雨は止んで、時間はたっているが、まだ強い太陽の光はない。晴れそうで晴れない。
気温も適温である。
自分の書いている文章を見ていて、文字の誤りとか、勘違いは、気が付けば直せるが、それでもそのままの場合が
多いかな。その日の体調が文章にも出ていて、また気分的なものも反映されている。そうゆうものでいいという
考えだが、それにしてもなんでこんな書き方になるのだろう、と自分でも不思議に思うことがある。
きのうの、少し暑いような、そうでもないような日曜日、またまた出て来た、竹の芽を切っている。
どのくらい出れば気が済むのが、竹に聞いてみたいが、たった一日で、またまたニョキっと出ている新しい芽。
これを見ると、やれることはやるが、最後には、そう「むき」になることもないか。笑って済ませる時間も必要と
思うようになる。
どうゆう種類の竹かはわからないが、小さいものがまずは出るが、これは結構硬い。中身が詰まっている。
竹は一日で、元気なときは、30cmくらい伸びるようで、ホルモンが関係しているという。オーキシンが思い出
されるが、ジベレリンもある。ジベレリン、すぐにこの言葉が出なかった。
それにしても、背丈が大きくなる。短い時間で。これってどうなっているの。
この疑問、ふだんはそんなこと考えないが、いまも考えていなかったが、その作用はともかく、竹は
風船だな、ということを再び思い出した。もっとも、背の伸び始める、若い芽、若い竹にいえることで
まっすぐに伸びてはいるが、中はスカスカ。どうゆうことか。
芽が出てくるときは、すでに風船が何十にも出来ている。これはタケノコを思い出してもらうとわかりやすい。
で、まだ風船になっていなかった何重もの風船の小さいものは、空気を溜め込むかのように、膨らんでゆく。
高さが1mくらい、あるいはもっとあるものでも、横から力を加えると、簡単に折れてしまう。
「ふわふわ」なのである。この状態だと、ただ鍬などは振り回さないといけないので、その力はいる。
しかし、竹そのものは硬くなく、簡単に折れる。で。ふんわりと、自分のほうに倒れてくる場合もあって
これがときとして頭に当たる。
帽子はかぶっているが、ときとしてこの失敗はある。中に空気しか入っていない竹だが、けっこう重い感じ。
直径も、7、8cmになるかな。風船のような竹の中は空気が入っているが、風船を造る組織に水分は多い。
これがなかなか重いから、身体に当たると、衝撃はある。鈍いもので、ただ顔など撫ぜられると、いい気分は
しない。
鍬は、木と金属の「刃」で出来ていて、むかしからあるものを使っているが、この土を耕す刃の部分は
ある大きさの竹を切り倒すときは、必要ないような気もする。棒の部分だけで、この衝撃でも竹は折れる
のではないか。
同じことを繰り返し書いているが、背の伸びている、程ほどの高さの竹は、中はスカスカで、簡単に切ることは
出来る、あるいは倒すことは出来る。それでも水分はあるので、これが自分の身体に当たると、あまり
いい気分はしない。
平手で、ひっぱたかれた記憶はあまりないが、そんな感じを思い出す。
こうゆうことをやる時間は、もちろん、実質は20分くらいだが、普段やらないので、終わったとなると
畳の上で、ごろりとなって、最低15分は休む。休まないといけない。
そのときはそれで済むようだが、翌日、腹筋のない私などは、結構な痛みを、特に座っているいまなどは
感じていて。きのうの午後はそれほどでもないが、今日はかなりひどく、またまた妙な感じの文になっている。
一日か二日たって、それを見直すと、恐らくそうゆう感想を持つ。
腹筋か。腰は、あるいは背筋は、痛み止めでごまかせるが、お腹の脂肪に効果はないだろう。それゆえ、塗ることも
ない。
さわやかなと思えるものもある、緑の続き。D300で。
ムラサキツユクサもあまり見かけなくなった。サンショウは、ぴりりと辛い実がなる。だが、それを見ることは
たぶんない。
その一。普通のアジサイ。芽はいまは数は増えている。
その二。これは水玉も出来ている。透明なのは空気だけど。
その三。ムラサキツユクサ。花はどうかな。
その四。これがなにか。
その五。
その六。サンショウ。かなり大きくなっているはずだが、背丈は小さい。
その七。
その八。こうゆう木も大きくなると、適度に小さくされる。
その九。ノリウツギもそうで、今年は小さい。葉の位置がちょっと悪かった。
その十。これは幹と葉の色の美しさで。
晴れそうだが、晴れない。
温度計は23℃。適温。
田んぼか、この木々の草の緑か、あるいは空の雲か。
世間は選挙、選挙、選挙。どうなのだろうね、ここ富山は。
街中では、講演はあるが、まーここは鄙だから、それはない。空気は変わらないか。
気温も適温である。
自分の書いている文章を見ていて、文字の誤りとか、勘違いは、気が付けば直せるが、それでもそのままの場合が
多いかな。その日の体調が文章にも出ていて、また気分的なものも反映されている。そうゆうものでいいという
考えだが、それにしてもなんでこんな書き方になるのだろう、と自分でも不思議に思うことがある。
きのうの、少し暑いような、そうでもないような日曜日、またまた出て来た、竹の芽を切っている。
どのくらい出れば気が済むのが、竹に聞いてみたいが、たった一日で、またまたニョキっと出ている新しい芽。
これを見ると、やれることはやるが、最後には、そう「むき」になることもないか。笑って済ませる時間も必要と
思うようになる。
どうゆう種類の竹かはわからないが、小さいものがまずは出るが、これは結構硬い。中身が詰まっている。
竹は一日で、元気なときは、30cmくらい伸びるようで、ホルモンが関係しているという。オーキシンが思い出
されるが、ジベレリンもある。ジベレリン、すぐにこの言葉が出なかった。
それにしても、背丈が大きくなる。短い時間で。これってどうなっているの。
この疑問、ふだんはそんなこと考えないが、いまも考えていなかったが、その作用はともかく、竹は
風船だな、ということを再び思い出した。もっとも、背の伸び始める、若い芽、若い竹にいえることで
まっすぐに伸びてはいるが、中はスカスカ。どうゆうことか。
芽が出てくるときは、すでに風船が何十にも出来ている。これはタケノコを思い出してもらうとわかりやすい。
で、まだ風船になっていなかった何重もの風船の小さいものは、空気を溜め込むかのように、膨らんでゆく。
高さが1mくらい、あるいはもっとあるものでも、横から力を加えると、簡単に折れてしまう。
「ふわふわ」なのである。この状態だと、ただ鍬などは振り回さないといけないので、その力はいる。
しかし、竹そのものは硬くなく、簡単に折れる。で。ふんわりと、自分のほうに倒れてくる場合もあって
これがときとして頭に当たる。
帽子はかぶっているが、ときとしてこの失敗はある。中に空気しか入っていない竹だが、けっこう重い感じ。
直径も、7、8cmになるかな。風船のような竹の中は空気が入っているが、風船を造る組織に水分は多い。
これがなかなか重いから、身体に当たると、衝撃はある。鈍いもので、ただ顔など撫ぜられると、いい気分は
しない。
鍬は、木と金属の「刃」で出来ていて、むかしからあるものを使っているが、この土を耕す刃の部分は
ある大きさの竹を切り倒すときは、必要ないような気もする。棒の部分だけで、この衝撃でも竹は折れる
のではないか。
同じことを繰り返し書いているが、背の伸びている、程ほどの高さの竹は、中はスカスカで、簡単に切ることは
出来る、あるいは倒すことは出来る。それでも水分はあるので、これが自分の身体に当たると、あまり
いい気分はしない。
平手で、ひっぱたかれた記憶はあまりないが、そんな感じを思い出す。
こうゆうことをやる時間は、もちろん、実質は20分くらいだが、普段やらないので、終わったとなると
畳の上で、ごろりとなって、最低15分は休む。休まないといけない。
そのときはそれで済むようだが、翌日、腹筋のない私などは、結構な痛みを、特に座っているいまなどは
感じていて。きのうの午後はそれほどでもないが、今日はかなりひどく、またまた妙な感じの文になっている。
一日か二日たって、それを見直すと、恐らくそうゆう感想を持つ。
腹筋か。腰は、あるいは背筋は、痛み止めでごまかせるが、お腹の脂肪に効果はないだろう。それゆえ、塗ることも
ない。
さわやかなと思えるものもある、緑の続き。D300で。
ムラサキツユクサもあまり見かけなくなった。サンショウは、ぴりりと辛い実がなる。だが、それを見ることは
たぶんない。
その一。普通のアジサイ。芽はいまは数は増えている。
その二。これは水玉も出来ている。透明なのは空気だけど。
その三。ムラサキツユクサ。花はどうかな。
その四。これがなにか。
その五。
その六。サンショウ。かなり大きくなっているはずだが、背丈は小さい。
その七。
その八。こうゆう木も大きくなると、適度に小さくされる。
その九。ノリウツギもそうで、今年は小さい。葉の位置がちょっと悪かった。
その十。これは幹と葉の色の美しさで。
晴れそうだが、晴れない。
温度計は23℃。適温。
田んぼか、この木々の草の緑か、あるいは空の雲か。
世間は選挙、選挙、選挙。どうなのだろうね、ここ富山は。
街中では、講演はあるが、まーここは鄙だから、それはない。空気は変わらないか。