光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

2010年の、手帳

2009-10-21 18:47:33 | 散策
 2525年の手帳というと、ちっとすごそうで想像もつかないし、またそのような時代があるの
か、26世紀は存在するのか、多少なりとも疑問が生じるが、2010年の手帳は、予想どおり
売っていて、最初にそこに行く。本屋さんで、大きな街の駅の、そのビルの中にある、本屋さんで、
手帳のコーナが別に出来る。ここに、ある会社の手帳が、山ほど積まれる、というか並べられて、
これがいいと思って、買う。が、ことしこそは、
  これでよかったと思うのであるが、時間もあまりないので、ちょっと高かった、一番いい
と思う、ものを購入したが、それが予想に反して、いらないものが付いていた。手帳にいくつか、
種類があっていいが、これがいいという、その製品を見つけるのが意外と時間がかかる。今回は
いいだろうと思うがそうでもなかった。でもそれを使う。

  ノートとか、それから日記帳とか、あとは手帳とか、それからただの紙というの使う。ノート
は大学ノートで、なんだかわからないが、今はそれも使うときが少ない。日記帳はこれも使って
いるというと「5年日記」という、ちょっと特殊なもので、手帳でもないし、また普通の日記帳でも
なく、5年も使える、日記帳で書くスペースは少ない。メモ程度で、それを使いこなせるといいが、
これにはそれこそ参考書がいる、こうゆう5年日記の使い方、というタイトルの本がいる。10年とか
もあるし、これなども、もう昭和の時代からあった。売れているかどうか。10年使うのは
むつかしそうで、第一実用性がないようなである。厚すぎる、データの量が多すぎる。いらぬ
ところを読み返す。その特徴が欠点にもなる。
  私も5年日記というのを、なにげなしに買った。それが3年目になる。きょねん、父が病気で
亡くなった。そのときの様子が、5年日記にも書かれていて、その辺りを見ると、あまりいい気分は
しないが、これも普通の日記だと、そうは、きょねんのものを見る機会もなく、でも、特に5年
日記を見なくても、最後のころ、その日というのは覚えているもので、それももう過ぎた。これは
余分な話しになってしまった。

  今はどちらかというと、5年日記を後から、手帳を見て、あるいは、紙に書いている日記「もどき」
のことを、5年日記に写すのがちとしんどい。まずは手帳がある。だから、ことしこそ、忘れずに
はやめに購入しようと、ことしの手帳に、来年の、とは書かないが、手帳を買うこと、と、
10月の欄に書いた。それを、よくも思い出したもので、なんでかわからない。いくら手帳に、
手帳を買うとか書いても、一々道々手帳は見ない。本屋さんに入っても手帳は見ないが、今日は
歩いている途中で思い出した。歩くのは記憶も回復させる効果がある。
  もっとも、この頃はなんども手帳を買う、ということを書いていたりする。物理的な
刺激が脳に残っていたのか。

  それにしても最適と思われる、手帳はない。あるかも知れないが、同じようなものが、
何十冊もあり、それを調べるのは段々難儀にもなる。それに比べると大きなスーパに行って、
特売とか安売りというのを見つけるのは比較的簡単であって、そもそもスーパで買うものに
さほどの違いもないし、大体食べ物でのどを通れば忘れてしまう。
  5年日記というのも罪なもので、途中で止めないとか決めると、ときにわずらわしく、また
思い出さなくていいものも思い出すことがある。これだけ、5年日記だけというと、これは
まずは役にたたないし、手帳の手帳らしさがない。だから日記だが、内容は手帳のそれ。いろいろ
人は考えるものだ。でも、もう5年日記も買わないだろう。

  手帳も、日記も、と言ってもコピ用紙というか、プリンタの普通の、A4のものを使うが
これも、残らないというか、あちこちに置いてある。見直すことも出来ない。ただ、習慣
として書く。そう思うと
  手帳が一番見直しやすいものかも知れない。手帳の重要性もそこにあるかも知れず、しかし
それゆえに、手帳の種類は多く、毎年異なるものを購入して、それも5年前だと、たしかに
ここにもあるが、もう見直すことはない。3年前もない、なに、だから5年日記が必要か、そうかも
知れず、堂々巡りは続く。勝手にしろ、ともう一人の自分は言う。


  あまり歩かない、でも知っているという、となりの、町というよりは、地域かも知れない、
お寺とか多く、また酒屋さんもある。これはどこにでもあるか。そこを久しぶりに歩いて、
ちょうど太陽が照り付ける方向から見ると、やけに赤いという感じの葉を持つ、植物があって、
それだけ早く紅葉したわけでもないだろうが、これは興味を引く色合いもあって、普通に何度か
ボタンを押した中から、何枚か。
  




  これは、やっぱり赤い。もう葉が落ちた植物もあるわけで、それに
  近づいてゆく、赤い色があって。




  カメさんの中で、なんでこんなややこしいものが、データが入ってくるのか、
  もしミニカメさんに脳があったら思うのでないか。




  少したつと、手前に緑もある。赤と緑は何か関係がある。




  木漏れ日みたいのが、ここに出てくるようで、絵の雰囲気も変わる。




  赤い木だ、というか赤い葉の木だ、と思うが、結構緑も残っていて、これで
  この木の状態がようやくわかってくる。




  上のファイルを、拡大しただけだが、生き物らしさと、そうでないものの
  中間の感じがある。等倍表示より小さくしているが、たしかに、引き付ける
  何かがありそう。

ぶらぶら、田舎道、紅葉はないか

2009-10-21 16:27:27 | 植物・花(秋)
  きょうは、暖かくいいお天気だが、今頃は風が強く
  少し寒いくらいになっている。
  完全な秋だなー、窓も閉めないと、空気が冷たい。

  ぶらぶらとか、ダラダラとか、そうゆう感じで、紅葉探し、
  花探し、虫探しをやる。だんだんと、紅葉は増えるようで、
  平地のそれである。
  花は減って、虫は、探してもなかなかいない。
  
  田舎の散歩道に、紅葉はまだ早く、先の楽しみに
  しないと。




  庭の木。これは、紅葉かも知れない。ちょっとくすんでいる。




  朝のキチョウと同じ。もったいないというか、珍しいのでもう一度。




  こちらのカエデも、少し葉が赤く、悪くはない。




  同じカエデ。日の当たる方から。もう少し時間がたてばかなり赤く
  なりそう。




  十分赤い、ピラカンサ。実の大きさは普通。




  小粒の、ピラカンサ。実の数は多い。




  小粒のピラカンサを大きく。ピラカンサの実の最後というのもあるが、
  結構寂しい。




  セイタカアワダチソウの、群生。小柄になった。数は多い。




  セイタカアワダチソウの時代というのも、終わってしまうかも知れない。
  何でも席捲すると、その後には、衰退というものが待っているのか、とも
  考えてしまう。

透明な、空、とキチョウ

2009-10-21 06:35:04 | 散策




  朝のお天気は、快晴。雲は少しあって、太陽の色に輝いている。風は弱く、穏やか。雨はない。夜中も晴れで、朝方曇り。アメダスの6時の気温、11.5℃、気圧は1019.6hPa、湿度は76%。室温は、16.5℃。

  風も止んで、月もさっさと沈んで空になく、透明な空が、星空が広がった。一度だけ、外を見るとちょうどオリオン座が、真東から上りはじめるところ。いい星空で、すぐに寒くなって、布団に戻る。これでは星空観察は出来ない。ちょっとだけ、眺めたということ。空の変化はない。夢の中で、流れ星もない。

  黄色いものというと、今は紅葉も太陽もあるが、モンキチョウかと思えるチョウが、菊の花に止まった。これは、近付くと逃げるが、お腹の減り具合もあって、二度、三度やると、もうチョウも慣れてくる。あとは、静かに近づいて、ボタンを押す。何だか、体のほうが震えるときがあるが、やっていることもたしかにおかしいかも知れない。
  やけに黄色いチョウだ。これもモンキチョウか。モンシロチョウはいて、シロチョウは、この辺りにいるはずがない。しかし、少し調べると、
  このチョウは、モンキチョウでなく、キチョウのようである。紋もないし、色が濃すぎるし、少し小さい。大きさはともかく、色が濃い。これで、このチョウはキチョウだと判断した。思い出して見ると、このチョウも初めてではない。

  まぶしい朝の、太陽が、北アルプスの頂から、もう出切って、地平を照らしている。今日は、大体晴れ。