光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

青い朝日があって、橙色の夕日が沈む

2009-10-28 18:44:33 | 散策
  今日のほうが、きのうよりいいお天気で、朝だけなんだかモヤモヤしたものがあったが、
それがあったからか、輪郭のある朝日が残る。はるかに透明な朝は日がまぶしくて、それこそ
それを眺めることも出来ないが、あるい程度靄もあると、落ち着いた朝がある。このほうが
気分的に楽で、もしももっと澄み切っていると、早々朝の太陽、日の出の様子を撮るとなるが、
これも癖のようなもので、いらないときがやがて来るはずだが、太陽の位置だけは、なるほど
と思えるところにある記憶が残る。
  夕刻の時間が早く知らぬ間に日が傾いている。でもまだこの日をときどきあるいは毎日、
晴れなら眺めていてそれが雲の向こうにあったり、またすでに建物の向こうに沈んでいたり
する。日の入りの時刻がやけに早く感じられるのがこれからで、夜長の秋でなんだか電気代が
もったいない気もする。

  傘が見つかった。無くなったと思ったものが出てくるのは嬉しい。まったくどうしたもの
だ。さほどぼけてもいなかったかと思うが、何を考えていたか。冬の衣装でなく、いつも着て
いるYシャツだが、それのストックがあったはずと、開けることのない、場所のある場所に
傘はあった。こんなところに傘がある。昔は知っていたが、今は季節に関係ないものも、
出しっぱなし。すると押入れとか物置を開けたりということは減る。だから、その場所に
何が入っていようが、必要なものは出してあるから事足りる。でも、もうそこに傘をしまう
という気もない、私だけど、

  痴呆症状とまではいかないが、しかし確実に認知症の症状も進行していると思われる母が、
また書けないものもあるが、昔の記憶が、記憶こそが頭にあるのか、傘をそこにしまったので
ある。それで、いつもの傘どこにやったと聞いてもまずは、知りません、としか返事は返って
来ない。でも、そこに傘をしまうのは母しかいないはずで、そうでないとお化けがいること
になる。  
  これも、Yシャツを出しておかないとそれこそ忘れてしまう、という私の記憶がよみがえった
からかどうか、わからないが、いえの中のことも、いろいろやらないと、忘れてしまう。
それから無意識に何かをどこかにやる。こうゆうことも、これから日常のことになる。もう
なっているだろう。

  日ごろ、日記のようなものを書いているが、だんだんと字がひどくなる。残っている、
父の字などは、つい最近までは昔のままで、それを見ただけで誰が書いたかわかる。母の
字も、最近は字もあまり書かなく、また当然年賀状も書かないが、その字を見ると母の書いた
字だというのはわかる。それに比べて自分の字というのは自分で書いて、これは自分の字だと
思うが、判別出来ない。昔から
  例えば何かの作文をしないといけないとき、一枚目だけきれいに書こうとする。するだけ
だが、しかし俄然二枚目から、ぐちゃぐちゃになった。こうゆうものはずいぶんと昔からの
ようで、自分でもそのことを認識している。いつというと、中学ころからかも知れず、何で
こうなるのか不思議以外のなにものでもない。姉の字など、まったく中学のころと同じだ。
考えられないが、たしかにこれは姉の字だとか思う。

  そうゆう状況で、いざ何か書類を書かないといけない。単純簡単、簡潔でも非常に緊張
する。で、間違えるわけ。これが昔から付きまとう。気を抜けと思うが、もっとひどくなる。
慣れが必要だ、で練習する。筆跡というのがある。本物か偽もんか、これで判別が出来ると
いう。それはたしかにあるが、これは一体何の言葉かというのが問題になるだろう。
  紙の日記というのも、あまり書くことがないときは、それこそスペースが余る。しかし、
傘を無くしたという「しょうもない事件」とか、今日は朝から頭が重いという日に限ってやたら
長く書くことになる。これも不思議だが、大体詳しく、ここが痛い、原因はいくつかあるが、
ストレス以外だと、これは気温が高いからだとか、とんでもないことを書いている。さっさ
と止めればいいときに、長々下らぬことを書く。やっぱりおかしい。馬鹿げている。

  それで、傘が見つかったということから、ぐたぐた長くなったが、やっぱり傘が見つかって
も頭は重いし、それゆえ、またぐたぐたと書いたりする。肝心なことを忘れているようだ。明日は

  年賀状の発売日だ。





  朝の光景。ダイナミックな変化、というと、写真ではへこんでしまうときが
  ある。空の様子や、また青空の輝きなどは、実際の空が一番。




  その二。




  その三。




  その四。光がつぶれてしまって、となると、これはホワイトホール。




  橙色の、夕日がもしかして、雲に白い雲にすでに隠れている。
  オレンジ色かも知れない。




  その二。




  その三。




  かなり透明な、夕方の空。西の方角。

菊の花マップ、町のいろいろ

2009-10-28 16:25:06 | 散策
  だいたい晴れのお天気。

  驚いたことに、傘があった。うちの中にあって
  滅多に開けないところを開けると、その傘がある。
  不思議だが、何でも仕舞うくせのある、方がいる。
  どこかにいってわからない、という結果にもなるが、
  知らない、と言われたが、幸い出てきた。
  疑った人に申し訳ないという気持ち。
  疑心暗鬼は、しかしあるなー。

  きのうの、菊の花の位置、というか、その花がどのように
  咲いているか、の図、と町の他のいろいろ。





  菊の花のいろいろの配置図。




  田んぼがある。この田んぼの向こうが、名の違う、町というか
  集落である。




  同じ場所で、地面を写す。明るい。地球は丸い。それと私の水平バランスは
  狂っている。




  いかにも時雨が来そうな空。晴れ間があり、反対は曇り。雨雲、雷雲。




  柿の実。実も下に落ちるものがある。そのまま、渋柿だろう。




  もう知らないところは、見かけ上はない、と思っていたが、屋敷林で
  囲まれたいえがあった。これは珍しいかな。




  いろいろである。




  鐘撞き台。そう遠くはない。ここの鐘の音も聞こえる距離のようで、しかし
  眠っているかも知れず、聞こえているかいないか、不明。

ひねもす、晴れ空

2009-10-28 06:48:40 | 散策




  朝のお天気は、晴れ。全体的に薄い雲か、靄がある。風はほとんどなく、また雨も降っていない。普通に冷えた。日が出てきそうで、まだ出ない、アメダスの6時の気温、12.1℃、気圧は、1023.8hPa、湿度は、83%。室温は、16.5℃。

  きのうは夕方から、早くも月が見えていた。上弦を過ぎようとしている、月で、この月も見えるときが、なかなかない。昼間晴れて、夜も晴れるときがない。月も、新月はまずは見えないが、その後少しふっくらするまで、どこにあるのかもわからず、またすぐに地平に沈む。

  だから、上弦辺りの月が、新月以降初めて見る月であったりする。まだ日の出ている、夕刻の月は、白く、まただんだんと、白い黄色に変わり、その色が最後は、赤味を帯びた黄色になって、ちょうどお椀型になって、沈んでゆくようで、地平辺りの月は、多少は大気の影響もあるのか、変形し、球形のイメージをなくす。

  その月のそばに、暗くなって初めて明るい星があることがわかって、急に現われた感もあって、なんだとか思う。未確認物体で、動かない。何のことはない。木星で、木星ももうそんな位置まで、移動して来たかと思う。もっとも太陽の動きが早い。木星も月と並ぶと、明るさにおいてはまったく比較の対象にならず、これが月に隠されることは今回もなかった。あるようでないのが、星が星を隠すこと。

  朝になって、今は暗い。かすかに明るい程度である。靄がかかっていて、きれいな晴れではない。で、よおく探すと、金星があって、これもしばらくしたら、明るくなってきた空に消えていった。夜から朝までほぼ晴れ。今日のお天気は、晴れで、ひねもす晴れのお天気。


  写真:三色スミレ、雨に濡れている。いったいいつだったか。