橋本屋吉次郎電子日誌

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土浦城

2019-08-16 | お城巡り(続日本100名城)

本佐倉城からバイクで1時間半、土浦城へやってきました。
予定では牛久大仏に寄ってからと考えていましたが、時間の遅れと猛暑による疲れから、今回は高速から姿を拝むだけに変更しちゃいました。


駐車場は土浦市立博物館の第二駐車場を利用しました。


よく見たら博物館玄関前に自転車・バイク置き場が用意されていました。

ただ、入口の標識がコレではわかりにくいです。


土浦市立博物館
所在地: 茨城県土浦市中央一丁目15-18
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日
入館料(東櫓との共通): 一般 105円,小中高校生 50円


博物館内に展示されていた復元模型
本丸と二の丸南側が亀城公園となっています。

なお、博物館駐車場は無料ですが、博物館見学後に駐車券をもらう必要があります。

土浦城の歴史は古く、平安時代に平将門が砦を築いたという伝説もあります。
戦国時代は小田氏配下の菅谷氏の居城でしたが、1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、菅谷氏は主君小田氏とともに滅亡してしまいました。
徳川家康の関東移封後は、土浦を次男の結城秀康に与え、秀康が北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が入りました。
信一とその子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったと考えられています。
その後、西尾氏、朽木氏、土屋氏と城主が入れ替わりましたが、1687(貞享4)年に土屋政直が入封して以降は土屋氏が11代、約200年間世襲して明治維新を迎えました。


本丸へ


西櫓が見えます。



立派な鯉がうじゃうじゃと・・・

西櫓
土浦城の本丸には東西に櫓がありました。
西櫓は昭和まで残っていましたが、1949(昭和24)年、キティ台風の被害を受け)、復元するという条件つきで解体されました。
そして1992(平成4)年に保管されていた部材を用いて復元されました。


本丸




東櫓
1998(平成10)年に復元されました。
入口の受付横に続日本100名城のスタンプが置かれていますが、12:15~13:00はまで昼休みで閉鎖されますのでご注意下さい。




東櫓からの眺め
木々の陰になり、眺めはあまりよくありません。




霞門(裏門)
1684(貞享元)年に造営。
土浦城の裏側(搦手)にあたる事から裏門、又は霞橋と隣接している事から霞門とよばれています


霞橋


旧前川口門
もともと、二の丸入口には二之門がありました。
前川口門は、本丸東方の多計郭と町屋との間に建てられたもので、明治以降に土浦戸長役場門、等覚寺山門として使われていたものを、1981(昭和56)年に現在地に移されました。

二の丸と外丸の間には土塁で仕切られています。

二の丸跡


本丸の表門にあたる櫓門
霞門(裏門)とともに現存建築物です。


二の丸のシイの木
樹齢500年といいますから、戦国時代から土浦城の歴史を見てきているのですね。

散策時間約30分


この日の城めぐりはコレで終了、土浦市内のビジネスホテルに泊まりました。

コメント (2)
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