光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

街空のブルー、街の紅葉

2009-10-22 18:53:40 | 散策
  割と早く、病院に着いても安心は出来ない。いくらでもと言っていいくらい、早い方がおら
れて、その競争に参加しようという考えはない。後は、待つしかないが、この待つのというのが、
特に病院の場合、どこかへ見学に行くわけにもゆかず、また早々おしゃべりも出来ず、いつ自分の
番が来るか、わからないでもない。が、そのときが近付くと、トイレに行きたくもなるという
状態なので、だから病院なのだが、それが今回は、もしかしたらすっと行くか、という期待はあった。

  病院というのも、安心出来るようで、今は流行の病気があるから、もしかしてそこでウイルスを
もらうということも十分に考えられる。だから、出来るだけ滞在時間は短いほうがいい。特に
むつかしいことでもない。ある種の薬を飲んでいるが、それだけでよくはならない。まー、
でも飲んだほうが、というか、これが助けになるのも事実で、お医者さんに行く。ここは大病院
である。でも早く行くと、これもいろいろ事情があるが、今だかって一番に診てもらうという
ことがなかったか、というと、あったかも知れない。これはいい調子だと思う。するとその後の
用事も割りとうまくいって、多少は街の雰囲気も味わえる。

  ところがである。この最近は、段々と早く来る方が多いのと、なぜか時間がかかる、という
場合がある。それで、待ち時間が増えるが、さてそこで本を読むなど出来ない。ある時間になると、
ぐっと患者さんというかお客さんが増える。するといろいろな話し声が聞こえる。たまに後の方
を見る。ギョッとというくらいに、お客さんの数は増える。あれあれという感じである。マスク姿
の方、小さな子供と一緒の方。車椅子の方、いろいろ。でも時間とともに人の数は増える。一時、
この大病院はすいている方だと思ったが、それは勘違いである。とんでもない。

  で、診察が終わって処方を待つ、会計も一緒で、次回の予約もある。複数の科の受付を一つの
カウンタでやるから、ときに混雑する。これも、それほど混雑することもなかったが、今回は、
割と早く病院には着いたものの、診察の待ち時間はしょうがないとして、その後の事務処理でも、
ずいぶんと待たされて、その間に、何度、何とか科の何とかさんという呼び声を聞いたか、それこそ
通勤電車並みの混雑の仕方で、頭が痛くなった。その中から自分の番号を聞き取るのに、耳を
縦にしたり横にしたり、斜めにしたりして神経を集中した。その間、100という数くらい、番号が
呼ばれて、ようやく自分の番号も呼ばれて機械とかが壊れていないことがわかり、また受付の
方にも、ご苦労様でしたと、ゆっくりとした声でお礼を言うことも出来た。
  言葉が右に左に、上下に、飛び交うとはこうゆうことか。せりの緊迫感はないが、それでも
かなりの数の中に、自分の番号は一つで、もう少しゆうと、受付の方も、かなり疲労困憊して
いるのではないか。中には、お年を召された方にしかられるという場合もあるようで、これは
たしかに医療関係の従事者も疲れるが、そこに行く人も、疲れる。
  もう少し、多い少ないを考えて、やればいいと思う。ことしから、4月から、こちらの科が
移動したところが混雑の激しいところなのである。これがわからない。

  妙な感じもするが、見舞いというと、特に何かに拘束されることはない。無論、家族である
とかいう、そうゆうことは最初に確認されるけど。その後は楽である。で、診てもらう本人は、
というとうまくいった、と思うのは早く終わったときであって、これも妙なものだ。後の方に、
ずいぶんとたくさん待っている方がいた。あの方々はどうなったのか。
  記憶でいうと、もっとも長く待たされるというのは、午前の病院の「始まる時間」に初診で
いって、診てもらったというのが、午後の2時過ぎというのが、大体限度のようで、それより
遅くなった記憶はないかなー。そうゆう我慢が出来た時代があった。なぜか今は待てない。

  薬局に行く。するとここはさほど込んでなかった。決めているところである。インフル
エンザのことについて、薬剤師の方に聴く。かかる人は、若い人が多いようですねー、そのよう
ですが、高齢の方もやはり受けたほうがいいですね。もっともである。高齢というのは私の
母の話しである。で、普通のインフルエンザのワクチンの接種というのはどうなるのでしょう
かねーとも聴いてみるが、これは野暮な質問だったかも知れない。そこはすいていて、込んでいた
病院の人の行き来の姿がまだ残っている。まったく、通勤電車。

  それから、他の用もあるし、そうは気も抜けないが、いつものポケ・カメ、でときに立ち
止まって、街の表情を撮る。ちゃんと歩道もあるが、何と上を見ていて、側溝に、さほど広くは
ないが、あるところに金属の覆いというか、蓋というか、そうゆうものがないところもあって、
危うく足を突っ込んで、こけそうになった。それ以上はどうなるか想像したくないが、上ばかり
見てはいけない。安全確認をして、ポケ・カメもやらんとあかんと、自分を戒めた。
まったく、陥穽というのはどこにでもある。



  街のブルーというもの。



  いい天気で、快晴で、山もよく見えてという日だから空も青い。真っ青。


  ケヤキの紅葉もあるかも知れない。



  緑の葉も、だんだんと色付く。街の紅葉。




  やけにきれいではないか。




  これはきれいだ。




  こちらは、少し赤茶色、赤みさえある。

  再び、ブルー。




  この辺りで、蓋のない、金属の蓋のない、側溝にはまりそうになって、ただ
  よろけただけで済んだ。危ないこと。クワバラである。あー嫌だ。




  どこまでいっても、青い。青いというより、ブルー。

無言になる夕景

2009-10-22 16:23:17 | 散策
  今日もいいお天気になったが、最高気温は、
  午後3時までで、20℃に達していない。
  アメダスによると、18.4℃である。
  風もあったから、ちょっと厚着が必要なくらい。

  このところ、朝も、夕方もなかなか
  きれいな空がある、と思う。朝は、金星も見えるが
  夕方は、太陽の輝きが素晴らしい。

  太陽は見ないように気を付けて、というが、多少は
  目にもその光が入る。





  10月19日。家屋の向こうに日が隠れる。



 
  19日、西の方向から。透明な空。




  10月20日。こんどは雲に隠れる。




  20日。西向き。放射状に広がる夕日。




  20日。とくにない。無言。



  
  10月21日、白い雲が印象的だった。




  21日。これは日がまともに目に入る。見ないようにッしている。

  この3日間、この時間の空の透明度は文句の付けようもなく、こうゆう日も
  珍しいと思う。

シャックリと、渋柿

2009-10-22 06:46:16 | 散策




  朝のお天気は、晴れ。だんだんとよくなっている。夜中は、雲が多いようで、もう少し前、きのうの宵のころだと、あからさまに雲が多い。これではなー。今は、晴れで、太陽が出る時間。風も穏やかで、雨の気配はない。アメダスに6時の気温、12.7℃、気圧は、1021.6hPa、湿度は87%。室温は、17.5℃。

  きのうの宵の時間、風もおさまって外に出た。幸いか、外灯も切れていて、明るさの害はない。光害とかいう。外灯が切れてもっとも明るく思えるのは、自分のうちの、灯りである。曇りでは星も見えない。あっさりと中に。
  しばらくすると、いったい何年ぶりか、大げさに書くとそうなるが、シャックリが出た。ヒクッとなる。何か悪いことをしたか、と思う。思い当たる節はない。息を止めるといいはずだがそうは長く止めてられない。1時間くらい出ていて、3秒に一回、ヒクッとなる。いやな感じで、歯を磨き水を飲むと、どうにか直った。シャックリか、なぜ出るか、わからない。

  きのうは、街の方で、ずいぶんとたくさんの子供の姿を見た。遠足のようである。どこに行くのかな。次から次へと、子供が集団で到着する。地下道を歩いてくるのか、団体単位でドンドン増える。ときどき、先生らしい人がなにか言っている。注意かなにかしているのだ。ずいぶんとたくさん、子供もいるな、と不思議な感じさえする。団体さん以外に、小さなグループで歩いている場合もあって、ときにこんにちはと挨拶する。
  ことしは、柿が多いですね、とある人は言った。それにはそうですね、と答えるしかないが、たしかに柿の実はたくさん残っている。もっとも、ここのうちの柿の実は1個あるかないか。それで、ある人が遠足の話しをした。その柿は食べたらだめだ、とかいわれたが、食べた。それは渋柿であった、という。

  たしかに、とまた思う。残っているのは、渋柿。