橋本屋吉次郎電子日誌

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守山城(尾張国)

2024-03-08 | お城巡り(その他)
名古屋市守山区の守山城は織田信光(織田信長の叔父)の居城で、徳川家康の祖父・松平清康が亡くなった城でもあります。


下調べの段階で、周囲に適当な駐車場が密蹴らなかったので、新守山駅近くのアピタパワー新守山店に駐輪させてもらいました。


閑静な住宅地を南下します。

守山城の北400mほどのところにコインパーキングがありました。
こちらを利用するのも良いかと思います。
ちなみに日曜の昼でしたが、結構あいていました。


名鉄協商パーキング 鳥羽見第2
愛知県名古屋市守山区鳥羽見2丁目3−19


城跡に近づくにつれて登坂となり、さらに勾配が急になりました。


城跡が見えてきました。


二階建てアパート(その名も城跡荘)の奥に城跡があります。



登り口


円形古墳のような感じ


守山城跡碑

守山城は、1521(大永元)年、今川氏親(今川義元の父)が、那古野城を築いた頃、それに対抗して織田方が築いたといわれます。

【守山崩れ(森山崩れ)】
1535(天文四)年 、三河の大半を手中にした松平清康(徳川家康の祖父)は、宿敵・織田信秀(織田信長の父)の尾張を攻略する為、守山城攻めを画策します。

守山布陣の翌12月5日早暁、清康の本陣で馬が暴れ騒ぎが起こった。
これを阿部正豊は、父が清康に誅殺されたためであると勘違いし、本陣にいた清康を惨殺してしまいます。
正豊はその場で殺され、主君を失った松平軍は岡崎に撤退しました。

この松平家内部騒動を守山崩れとよんでいます。

ちなみにこの守山崩れで松平清康は亡くなり、代わりに当主となった広忠はまだ10代で松平家を統率できず、尾張の織田氏の侵攻にも対応できなくなり、嫡男の竹千代を駿河に送って、今川氏の力を借りる事になります。


城跡から北側を臨む


足元
もともと切岸になっていて削られていたか、駐車場確保のためかはわかりません。


南側には竹林があります。


どうやら堀切であったようです。


城跡の西、数軒の住宅を含めた部分および南側の宝勝寺が城域だと考えます。


なお、西側からはいけませんので、ご注意を!


近所の方も困っておられるようです。


城跡南側にある矢田川
この川の河岸段丘に築城されていたようです。


宝勝寺の南側
このあたりが、城跡の南端でしょうか。


守山区の史蹟を巡るのも楽しそうですね。


宝勝寺入口


山門


本堂


この境内が本丸で、碑があった部分は出丸だと思います。


宝勝寺駐車場
宝勝寺も寄るのであればここに駐めるのもよいかと思います。


所要時間:50分

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2 コメント

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Unknown (T2)
2024-03-08 04:36:02
道に迷って・・・良い運動になりそうwww汗
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お散歩日和 (橋吉)
2024-03-08 06:12:22
>T2さんこんにちは
この日は気温は低かったのですが、無風・快晴であり、絶好のお散歩日和でした。
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