朝から、北風が吹き、意識しないといいつつ、台風が近付く感じを味わう。似た様な
天気というのは、いろいろあって、それを足したり掛け算したりすると、台風に似た感じと
いうのは再現されるが、それもやっぱり本物の台風とは違う。何年か前の大きな台風で、
周りの杉の木が倒れて、倒れに倒れたといっても間違いないが、その他、屋根の瓦やらが
飛んだとか、その他もう少し大きなものもひっくり返った、ということも、やけに身近に思い
出される。だから、この台風もばかにも出来ないし、かなり損害を受けたと言うことにもなる。
それの修復にはお金!がかかる。そんなことがあった。そうゆうことにならないように、お祈りを
しないといけないが、昔の4、5年前の台風のときは結果としては、お祈りの意味はなかった。
ただ呆然としているわけにはゆかない。ちょうど、母のある薬もなくなるころで、これも
はやめに準備しないとと、強風の中、近くにある歩いていくことの出来る医院に行く。すると、
朝は早いからか、他に誰もおらず、それはそれでいいようだが、なんだか台風を意識している
のは自分だけかという気にもなる。その割にというと妙かも知れないが、このところ近くで、
救急車の警報音をよく聞く。朝も多く、夜は記憶はないが、目も開くことがあって、列車の音は
しないが、救急車のサイレンの音はよく聞くし、それが接近する。このところ本当2日に一回
くらいは、その警報音がそばで聞こえるから、なんだかおかしくももなる。
気にしすぎか、と思って、母の薬を取ってきて、まずは一安心というところだが、母は
「どこに行っていた」というから、それはもう慣れたが、なかなかいい感じはしない。それから、
片付けでもないが、必要なものを所定の位置に戻してというときに電話が鳴る。今どきの
固定電話にかかるものに、ろくなものはない。大体、昼間はつながらないようにしている
ご家庭も多い。でも電話はそばにあるから出ると、遠方の叔母からの電話である。滅多にかかって
こない。そうゆう叔母だけど、その兄が私の父なので、これはしょうがないかという気にもなる。
そうゆう時期だなと思うが、こちらも特に、話すこともない。それで、元気なのか!という、
そうゆう話しにもなる。
父方の叔母というと、昔は、ここに、こんな田舎に住んでいてというのが実に不思議に思える。
これが信じられないのである。私はここで生まれたのではないが、叔母は二人いるが、若いときは
ここで育っていて、それでここから
ある時期に出て行った人なのであって、私が生まれたときは、恐らくもうここにはいな
かった。よくはわからないが、そんな感じだ。でも、私が学生のころ、祖父母に会うためと
いうのと、遊びにというときに、その叔母に会うことはまったくなかった。だから遠方であり、
またあまりの時期のずれもある。
叔母は、もうかなり前にご主人を病気でなくされていて、その看護にも疲れ果てたという
話しは昔聞いたが、今日の電話だと結構元気なようで、そうゆう話しになると俄然、自分の意見を
はっきり
という。父の死も、長生きし過ぎなのよという。なるほどねー、こうゆう話しと
いうのはご自身の子供さんとも出来ず、ある種妙な関係である、叔母と甥だから、そうも
なるのだろう。人はいつでも死ぬことが出来るのよとも言う。あまりこうゆうことも書くべき
ではないようなので、もう書かないが、たしかにそうかも知れないなーという気はする。
それだけ、ご主人の看護のために力を尽くして、やれることはやってというと、そうゆう境地に
達するのも当然かとも、思う。それでも、兄が亡くなって、そろそろある時間になるというときに、
電話もかけないとというのは、これは話しは別か。
電話でこのような話しをしていると、楽しくなってくる。あまりに生き方が違うようで
あって、しかし、人はある面で共感できるのである。もう一人の叔母ともたまに話しをするが、
最後は噴き出す感覚がある。これも、相手はだらしのない甥だからというものもあり、片方で
気の毒な叔母だという気持ちもある。こうゆうものは貴重で、私はもしかしたら祖父母と、
父にさらに感謝しないといけないかも知れない。
10月のヒガンバナ。
赤いコスモス、その一。
赤いコスモス、その二。
小柄の、秋のバラ。
セイタカアワダチソウの、子供のようなもの。赤く見えるのはテントウムシ。
スイフヨウ、赤いのも咲くような、その一。
紅白のスイフヨウ、その二。
天気というのは、いろいろあって、それを足したり掛け算したりすると、台風に似た感じと
いうのは再現されるが、それもやっぱり本物の台風とは違う。何年か前の大きな台風で、
周りの杉の木が倒れて、倒れに倒れたといっても間違いないが、その他、屋根の瓦やらが
飛んだとか、その他もう少し大きなものもひっくり返った、ということも、やけに身近に思い
出される。だから、この台風もばかにも出来ないし、かなり損害を受けたと言うことにもなる。
それの修復にはお金!がかかる。そんなことがあった。そうゆうことにならないように、お祈りを
しないといけないが、昔の4、5年前の台風のときは結果としては、お祈りの意味はなかった。
ただ呆然としているわけにはゆかない。ちょうど、母のある薬もなくなるころで、これも
はやめに準備しないとと、強風の中、近くにある歩いていくことの出来る医院に行く。すると、
朝は早いからか、他に誰もおらず、それはそれでいいようだが、なんだか台風を意識している
のは自分だけかという気にもなる。その割にというと妙かも知れないが、このところ近くで、
救急車の警報音をよく聞く。朝も多く、夜は記憶はないが、目も開くことがあって、列車の音は
しないが、救急車のサイレンの音はよく聞くし、それが接近する。このところ本当2日に一回
くらいは、その警報音がそばで聞こえるから、なんだかおかしくももなる。
気にしすぎか、と思って、母の薬を取ってきて、まずは一安心というところだが、母は
「どこに行っていた」というから、それはもう慣れたが、なかなかいい感じはしない。それから、
片付けでもないが、必要なものを所定の位置に戻してというときに電話が鳴る。今どきの
固定電話にかかるものに、ろくなものはない。大体、昼間はつながらないようにしている
ご家庭も多い。でも電話はそばにあるから出ると、遠方の叔母からの電話である。滅多にかかって
こない。そうゆう叔母だけど、その兄が私の父なので、これはしょうがないかという気にもなる。
そうゆう時期だなと思うが、こちらも特に、話すこともない。それで、元気なのか!という、
そうゆう話しにもなる。
父方の叔母というと、昔は、ここに、こんな田舎に住んでいてというのが実に不思議に思える。
これが信じられないのである。私はここで生まれたのではないが、叔母は二人いるが、若いときは
ここで育っていて、それでここから
ある時期に出て行った人なのであって、私が生まれたときは、恐らくもうここにはいな
かった。よくはわからないが、そんな感じだ。でも、私が学生のころ、祖父母に会うためと
いうのと、遊びにというときに、その叔母に会うことはまったくなかった。だから遠方であり、
またあまりの時期のずれもある。
叔母は、もうかなり前にご主人を病気でなくされていて、その看護にも疲れ果てたという
話しは昔聞いたが、今日の電話だと結構元気なようで、そうゆう話しになると俄然、自分の意見を
はっきり
という。父の死も、長生きし過ぎなのよという。なるほどねー、こうゆう話しと
いうのはご自身の子供さんとも出来ず、ある種妙な関係である、叔母と甥だから、そうも
なるのだろう。人はいつでも死ぬことが出来るのよとも言う。あまりこうゆうことも書くべき
ではないようなので、もう書かないが、たしかにそうかも知れないなーという気はする。
それだけ、ご主人の看護のために力を尽くして、やれることはやってというと、そうゆう境地に
達するのも当然かとも、思う。それでも、兄が亡くなって、そろそろある時間になるというときに、
電話もかけないとというのは、これは話しは別か。
電話でこのような話しをしていると、楽しくなってくる。あまりに生き方が違うようで
あって、しかし、人はある面で共感できるのである。もう一人の叔母ともたまに話しをするが、
最後は噴き出す感覚がある。これも、相手はだらしのない甥だからというものもあり、片方で
気の毒な叔母だという気持ちもある。こうゆうものは貴重で、私はもしかしたら祖父母と、
父にさらに感謝しないといけないかも知れない。
10月のヒガンバナ。
赤いコスモス、その一。
赤いコスモス、その二。
小柄の、秋のバラ。
セイタカアワダチソウの、子供のようなもの。赤く見えるのはテントウムシ。
スイフヨウ、赤いのも咲くような、その一。
紅白のスイフヨウ、その二。