光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

梅と、ネコと

2010-02-18 18:47:31 | 植物・花(冬)
  晴れるだろう、と思って外に出ると、雨になるというのが、この辺りの今の気候で、
では雪になるだろう、と思うと、その通りになってしまう。風も、南からと思えば、北風に
なって、吹雪になるかと思うと、晴れ間が出る。ちょっと曖昧だが、今日のお天気の気まま
な、わがままなところを書いてみると、そうゆうことになる。

  チョウの、翅のある空を飛ぶチョウで、それもシジミチョウなどで、目が黒いと思える
ものがあるが、その姿を見て、どちらだというと、顔、頭部であるが、写真で拡大も出来
るから、しみじみ眺めて、何かに似ているというのが、そのときにわかった。それはネコで、
でも、それがなんだかわからないという、シジミチョウがいる。あれ、このシジミチョウは、
何に似ているか、わかっているはずが、わからないのである。それがネコだが、これも人が
どう思うかは、その人による。ネコがしゃべるとか、聞いていて面白いものもあるし、同じく
イヌだって、しゃべる。そうなると、馬もしゃべった。

  怪しいお天気である。これは春といっていいのか、早春といっていいのか、暦で4等分する
と、まだ春ではない、と思う。春は3月からで、まだ2月。するとやはり冬。そこを早春とよんで
いいかどうか、むつかしさがある。暖かいと思えるときもあったはずだが、予報が見事にはず
れたのだから、反動が大きく、なかなかその傷は癒えない。だから、もしかしたら、春という
時間になっても、寒いと思ったりするかも知れない。嫌ーな予感である。それから、どう考え
ても、この夏はまー滅多なことがないとその夏を体験するはずだが、暑いのは当然で、きっと
猛暑だろう。で、寒さに慣れた体は、暑さにはどうだろうか。しょうもないことを、考える
というより、書いてみて、今日の占いをする。

  出かける時間、晴れないが、雨が降る可能性はなくはないが、少ないか、降らないと
思って、外に出て3、4分して、水たまりのある、雪の多い田んぼ、放置田か、休耕田で、前者
の確率が高い、に。反対だった、雪のある放置田の水たまりに雨の落ちている証拠とも思え
る、同心円状に広がる、雨の波紋を見て初めて、雨が降っていることに気が付いた。おかしい
な、傘も差してないのに。
  それで、もう行き先も遠くまではない。遠くまであっても、はっきりいって雪のある
景色にすべてが含まれてしまう。それなら、さっさと近くのお寺がいいとかになってしまう。
信仰心はないが、またお寺以外に神社もあって、そちらはまずは人はいない。それはまーいい
として、それにしてもついてないなーと思う。きょうは、この後の時間の方が天気は悪く、
雪もすでに降る時間があって、少なくとも明日も雪であって、その先のことを占うと、鬼に
笑われそうで、いけない。それゆえ、多少は無理をして、同じところでも通わないといけ
ない運命にある。そこに行けば、梅もあるので、重宝するというか。

  まー少し、補足すると、そのお寺の再建だったか、改築に寄付というものも、父はお金を払って
て、まったくの無縁というところでもないのである。こんなことは、まー書くことでもない。
ホンマにしょうもない補足を書いた。もう少し昔だと、そのお寺はすでにあって、付き合いは
私も長いといえる。何しろ、小学生のころから知っている。

  梅の真実、というのはそれぞれにある。ここのいえにも梅はあって、もういないそう
ゆう人の言うことをいくらか聞いたが、もう枯れてないその梅も昔は結構立派だと思った
ものだが、それよりもいい梅が、梅の木があったとか聞いたこともあるが、何しろもうない
のだから、しょうがない。前者は記憶にあって、平成のある時間に、きれいさっぱりと消え
た。葉が出なくなったと思う。
  ここに柚子の木もあって、しかし比較的時間は新しく、どこかからここへ、有限の時間、
そうは昔でない時間である、そうゆうときにやって来たが、実は少しなるが、胴体が大きく
なりすぎて、切られたりした。それゆえ棘はでかいが、実は少なく、また取ったという記憶
も少ないか、まったくない。で、昔の人の話しだと、いい柚子の木があったとかで、その実を
もらいにわざわざ来たという。なんだか、栄光の時代があった、ここのいえの木々にも、と
思わざるを得ないのであるが、これも今となっては、信じてもらえないであろう。

  お寺の梅の木は、白いのは古木で、これは途中で折れたようだ。まっすぐでなく、横になって
いて、あるところにその本体を支えるというか、台となる木があるようで、その下は石。なか
なか複雑である。紅梅のほうはまだ小さめで、梅の木の大きさというのは実際にそこに行か
ないとわからないものだ。
  庭園のような感じもする。古風で、今は雪と一緒にある。名刹がって、銘木が、名木が
あっておかしくはない。

  他に珍しく、かなり離れてネコの姿を見た。それを行きに見て、帰りにも見たが、やはり
その辺りに、移動したがいた。これはネコの春のせいかどうか。





  梅の蕾。少し、白いところがある。少しだけ。




  雪の上に足跡はなく、その跡がたくさん残る。




  梅の木の、木の部分の、本体の様子。薄っすらとつながって
  いるようなである。少し書くと、過去にも何度かこれについて
  写真も出した。




  別の角度から。日が当たって、わかりやすい。




  結構複雑である。雪のないときの方がいかにも、もうそこで
  折れてしまいそう、という危機感がわかった。
  それで、花がたくさん咲くから、立派なものである。




  梅の横にある、潅木。雪溶けていない。




  木の下の緑というと、それは苔で、今は緑の少ない時期で
  新鮮で明るい。




  それでっと、行きに見かけた、茶色のトラのネコで、どこかで見たような
  感じもあるが、詮索は止めた。
  距離があって、望遠といえない領域で撮っていて、また80%くらいの
  縮小率である。眠りネコで、無論安全をネコは確認している。




  

放射霧の朝など

2010-02-18 16:12:55 | 散策
  朝の最低気温はマイナスで、2℃くらいであったが、
  この冷たさは、ゴミ捨てにいって、ようやくわかった。
  今回は、水をかぶることはなかった。それはよかったが、
  高々、往復に100mくらい歩くか歩かないかだが、
  その時間で、手袋をはめていたが、手が完全に
  感覚を失ったかのような、状態になってしまった。
  きっともっと寒かったのかも知れない。

  雪が、これだけカチカチに凍っている、という状態も
  なかなかないが、それがあった。雪のある、ガタガタ道
  のほうが安全で、雪はないが薄く張る氷の路面は、スケートの
  リンクと同じだ。これは危なかった。

  最高気温は、6℃くらいまで上がったようだが、お世辞にも
  暖かいとはいえず、雨も細かいが降る時間もあった。


  朝は、明るくなった時間、そこに霧があるようで、
  これは放射霧だろうと思う。その様子など。





  きのうの朝は、もう恒例になった雪。降りゃいいというものでも
  ないと思うけれど。




  今朝で、明るさがある。青い空もあって、工場の、あるいは発電所かの
  辺りは乳白色。




  それで、地平辺りが見えるところ。地面の上は薄っすら、白い空間が
  あって、これが放射霧だろう。家屋の木々の上のほうは見えているが、
  下はない。




  手前にはない。きっと、田んぼの上の空気はより冷えているのだろう。




  寒そうである。




  これで、おしまい。




  朝の太陽。こちらには、幻日が見えた。



辺りは、凍ってしまった

2010-02-18 06:40:43 | 散策


  セントラムの次は、ポートラム。
  ライトレールと呼んでいるが、ポートラムが愛称。
  こちらが、セントラムより先に撮ったもの。





  遠いとよくわからない。珍しく、2枚続けて。
  ポート君、セント君と似ている。セント君と
  見分けが付かない。
  こちらの方が、特に駅前は雑多な感じはないようだ。



  朝のお天気は、曇り。今はもう明るい、空もあってしかし薄い雲がある。朝の色で、青い。それから凍っている。世界が凍った、とかあるが、似ていて、暖めると溶ける。風はほとんどなく、静謐。あー、寒い。

  アメダスの6時の気温、マイナスで2.2℃。この値は、さほどでもないようだが、寒い。凍っているものが多い。きのうの21時から、再びマイナスの気温。気圧は1017.2hPa、湿度は94%。ちなみに、積雪深は26cm。10cmくらい減った。室温は、3.8℃。久しぶりの、3℃台で、今はようやく5℃くらいある。

  きのう日中も気温は、3℃くらいしか上がらず、それゆえ全体的に寒かったのだが、きのう夜に月も見えていて、多少は放射冷却があったのかも知れない。でも、これだけ寒いというのは、寒気の影響もかなりあるのだろう。でも、雪はきのうの午前で、止んだ。午後は溶けたが、半分くらいは残ってしまった。溶けた分の水が、その溶けない雪にしみ込んで、そのまま凍ってしまい、雪は氷になってそのまま残っている、勘定になる。

  寒いとどうしても起きる回数が増えてしまって、ついに凍る布団になってしまう。それでもしばらくすると、暖かさがあるからまずはなかなか起きることは出来ない。それでも、車は1台でも通ると、これが朝のしじまに響き渡る。もう少し早い時間だと、新聞配達があってこれは大変だが、音も長く、あちこちで聞こえて、バリバリという音が、ついにこの耳に入って来た。行ったり来たりである。寒くて起きた。

  ついに台所のドアーが凍った。結露の水が、凍ってしまったので、少し蹴飛ばした。開いた。けしからんことに、歯ブラシも凍っていた。
  あー寒い。

2月も半ば過ぎの雪は、水っぽい

2010-02-17 18:45:31 | 散策
  朝の雪を見てこれはフワフワの雪でもあって、あるかないかわからないくらいの、
雪の降り方だった。それが時間がたつと段々と雪の背の高さは大きくなる。また、大雪になる
のか、と思うのだが途中で止んだところもあって、その一つがこの辺りでもあった。あー、
よかったと思うのは必定だが、雪に関して敏感すぎないか、というものもありそうである。
雪祭りとかがある。そうゆうものも愛されて、また歓迎されてそこに出かけてゆく方々も
多いわけで、この雪をけなして、というか悪くいうのも考えものだが、しかし、結局は、

  量の問題である。毎日冬になって雪が降るわけでもない。また積雪深が、100cmとかに
なったわけでもない。昔は、昭和の時代とかだと、あったようでこれは単位がmになる。あー、
2mも雪が積もったらどうするか、考えものだが昔はあったので、それに近いものも経験して
いる。時代は今に戻っても、住んでいるところ、恐らく平地で高度も高くはない。また、海
に近い。暖流の恵みがあって、暖流ゆえ雪が降るという恵みもある。ただし、人の住むとこ
ろに多く降ると、これが問題となって、最初に戻ってしまう。
  どの程度の雪なら、というのはなかなか考えられないもので、また山沿いの集落という
か、住居地帯で2mの雪を超えるところはざらにあるだろう。そうゆうところでの生活は、まず
は暖冬とかの考えはないだろう。あっても、雪が深いのが普通だ。ところが、さてどのくらい
の昔から、北陸のこの地が雪が深かったというのもわからないもので。今わかる統計値と
いうものも便利なもので限られる。それより前はというと、古文書という風になるのか、
それでも昔であればあるほど、そうゆう雪の量とかは記録があっていいはずだが、果たして
20世紀と、10世紀とで違いはあったのか、ということを考えるのは楽しそうで、でも非
現実的かも知れない。今頃に、寒さがというのは、

  人の一生というものに関係している。若ければ手袋も、マフラも、ヒータもいらない。
最後のヒータはいるかも知れないが。水だってそのままで大丈夫だった。地下水だと暖か
というのがあったようだ。長い年月地下をさまよう水は、あるものは温泉にもなる。うまく
出来ていて、それを掘り当てるのがしかし偶然以外の何者でもないだろう。お猿さんとか、
その外の生き物が冬に自然とある温泉につかっていた、という光景があればこれは人の方
が驚いたかも知れない。

  暖流というのもなかなか理解できないもので、この海水は比較的暖かいらしい。黒潮も、
そうだし、対馬海流も暖流で、その流れが気候に、それから漁業に多いに影響があると
いう。魚は大きく旅をする。なかなか考えれらないものだ。小さい卵から、巨大なマグロま
で、魚もいろいろだが、あちこち、地球規模で行ったり来たりする。まったく、憧れの対象
でもある。
  対馬海流が寒流だったら、どうなっていたか。しかし、リマン海流はあって当然な感じ
もして、それに相対するものは、暖流しかない。この暖流は湯気を上げている。実際に、空気
の温度が下がると、人からも湯気が出るが、海水からも湯気が出る。それゆえ、その湯気が
上空の寒気の影響で、気体から固体である、雪に変わるという一つのやり取りが成り立って
しまう。それで、雪となった湯気は、地上へと降るわけで、今度はまた暖流から、湯気は
出る。こうして、繰り返しがあって、地上の雪の量は増えるのであろう。これが高い山だけに、
降ってくれればあとは、またこれも大変だが、そのポテンシャルをエネルギとして利用出来
るし、また水道水の元でもあって、さらにいうと何千年かという単位の旅をして、その暖流だっ
たものは、真水になって温泉になり、また名水になるが、そう簡単にそうはならなくて、何千
年、何万年かの年月がいる。今飲んでいる、

  名水の起源というとあまり意味はないが、はたして何千年前に降った山の雪が溶けて
今の湧き水が、地下水があるというのを知ると、ちょっと気が遠くなり、またその昔に雪が
多かったのか、知りたくもなるというわけである。

  朝の雪は、フワフワしていた。しかし、雪も止んだ。レーダー・降水ナウキャストを
見ると、ある地域だけ雪雲か雨雲が発生していて、ちょうどそこにここが含まれる。これで
雪が降る。限られたというのが印象的で、何か意図があるのか、とも思う。その雪は見た感じ
はフワフワで、しかしそのうちに止んで、それから時間がたって、様子を見るときもあるが、
朝の早い時間と比較して減った。小さく縮んだようである。これも理由とかはどうでもよく、
春の一歩と考えるのがいいだろう。これなら雪かきの必要はない。正直、もうそうゆうもの
に飽き飽きしている。しかし不思議なものでめどが立つと、ちょっとだけ雪をどけようかと
いう気にもなる。やらないはずが、さっさとやってとなり、その雪これは朝と違って、半分は
溶けてそれゆえの水っぽさもあって、程ほどに重く、それゆえポイポイとうまく反動も付いて、
向こうへと飛んでいった。あー雪かきはこの程度だと楽しいが、が、やはり腰に来るものが
ある。

  だから、ここは黙って、雪かきなどやらない方がよかったと思う。これが、最後かどう
か。





  さまよう雪道。これは時間がたった、日曜の写真で、またこの道、
  雪溜まりっがあって、通せんぼで、右か左かを選択しないといけない。




  振り返ると、左右が逆になるがどちらかを歩いてきて、真ん中、山越
  えはない。




  非常に静かな、午後のひととき。雪と、田んぼと住宅が、見事に
  調和している美しさ。




  手前の、どうしても水が溜まる、そうゆうところに、水はあって
  肉眼では、緑色の草がよくわかるが、これは写真ではわかり辛い。




  花壇と、畑のある場所で、なんだったか、残っているのは、あーなん
  だったか、思い出せない。




  こちらも、よく来るようになった、ところ。スイセンなどの花もあれば、
  暖かくなれば、チョウなども多いところ。




  足跡があるが、この日は短靴で、ここから先はゆかなかった。




  そこにある、冬野菜も味わい深いものとなる。



朝の雪は、どうだったか

2010-02-17 16:14:30 | 散策
  今頃でも、結構雪が降るのは、なんだか
  けしくりからない、けしからんという意味、気がするが
  しかし降るものを止めることは出来ないので
  ただ呆然と眺めるしかないが、
 
  新聞を雪の下からほじくり出す、気分でそれを抜き取り
  ついでに、朝の雪の様子を撮った。
  ということは、この寒いのに外に出た、わざわざである、
  ということ。
  雪はチラチラ舞うから、それがカメさんに当たらぬよう
  気を付けながら、ほぼ適当に、どこでも焦点の状態で
  撮ってみた。

  少し下から、というのは「ネコの目」目線というのも、
  考えてみたからで、ネコはどう思うか。




  あーーあーー、という感じで、雪は降ってくる。
  小さな山は溶けない雪。その上にまた雪。




  まぶしくも、あるねー。まったく、雪目になりそう。




  歩けそうな、ところはなし。雪の山は苦手。




  これは人の目線で。梅の枝に雪。新雪は、この時間で、多いところ
  だと15cmだろうか。




  あー、水道の蛇口より高く、雪は降り積もっている。




  寒いし、食べ物はないし、雪はまだまだ降ってくる。





  木の葉があると、雪のすごさがわかるねー。




  あー、よく降っている。フリャーいいというもんじゃないんだな。
  とっとと、次の場所へと移動しないと。

  大体、ネコと人の考えていることは、同じようだ。



一面、真っ白

2010-02-17 06:40:53 | 散策


  小さくなる、セントラム。
  あー、セントラムは、セント君はさっさといってしまいました。
  長くセント君のある瞬間を載せることができて、幸いでした。
  こんどはいつになるでしょうか。

  

  朝のお天気は、まさかの雪、大雪といって言いかも。雪が積もっていて、なんだかもっともっと積もりそうで、道はきれいに真っ白である。積雪の感じは、10cm。もっとあるかも知れない。少し多めに書いておいたほうがいい、という、経験もある。
  朝の3時か、それくらいだと、まだ雪は少なかった。それから降りだしていると思う。風は弱く、しかし、寒いしまた雪は、降り続いている。

  アメダスの6時の気温、マイナスで、0.1℃。午前4時、5時で、マイナスの0.2℃がある。大して変わらないが。気圧は1026.0hPa、湿度は98%。気象台の値だが、積雪は35cm。もう氷となった、そうゆうものの上に、新しく15cmの雪が積もった勘定になる。室温は、4.9℃。

  これが大雪になると、5度目となるが、さてどうか。寒気の問題で、これの手掛かりは、高層天気図を見ないといけない。しかし、どこかにそうゆうものはあるのだろうが、それを見るのも結構にむつかしい。よって、大体の勘で、寒気はいつ去るかそれこそ観天望気をやらないといけないが、しかし外は雪でどうなるか、よめない。そう多い雪が降るとはいってなかったようなで、多分天気は目まぐるしく変わるはずで、この雪もあと何時間かのうちに、止むかも知れない。何しろ、2月も17日で、残り少ない。

  朝起きる。目覚ましで、なんと起きる時間にきのうも、今日も眠っていた。それで、それ天気予報だと、TVのスイッチを入れる。すると、ニュースのようなものもなく、また天気予報もやっていない。それで、TVには、真っ白な雪がある。何だか、お腹の中まで冷えそうな感じがする。デジTVはチャンネル変更にも時間がかかる。なんとも時代に乗り遅れているTVでもあるが、どこも天気予報はない。ネットしかないのかー。お天気TVの一つもない、寒々しさ。

  少しまたごねて春を待つ。遠い春を待つ、2月の、ある日の朝。

本日の、よそ見

2010-02-16 18:46:45 | 植物・花(冬)
  たまにもう少し、まめに掃除をしないといけない、など殊勝なことを思うが、面倒な
感じはしないものの、ただ腰への負担が多すぎて止めといた方がいいか、など勝手な判断
をする。掃除は掃除機を使って、まずはそのゴミ袋の中に、見えるゴミ、見えないゴミを
集めて、3ヶ月かそれより短い期間で、ゴミパックははずし、これは捨てるしかないが。それ
はいいとして、今の掃除機は何年くらい動いているか、結構長持ちしてこの記録の更新を
というのが、目標の一つ。小さい目標だが、まーないよりはいい。

  体の要の腰だが、よろしくないのは変わらず、少しそこに負担をかけることをやると
覿面で、痛いというか、縦のときは大丈夫で、それこそ横になって、痛みが出たりする。座る
というのも大変な作業で、椅子はというと、これこそ長持ちしている。これは、しかしこれ
以上は書くこともないが、座布団というのも、ボロボロとなり、それでもこれを使う。これも
これ以上書くことはないが、調子がいいと、特に違和感はなく、しかし腰の辺りの不調がある
と覿面で、座るのも苦痛で、何度か立ち上がって椅子の様子をみたり、座布団の調整をして
神経を使う。

  これももしかして、掃除機の使い方によるのかも知れない。一番短い、サイズで掃除機
を使う。途中の長さを変える、アダプタのようなものがあると、うまく操作できない感じが
あって、それを省くから、中腰になる時間が長い。しかし、こうでないと満足な、掃除も出来
ない。これで、例えばもう物置みたいになっている、父がいたところなどの掃除もたまに
やるが、やりたいと思ったが何しろ寒いから余計に腰に負担がありそうで、結局やらない。
やらないなりに、やはり腰に来る感じはあって、掃除も楽じゃない。ストレスの発散という
掃除があっていいはずで、しかしそうでないものもある。まずはなんだか書いた。掃除機が
長持ちしている、腰に負担のかかるそうゆう掃除をしている。

  癖というと、歯を磨くとき必ず下を向いている。上を向く必要はないが、真横というか、
ごく普通の姿勢では出来ない。他に眠るときは右か左かを向くというのがあったが、これ
は「真上」というのも大丈夫な感じが最近ある。

  よそ見、というとレンズ磨きがあるようだが、このようなものもやる必要があるかと
思うが、たまにこれをやる。結果というか悪くなることもあって、この辺りは子供のときの
性格のままで、変化はない。レンズなど汚れていていいのである。そう思うわないと。
  寒そうだが、習慣もあって外に出た。書いたように北風で、きのうの夕刻も北風だった。
でも今日の朝は、風は止んでいた。なんだか、冬季オリンピックの、滑降のあるいはジャンプ
のときの、神経質な風の感じもあるが、この風が、冷たいかどうかが問題で、その点は
冬季五輪とは多いに違う。オリンピックは耳から聞こえてくる。TVでも耳から、それであと
は新聞を見れば十分である。

  風が吹いて、それから雨が降ると、やはり傘を差しても濡れてくる。そうゆうことが
わかっていて、外を歩くともちろん誰かと会うこともなく、ただただ雨に打たれるが、しか
し、ときに車のたくさん止まっている、そうゆうところもあるもので、きっとラジオで中継を
聞いている。違った、携帯でオリの中継を見ているのかも、とふと思ったりもした。
  園芸店で、新しく仕入れられたと思える、小ぶりの、盆栽というのかどうか、梅を見ると
花は咲いている。この冷たい雨に打たれる、梅もかわいそうで、遠くから眺める。梅は、もう
いい。というかないことはないから。それから、ようやく見かけたサンシュユ。値段は
見なかった。細い細いサンシュユで、見た感じは、かなり離れていると思うが、細いサツマイモ
に黄色い花が少々といういでたちである。サンシュユの苗木はなぜあのように細いのか。他でも、
もう何年か観察するサンシュユはあるが、一向に大きくなっていないような。大きなサンシュユ
を知っていると、先の長い話しだと思う。

  老犬がいる、そうゆうご家庭の前を歩いて、そのワンちゃんは小屋の中で眠っているよう
だ。20世紀にすでに立派に吠えてくれたイヌで、思い出深い。それから、久しぶりに、対で
見ていたといえる、そうゆうワンちゃんの姿を見た。なぜかすくっと起き上がっていたが、
これからちょうど散歩の時間だったか。なかなかない光景で、大きくなったと思うのは、
最近余り見ていないからか。
  もううちに近いというとき、まー寒いし、コートも濡れて、いい気分でもなかったが、
空の上に白い鳥が飛んでいて、漠然とハクチョウかもと思うが、飛ぶ方向が西南西の方角で、
帰る方向ではないようである。その鳥は群れがあって小集団で、見た限りでは6、7羽程度
であった。ハクチョウも生まれ故郷に帰る時期でもあって、でもこの寒さで、越冬の地に、
カモがたくさん、しかも水鳥ながら池の外の地面にたくさん留まっている、という記事と
写真を見て、飛ぶ鳥も帰れず、また越冬の地に戻ったのか、と思う。それは、また雪が降る
ことを意味するのか。そうでもないようなで、そうあって欲しくなく、ハクチョウもさっさと
シベリア辺りへと帰っていきたいという、本能の叫びにこたえているんだろう。





  毎度の、お寺さんでの、雪の竹。竹もそろそろタケノコは早いが、
  もういい加減春の暖かさを求めている。




  氷点下のときの、竹はどうなっていたか。
  色の良し悪しもあるから、竹もこの寒さに辟易している。




  何しろ、情報は雪しかない。それで、同じような、松竹の絵が。
  手前が松、向こうが上の竹。松の色はいい。マツクイムシというのも
  この松にいそうにない。




  なかなかきれいな、色濃い緑をしている。ここのうちも松はあった。
  なんだか知らないが、結局なくなった。




  ケヤキの細い枝。向こうが、竹。反対側からである。




  ケヤキの右側に、なかなかきれいな葉っぱを持つ、カエデがあるが。
  去年の剪定で小さくなって、紅葉は冴えなかった。やりすぎだなー
  と思ったものだ。




  この枯れ草は?。



北風と、雪

2010-02-16 16:20:16 | 散策
  ついに、雪が降ってきたが、その少し前まで
  北風が吹いていた。北風は、朝は止んだが、そのあと
  また復活して、冷たい雨と北風がこの辺りで
  降って、それから吹いた。まったく、このお天気の
  寒いこと。
  一応、習慣もあるから歩くが、楽しいものではない。
  
  それで、雪である。
  北風と、雪という組み合わせは、あまり知らない。
  雪雲というと、やはり西の空に現われるもので、
  これが大雪になる、一番の条件のような気もする。

  先週の土曜の朝に降った、雪は、ちょうど北風の後に、
  降ったけれど、これが水の多い雪で、それゆえ重く、結構
  閉口したが、そうは降らなかった。しかし、風の向きと
  雪の状態に、関連があるかというと、なさそうである。

  でも、概して大雪の場合は、雪雲は西の空に現われる、
  というのをかたくなに信じている。


  北風の吹いた、西の空。




  これは望遠での、一番短い焦点距離辺り。
  煙突から出る、白煙は南に流れて、




  この写真との組み合わせで、雲も南に移動しているのが、
  わかって頂けると、思う。




  田んぼは凍り付いたまま。甘い画像かも知れない。




  北風の明るさと、地面に近いところの暗さが、寒さを暗示している。




  標準といわれる、ズームで広角側。
  感じられる寒さは、倍増か、もっとかも知れない。




  寒気が次から次へと、入ってきているかのようだ。




  あー、北陸の冬は長く寒い、というのが、この印象画でわかってしまう。




  今日の朝の同じ方角を見ると、朝は青空もあるようだ。
  田んぼの雪は溶けて、少し麦の青味がわかる。印象と
  現実は、異なるものなのである。

  だが、今日は、寒く、今も寒く、また雪がチラチラ舞っているのは
  たしかだ。



また、北風だよ、って

2010-02-16 06:44:53 | 散策


  どんどんと進んで、離れてゆく、セントラム。
  セント君は、信号が青なのがいいことに、どんどんと
  離れてゆきました。こんど戻ってくるのは、何分後でしょうか。



  朝のお天気は、曇り。空に明るさがすでにあって、東に見える北アルプスの上は少し赤く、また晴れ間がある。全体的に、雲が多く、やはり曇り。雨はない。北風のはずだが、今は風はおさまっている。きのう夕方から、また北風だった。寒いのは変化なし。

  アメダスの6時の気温、0.5℃。午前1時だと2.6℃あり、2℃も下がった。でもそのときも南風だ。気圧は1015.9hPa、湿度は96%。積雪深は、20cm。溶けない、雪ではないような、雪。室温は、5.9℃。

  朝は曇りか、と思って、そっと戸を開けると、窓だった、外はまだ暗くて、わからないが、もう薄明も終わっていそうである。その後しばらくすると、明るさが出て来て、この辺りは明るさに関しては、春は近い、というのは結構はっきりと感じることが出来る。雲も、春らしさが若干感じられるか。

  食べ物の話しで、普段は倹約している。けちともいえて、正しい。しかしイチゴがあって、あっさりと買った。甘いかどうかが、肝心である。高くて、甘くないとがっかりする。帰って来て、まずは満杯に近い冷蔵庫に、それ以外を放り込んで、さて洗わず、パックの上にあるビニルもはずさず、一つ口に放り込む。噛むと、溶けないが、甘い。合格。イチゴはさっさと食べるのに限ると思う。高齢の女性に、これを一つ食べてみたらとすすめる。一つでなく、10個くらいまでならとも思う。しかし、昔の女性はそうは早くイチゴを賞味するのはよろしくないと思っているようだ。これは明日の朝でしょ、とかいう。
  いや、イチゴは早く食べないとおいしくなくなるよ、と説明し、もう一度食べてみたらというが、頑固で結局、食べない。あー、惜しい。他の甘いものは結構食べるので、それこそそんなに食べないでくれー、と思うのだが。

  イチゴは、小粒で甘いのがいい。しかし、食べるのは、私は、2つか、3つでいい。

大雪で、生き延びる動物は何か

2010-02-15 18:44:10 | 散策
  朝から、アホみたいな出来事で、少々気力も失せたので、その後はさっぱりである。朝
で、月曜となるとゴミ捨てだが、いつもこのようなものを捨てていいのか、という思いも
あるが、今はしょうがないと、そのものを持って、雪の残る道を歩く。雪は消えないもの
で、こうゆう雪はたちが悪い。それはいい。問題はゴミ置き場にあって、

  そこまでは、大した量もないゴミを持って、滑るように歩いた。で、ドアを明ける。
開けられるドアは、カギの付いている方で、その方面はすでにゴミはうずたかい。そこで、
反対方向へ捨てるが、うまくゆかず、カギのない方を開けた。するりと開いたのはよかった
が、頭にかぶっていた、帽子の「つば」が、何かに当たって水がこぼれ落ちた。頭の帽子に
当たる何か、というのもあるが、その辺りから水が降るというのも解せないが、理由はそこに、
頭の高さと同じ位置に「塵取り」があって、体をゴミ置き箱の中に入れた瞬間、それに当たっ
た。それくらいで、水が出たらマジシャンだが、これは誰にもわかる、タネがあって、塵取り
が上を向いていてそこに、雪があって溶けた。若干、上を向いて、漏れることなく水が溜ま
っていて、それを突付いたから、反動で水が頭の上から降って来た。びっくりとそれと
驚き、が同時に来て、その後に後悔した。恰好なんかどうでもよかった、ゴミの位置。
  しかし、さほどひどい目に合わなかったのは、これは何かの思し召しがあったからか。

  朝から、ネコの足跡が、どうのこうの書いて、こうゆうことしか思い付く話題はない。
ネコは去年の今ころは来ていることもなかった。他にいうと、その他の外で生きている
動物も大体同じで、一々人の目に付くところまでやって来る、変わっている、野生といって
いい生き物はいないか少ない。なぜか、
  答えは簡単で、雪がなかったからである。それゆえあくせくせずに、その辺りをあち
こち、歩いたり飛んだり、走ったりして、食べるものはあったようだ。今年は、まったく
の大雪といってよく、地面も雪に覆われて、食べられる植物も、その他のものもみな雪の中、
という状況で、これは人とまったく同じで、幸いか食べ物はあるのが人、ということにな
るが、いつの世もそうはならないのは、歴史が。

  カラスも、地のカラスがいる。通勤している気配のないカラスである。一人カラス、群れ
ないカラスもいるようで、そうゆう中に水浴びの好きなのがいて、こうゆうカラスは余り
にゴミとかに寄ってこないかも。あるカラスは寒さで、餌不足で雪の上を歩いていた。その
横を歩いていたのが私だが、逃げる気配もなかった。概して、これだけの大雪、厳しい冬
というものを前にすると、大型の生き物が、窮することが多そうで、
  鳥でいうと、しかし雉は違うようだ。雉は何でも食べそうである。おとなしい鳥という
感じもない。鳴き声がちょっと耳障りで、ドッキリする。しかし、カラスと違って、いくら
でもその足跡は雪の上にある。オスは狩猟の対象であり、まー気の毒と思う。人がどうゆう
ものを食べているか、こうゆうときは考えない。雉は普段何を食べているか、それこそわから
ないが、これだけ雪が多いと、食べられるものはみな食べる、という感じである。丸々として
いる。平気で雪の上を歩いたりもする。いくらでも勢いよく走るし、また空を飛ぶ。これだと
このくらいの雪で、個体数が減少するとかはなさそうである。

  カラスも書いたように、弱っているものもあり、しかしどうしても同情も出来ないの
は、利口であって悪さもするからだろう。でも、これがカラスの本能であって、学習能力も
すぐれている鳥はいない。でも、中に生き方の下手な、という鳥がいるのは間違いはない。
カラスといえどもいろいろ。
  中型の鳥、というとヒヨドリだが、この鳥も外に捨てる、果物の一部を餌にするくらい
で、かなり困窮している。また、不思議なのは、大好きのはずのモチノキの実が落ちている
が、これを突付かない。ただし色は緑のままである。緑に問題はなさそうだが。他の鳥も同じ
で、しかし中型というと、気が付くのはツグミくらいか。小鳥のほとんどはいなく、寒スズメも
珍しく、きのう見かけたが、数はまことに少ない。

  人の心の中に、沁みこんでくる動物というと、一つはイヌで、もう一つはネコだろう。
イヌはまずはみな飼い犬で、それでちゃんとご主人と一緒にいる。可愛いワンちゃんもたま
に日向ぼっこをする。人を見ると、初めて見たかのように、吠える。これも小さいから、許さ
れるが、大きいイヌとなると、今度は人を見ても吠えない。それはいいとして、
  問題はノラのネコだろう。黒と白のネコもただただ偶然に、ここに去年の春か、初夏の
ころにやって来た。そのことに付いて少し触れてもう書くこともないが、どうも雨とかは
いやらしく、そうゆうときに来ない。どこかに雨宿りというわけ。一度ネコの鳴き合戦があっ
て、それから、黒と白は、そうではないあるネコと鉢合わせをして、逃げたのは白と黒だ。
その後もしばらく来ていたと思う。だが、それっきり。この雪でネコははたして生き延びる
ことが出来たのか。ときどき、その顔を写真で見て、もう来そうにないネコの姿を、その辺りに
探したりする。しんみりとねー。


  梅も咲かない、2月はまた一日過ぎた。




  お寺の梅で、撮ったのは土曜日だから、きのうの他のところの梅よりも
  古い。でも、蕾はこちらの方がよさそうである。紅梅。




  同じ。




  2枚目と3枚目で、全体の拡大。




  こちらは、白梅。




  雪で枝が広がって、また梅の全体の様子も変わってしまう。





  ぐるぐる回っているところ。

 


  雪があって、返って見やすいか。




  少し引いて、斜めから全体の様子。
  でも、わかりづらい。