殿
出石藩主仙石氏の祖である仙石秀久を祀っています。
1706(宝永3)年、秀久の子、忠政は信州上田から出石に移封されました。
その際、蕎麦職人も連れてきたのが、今日の出石蕎麦の始まりといわれています。


庭園の跡


本丸の上部にある稲荷曲輪の石垣


最上段にある稲荷曲輪

このあと有子山城に登りました。


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2 コメント

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Unknown (T2)
2021-12-05 05:15:17
ココは何度も上がって?ますが・・・城と言うには何か物足りなさを感じるトコロ・・・なぜなんでしょうwww
城前の店の黒豆ソフトには舌鼓ですが・・・汗
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ギリギリ (橋吉)
2021-12-05 08:16:26
>T2さんこんにちは
江戸時代、城の主要部は三の丸にあったようです。しなわち、辰鼓楼から出石総合支所あたりで、ここが残されていない点がひとつ。
出石藩は5~6万石で城が持てるギリギリの格・経済力だったからだと思います。
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