橋本屋吉次郎電子日誌

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大喜多城

2019-08-12 | お城巡り(続日本100名城)

夏休みを取ることができたので、続日本100名城スタンプラリー関東遠征ツーリングに出掛けてきました。

昨年、神奈川・東京都と南関東を回ってきたので、
今回は、千葉・茨城・栃木・埼玉と北関東中心に巡ってきました。
(オリンピック前に関東を片付けておきかたかったのです。)

まずは、新東名,アクアラインと乗り継いで千葉県へやってきました。
ただ、神奈川県内の渋滞が酷く、予定よりも1時間も遅れてしまいました。


いすみ鉄道大多喜駅近くにある大手門
1982(昭和57)に建設された観光用の門ですが、気持ちは高揚します。

大多喜城は、1521(大永元)年に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされます。
天文期(1532~1555)には、安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、以後4代にわたり、上総正木宗家の居城として発展しました。
1590(天正18)年に北条氏が豊臣秀吉に攻め落とされると、徳川家康は江戸城に入り、小田喜城を家臣の本多忠勝に与えて安房の里見氏の勢力をおさえようとしました。
以降、本多氏3代のあと、阿部・青山・稲垣氏へと引継がれ、1703(元禄16)年、松平(大河内)正久が城主になりました。
松平氏は9代続き廃藩置県を迎えます。
現在は、千葉県立中央博物館大多喜城分館が置かれています。

以前訪れたときは博物館脇までバイクで登れましたが・・・


そのかわり、麓にりっぱな有料駐車場ができていました。
有料といっても普通車が入庫から24時間200円と格安です。

さらに、こんなすてきな案内が・・・


駐車場そばにあった大喜多水道の跡
全長5.8kmのうち4kmはトンネルだそうです。
良くもまぁ機械のない時代に作ったものです。

博物館の手前にあった公園。


「大喜多城二之丸公園」とありますが、本来の二の丸は博物館西の千葉県立大多喜高等学校が建っているところのはず?


千葉県立中央博物館大多喜城分館に到着


研修館


1975(昭和50)年に再建された天守
天保13年模写の三層天守絵図などを元にしていますが、資料不足のため江戸時代の一般的な天守を参考として、推定復元を行っています。

千葉県立中央博物館大多喜城分館
所在地: 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日(月曜日が休日の場合は翌日),年末年始
入館料は次のとおり

時間が無かったので、二の丸まで足を運ぶのはやめ、天守展望台から見るだけにします。二の丸御殿薬医門が高校校内にあるにもかかわらず残されています。

大井戸も残っていますが、木が邪魔でよくわかりませんでした。


見学時間は約40分でした。

コメント (2)
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