晴れるだろう、と思って外に出ると、雨になるというのが、この辺りの今の気候で、
では雪になるだろう、と思うと、その通りになってしまう。風も、南からと思えば、北風に
なって、吹雪になるかと思うと、晴れ間が出る。ちょっと曖昧だが、今日のお天気の気まま
な、わがままなところを書いてみると、そうゆうことになる。
チョウの、翅のある空を飛ぶチョウで、それもシジミチョウなどで、目が黒いと思える
ものがあるが、その姿を見て、どちらだというと、顔、頭部であるが、写真で拡大も出来
るから、しみじみ眺めて、何かに似ているというのが、そのときにわかった。それはネコで、
でも、それがなんだかわからないという、シジミチョウがいる。あれ、このシジミチョウは、
何に似ているか、わかっているはずが、わからないのである。それがネコだが、これも人が
どう思うかは、その人による。ネコがしゃべるとか、聞いていて面白いものもあるし、同じく
イヌだって、しゃべる。そうなると、馬もしゃべった。
怪しいお天気である。これは春といっていいのか、早春といっていいのか、暦で4等分する
と、まだ春ではない、と思う。春は3月からで、まだ2月。するとやはり冬。そこを早春とよんで
いいかどうか、むつかしさがある。暖かいと思えるときもあったはずだが、予報が見事にはず
れたのだから、反動が大きく、なかなかその傷は癒えない。だから、もしかしたら、春という
時間になっても、寒いと思ったりするかも知れない。嫌ーな予感である。それから、どう考え
ても、この夏はまー滅多なことがないとその夏を体験するはずだが、暑いのは当然で、きっと
猛暑だろう。で、寒さに慣れた体は、暑さにはどうだろうか。しょうもないことを、考える
というより、書いてみて、今日の占いをする。
出かける時間、晴れないが、雨が降る可能性はなくはないが、少ないか、降らないと
思って、外に出て3、4分して、水たまりのある、雪の多い田んぼ、放置田か、休耕田で、前者
の確率が高い、に。反対だった、雪のある放置田の水たまりに雨の落ちている証拠とも思え
る、同心円状に広がる、雨の波紋を見て初めて、雨が降っていることに気が付いた。おかしい
な、傘も差してないのに。
それで、もう行き先も遠くまではない。遠くまであっても、はっきりいって雪のある
景色にすべてが含まれてしまう。それなら、さっさと近くのお寺がいいとかになってしまう。
信仰心はないが、またお寺以外に神社もあって、そちらはまずは人はいない。それはまーいい
として、それにしてもついてないなーと思う。きょうは、この後の時間の方が天気は悪く、
雪もすでに降る時間があって、少なくとも明日も雪であって、その先のことを占うと、鬼に
笑われそうで、いけない。それゆえ、多少は無理をして、同じところでも通わないといけ
ない運命にある。そこに行けば、梅もあるので、重宝するというか。
まー少し、補足すると、そのお寺の再建だったか、改築に寄付というものも、父はお金を払って
て、まったくの無縁というところでもないのである。こんなことは、まー書くことでもない。
ホンマにしょうもない補足を書いた。もう少し昔だと、そのお寺はすでにあって、付き合いは
私も長いといえる。何しろ、小学生のころから知っている。
梅の真実、というのはそれぞれにある。ここのいえにも梅はあって、もういないそう
ゆう人の言うことをいくらか聞いたが、もう枯れてないその梅も昔は結構立派だと思った
ものだが、それよりもいい梅が、梅の木があったとか聞いたこともあるが、何しろもうない
のだから、しょうがない。前者は記憶にあって、平成のある時間に、きれいさっぱりと消え
た。葉が出なくなったと思う。
ここに柚子の木もあって、しかし比較的時間は新しく、どこかからここへ、有限の時間、
そうは昔でない時間である、そうゆうときにやって来たが、実は少しなるが、胴体が大きく
なりすぎて、切られたりした。それゆえ棘はでかいが、実は少なく、また取ったという記憶
も少ないか、まったくない。で、昔の人の話しだと、いい柚子の木があったとかで、その実を
もらいにわざわざ来たという。なんだか、栄光の時代があった、ここのいえの木々にも、と
思わざるを得ないのであるが、これも今となっては、信じてもらえないであろう。
お寺の梅の木は、白いのは古木で、これは途中で折れたようだ。まっすぐでなく、横になって
いて、あるところにその本体を支えるというか、台となる木があるようで、その下は石。なか
なか複雑である。紅梅のほうはまだ小さめで、梅の木の大きさというのは実際にそこに行か
ないとわからないものだ。
庭園のような感じもする。古風で、今は雪と一緒にある。名刹がって、銘木が、名木が
あっておかしくはない。
他に珍しく、かなり離れてネコの姿を見た。それを行きに見て、帰りにも見たが、やはり
その辺りに、移動したがいた。これはネコの春のせいかどうか。
梅の蕾。少し、白いところがある。少しだけ。
雪の上に足跡はなく、その跡がたくさん残る。
梅の木の、木の部分の、本体の様子。薄っすらとつながって
いるようなである。少し書くと、過去にも何度かこれについて
写真も出した。
別の角度から。日が当たって、わかりやすい。
結構複雑である。雪のないときの方がいかにも、もうそこで
折れてしまいそう、という危機感がわかった。
それで、花がたくさん咲くから、立派なものである。
梅の横にある、潅木。雪溶けていない。
木の下の緑というと、それは苔で、今は緑の少ない時期で
新鮮で明るい。
それでっと、行きに見かけた、茶色のトラのネコで、どこかで見たような
感じもあるが、詮索は止めた。
距離があって、望遠といえない領域で撮っていて、また80%くらいの
縮小率である。眠りネコで、無論安全をネコは確認している。
では雪になるだろう、と思うと、その通りになってしまう。風も、南からと思えば、北風に
なって、吹雪になるかと思うと、晴れ間が出る。ちょっと曖昧だが、今日のお天気の気まま
な、わがままなところを書いてみると、そうゆうことになる。
チョウの、翅のある空を飛ぶチョウで、それもシジミチョウなどで、目が黒いと思える
ものがあるが、その姿を見て、どちらだというと、顔、頭部であるが、写真で拡大も出来
るから、しみじみ眺めて、何かに似ているというのが、そのときにわかった。それはネコで、
でも、それがなんだかわからないという、シジミチョウがいる。あれ、このシジミチョウは、
何に似ているか、わかっているはずが、わからないのである。それがネコだが、これも人が
どう思うかは、その人による。ネコがしゃべるとか、聞いていて面白いものもあるし、同じく
イヌだって、しゃべる。そうなると、馬もしゃべった。
怪しいお天気である。これは春といっていいのか、早春といっていいのか、暦で4等分する
と、まだ春ではない、と思う。春は3月からで、まだ2月。するとやはり冬。そこを早春とよんで
いいかどうか、むつかしさがある。暖かいと思えるときもあったはずだが、予報が見事にはず
れたのだから、反動が大きく、なかなかその傷は癒えない。だから、もしかしたら、春という
時間になっても、寒いと思ったりするかも知れない。嫌ーな予感である。それから、どう考え
ても、この夏はまー滅多なことがないとその夏を体験するはずだが、暑いのは当然で、きっと
猛暑だろう。で、寒さに慣れた体は、暑さにはどうだろうか。しょうもないことを、考える
というより、書いてみて、今日の占いをする。
出かける時間、晴れないが、雨が降る可能性はなくはないが、少ないか、降らないと
思って、外に出て3、4分して、水たまりのある、雪の多い田んぼ、放置田か、休耕田で、前者
の確率が高い、に。反対だった、雪のある放置田の水たまりに雨の落ちている証拠とも思え
る、同心円状に広がる、雨の波紋を見て初めて、雨が降っていることに気が付いた。おかしい
な、傘も差してないのに。
それで、もう行き先も遠くまではない。遠くまであっても、はっきりいって雪のある
景色にすべてが含まれてしまう。それなら、さっさと近くのお寺がいいとかになってしまう。
信仰心はないが、またお寺以外に神社もあって、そちらはまずは人はいない。それはまーいい
として、それにしてもついてないなーと思う。きょうは、この後の時間の方が天気は悪く、
雪もすでに降る時間があって、少なくとも明日も雪であって、その先のことを占うと、鬼に
笑われそうで、いけない。それゆえ、多少は無理をして、同じところでも通わないといけ
ない運命にある。そこに行けば、梅もあるので、重宝するというか。
まー少し、補足すると、そのお寺の再建だったか、改築に寄付というものも、父はお金を払って
て、まったくの無縁というところでもないのである。こんなことは、まー書くことでもない。
ホンマにしょうもない補足を書いた。もう少し昔だと、そのお寺はすでにあって、付き合いは
私も長いといえる。何しろ、小学生のころから知っている。
梅の真実、というのはそれぞれにある。ここのいえにも梅はあって、もういないそう
ゆう人の言うことをいくらか聞いたが、もう枯れてないその梅も昔は結構立派だと思った
ものだが、それよりもいい梅が、梅の木があったとか聞いたこともあるが、何しろもうない
のだから、しょうがない。前者は記憶にあって、平成のある時間に、きれいさっぱりと消え
た。葉が出なくなったと思う。
ここに柚子の木もあって、しかし比較的時間は新しく、どこかからここへ、有限の時間、
そうは昔でない時間である、そうゆうときにやって来たが、実は少しなるが、胴体が大きく
なりすぎて、切られたりした。それゆえ棘はでかいが、実は少なく、また取ったという記憶
も少ないか、まったくない。で、昔の人の話しだと、いい柚子の木があったとかで、その実を
もらいにわざわざ来たという。なんだか、栄光の時代があった、ここのいえの木々にも、と
思わざるを得ないのであるが、これも今となっては、信じてもらえないであろう。
お寺の梅の木は、白いのは古木で、これは途中で折れたようだ。まっすぐでなく、横になって
いて、あるところにその本体を支えるというか、台となる木があるようで、その下は石。なか
なか複雑である。紅梅のほうはまだ小さめで、梅の木の大きさというのは実際にそこに行か
ないとわからないものだ。
庭園のような感じもする。古風で、今は雪と一緒にある。名刹がって、銘木が、名木が
あっておかしくはない。
他に珍しく、かなり離れてネコの姿を見た。それを行きに見て、帰りにも見たが、やはり
その辺りに、移動したがいた。これはネコの春のせいかどうか。
梅の蕾。少し、白いところがある。少しだけ。
雪の上に足跡はなく、その跡がたくさん残る。
梅の木の、木の部分の、本体の様子。薄っすらとつながって
いるようなである。少し書くと、過去にも何度かこれについて
写真も出した。
別の角度から。日が当たって、わかりやすい。
結構複雑である。雪のないときの方がいかにも、もうそこで
折れてしまいそう、という危機感がわかった。
それで、花がたくさん咲くから、立派なものである。
梅の横にある、潅木。雪溶けていない。
木の下の緑というと、それは苔で、今は緑の少ない時期で
新鮮で明るい。
それでっと、行きに見かけた、茶色のトラのネコで、どこかで見たような
感じもあるが、詮索は止めた。
距離があって、望遠といえない領域で撮っていて、また80%くらいの
縮小率である。眠りネコで、無論安全をネコは確認している。