橋本屋吉次郎電子日誌

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浜松城

2014-11-28 | お城巡り(日本100名城)

1560(永禄3)年、桶狭間にて今川義元が討たれました。
この混乱に乗じて松平元康は岡崎城へ入城し、名を家康に改めました。
さらに、松平氏から徳川氏に改姓したのち、1568(永禄11)年、三河から東進し、今川領の制圧を開始し始めました。
となれば、駿府に攻め込んできた武田信玄と激突するのは必至ですので、1570(元亀元)年、岡崎城を長男の信康に譲り、家康は浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。

現在は浜松城公園となっています。
 
 

浜松城は、一度訪れたことがあります。
ただ、このブログを始める以前のことであり、当時の私は城の知識も持ち合わせていなかったので、天守閣に登った記憶しかありません。


本丸の石垣が見えてきました。

1571年(元亀元)年、足利義昭の織田信長討伐令に呼応をした武田信玄は進軍を開始しました。
織田と同盟を結んでいた徳川としては、指をくわえて見過ごすわけには行かず三方原にて合戦となりました。

通説では、堅牢な浜松城は攻めにくいため、信玄は三方原に引っ張り出そうとし、血気盛んな家康は家臣の反対を押して出陣、敗走したとなっています。


1585(天正13)年 家康は駿河城に移りますが、その後も代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が浜松城を守りました。
歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、浜松城はのちに「出世城」と呼ばれるようになりました。

石垣は自然石を加工せずに積み上げただけの野面積みです。
最も原始的ですが強固な積み方です。


今年3月に復元されたばかりの天守門が見えてきました。

 


天守門横には巨石が組み込まれています。
これは城や権力の大きさを見せつけるために意図的に組まれたもので鏡石とよびます。

 

檜・杉・松などの木材はすべて浜松市内で調達したそうです。
 


1958(昭和34)年に再建された復興天守
地階+三階建ての鉄筋コンクリート製です。
最も近世の浜松城には天守は存在しなかったようで絵図にも記載がありません。
本丸にあった二重櫓が天守代用とされていたようです。

 
 


地階にあった井戸

最上階からの眺め
 


じつは、このあたりが二の丸・三の丸跡です。
現在の浜松城公園のほとんどの部分は城跡ではなく、遺構もほとんど残っていませんでした。

 

天守閣脇にも井戸がありました。
 

埋め門の跡です。
 

 浜松城天守門・天守閣
所在地:静岡県浜松市中区元城町100-2
入場料: 大人(高校生以上) 200円,小中学生は無料
開館時間: 08:30~16:30
休館日: 12/29~12/31

コメント (4)
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