光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

秋の、赤い実

2009-10-14 18:36:21 | 植物・花(秋)
  今日は、雨が降るといいながら、この辺りでは雨はなかった。比較的、暖かである。
いい天気で、いうことなしともいえる。暖かさが、残る天気で、日も出たし、北風が吹いて
いたか、ゆっくり目の風。今は曇っていて、この後は、どうなるか。秋の、赤い実がなる。
とっくの昔から、赤いものもある。

  父が、亡くなったからしょうがなく相続というものをやる。そうゆうことは考えていなかった
し、またそもそも、相続とは関係なく暮らしてきて、いよいよそのときが来て、平然と
していられるか、この辺りは、緊張感もあって、しかし、それをやる期限というのも、迫る気もした。
最初は、それ以外のことから始めて、いろいろ知恵を拝借した。簡単に済ませるものが多いが、
相続ということに対して特に、問題となることはなかった。相続人が特に何かいうことはなく、
結果としては私の好きに出来たのだが、平等ということを考えていた。偽善家か、という気
にもなるが、そうかも知れない。でも、それ以外に手段はなかった。

  相続人は誰か、というのが問題になるから、戸籍謄本がいる。それも、かなり古いものが
いる。これを調べることが、課題であって、それをやらないといけないのは、平等相続とかに
関係がなかった。やる気があるならよく、やらなければいけないもののようで、やる気がなく
ても仕方なくやるのは、私の義務のように思えた。最初は、その相続をした、という、ご先祖からの、
証明みたいなものを探さないといけない。これは、人はどこから来たのか、というある意味で
ロマンティクな問題のようで、

  早い話しが、どこにそれがあるか、誰もわからず、またそれをやるのは、地球上の他の誰
もいなく、自分だけであった。でも、そうゆう、ご先祖様からの、相続を証明するものはある
に違いない。なぜなら、固定資産税も父の名の名義で、来ていたからである。どこかにそれが
あるはずで、時間はあるようでなかった。広い狭いは関係なく、また山勘というのも、まったく
当てにならなかった。

  実際のところ、どこからそれが見つかったか、あるいは見つからなかったか、書きたい
ところでもあるが、それはどうゆう幸運か、見つかったようで、その場所も今は忘れている。
いろいろ、探した。あったと思っては、違うものが出てきて、
  どこに消えた、という焦りはなかったとはいえない。ただ、もう寒い時期だったから、またゴミ、
綿ぼこりとかとの闘いもあって、これに対して、使い捨てのマスクをしたが、この時間、まだ新型の
インフルエンザウイルスというのは出てきていない。すでにウイルスはあって、人には認識は
されていなかったはず。

  それにしても、どこから出て来たか忘れたが、家の中は間違いがない。
  いくつか、古い戸籍謄本を見て、それは判別出来なかった。ここのご先祖様は、おられる
ようだが、私の祖父母というのは、祖母も祖父も養子で、祖母のほうが若干ご先祖さまに
血のつながりがあったようだ。なぜそうゆうことになったのか、
  読めもしない、文字とも思えない、名前の上にすべて「ばつ印」がしてあるのは、簡単に
いうと、みな若い、あるいは子供、乳児の時代に亡くなられたのであろう。その数は結構
多いように思える。おそらく、明治時代の話し。そうゆうときに、生き延びる人は、これを
見た感じでは非常に少ない、というのがわかるようなで、これまた、どこかに現われること
なく消えていくものと思われる。





  赤いピラカンサの実は、いつ見てもいいものだと思う。橙色もあるが、色は
  この赤がいい。




  切られては、枝を伸ばすピラカンサ。棘もあって、まだそれに刺さった
  ことはない。




  ピラカンサの赤、というのも昔は見た記憶がない。いつごろから、あるのものか。




  とっても赤い。赤い実のなる前は、この木は何だったか。ハナミズキかも
  知れず、しかし実の数はやけに少ない。




  赤い実を捜してなくなって、最後の方は、柿も赤いということに。
  青空の赤い柿の実。




  キンモクセイは一度、花を付けるものは、付けたと思うが、二度咲きか
  普通に今頃咲くものか。そういえば、匂いもあるかも。




  真っ青な空も。

夕焼け空は、真っ赤っか、でもなかった。

2009-10-14 16:18:58 | 散策
  きょうは大量の、マ社の、システムファイルの修正、というか
  更新があったけれど、そのためか、やけに、編集画面の
  「アクセス数」というのが大きく表示される。点数でいうと、
  非常に低いのであって、気にしないようにしているが見る。
  でもこんな大きくはする必要はなーい。

  夕焼けの話しで、夕焼けのいい画像があるはずで、探すのは大変。
  1、2日というのは何とかなるが、3、4日時間がたつと、わからなくなる。
  同じ機器で、撮っていないという問題もあるが。
  やっている事がおかしいかなー。




  昨日の、夕日。わざわざ、一眼を取り出して、もう沈む太陽を
  睨む。眩しく、位置が悪い。




  10月11日。これは夕方。まーこれも眩しい。青空もあり、まぶしい光も
  あり、白い雲も。これがそろうと、豪華という感じ。




  同じ日。これはわかりやすい。大きな光玉、光球で、実際の太陽像より
  はるかに大きい。



  
  同じ日の、夕焼け。ちょっと遅い。




  10月8日。モノクロのようで、違う。こうゆうのを見ると、
  モノクロもいいと、単純に思う。


  今朝、15日の朝は朝焼けがあったが、光量は適切ではない。
 


  暗めである。暗すぎた。肉眼で見る色はもも色。この画像では、
  血の色のようにも思える。

朝焼け、と雷雲

2009-10-14 06:44:33 | 散策





  朝のお天気は、予想に反して、晴れ。ほぼ晴れで、雨はない。赤い朝日が出た。その前は朝焼けがあって、結構長い時間空は赤く染まった。色の変化もわかった。穏やか。風もなく、また静かで、ただ雉だけが少しうるさい。アメダスの6時の気温、11.0℃、さがった。気圧は1014.1hPa、湿度は93%。南南西の風が2mとある。室温は、16.5℃。

  朝が来て、眠いまま、赤い朝焼け。それからTVをつけて、天気情報は、まだ。観天望気で、外に出る。そのときも、空はまだ赤く、雲の下の辺りが、筋状に、もも色に染まっていた。上の方は、雲そのものの色のようである。今日は雨が降るなー。あれ、きのうも降った。
  天気情報は、雷雲の到来を予告するもので、そうとうに空に電子が溜まっているのだろう。このようなものは、いるようで、いらない。時代が違う。凧で、電気をもらう必要はない。朝から、雷におびえる。

  読書の秋でもあるので、買ったままの本も開けてみる。漢字が多い。それからかなりギシギシに詰まっている。改行も少なく、まーいってみると、スカスカの本もあるが、これはその反対で、隙間がなさ過ぎる。3、4ページ我慢して読んだが、なんだかそれだけでお腹が一杯。脳から中身があふれそうである。こうゆうのがあと200ページも続くのか。どれだけのことが、書かれているのか、本の重さを思う。
  ときどき、買う本に絵のあるもの、写真のあるものも買う。何だか読めそうじゃないか。読めなくても、見るだけで楽しめそうじゃないか。そう思うのも、当然だろう。見ることについて書いてある本だからだ。しかし、それも簡単には見えない。むつかしい。

  その点、朝の、また夕刻の日の出、日の入りを見るのはいかにも楽で、簡単で、今朝の朝焼けは少し赤すぎて、また日の出のあとの太陽は、金色に輝くので、部屋の中も、電球色である。

  写真:違う日であるが、蜘蛛も朝日に輝いた。