今日は、雨が降るといいながら、この辺りでは雨はなかった。比較的、暖かである。
いい天気で、いうことなしともいえる。暖かさが、残る天気で、日も出たし、北風が吹いて
いたか、ゆっくり目の風。今は曇っていて、この後は、どうなるか。秋の、赤い実がなる。
とっくの昔から、赤いものもある。
父が、亡くなったからしょうがなく相続というものをやる。そうゆうことは考えていなかった
し、またそもそも、相続とは関係なく暮らしてきて、いよいよそのときが来て、平然と
していられるか、この辺りは、緊張感もあって、しかし、それをやる期限というのも、迫る気もした。
最初は、それ以外のことから始めて、いろいろ知恵を拝借した。簡単に済ませるものが多いが、
相続ということに対して特に、問題となることはなかった。相続人が特に何かいうことはなく、
結果としては私の好きに出来たのだが、平等ということを考えていた。偽善家か、という気
にもなるが、そうかも知れない。でも、それ以外に手段はなかった。
相続人は誰か、というのが問題になるから、戸籍謄本がいる。それも、かなり古いものが
いる。これを調べることが、課題であって、それをやらないといけないのは、平等相続とかに
関係がなかった。やる気があるならよく、やらなければいけないもののようで、やる気がなく
ても仕方なくやるのは、私の義務のように思えた。最初は、その相続をした、という、ご先祖からの、
証明みたいなものを探さないといけない。これは、人はどこから来たのか、というある意味で
ロマンティクな問題のようで、
早い話しが、どこにそれがあるか、誰もわからず、またそれをやるのは、地球上の他の誰
もいなく、自分だけであった。でも、そうゆう、ご先祖様からの、相続を証明するものはある
に違いない。なぜなら、固定資産税も父の名の名義で、来ていたからである。どこかにそれが
あるはずで、時間はあるようでなかった。広い狭いは関係なく、また山勘というのも、まったく
当てにならなかった。
実際のところ、どこからそれが見つかったか、あるいは見つからなかったか、書きたい
ところでもあるが、それはどうゆう幸運か、見つかったようで、その場所も今は忘れている。
いろいろ、探した。あったと思っては、違うものが出てきて、
どこに消えた、という焦りはなかったとはいえない。ただ、もう寒い時期だったから、またゴミ、
綿ぼこりとかとの闘いもあって、これに対して、使い捨てのマスクをしたが、この時間、まだ新型の
インフルエンザウイルスというのは出てきていない。すでにウイルスはあって、人には認識は
されていなかったはず。
それにしても、どこから出て来たか忘れたが、家の中は間違いがない。
いくつか、古い戸籍謄本を見て、それは判別出来なかった。ここのご先祖様は、おられる
ようだが、私の祖父母というのは、祖母も祖父も養子で、祖母のほうが若干ご先祖さまに
血のつながりがあったようだ。なぜそうゆうことになったのか、
読めもしない、文字とも思えない、名前の上にすべて「ばつ印」がしてあるのは、簡単に
いうと、みな若い、あるいは子供、乳児の時代に亡くなられたのであろう。その数は結構
多いように思える。おそらく、明治時代の話し。そうゆうときに、生き延びる人は、これを
見た感じでは非常に少ない、というのがわかるようなで、これまた、どこかに現われること
なく消えていくものと思われる。
赤いピラカンサの実は、いつ見てもいいものだと思う。橙色もあるが、色は
この赤がいい。
切られては、枝を伸ばすピラカンサ。棘もあって、まだそれに刺さった
ことはない。
ピラカンサの赤、というのも昔は見た記憶がない。いつごろから、あるのものか。
とっても赤い。赤い実のなる前は、この木は何だったか。ハナミズキかも
知れず、しかし実の数はやけに少ない。
赤い実を捜してなくなって、最後の方は、柿も赤いということに。
青空の赤い柿の実。
キンモクセイは一度、花を付けるものは、付けたと思うが、二度咲きか
普通に今頃咲くものか。そういえば、匂いもあるかも。
真っ青な空も。
いい天気で、いうことなしともいえる。暖かさが、残る天気で、日も出たし、北風が吹いて
いたか、ゆっくり目の風。今は曇っていて、この後は、どうなるか。秋の、赤い実がなる。
とっくの昔から、赤いものもある。
父が、亡くなったからしょうがなく相続というものをやる。そうゆうことは考えていなかった
し、またそもそも、相続とは関係なく暮らしてきて、いよいよそのときが来て、平然と
していられるか、この辺りは、緊張感もあって、しかし、それをやる期限というのも、迫る気もした。
最初は、それ以外のことから始めて、いろいろ知恵を拝借した。簡単に済ませるものが多いが、
相続ということに対して特に、問題となることはなかった。相続人が特に何かいうことはなく、
結果としては私の好きに出来たのだが、平等ということを考えていた。偽善家か、という気
にもなるが、そうかも知れない。でも、それ以外に手段はなかった。
相続人は誰か、というのが問題になるから、戸籍謄本がいる。それも、かなり古いものが
いる。これを調べることが、課題であって、それをやらないといけないのは、平等相続とかに
関係がなかった。やる気があるならよく、やらなければいけないもののようで、やる気がなく
ても仕方なくやるのは、私の義務のように思えた。最初は、その相続をした、という、ご先祖からの、
証明みたいなものを探さないといけない。これは、人はどこから来たのか、というある意味で
ロマンティクな問題のようで、
早い話しが、どこにそれがあるか、誰もわからず、またそれをやるのは、地球上の他の誰
もいなく、自分だけであった。でも、そうゆう、ご先祖様からの、相続を証明するものはある
に違いない。なぜなら、固定資産税も父の名の名義で、来ていたからである。どこかにそれが
あるはずで、時間はあるようでなかった。広い狭いは関係なく、また山勘というのも、まったく
当てにならなかった。
実際のところ、どこからそれが見つかったか、あるいは見つからなかったか、書きたい
ところでもあるが、それはどうゆう幸運か、見つかったようで、その場所も今は忘れている。
いろいろ、探した。あったと思っては、違うものが出てきて、
どこに消えた、という焦りはなかったとはいえない。ただ、もう寒い時期だったから、またゴミ、
綿ぼこりとかとの闘いもあって、これに対して、使い捨てのマスクをしたが、この時間、まだ新型の
インフルエンザウイルスというのは出てきていない。すでにウイルスはあって、人には認識は
されていなかったはず。
それにしても、どこから出て来たか忘れたが、家の中は間違いがない。
いくつか、古い戸籍謄本を見て、それは判別出来なかった。ここのご先祖様は、おられる
ようだが、私の祖父母というのは、祖母も祖父も養子で、祖母のほうが若干ご先祖さまに
血のつながりがあったようだ。なぜそうゆうことになったのか、
読めもしない、文字とも思えない、名前の上にすべて「ばつ印」がしてあるのは、簡単に
いうと、みな若い、あるいは子供、乳児の時代に亡くなられたのであろう。その数は結構
多いように思える。おそらく、明治時代の話し。そうゆうときに、生き延びる人は、これを
見た感じでは非常に少ない、というのがわかるようなで、これまた、どこかに現われること
なく消えていくものと思われる。
赤いピラカンサの実は、いつ見てもいいものだと思う。橙色もあるが、色は
この赤がいい。
切られては、枝を伸ばすピラカンサ。棘もあって、まだそれに刺さった
ことはない。
ピラカンサの赤、というのも昔は見た記憶がない。いつごろから、あるのものか。
とっても赤い。赤い実のなる前は、この木は何だったか。ハナミズキかも
知れず、しかし実の数はやけに少ない。
赤い実を捜してなくなって、最後の方は、柿も赤いということに。
青空の赤い柿の実。
キンモクセイは一度、花を付けるものは、付けたと思うが、二度咲きか
普通に今頃咲くものか。そういえば、匂いもあるかも。
真っ青な空も。