光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

壊れてゆく風景がある。道々の花、ヒルザキツキミソウ、キンケイギクなど。

2016-05-23 14:14:28 | 散策
  気温が上がると、だめだなー。

  あまりいい感じはしない。なんでこんなに気温が上がるのだろう。暖かいを越しているので。

  年齢も年齢だが、どうにもならないこともある。


  生まれは、神奈川だが、川崎市の坂戸というところで、しかし、ここから離れてもう一度ここに行っていない

  のでどうゆう風になっているかわからない。これは幸せなことで、おぼろげに、昭和の30年の初めごろの

  記憶もあるが、しかし自分で作っているところもあるので、ほぼ記憶はないといえる。そこに何か

  私に関連のあるものは、たぶんない。


  大阪の堺だと、ここは離れて10年、10年以上になるか、記憶もはっきりとしているが、10年以上時間がたって

  尋ねたことがある。

  その変わりように驚いたのだが、それが昭和の51年ごろのことだから、これまたいまはどうなっているか。

  仁徳天皇陵というのがある。あの辺りはやたらこういった天皇陵や古墳が多く、また「ため池」も多かった。

  前者は残っていて、後者は、すでになくなっていた。最近だが、TVかな、新聞ではないか、この仁徳天皇陵を

  写している、その周りの様子が出ていた。その辺りで生まれて、そこに住んでいて、同じ学校に通った、そう

  いう人間も、すでに私と同じ年齢で多少の違いはあるが、おじいさん、おばあさんになっていることになる。

  
  母が、その地に住む人と年賀状など交換していて、あまりに変化が激しかったのか、その当時としては

  まだ雛の感じがあった。そうゆうところに引っ越したということを聞いていて、そうかも知れないな、と

  思う。あまりに、変化が激しいと、そこにはもう住めないということになる。公共交通、特に鉄道関係は

  充実しているところなので、街中に出るのも、そんな時間はかからない。この逆の方向にゆくと

  一応、山などもある。ここは冬はちゃんと雪が降る。高野山というところもあって、しかし、そこだけでなく

  いまの「大阪」と違うだろう雰囲気があったのだろう。ただ、私の両親ももういない。これは

  どこに住んでいても、同じことがいえるだけで、長命な人はまだ健在かも知れない。


  いまは大阪というと、一つは芸人の世界があって、またもうひとつ、マスコミを賑わすものもあるが、

  そうではない、というところも多々ある。恐らく、生粋の大阪人、それがどこの国(旧国名)でも、同じ

  思いではないか。

  三重県の津という街も、同じような変貌を遂げていて、私は驚いた。曲がっている川をまっすぐにするのは

  なかなか大変だが、道となると、これは簡単で、「いえ」をどけて田んぼの真ん中に、多分4車線だろう、

  そうゆう道が出来てしまって、それがいつのことかというと、これもかなりむかしである。

  紀伊半島、北と南では大違い。というと、そうでもなさそうで、ただあまりに紀伊半島は、山深いところも

  あるので、そうは低い山を壊して道を通す、ということは出来ない秘境は、残るのだろう。

  修行の地として、以前そこはあるのだろう。


  半島沿いに、高速鉄道が走ることはあり得ない。いまも、紀勢本線はあるのだろうが、どうゆう列車が

  走っているか。話題にもならない。


  もう遅いかも知れないが、なるべく歩くようにはしている。季節はいいが、今年は母が亡くなって、丸4年に
  
  なる。もう少し早い時間から、多少の苦痛はガマンして、最初は歩くこと、これを続けることに専心して

  いたら。ただ、その季節に、季節の問題はあって、老化して行く一方ではある。


  この前、4月の末、「なんて近いんでしょう」、ある場所から歩いてここに来た叔母は言った。その距離は、

  およそ500mくらいかも知れないし、もっと短いかも知れない。

  このところまで、叔母が来たあと、歩いてみたが、「なんと近いんでしょう」という感想は持たなかった。

  何しろ、ゆっくり歩いて10分というところ、そうゆうところにゆくことは、生きてゆくために必要だが

  それ以上は、特になかった。これはしかし、ちょっと言い方はちがうかな。


  歩くという当たり前のことになぜか違和感を持った、というときは多いのだが、もはや誰も残らない、残って

  いない、このいえで、一人篭っていてもいいことはない。しかし、迷惑をかける、そうゆうことも出来ない。

  この辺の調整がむつかしい。


  きのうは小学校より、さらに遠くまで歩いたが、それでも大した距離ではなかった。しかし、木陰も少ない。

  夏、子供は歩くことは出来るだろう。30℃、35℃になる。それでも平気で、1時間、いや1時間半は歩け

  ないと。なかなか、この目標達成は出来そうにない。

  玄関の鍵はかけて、他の戸が開いていたりする。もう少し大切なこともわかったが、これはいまは書か

  ない方がいい。




  その一。大体、8分くらい経過、小さいバラがあったが、迷うのはカメラかな。




  その二。イネ。




  その三。キンケイギク。これもあまり見なくなった。




  その四。




  その五。ここはいろいろな情報があるところで、他の道と同じで、茶色い。





  その六。まーものごっついアンテナ。




  その七。ヒルザキツキミソウ、だと思う。なかなかきれい。




  その八。




  その九。




  その十。落ちたらだめ。


  北風を入れている。

  温度計、24℃。

  気象台のアメダス、午後1時で、26.5℃。



朝、雲が少し出ている。背の低い柿、ニワゼキショウ。

2016-05-23 07:07:06 | 植物・花(春)
  本日も晴れ、にしようかと思ったが、少し雲が出て来た。

  起きたときの空の様子とは違っている。

  予報は晴で、降水確率は、書かなくていいか。


  きのうの夕方である。日が沈んでゆくのは、見ていたかな。

  満月なので、月がどこかに出ているはずだが、これはすぐにわからなかった。

  この答えは、国立天文台の、今月、5月のトピックスに出ている。


  ずいぶんと南側だな。南東の空で、最初に見たのは、月が出てもうかなり時間がたっている時刻。

  火星が衝とある。月が明るすぎて、火星も少ししぼんだ感じだが。

  目を凝らして見ると、移動しているように見える。移動しているのである。

  月がそばにないとすると、どうゆう印象を持っただろうか。


  夕方の前、午後の遅く、少し歩いて帰って来た。そのあと、がたつく。靴をはたいて。

  鍵はあるか。財布はちゃんと元に戻して。ゆるいズボンに替えて、うがいして、ちょっとガソリンを

  補給した。

  それから得意のごろりで、縮尺の書かれていない、地図を見ている。でピンポンという音。

  これで、思い出した、ゴミをまだ集めて、袋に入れて、縛っていなかった。

  恍惚としていたのだな。覚めましたが。




  場所も低いが、背も低い柿。若葉。







  ニワゼキショウ。




  いい景色。

  
  太陽はわかるが、雲は厚くなっている。