橋本屋吉次郎電子日誌

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月山富田城

2012-08-29 | お城巡り(日本100名城)

月山富田城(がっさんとだじょう)は歴代の出雲国守護職の居城で、戦国時代には山陰全域に勢力を拡大した尼子氏の本拠地でした。
しかし最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となります。
関ヶ原の合戦以降は堀尾氏が城主となるが、1611(慶長16)年、松江城に移り廃城となりました。

まずは全貌を見るために飯梨川をはさんで、城の対岸にある三日月公園にいってみました。


尼子経久像
一度は浪人になりながらも毛利氏・大内氏と肩を並べる大大名になった名将です。


正面に見える山が城跡です。


歴史民族資料館(ホントは歴史資料館)裏から登り始め、太鼓壇を通って月山と書いてあるところまで行きます。
この日の松江の最高気温は34℃、しかし私の足は昨日の散策で少し疲れています。はたして、大丈夫でしょうか不安です。

まず、道の駅「広瀬・富田城」に移動し、歴史資料館を見学しました。
日本百名城のスタンプはここの受付で押すことができます。

                   安来市立歴史資料館

            住所;島根県安来市広瀬町町帳752
                電話番号;0854-32-2767  
      入館料;200円(大学・高校生100円,中学・小学生30円)
                 開館時間;9:30~17:00 
           休館日:水曜日,12月29日~1月3日


現地案内図
特に後半が厳しそうです。

ここから先は本格的な登山です。
トレッキングシューズまたは底の厚いスニーカーを履くべきです。
長袖・長ズボンを着用して、なるべく肌の露出は避けましょう。
杖も必需品です。もっていない人は資料館に置いてあるので借りましょう。


資料館裏から登城です。


千畳平


一つ上の郭の太鼓壇に立つ山中鹿助の像
尼子家の忠臣で月山富田城落城後も御家再興のために何度も尽力をつくしましたが、思いはかないませんでした。
像は三日月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」祈っている場面です。


さらに登ったところにある奥書院の跡
現在は戦没者の慰霊碑が建てられています。


ようやく花ノ壇に到着です。
ここは山中御殿に隣接する郭で有力武将の住まいだったと推定されています。
当時、花がたくさん植えられていたことから花ノ壇と名付けられたそうです。

施設としては城は中央に位置していますが、めざす本丸は奥の山の頂上です。


現地張り紙
念のため杖で足下をつつきながら歩きました。
ハチには出会いませんでしたが、蚊・アブ・小バエが寄ってきてうっとうしいです。
また至る所に蜘蛛の巣トラップが仕掛けてあります。
まあ、夏場の山城はどこでも同じですが、これらをふり払うため杖は必需品なのです。


うおお~美しい石垣群だ!
疲れも吹っ飛びます。


山中御殿
城主の御殿が設けられており、城の中の軍事・政治的拠点です。


多聞櫓跡
多聞=多門とは長屋状の建物のこと、すなわち横に長い櫓です。


井戸


櫓跡


七曲り
山中御殿から三の丸へは急峻な上り坂を登っていく必要があります。
足下の石畳が濡れているところが多くさらに苔や枯葉もあり、たいへん滑りやすいです。
この日も前日も好天でしたが、幾度か滑りました。
何度も言いますが、杖は必須です。


一歩一歩気をつけて登ったのですが、13分で到着しちゃいました(もっとも感覚的には30分以上かかったような気分です)。

三の丸

三の丸の奥に二の丸があります。


いったん石垣を降りて奥に進むと本丸です。


ついに本丸に着きました。
これだけの山城ですから毛利軍も簡単に攻めることができず、兵糧攻めで落としたのでした。


広瀬町を見下ろしてほっと一息。


山中幸盛(鹿助)塔

全部まわって2時間かかりました。
熱中症予防にこまめに水分をとったこともあり、もう汗でぐっしょり、長袖代わりに着用していたアームカバーをさえ、絞るとぼたぼたと汗がしたたる始末でした。
夏場の山城訪問には着替えは必須です(春秋でも?)。


さて、安来市といえば、安来節すなわちどじょうすくいです。
どじょう亭で昼食をとりました。

激しい運動をして、大汗かいて、ビールを飲みたいところですが・・・これから500km弱運転しなければいけないし・・・・
と、思っていたら、いいものがありました。

齢五十にして初めてのどじょうです。
そういった人のための「ちょこっと体験どじょう定食」1,000円

中央がどじょうの唐揚げ、その左の玉子とじにもどじょうが入っています。
どじょうはワカサギに似た感じであっさりして、ほんの少し苦みがありますが、とても食べやすかったです。

隣には安来節演芸館がありましたが、そうゆっくりもしてられないので今回はパスしました。
ところが、帰路、神戸の手前あたりでものすごい雷雨で1時間ほど足止めされてしまいました。
それがわっかてりゃ見物していたものの残念。

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8 コメント

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こんばんは (SevenFifty)
2012-08-29 21:00:38
こんばんは。
SevenFiftyです。

>1611(慶長16)年、松江城に移り廃城となりました
400年前に廃城になったのか。
立派な石垣だけど何で捨ててしまったのでしょう。
小さな砦のような山城じゃないと思うんですが。
歴史に疎いのですみません。

>神戸の手前あたりでものすごい雷雨で1時間ほど足止めされてしまいました
ついでに神戸見物もしたのでしょうか。

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時代 (橋吉)
2012-08-30 06:45:29
>SevenFiftyさんこんにちは
戦国時代初めの城は要塞であり攻めにくく守りがかたい山の頂上にありました。山城です。しかし世の中が平和になるにつれて城の役割が権威の象徴、地方行政の府に変わってきたので平地に移動するようになり、城の周りに工業商業地帯いわゆる城下町を形成するようになったのです。関ヶ原以降は山城は不便な欠点が目立つ存在になってしまったのです。

雨はさることながら突風が吹き、雷が近くに何度も落ちている状態で1時間パーキングエリアから動けませんでした。このとき大阪や滋賀では死者も出たくらいの災害でした。
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お疲れさまです。 (バビロニア)
2012-08-30 08:20:29
登城お疲れさまです。
橋吉さんのブログを拝見していると、城巡りとトレッキングを兼ねているような感じで、体力が大切?!
私も歩くの大好きなので、この手の企画好きです。本丸からの眺めも良く、古を思い馳せるのも、なかなかいいもんですね。
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ドジョウ (タケ)
2012-08-30 21:35:41
こんばんわ!
どじょうと言えば、政権末期で瀕死の状態ですね(笑)
ツーリング&トレッキング・・・素晴らしいです!姫路城も工事中の見学コースで50分じっくりコースと言うのがあり、是非とも天守閣をまじかに見たいのですが、何分膝が痛いもので・・・
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体力 (橋吉)
2012-08-31 06:38:11
>バビさんこんにちは
城はバリアフリーとは対極にあります。何しろわざわざ近づきにくくしているくらいですから。城見学に加えて城下町の散策をすると結構歩きます。山城にいたってはまさにトレッキングとなるので足腰を普段から鍛えておかないとつらいですね。そうそう、この静かな土地でかつてどんな戦いがあったかと思いをはせるのが好きなのです。
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姫路城 (橋吉)
2012-08-31 06:54:42
>タケさんこんにちは
世間からはバラまきなどと揶揄されている民主党政権なのですが、私は大して恩恵を受けていません。大盤振る舞いしてからつぶれていただきたいです。
姫路城は修復工事中ですが、だからこそ天守を近くからみられるようで、行ってみたいです。
腰だけでなく膝もですか、レスラーにとって職業病とはいえつらいですね?。お大事にしてください。
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Unknown (ムック)
2012-09-01 14:17:59
昨年(でしたよね)、真夏に皇居へこられた時も思いましたが、この暑い中を歩き回る橋吉先生のタフさに、頭が下がります。
だいいち自分なら、「マムシとハチに注意」 なんて、看板見ただけで逃げ帰ってきそうです(笑)
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ケースバイケース (橋吉)
2012-09-02 07:52:16
>ムックさんこんにちは
江戸城を自転車で走り回ったのは昨年の8月14日でした。たいへん暑い日で、山奥ではありませんでしたが、移動距離が長く疲れました。いくら暑くても遊びであれば平気です。これが仕事になるととたんに虚弱体質になります。
「マムシ注意」と「クマ注意」は山城では避けられません。とは言え怖いですね。ただ、それ相応の準備は必要です。
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