高いところは数ありそうで、高低差が問題になるが、高いと酸素の量も少ないと聞く。
すると息苦しく、こうゆう経験はしたくない。今日は、朝は晴れ、高層の雲が美しく、どの程度の
高さの雲か、想像もつかないが、ジェット旅客機だと、その雲の上まで飛んでゆきそうで、
大体高くても、6、7000mくらいかなと思ったりもする。ヒマラヤの山岳地帯の麓で、インド側
にしろ、中国側にしろ、高度の高いところというのはある。ヒマラヤのチョモランマに登ると、
雲をもはるか下に見える。そうゆうヒマラヤ山脈を越える、鶴がいるというから、これも
自然界の多様性と、不思議の何ものでもない。
大体高いところというのは苦手で、高所恐怖症でもあって、下にいるというか地面だと
安心して、しかし、どぶに転ぶ危険は今なお高い。そうゆう経験を、街の歩道でもしているし、
この辺りのちゃんとした、側溝でもその経験はある。前者はそこに、安全柵というのがなかった
から。後者はあからさまに、溝がある。普通それだと、わざわざそこにはまることはないが、
ちょうどガードレールのようなものがあって、普通の道、ガードレール、側溝、それから
花壇という順になって、その溝の辺りに都合で座るかどうか、というときが危ない。
高いところというと、近くて遠い、立山連峰だが、遠い昔、はるかの昔に、バスで、その
前にケーブルカーに乗ったと思うが、それからバスに揺られて、弥陀ヶ原までいった。その高度は
2000mはなかったと思う。もともと、弥陀ヶ原まで、千寿が原などという名もあったと思う、行く
予定で、途中で私が気分が悪くなって、予定通り降りたが、もしそうでないと、室道までゆく
気でいたというから恐ろしい。
その弥陀ヶ原で、如何様な惨めな思いをしたか、今ごろ思い出すのもおかしいが、そうゆう
ものこそ記憶に残ってそれ以外は覚えていない。
他だとこれも大体、車でとなるが、乗鞍岳というのも車道が整備されていて、最後の方は
歩いた。どこまでいったか、その高度はどのくらいか、幸い覚えていない。
もう少し時代を遡ると、奥多摩辺りでは、大岳山が最高で、これもケーブルを使い、帰り
も膝が痛くて泣いたという悲しい経験がある。大岳山もそうは簡単に歩かせてもらえない。
それ以降、とみに低い山を歩くことにした、のはもっともで、その後の何ヶ月か、痛い膝を
引きずった感じがある。O脚の人、反対の人は、歩くのが大変である。偏平足の方はどうか、
これはわからない。
もう少し奥まったところというと、小淵沢から小諸に向かう、その反対もそうだが、
「小海線」というのがあり、小淵沢から近いある駅から歩くと、「飯盛山」というところにゆくこと
が出来る。高度の差は小さい。しかし、そこは結構見晴らしがきいて、私がいった日も
幸いかな、快晴ではるかかなた360度を見渡すことが出来た。
これこそ、夢のような話しである。昔はそれくらい行けた。今はどうか、となる。こうして、
毎日肩を落として歩く感じもあるが、こうゆうことを書いたり思い出したりするのも、今日
は少しだけ長く歩いたからに違いない。
脈絡なく、それが大体のスタイルで、
それで、今ごろの緑、赤というもの、赤と黒だとこれはなかなかなく、赤と、青は、
青は青い空、赤と緑は、紅葉で、その途中に黄色がある。
アジサイにもいろいろ。大体スタート地点。緑のまま。
常緑樹の緑は濃いようである。これで、どちらかというと潅木で日が当たらない。
大小さまざま木があるが、この木はいくらでも芽が出る。大きくなる途中も
ある。大きくもなる。途中、雪で枯れる場合が多いようだ。
黄色いような、カエデ。何枚か、レンズのせいで出る光の色がある。
荒地の指標となるか、カラスウリ。柿の木、その他の木、笹、何でも
絡みつく。それに比べて、ことしはヘクソカズラは、さほど盛んではない。
画像が若干荒いと思えるのは、解像度の問題で、ブログといえども落とすと、
その反映があると思う。
カラスウリ、赤い実は、と思うが、カラスは無論食べない。カラスの名の
付く植物は多いようで、それとカラスの因果というのもよくわからない。
カラスウリと柿の実。これを見てどう思うか。昔は、カラスウリはなかった。
柿はというと、せいぜい数個だけ取って食べることが出来たと思える。
柿の枝は切るべからずとかいう。でも、切らないと新しい枝も出ず、枯れる
のではないか。
すると息苦しく、こうゆう経験はしたくない。今日は、朝は晴れ、高層の雲が美しく、どの程度の
高さの雲か、想像もつかないが、ジェット旅客機だと、その雲の上まで飛んでゆきそうで、
大体高くても、6、7000mくらいかなと思ったりもする。ヒマラヤの山岳地帯の麓で、インド側
にしろ、中国側にしろ、高度の高いところというのはある。ヒマラヤのチョモランマに登ると、
雲をもはるか下に見える。そうゆうヒマラヤ山脈を越える、鶴がいるというから、これも
自然界の多様性と、不思議の何ものでもない。
大体高いところというのは苦手で、高所恐怖症でもあって、下にいるというか地面だと
安心して、しかし、どぶに転ぶ危険は今なお高い。そうゆう経験を、街の歩道でもしているし、
この辺りのちゃんとした、側溝でもその経験はある。前者はそこに、安全柵というのがなかった
から。後者はあからさまに、溝がある。普通それだと、わざわざそこにはまることはないが、
ちょうどガードレールのようなものがあって、普通の道、ガードレール、側溝、それから
花壇という順になって、その溝の辺りに都合で座るかどうか、というときが危ない。
高いところというと、近くて遠い、立山連峰だが、遠い昔、はるかの昔に、バスで、その
前にケーブルカーに乗ったと思うが、それからバスに揺られて、弥陀ヶ原までいった。その高度は
2000mはなかったと思う。もともと、弥陀ヶ原まで、千寿が原などという名もあったと思う、行く
予定で、途中で私が気分が悪くなって、予定通り降りたが、もしそうでないと、室道までゆく
気でいたというから恐ろしい。
その弥陀ヶ原で、如何様な惨めな思いをしたか、今ごろ思い出すのもおかしいが、そうゆう
ものこそ記憶に残ってそれ以外は覚えていない。
他だとこれも大体、車でとなるが、乗鞍岳というのも車道が整備されていて、最後の方は
歩いた。どこまでいったか、その高度はどのくらいか、幸い覚えていない。
もう少し時代を遡ると、奥多摩辺りでは、大岳山が最高で、これもケーブルを使い、帰り
も膝が痛くて泣いたという悲しい経験がある。大岳山もそうは簡単に歩かせてもらえない。
それ以降、とみに低い山を歩くことにした、のはもっともで、その後の何ヶ月か、痛い膝を
引きずった感じがある。O脚の人、反対の人は、歩くのが大変である。偏平足の方はどうか、
これはわからない。
もう少し奥まったところというと、小淵沢から小諸に向かう、その反対もそうだが、
「小海線」というのがあり、小淵沢から近いある駅から歩くと、「飯盛山」というところにゆくこと
が出来る。高度の差は小さい。しかし、そこは結構見晴らしがきいて、私がいった日も
幸いかな、快晴ではるかかなた360度を見渡すことが出来た。
これこそ、夢のような話しである。昔はそれくらい行けた。今はどうか、となる。こうして、
毎日肩を落として歩く感じもあるが、こうゆうことを書いたり思い出したりするのも、今日
は少しだけ長く歩いたからに違いない。
脈絡なく、それが大体のスタイルで、
それで、今ごろの緑、赤というもの、赤と黒だとこれはなかなかなく、赤と、青は、
青は青い空、赤と緑は、紅葉で、その途中に黄色がある。
アジサイにもいろいろ。大体スタート地点。緑のまま。
常緑樹の緑は濃いようである。これで、どちらかというと潅木で日が当たらない。
大小さまざま木があるが、この木はいくらでも芽が出る。大きくなる途中も
ある。大きくもなる。途中、雪で枯れる場合が多いようだ。
黄色いような、カエデ。何枚か、レンズのせいで出る光の色がある。
荒地の指標となるか、カラスウリ。柿の木、その他の木、笹、何でも
絡みつく。それに比べて、ことしはヘクソカズラは、さほど盛んではない。
画像が若干荒いと思えるのは、解像度の問題で、ブログといえども落とすと、
その反映があると思う。
カラスウリ、赤い実は、と思うが、カラスは無論食べない。カラスの名の
付く植物は多いようで、それとカラスの因果というのもよくわからない。
カラスウリと柿の実。これを見てどう思うか。昔は、カラスウリはなかった。
柿はというと、せいぜい数個だけ取って食べることが出来たと思える。
柿の枝は切るべからずとかいう。でも、切らないと新しい枝も出ず、枯れる
のではないか。