日が暮れて、真っ暗な空。今は風がおさまった。風がいつ吹くか、なかなかわからない。
窓を開けて、外に出て、風を浴びないとわからない場合がある。今は、まだ南の風が吹いて
いるようで、それが入ってくる。気温もそれほど上がっていない。風だけ、一等賞で、他は、
まーまー。晴れている。放射冷却があるかなー。
非常に限られたところしか行かない。それで、まー毎度同じようなことを書いているので、
飽きが来る。秋が来て、飽きが来る感じもあって、それは春でも同じである。秋に、咲いた
花は、また秋に咲くようである。同じだ、とか思う。ここには情報らしきはない。あーだの
書いても、似たことばかり、自分でもいやになるが、他にどこに行くという当てもない。
蟻のような生活。違うようで、当たっていない。蟻は春出てくる。その後はどうなるか、わか
らない。蟻の生活は追えない。
今日もというのが正しく、風があって、程ほどのお天気で、毎度の道、何かあるなど期待
しない、
そうゆう気持ちで歩くも、カメさんは持っていて、褒められない。揶揄される。
黄色いバラは、これは昔からあって、黄色いバラだとか思う。それ以外に、黄色いものは
多い。こう書いても例はあげられない。イチョウくらいである。初夏の知らないうちに、カラスウリやら、
キカラスウリは出てくるようで、もっとも面白いのは、興味を惹かれるのは花の咲く時間とか
咲き方とか、その形とか、質感だろう。聞いたことも、見たこともない。だから、
これを見ると「発見」したという感じにも襲われる。面白いというより、美しく清楚で、
大根の新鮮な繊切り。他に虫が寄る。ハムシはまーいいとして、なんだか恐ろしげな、蛾かチョウか、
その他の生き物かというのも、このキカラスウリに寄ってくる。キカラスウリはただ、花が興味
深いだけでなく、虫を探す人にもよく、それ以外に何か、美容にもいいらしい。
このキカラスウリは実がなる。瓜であるから、蔓性の植物で、ぶら下がるのを基本とする
かも知れない。でも、地面でも大丈夫かも知れないが、本能的に地面よりは背の伸びる植物に
絡みつく。きっといいことがある。知っていること、知らなくて想像も含めて、書いている。
秋も深くなると、キカラスウリは色を変える。紅葉に似て違うかも知れない。葉っぱと実の違い。
最初の緑は、葉緑素で違いはないと思うが、色素というのもいろいろだから、よくはわからない。
黄色くなるのはキュウリなど同じで、その後もキカラスウリの実はぶら下がっている。
この蔓はあるものは強い。さらに、ヘタのようなものもあるのだろうが、これも丈夫。
実が落ちない理由。なんだか寂しくわびしいような感じだが、これはこれでキカラスウリの
生涯なので、仕方ない。
あるキカラスウリを見ていたときは、秋も冬もぶら下がっていて、よく年もまたキカラスウリ
の実はあった。それもしかしいつの間にか、なくなる。キカラスウリそのものもなくれなれば、
また新しいところで、見つかることもある。
バラに関しては、ここで登場する黄色のバラは、大体同じだと思う。道の方向に、道から
見えるように咲いていて、ご家庭の庭のバラで、対面も出来るし、それならちょっと借景と
いう感じである。みなそうだとも言えるが。バラの色も、いろいろだが、最近バラというと、
非常にちんまりとしたものは見るが、普通の大きさのものというのも、なんだか減っている。
見せてもらって文句をいうのもおかしい。もっともである。白いバラも咲いているが、悲しい
かな影になって、バラらしさが出ない。
日陰か、太陽が雲に入ったか。多分、後者で、バラの色合いも非常に
よい感じで出ている。
開き切ってない、と思える、小さめの花。
そこに、日が差してきて、ちょうどいい感じだが、さて色合いは、三者三様。
キカラスウリのことは実は忘れていたのであるが、時間がなくなって近道を
して、そういえばここに、ナンテンと一緒にキカラスウリがあるはず、と
思う。それが少ししなびて、キカラスウリらしさの第一段階があった。
ナンテンの色付きも興味深いが、ピラカンサなどと比べて、まだ色は浅い。
左側に、キカラスウリの実があるが、これも緑濃い。
もう少し黄色いものはないか。自分でもいぶかしく思う。右に小さい、
黄色い実があるが、これが小さく、正常な色の変化をしているのか、
少し怪しい。その通りで、いぶかしく、怪しいのである。
これで、どうでしょうか。まーうまいこと日が当たって、色も少し飛んで
いるが、もう少しするとはっきりと黄色くなりそうで、時間を誤ると茶色く
もなりそうな予感がする。
窓を開けて、外に出て、風を浴びないとわからない場合がある。今は、まだ南の風が吹いて
いるようで、それが入ってくる。気温もそれほど上がっていない。風だけ、一等賞で、他は、
まーまー。晴れている。放射冷却があるかなー。
非常に限られたところしか行かない。それで、まー毎度同じようなことを書いているので、
飽きが来る。秋が来て、飽きが来る感じもあって、それは春でも同じである。秋に、咲いた
花は、また秋に咲くようである。同じだ、とか思う。ここには情報らしきはない。あーだの
書いても、似たことばかり、自分でもいやになるが、他にどこに行くという当てもない。
蟻のような生活。違うようで、当たっていない。蟻は春出てくる。その後はどうなるか、わか
らない。蟻の生活は追えない。
今日もというのが正しく、風があって、程ほどのお天気で、毎度の道、何かあるなど期待
しない、
そうゆう気持ちで歩くも、カメさんは持っていて、褒められない。揶揄される。
黄色いバラは、これは昔からあって、黄色いバラだとか思う。それ以外に、黄色いものは
多い。こう書いても例はあげられない。イチョウくらいである。初夏の知らないうちに、カラスウリやら、
キカラスウリは出てくるようで、もっとも面白いのは、興味を惹かれるのは花の咲く時間とか
咲き方とか、その形とか、質感だろう。聞いたことも、見たこともない。だから、
これを見ると「発見」したという感じにも襲われる。面白いというより、美しく清楚で、
大根の新鮮な繊切り。他に虫が寄る。ハムシはまーいいとして、なんだか恐ろしげな、蛾かチョウか、
その他の生き物かというのも、このキカラスウリに寄ってくる。キカラスウリはただ、花が興味
深いだけでなく、虫を探す人にもよく、それ以外に何か、美容にもいいらしい。
このキカラスウリは実がなる。瓜であるから、蔓性の植物で、ぶら下がるのを基本とする
かも知れない。でも、地面でも大丈夫かも知れないが、本能的に地面よりは背の伸びる植物に
絡みつく。きっといいことがある。知っていること、知らなくて想像も含めて、書いている。
秋も深くなると、キカラスウリは色を変える。紅葉に似て違うかも知れない。葉っぱと実の違い。
最初の緑は、葉緑素で違いはないと思うが、色素というのもいろいろだから、よくはわからない。
黄色くなるのはキュウリなど同じで、その後もキカラスウリの実はぶら下がっている。
この蔓はあるものは強い。さらに、ヘタのようなものもあるのだろうが、これも丈夫。
実が落ちない理由。なんだか寂しくわびしいような感じだが、これはこれでキカラスウリの
生涯なので、仕方ない。
あるキカラスウリを見ていたときは、秋も冬もぶら下がっていて、よく年もまたキカラスウリ
の実はあった。それもしかしいつの間にか、なくなる。キカラスウリそのものもなくれなれば、
また新しいところで、見つかることもある。
バラに関しては、ここで登場する黄色のバラは、大体同じだと思う。道の方向に、道から
見えるように咲いていて、ご家庭の庭のバラで、対面も出来るし、それならちょっと借景と
いう感じである。みなそうだとも言えるが。バラの色も、いろいろだが、最近バラというと、
非常にちんまりとしたものは見るが、普通の大きさのものというのも、なんだか減っている。
見せてもらって文句をいうのもおかしい。もっともである。白いバラも咲いているが、悲しい
かな影になって、バラらしさが出ない。
日陰か、太陽が雲に入ったか。多分、後者で、バラの色合いも非常に
よい感じで出ている。
開き切ってない、と思える、小さめの花。
そこに、日が差してきて、ちょうどいい感じだが、さて色合いは、三者三様。
キカラスウリのことは実は忘れていたのであるが、時間がなくなって近道を
して、そういえばここに、ナンテンと一緒にキカラスウリがあるはず、と
思う。それが少ししなびて、キカラスウリらしさの第一段階があった。
ナンテンの色付きも興味深いが、ピラカンサなどと比べて、まだ色は浅い。
左側に、キカラスウリの実があるが、これも緑濃い。
もう少し黄色いものはないか。自分でもいぶかしく思う。右に小さい、
黄色い実があるが、これが小さく、正常な色の変化をしているのか、
少し怪しい。その通りで、いぶかしく、怪しいのである。
これで、どうでしょうか。まーうまいこと日が当たって、色も少し飛んで
いるが、もう少しするとはっきりと黄色くなりそうで、時間を誤ると茶色く
もなりそうな予感がする。