小春日和と書いて、慌ててこれはおかしいとか思って、辞書を引く。その辞書には詳しく
説明がある。あるはずだが、小春は、陰暦の10月とある。それ以上はなかった。もっと、説明が
暦についてであるが、あるはずでそれを見た記憶があるが、探して見つからず、どう考えても、
今ごろに小春日和はないとの記憶もあって、その続きは止めた。それくらいに暖かさ、穏やかさが
あって、辞書の引き方も忘れたのは、納得がゆく。
さほど気温が上がっていないのに、やけに暖かいというのもおかしいかも知れない。外の気温
と外のそれ以外の環境があって、うちの中には太陽光は入ってくるが、一部である。今頃が一番
過ごしやすいが、ときに外が寒くうちが暖かと言うのが多いはずで、それに気が付くのもだんだんと
鈍くなる。風とか、また日の当たりかたを見ても、わからないものがある。そのうちに、きっと外が
寒く、また凍てつくときが来る。
そう思うと、今日は快適な一日で、記憶にあたいする一日でもあるかも知れない。冬がそこまで
来ていると思う。間違いなく、冬はそこに来ていて、これで雪が降ると、一体にどうなるか、
木の様子を見つめるのは、ちょうど頭の上が、その木で覆われるからで、夏こそ日陰になって
よかった。でも、雪が降ると、その木には雪が積もる。こうして木は倒れた、となると、いいような
感じはするが、それこそ頭の上から雪とか、木の枝が落ちてくると、大変である。
夏はよく考えなくても冷夏で、それでも木の陰は涼しい。もしも例年の暑さがあったら、
木陰といえど暑すぎた。どこが北陸か、というわけである。きょうは、天気がよすぎた感じもあって、
反対に、怖い雪、大雪の景色というのも、脳裏をよぎったのである。なんでも、その反対という
のが、あるものだからだ。いざそうなると思うと、でもこの先は書くことも出来ない。そうゆう
ことは考えないようにする。
台風18号が去って、というか、それがやって来て、散々な目にあって、それももう忘れ
去られた感があるが、毎度見ている木々の状態は、冷夏があり、また天候不順があって、
いい紅葉もないだろうと思ったものだが、それに加えての台風だから、生き物もおかしくなる。
かんたんにもとに戻らない。それも人もそうだし、他の生き物もそうだろう。が、これも
そろそろ忘れないと、気分だけでも落ち込まないように、今日の穏やかな散歩道も、それを
現わしているかのようである。
そういえば、そこがなぜ草が生えてという場所は、空き地であり、また人のいなくなった
場所でもあり、放置田でもあるが、そうゆうところの草というのは、意外や元気である。草は刈られて、
また、薬も撒かれるが出てくる草はある。その草の名前こそ出てこないが、台風に負けない、
そうゆう強さが雑草にはあって、もっとも被害を受けるのは、落葉広葉樹の場合がひどく、
またお庭の花や、植木というのが多そうで、それもいくつか、程度の問題もある。台風くらいで
びくともしない、そうゆう庭の木や、花がある。反対に、コスモスなどは、今見ても、風に打ち
負かされたままというものがある。植物の運・不運、というのがあるのは、すべてのコスモスが
だめというわけでもない、ということ。
こと、花に関して、咲く花は減った。花壇に咲いていた花は、もう咲く勢いはなくなって
いる。それでも今頃、出てくるものもある。いくつか、小さなチョウを探して、いつもと変わらぬ
状況も見ることが出来た。でも、花だけに限れば、その数は少なく生存競争は厳しくなるのは、
間違いない。
好日の時間、台風の傷跡もわからないか、消される。
同じような、光景が続く。色も青空に緑に、虹のような、グラデーションが。
アジサイというのも、今ごろになって、冬は葉っぱが落ちるか、また変色
するかわからなくなる。冬、雪が降って思い出す。
アジサイは、この少し細かいほうが、いいように見える。
地面に緑があって、苔が生えている。それから、何か今頃、コスモスと
反対に、出てくるものがある。クローバかも。
光が強く、なかなか気が付かないが、淡いもも色は、日が落ち着けば
もっと赤く見える。秋らしい、散歩道。
説明がある。あるはずだが、小春は、陰暦の10月とある。それ以上はなかった。もっと、説明が
暦についてであるが、あるはずでそれを見た記憶があるが、探して見つからず、どう考えても、
今ごろに小春日和はないとの記憶もあって、その続きは止めた。それくらいに暖かさ、穏やかさが
あって、辞書の引き方も忘れたのは、納得がゆく。
さほど気温が上がっていないのに、やけに暖かいというのもおかしいかも知れない。外の気温
と外のそれ以外の環境があって、うちの中には太陽光は入ってくるが、一部である。今頃が一番
過ごしやすいが、ときに外が寒くうちが暖かと言うのが多いはずで、それに気が付くのもだんだんと
鈍くなる。風とか、また日の当たりかたを見ても、わからないものがある。そのうちに、きっと外が
寒く、また凍てつくときが来る。
そう思うと、今日は快適な一日で、記憶にあたいする一日でもあるかも知れない。冬がそこまで
来ていると思う。間違いなく、冬はそこに来ていて、これで雪が降ると、一体にどうなるか、
木の様子を見つめるのは、ちょうど頭の上が、その木で覆われるからで、夏こそ日陰になって
よかった。でも、雪が降ると、その木には雪が積もる。こうして木は倒れた、となると、いいような
感じはするが、それこそ頭の上から雪とか、木の枝が落ちてくると、大変である。
夏はよく考えなくても冷夏で、それでも木の陰は涼しい。もしも例年の暑さがあったら、
木陰といえど暑すぎた。どこが北陸か、というわけである。きょうは、天気がよすぎた感じもあって、
反対に、怖い雪、大雪の景色というのも、脳裏をよぎったのである。なんでも、その反対という
のが、あるものだからだ。いざそうなると思うと、でもこの先は書くことも出来ない。そうゆう
ことは考えないようにする。
台風18号が去って、というか、それがやって来て、散々な目にあって、それももう忘れ
去られた感があるが、毎度見ている木々の状態は、冷夏があり、また天候不順があって、
いい紅葉もないだろうと思ったものだが、それに加えての台風だから、生き物もおかしくなる。
かんたんにもとに戻らない。それも人もそうだし、他の生き物もそうだろう。が、これも
そろそろ忘れないと、気分だけでも落ち込まないように、今日の穏やかな散歩道も、それを
現わしているかのようである。
そういえば、そこがなぜ草が生えてという場所は、空き地であり、また人のいなくなった
場所でもあり、放置田でもあるが、そうゆうところの草というのは、意外や元気である。草は刈られて、
また、薬も撒かれるが出てくる草はある。その草の名前こそ出てこないが、台風に負けない、
そうゆう強さが雑草にはあって、もっとも被害を受けるのは、落葉広葉樹の場合がひどく、
またお庭の花や、植木というのが多そうで、それもいくつか、程度の問題もある。台風くらいで
びくともしない、そうゆう庭の木や、花がある。反対に、コスモスなどは、今見ても、風に打ち
負かされたままというものがある。植物の運・不運、というのがあるのは、すべてのコスモスが
だめというわけでもない、ということ。
こと、花に関して、咲く花は減った。花壇に咲いていた花は、もう咲く勢いはなくなって
いる。それでも今頃、出てくるものもある。いくつか、小さなチョウを探して、いつもと変わらぬ
状況も見ることが出来た。でも、花だけに限れば、その数は少なく生存競争は厳しくなるのは、
間違いない。
好日の時間、台風の傷跡もわからないか、消される。
同じような、光景が続く。色も青空に緑に、虹のような、グラデーションが。
アジサイというのも、今ごろになって、冬は葉っぱが落ちるか、また変色
するかわからなくなる。冬、雪が降って思い出す。
アジサイは、この少し細かいほうが、いいように見える。
地面に緑があって、苔が生えている。それから、何か今頃、コスモスと
反対に、出てくるものがある。クローバかも。
光が強く、なかなか気が付かないが、淡いもも色は、日が落ち着けば
もっと赤く見える。秋らしい、散歩道。