気象庁の、高解像度降水ナウキャストを見ていると、九州、西日本にかなりの雨が降っている。
そうゆうことを考えることは出来る。四国でも、それはあるようだし、紀伊半島でも同じだが、
一番は、時間がある人は、それをご覧になられること。
この辺りはというと、いまのところ、雨降っても、どうゆうわけか、わずか。明るい空もある、先は
わからないが。
きのう月曜、半分くたばっていたが、それでも食べるものは食べて、飲むものも飲んだ。ただ元気はなかった。
どうゆうわけか、ようやく今朝は、5時半ごろまで、意識のない状態、眠りの状態にあった。ただ夢はいろいろ
見ている。これはしかし、ここに書くようなことではない。
地震、というと、もちろん「東日本大震災」は忘れられないが、あるいはそれ以前にも、もちろん、記憶に残る
ものは多い。
私自身は、地震の多いところにいたと考えている。学生のときは静岡にいたし、ここでも何度か近くで地震はあった。
伊豆半島でも、地震が多かったころである。また勤め人としては、都内にもいたことがあって、震度4程度の揺れだと、
あーまたかで終わってしまう。地震は、揺れているとき、これは恐怖感はあるが、そう何度もあるものではない。
忘れたころにあって、おさまるのを待てば、そのこと自体も忘れた。
大地震の経験もない。帰ることが出来なくて、ということもない。それでも、やはり地震は怖いもので、最近は
地震の揺れではなくても、揺れを感じると、心拍は上がるし、足の下のほうから、妙な神経の興奮とでもいうべきか
異様なものを感じる。危機が迫っている、そうゆうことを脳が察知して、という風に判断する。異様なものは
自分の身体の異変でもあるが、それ以外、あらゆる危険が、自然災害をも含めて、この地上に満ち満ちているので
身体は警戒態勢に入る。これ以外に考えようはない。
カタカナ言葉は、新鮮なようで、日本語を忘れさせる。「国際会議」で済む、と思う。異国の代表といった人が
集まる。これ、会議に、根回しは必要で、もう結果までやる前から決まっていないと、国際会議にはならず、
形だけのものだという風に判断している。そうでないと、考えの違う、異国の代表が、ニコニコして、握手するなど
あり得ないのである。ここで何か事件が起こってはいけない。それゆえ、お祭りの警戒というものは厳しくなる。
のんびりと生きていた、20歳台に、日曜のなにかのスポーツ大会で、やけに帰りが遅くなったことを覚えている。
渋滞である。検問。これに引っかかる。仕方ないので、途中で車から降ろしてもらって、地下鉄に乗り換え
たりもした。誰が来ていたか、忘れたが。
いまはさらに、何かが起こらないように、警備というのは最高度の「緊張感」が要求されて、また
そこに住む人さえも、いろいろ検査をもされるのではないか。
熊本地震、こう言っていいのかよくはわからないが、変わらず、揺れは続いているようで、これからもさらに
厳しい生活を余儀なくされる。これを想像するのは簡単である。地方新聞には、もう載ることも少なくなって
いる。
伊勢志摩は懐かしいところだが、名前だけしか知らない。なにしろ、三重県に住んでいたこともある。それゆえか
風光明媚な国立公園に行ったことはない。観光地でもあってしかし、警備は厳しい。そうゆうことは、
普通あり得ない。熊本地震、東日本大震災と比べること自体がおかしいが、あれだけの地震が連続して起こる。
どうゆうことなのか。
なかなか思うことは、うまくは書けない。
パステルカラー、あるいは、水彩画、これはただ画像だけ見て考えていたタイトル。
5月5日。東の方向。
その一。立山連峰より、水色の空と、水色に見える雪と氷と、それと雲と。これ、これまでと同じものだが、
色のさわやかさと、あとは画像のどこを切り取るかで、ここがどこか迷うような、そうゆう感じをも
味わえる。結果としてだが、私自身もこのことを思った。
その二。
その三。
その四。
その五。雪は少なめということである。
その六。
その七。
その八。
その九。
いろいろなことを考えざるを得ない状況にあるが、最後には言葉に詰まる。
そうゆうことを考えることは出来る。四国でも、それはあるようだし、紀伊半島でも同じだが、
一番は、時間がある人は、それをご覧になられること。
この辺りはというと、いまのところ、雨降っても、どうゆうわけか、わずか。明るい空もある、先は
わからないが。
きのう月曜、半分くたばっていたが、それでも食べるものは食べて、飲むものも飲んだ。ただ元気はなかった。
どうゆうわけか、ようやく今朝は、5時半ごろまで、意識のない状態、眠りの状態にあった。ただ夢はいろいろ
見ている。これはしかし、ここに書くようなことではない。
地震、というと、もちろん「東日本大震災」は忘れられないが、あるいはそれ以前にも、もちろん、記憶に残る
ものは多い。
私自身は、地震の多いところにいたと考えている。学生のときは静岡にいたし、ここでも何度か近くで地震はあった。
伊豆半島でも、地震が多かったころである。また勤め人としては、都内にもいたことがあって、震度4程度の揺れだと、
あーまたかで終わってしまう。地震は、揺れているとき、これは恐怖感はあるが、そう何度もあるものではない。
忘れたころにあって、おさまるのを待てば、そのこと自体も忘れた。
大地震の経験もない。帰ることが出来なくて、ということもない。それでも、やはり地震は怖いもので、最近は
地震の揺れではなくても、揺れを感じると、心拍は上がるし、足の下のほうから、妙な神経の興奮とでもいうべきか
異様なものを感じる。危機が迫っている、そうゆうことを脳が察知して、という風に判断する。異様なものは
自分の身体の異変でもあるが、それ以外、あらゆる危険が、自然災害をも含めて、この地上に満ち満ちているので
身体は警戒態勢に入る。これ以外に考えようはない。
カタカナ言葉は、新鮮なようで、日本語を忘れさせる。「国際会議」で済む、と思う。異国の代表といった人が
集まる。これ、会議に、根回しは必要で、もう結果までやる前から決まっていないと、国際会議にはならず、
形だけのものだという風に判断している。そうでないと、考えの違う、異国の代表が、ニコニコして、握手するなど
あり得ないのである。ここで何か事件が起こってはいけない。それゆえ、お祭りの警戒というものは厳しくなる。
のんびりと生きていた、20歳台に、日曜のなにかのスポーツ大会で、やけに帰りが遅くなったことを覚えている。
渋滞である。検問。これに引っかかる。仕方ないので、途中で車から降ろしてもらって、地下鉄に乗り換え
たりもした。誰が来ていたか、忘れたが。
いまはさらに、何かが起こらないように、警備というのは最高度の「緊張感」が要求されて、また
そこに住む人さえも、いろいろ検査をもされるのではないか。
熊本地震、こう言っていいのかよくはわからないが、変わらず、揺れは続いているようで、これからもさらに
厳しい生活を余儀なくされる。これを想像するのは簡単である。地方新聞には、もう載ることも少なくなって
いる。
伊勢志摩は懐かしいところだが、名前だけしか知らない。なにしろ、三重県に住んでいたこともある。それゆえか
風光明媚な国立公園に行ったことはない。観光地でもあってしかし、警備は厳しい。そうゆうことは、
普通あり得ない。熊本地震、東日本大震災と比べること自体がおかしいが、あれだけの地震が連続して起こる。
どうゆうことなのか。
なかなか思うことは、うまくは書けない。
パステルカラー、あるいは、水彩画、これはただ画像だけ見て考えていたタイトル。
5月5日。東の方向。
その一。立山連峰より、水色の空と、水色に見える雪と氷と、それと雲と。これ、これまでと同じものだが、
色のさわやかさと、あとは画像のどこを切り取るかで、ここがどこか迷うような、そうゆう感じをも
味わえる。結果としてだが、私自身もこのことを思った。
その二。
その三。
その四。
その五。雪は少なめということである。
その六。
その七。
その八。
その九。
いろいろなことを考えざるを得ない状況にあるが、最後には言葉に詰まる。