播磨国の一の宮は伊和神社です。
国道29号線沿いにある道の駅「播磨いちのみや」の道を挟んで向かいにあり、駐車場も共有しています。
まずはうっそうとした木立に包まれた参道を西へ進みます。
鳥居をくぐりぬけると
神門があり、ここで参道は90度曲がり南向きになります。
拝殿です。その奥には、
弊殿があり、さらに
本殿があります。
伊和神社の祭神は、大己貴神(おほなむち)であり、伊和大神とも大汝命ともよばれ、実は大国主神(おおくにぬしのみこと)の別名です。
このように多くの別名を持つのは神徳の高さを現すと説明されますが、元々別の神であった神々を統合したためともされています。
本殿裏には鶴石とよばれる石が祀られています。
伝承によると、564年、豪族・伊和恒郷に大己貴神から「我を祀れ」との神託がありました。
そして、一夜にして木々が群生し、大きな白鶴二羽が石の上で北向きに眠っていたそうです。
伊和恒郷はそこを鎮座地と決め、社殿を北向きに造営したとされています。
そう言えば、北向きの社殿は大変珍しいですね。
伊和神社
兵庫県宍粟市一宮町須行名407
南向きの他にも東向き・西向きの神社もありますが、太陽に背を向ける北向きは珍しいです。この神社は盆地に造られており、どちら向き建てるのも可能だったように思えるだけに不思議です。諏訪大社のように大和朝廷の元反対勢力に高い地位を与えている例があるので可能性は大いにあると思います。
また、北向きに本殿を建てるというのは相応の理由があるのでしょう。勝手に想像すれば国津神の元締めの大国主命を祭っていることに理由があるのではと・・・
神社と言う所は不思議な場所だと思います、
新しい物から、その成り立ちや何故この場所にあるのかも良く分からないような古いものまであって、古事記や日本書紀の記述がすべて真実とは到底思えないのは当たり前ですが、後世の権力統治の為に現在の皇室にまで繋がったりして宮内庁管轄だったり、一般民衆が地元の伝承なりを元に作った物まであって面白いですね!神社と言う物に関してむにゃあ氏の見解をお聞きしたいものです!(笑)
たしかし、564年に作られた古い神社なのに鳥居はもっとも装飾された形式のものであるのは不思議ですね。大国主命はいろいろな呼び名を持つので集合神だといわれています伊和大神とか大汝命という別名はここだけで使われているようなのでもともとは別の神が祀られていたのかも知れません。
神話に出てくる神だけでなく、山とか滝とか岩とか自然現象を敬い祀ってきました。したがって発祥はいろいろです。しかし、おっしゃるとおりに権威づけや統治の為のために後の世で曲解されてしまっているものもたくさんあると思います。また中央政権に形の上では服しても後世伝承するたに伝説の形で残しているのもあると思います。
備前一宮の吉備津彦神社です
一宮巡りしてらしたのに・・迂闊でした
吉備津彦神社は備前一宮でしたか。行きたかったですけど、津山でホルモンうどんを食べたかったので時間的に苦しかったと思います。一宮巡りをしていたことは私自身も忘れていて、今回も「いちのみや」と名のつく道の駅に泊まって思い出した次第ですので、どうかお気になさらずにいてください。
どの写真を見ても、蝉の鳴き声が聞こえてきそうです。
神社は、子供の頃から少し気味が悪い所と言う印象を持っていましたが、ジンジャーだけにしょうが(生姜)ないのでしょうね。
何で神社が独特の神秘的な雰囲気なのか考えてみました。①人々が参拝するので「気」みたいなものがたまった。②もともと、神秘的な印象を受ける場所に設営された。③神社の経営努力で神秘的雰囲気を作り出している。
こんなことを言っても、神社には「とりい」ってもらえないと思います。