橋本屋吉次郎電子日誌

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松江城(前編)

2012-08-23 | お城巡り(日本100名城)

出雲大社より国道431号線を通って松江城へ
右手に宍道湖を眺めつつ、1時間ほどで到着しました。

松江城にはバイク・自転車用の無料駐輪場が用意されていますが、これがわかりにくいです。

まず、市営大手前駐車場に入ってください。
満車でもゆっくり奥へ向かってください。
すると、係員が近づいてきますので「観光です」と伝えれば、案内してくれます。

駐車場奥にある大手門に進みます。

下は土ですし、観光客もいるので、最徐行で進みます。

このあたりはニの丸下の段広場で、
江戸時代には米蔵が置かれていました。

右手に観光案内所と茶屋が並んでありますので、その奥に進みます。


空き地が自転車バイク置き場です。


土の上に停めることになりますが、
ご安心ください。


石段を上がってひとつ高いところが二之丸です。
江戸時代には中央に御殿がありました。

以前訪問したときにはありませんでしたが、3つの櫓が復元されていました。
このため、城全体がより重厚に見えるようになりました。


太鼓櫓


城内に時刻や号令を告げる太鼓が置かれていました。



中櫓
御具足櫓ともよばれ、武具などを保管する倉庫として使われていました。


南櫓
城下町の南東を監視する櫓であったと考えられます。


1903(明治36)年建築の興雲閣
明治天皇をお迎えする際の御宿所とするために建てられたものですが、
まもなく日露戦争が勃発し、行幸は実現しませんでした。
しかし、1907(明治40)年、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が山陰行啓の時の御旅館となり、念願だったその務めを果たすことができたそうです。
なお、このとき鳥取城にも仁風閣という洋館が建てられています。


松江神社
堀尾吉晴公(松江開府の祖)、松平直政公(松江松平藩祖)、松平治郷公(松江松平藩祖七代藩主)を祀り、さらに東照宮を合祀しています。

松江城は1607(慶長12)年から足かけ5年の歳月を費やして、堀尾吉晴によって築かれました。
関ヶ原の恩賞として出雲国をまかせられた吉晴は当初、月山富田城に入りましたが、時代遅れの山城から平地に移動することにし、城下町も建設しました。
しかし、堀尾氏は三代目にして跡継ぎがなく改易、次いで入国した京極家も同様の理由で改易となります。
1638(寛永15)年、徳川家康の孫である松平直政が信濃国松本藩より転封しました。
以後、明治維新を迎えるまで松平氏が松江藩を治めました。


一ノ門
ここを通るといよいよ本丸です。


天守閣
国内に12しかない現存天守閣のひとつです。
日本百名城のスタンプは入口で押すことができます。

天守閣屋根のしゃちほこは、現存するものでは最大です。



石垣は打込ハギという工法で築かれています。
石を槌で叩いて形を整えて、石垣の外側部分だけを平らに加工します。
接触が密でなく、その隙間を小さな石で埋めています。

また、直方体の面積の一番小さい面を正面にして積み上げています。
ゴボウを積み上げるようなので牛蒡積みと言います。
角は算木積みと言って、長辺と短辺が交互になるように積まれています。


地下1階は食料貯蔵庫になっています。
また、天守閣の中に井戸があるのは珍しいです。
私が見た限りでは、他に名古屋城と伊賀上野城ぐらいでしょうか。


寄木柱
松の一本の柱の外側に、板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作られています。
普通の柱にくらべ力学的に強いそうです。


桐の階段
1階から4階の各階の間に設けてある階段は桐でできています。
理由のひとつは軽いため、有事の際階段を引き上げやすいこと。
加えて、防火防腐のためで、他の城では見られないものです。

最上階からの眺望
宍道湖が見渡せます。
松江城は日本三湖城のひとつとされています。
ちなみに残りの二城は諏訪高島城(諏訪湖)、膳所城(琵琶湖)です。


鉄砲櫓跡


乾隅櫓


北ノ門
ここから北へ向かって降りていきました。

石垣は作られた年代によって積み方も異なり野面積みも見られます。

馬洗池

護国神社から天守閣を顧みました。

小泉八雲も愛したという松江城山稲荷神社

つづいて城下町を散策しました。


(後編につづきます)

コメント (8)
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