暑いというのもあるし、半分は気持ちの持ちようもあって、あとは、同じように疲れている
ような、感じがあって、それで、いつもの自分がある。
止めようかと思ってそうは、簡単に止められない。これは習慣もあるが、季節の変わり目でた
しかに大変というか、危なっかしいという一面もあるのだけど、多少は水を用意して、風の方向も考
えて、それでだめか、というと、そうではない。あるところは暑すぎる。日が当たる、ギシギシ建物は
いうし、それからまだ竹は出てくる。手の届かない、そうゆう竹も出てくる。境界というのがあるが、
竹は茂みの中からも出てきて、それゆえもうそうゆうところの竹は伸ばすしかない。これはなんとか
なるが、これはなんともならないものがある。この判断がむつかしい。
暑かった、という一つ、風がない。風が入らない、それでムッとする。窓が開いているかどう
かも考えないで、暑い暑いと思う。それに暑くなるよりは冷静に行動した方がいいというものは多
い。そうゆうこと。暑くて、冷静になれる、ということ。これが出来ない。たまに暑すぎて、これは危な
い、と判断するのは冷静さで、またこの程度の暑さでは大丈夫と判断するのも、寄るところ、依るとこ
ろは、冷静さで、でもこれもたまに、破裂する。破裂して、格別熱くなく、それでおしまい。カッとくると
いうことの多いこと。それで、
結果として、無残であるとそうゆうことが予想されるなら、やらない方がいいことはあるし、や
った方がよかった、ということもある。幾つか経験して、陥ることなく、どうにか無事に過ごすことが
出来るかどうか。こうゆうことを常に考えていないといけない時間が続く。
暑さは日傘とか差せばいい。それで文句をいわれることはないし、それからあとは、長袖。暑く
ても長袖で、それからあとは水。水をバッグに入れておくだけで感じるものは違う。水はある。実際この
水を飲むこともあるし、あとは、もう少しひどい暑さだと、首に濡れたタオルということにもなる
し、何なら首筋から、ペットボトルの水を背中側に流せばいい。こうゆうことは、間接的にやる。濡れ
たタオルハンカチがあれば、それを絞ると水が滴り落ちて、背中へとまわってゆく。そうゆうこと
も考えに入れないといけない。
帽子も考えものでおしゃれとか出来ないときはある。こんな状態だと、それこそ歩くのは止め
た、そのことを止めた方がいい、とも思える。ある程度、建物がありまた日影の出来る通りというのが
あると、そのような心配はない。如何に鄙びたところを歩いているか、でも周りには住宅が一杯ある。
でも、体を休める、例えばコンビニとか、本屋さんとか、スーパーとか、思いつくのはこのくらいだ
が、そうゆうものは、ないかとても少ない。これは歩いていて、損だなと感じる瞬間であって、もち
ろん
本格的に歩くと考えると、何をいうということにもなる。なんでか、このようなことを書いて
いる。
サイコロの振りようがなく、風があって、日は当たってもよく、さっさと帰ってくる気でいた。
北風があるし、傘も差すし、歩き慣れているし、それから気力も余りないから、心配さえしなかっ
た、時計も正確で予想通りの時間、また戻ってきた。
変化と言えばなんでもありで、例えば、この道このような大きな穴が開いているが、大丈夫かという
ものもある。しかし、かなり主観が入る問題でもあって、大きな穴か、さほどでもないか知る人ぞ知
るで、しかし、多分市道である。今頃、サツキが咲いてと思える。きのうの赤いツバキのように思え
る花は、やっぱりツバキだろうと思う。もう少し、葉っぱの大きさを見ておけばと思うが、いつも
後から。サツキ、6月に咲く花。いかにも普通に、道路に面して咲いているが、恐らく何も感じな
い、私もそう思う一人で、でもこれがファイルとなると、俄然美しさが出る。そう思う経験をな
んどもして、立ち止まる。
土だけ、という田んぼがあった。それで、その何か出てくる、というのは正直考え付かなかっ
た。で、それがわかった。大豆、ダイズ、枝豆のもと、とでもいうべきか。ダイズが畝に沿ってき
れいに出て来たが、これもきのう一昨日はわからなかったかも。恐らく、一昨日くらいからもう発芽し
ている。
それで広いところに出ると、あるところは麦畑、あるところは水田で、あるところは、ようや
くわかった、大豆畑。この先大豆が収穫されるまでが長い。水田で一枚だけ、ここにあるのが不思議
な感じのするところがあった。ここの水田の苗の植え付けは早かったようだ。イネは生長して、それ
でよく見るといるのは、オタマジャクシ。カエルの赤ちゃんだった。そのそばにゆくだけで、さざなみ
(漣)が立ち、カエルの子供は動いたが、また止まった。さほどプールは大きくはなく、早く肺呼吸が出
来るようにならないと気の毒な状態にもなる。こうゆうものは、大き目の鳥の餌にもなるのか
も知れず、もうドジョウとかタニシもいる気配はまったくなく、またそのものを見ないが、最後の食べ
物、という感じがした。無論鳥にとってで、でカエルの味など、考えることもない。
一応、タイトルにある、土の様子、また、そこから発芽してきたもの、も出た。さらに、オタマジャ
クシもそろって、なんとかここまで来た。半分くらい眠し、それから暑いし、疲れているようでそう
でないような感じもする。あー暑い。
人の目はもっと広いところを見ていて、ミニカメさんの向く範囲は、広
角といえどさほどでない。それゆえ、土から緑が出てきて、それがほぼ
大豆で間違いないこともわかった。
手前は、大豆。右の奥が今から大きくなるイネ、田園。それで左に茶
色い、明るめのところが麦畑。
空。梅雨明けのような、きれいさっぱりとした空、誉めておかないと。
サツキのようなである。いろいろなキャラクタは曲線で、あるいは直線
で描かれて、それとどうしても比較してしまう。
のんびりとした、時間が過ぎるのを忘れるような、空間がある。
鮮やか。
イネ、水田、田んぼ。ここで通り過ぎると、それでわからないが、
執拗に下を見る。
いるではないですか。オタマが、珍しいかも、カエルの子供がこれだけ
ウジャウジャといるのを見るのは今は珍しく、なかなかない。それで
いて、夜になれば、うるさいくらいにカエルの鳴き声も聞こえるので、
これも不思議といえば、その通りとなる。