知らない街を歩くというと、昔はあった。でも簡単な地図は持った。今は、簡単な地図も
ない、そうゆうところ歩くが、これも意志さえあれば、ネットで見ることが出来る。嫌な
時代でもあり、便利な感じもし、また国土地理院の地図はどうなっているか、知りたくも思う。
こうゆうところ、国土地理院という名も忘れるが、地図を見るというのも、ネットが変わり
になって、となるから、忘れるのも当然か。
地図を作った人、昔からたくさんいて、有名なところでは伊能忠敬。まー、どう考えても、
届かないし、どうしてこうゆう天才が生まれたのか、わからない。不思議な人という感じで、
もう少し今風にいうと、宇宙人かも知れず、また地球人でもある。時代に関係なく、優秀な人は
いる。それ以外に今でも一生懸命地図を作る人がいて、その地図というと、人のうちの名まで
出ている。如何様にしてこのような地図が出来るか、これも不思議だがそれをこれは便利だと
利用していた時代がある。これもネットに席巻されたというか、そちらに乗り換えられた
ようで、あの貴重な紙の地図は減ってゆく。
地図帳もどうなっているか最近はわからない。名前も変わり、大きさも変わってゆく、
地球だから、真実を反映する地図はあり得ないのかも知れないが、今日も、何十年も前の地図を
見て、ここの国は今はどうゆう名前なのか、という疑問を持った。古地図はいかにもむつかし
そうで、適当な地図というと、ありそうでない。せいぜい、教科書のそれしか思い浮かばず
それしかないが、肝心の辺りが、非常に小さく扱われるのが常のようである。
道々、歩く道を決める。きょうはここを右に曲がってという感じである。昔は、まずは
歩くことがあって、道は決まっているほうがよかった。今は観察か見学か、落ちているもの、
そこにあるものを掬ったりもする。それもデジタル信号に変換して。たわいないことを
やっていると思えるが、これをやらないとブログも出来ないから、困ったもので、またそれに
熱を入れる。もう少し他にそうゆうものがあったら、と考えないこともないが。それをやる
理由というと、簡単というのが挙げられる。もっとも、それはただの一つの段階に過ぎず、
その後が大変で、それでも毎度同じことをやる。
秋も深い。本物の秋で、今日は雨が降って、それもひどいときがあった。その割りに、
暖かい感じがあって、これでは割りと気分的には楽なほうだ。もっともいつ雷が鳴り、また
驟雨がやってくるかという恐怖はあった。今も無くしたというか、どこかに忘れた傘がどう
なったかその可能性を考えている。あるいは外に出してあったから、どうにかなったか、
お店の傘立てに入れて、それを持ち帰るのを忘れたというのもある。気がついた後というと、
何といつもより、そのお店の傘は増えていて、しかし私のそれはない。というと、間違って
持っていかれた、ということも考えられる。
漫ろ歩き、という時間はそこまで迫っている。今日はそうでもなく、またそうゆうときは、
他のときにある場合がある。それこそ、あー、今日は何でバッグに水を入れ忘れたのだろうか。
きょうは財布を持っていないな、というか小銭くらい持つべきだった。いろいろ。そのうち、
いよいよ本物の木枯らしが吹くときが来る。そうゆうときも、まだ寒さには負けないで
歩こうという気はある。でも、寒空である。想像するに、いかにも寒い風が吹く。人っ子一人
いないような、道を歩く。幸いかな、同じく散歩する人に出会う。そうゆうこともあった。
でも、それはまれである。
今日は止めておけばよかった。この寒空では、暖かいうちの中で何でこんな日に歩くのを
止めたのだろうか、と思っているほうがいい。人は大体、いや私は大体、そうゆう風に
思うだろう。きょうは止めようと思うとがっかりし、気力もないが、嫌な思いをしてどうにか
帰って来たとき、やっぱり止めておけばよかった。その反対をよしとする。それこそ、漫ろ歩き。
今日の朝こそ、こうゆう太陽が出た。でも、これは一昨日かの、日の出の後の
太陽である。
漫ろ歩きとなると、雲も出てくるので、これは逆にいうと、歩きやすい。
お店の、花の写真もさっと撮る。借景で、申し訳ないと思う。
一応、キカラスウリと思われる、その瓜の様子も見る。ちょっと、茶色さが
増したと思う。キカラスウリの色の変化はこれからが面白い。
道に出る。これは大きい道だが、歩くのは脇である。
今頃でもススキはそよそよと、穂を揺らす。なんとなく、流刑の地という
感じだが、そうゆうところではなく、ただお墓とかはそばにある。
葉が枯れて、枯れススキ。
この小川、多分昔はそうだった、を撮るのも1年ぶりか、春以来かで、ある。
大して歩いていない、のに、ずいぶんと遠くまで来たという感じがする。
これも漫ろ散歩の特徴。
ない、そうゆうところ歩くが、これも意志さえあれば、ネットで見ることが出来る。嫌な
時代でもあり、便利な感じもし、また国土地理院の地図はどうなっているか、知りたくも思う。
こうゆうところ、国土地理院という名も忘れるが、地図を見るというのも、ネットが変わり
になって、となるから、忘れるのも当然か。
地図を作った人、昔からたくさんいて、有名なところでは伊能忠敬。まー、どう考えても、
届かないし、どうしてこうゆう天才が生まれたのか、わからない。不思議な人という感じで、
もう少し今風にいうと、宇宙人かも知れず、また地球人でもある。時代に関係なく、優秀な人は
いる。それ以外に今でも一生懸命地図を作る人がいて、その地図というと、人のうちの名まで
出ている。如何様にしてこのような地図が出来るか、これも不思議だがそれをこれは便利だと
利用していた時代がある。これもネットに席巻されたというか、そちらに乗り換えられた
ようで、あの貴重な紙の地図は減ってゆく。
地図帳もどうなっているか最近はわからない。名前も変わり、大きさも変わってゆく、
地球だから、真実を反映する地図はあり得ないのかも知れないが、今日も、何十年も前の地図を
見て、ここの国は今はどうゆう名前なのか、という疑問を持った。古地図はいかにもむつかし
そうで、適当な地図というと、ありそうでない。せいぜい、教科書のそれしか思い浮かばず
それしかないが、肝心の辺りが、非常に小さく扱われるのが常のようである。
道々、歩く道を決める。きょうはここを右に曲がってという感じである。昔は、まずは
歩くことがあって、道は決まっているほうがよかった。今は観察か見学か、落ちているもの、
そこにあるものを掬ったりもする。それもデジタル信号に変換して。たわいないことを
やっていると思えるが、これをやらないとブログも出来ないから、困ったもので、またそれに
熱を入れる。もう少し他にそうゆうものがあったら、と考えないこともないが。それをやる
理由というと、簡単というのが挙げられる。もっとも、それはただの一つの段階に過ぎず、
その後が大変で、それでも毎度同じことをやる。
秋も深い。本物の秋で、今日は雨が降って、それもひどいときがあった。その割りに、
暖かい感じがあって、これでは割りと気分的には楽なほうだ。もっともいつ雷が鳴り、また
驟雨がやってくるかという恐怖はあった。今も無くしたというか、どこかに忘れた傘がどう
なったかその可能性を考えている。あるいは外に出してあったから、どうにかなったか、
お店の傘立てに入れて、それを持ち帰るのを忘れたというのもある。気がついた後というと、
何といつもより、そのお店の傘は増えていて、しかし私のそれはない。というと、間違って
持っていかれた、ということも考えられる。
漫ろ歩き、という時間はそこまで迫っている。今日はそうでもなく、またそうゆうときは、
他のときにある場合がある。それこそ、あー、今日は何でバッグに水を入れ忘れたのだろうか。
きょうは財布を持っていないな、というか小銭くらい持つべきだった。いろいろ。そのうち、
いよいよ本物の木枯らしが吹くときが来る。そうゆうときも、まだ寒さには負けないで
歩こうという気はある。でも、寒空である。想像するに、いかにも寒い風が吹く。人っ子一人
いないような、道を歩く。幸いかな、同じく散歩する人に出会う。そうゆうこともあった。
でも、それはまれである。
今日は止めておけばよかった。この寒空では、暖かいうちの中で何でこんな日に歩くのを
止めたのだろうか、と思っているほうがいい。人は大体、いや私は大体、そうゆう風に
思うだろう。きょうは止めようと思うとがっかりし、気力もないが、嫌な思いをしてどうにか
帰って来たとき、やっぱり止めておけばよかった。その反対をよしとする。それこそ、漫ろ歩き。
今日の朝こそ、こうゆう太陽が出た。でも、これは一昨日かの、日の出の後の
太陽である。
漫ろ歩きとなると、雲も出てくるので、これは逆にいうと、歩きやすい。
お店の、花の写真もさっと撮る。借景で、申し訳ないと思う。
一応、キカラスウリと思われる、その瓜の様子も見る。ちょっと、茶色さが
増したと思う。キカラスウリの色の変化はこれからが面白い。
道に出る。これは大きい道だが、歩くのは脇である。
今頃でもススキはそよそよと、穂を揺らす。なんとなく、流刑の地という
感じだが、そうゆうところではなく、ただお墓とかはそばにある。
葉が枯れて、枯れススキ。
この小川、多分昔はそうだった、を撮るのも1年ぶりか、春以来かで、ある。
大して歩いていない、のに、ずいぶんと遠くまで来たという感じがする。
これも漫ろ散歩の特徴。